(続)海の音

雑念のメモ

夢日記7/29

話したことのない男性社員に突然、満面の笑みで「たまごの殻に乗って航海したことありますか?」と突然話しかけられて、私は嬉しくて舞い上がり「えー!私もずっとたまごの殻に乗ってみたかったんです!そんな人がいたとは嬉しい!」と歓喜したら男性社員は「ははは、やっぱり乗ってみたいですよね〜。僕はムール貝の殻とかもいいなぁって思うんです。」と答えた。へぇ、ムール貝の殻もよさげだな思った。

 

 

 

会社はもちろん今働いてる会社じゃないし、男性社員は夢の中で作った人だから実在しない人。なぜ自分が賛同したかも分からない。多分寝る前に息子とドラエもんを観て、スモールライトのシーンと新しいドラエもん映画(海賊?)の宣伝シーンが脳内に残っていたのだろう。男性社員が笑ってるイメージはこれもテレビで観ただいすけお兄さんの印象から作られた気がする。

死際

自分が好きだからといって相手も自分を好きかわからないから愛とか恋とか信じられなくなっていつからか自分の好きは布団圧縮袋にしまって騙し騙し生きてきたけど何かが間違っている気がするし押入に残したまま死んでいくと思うと殊更恐くなってきた。死ぬ直前に思い出してやっぱあれ出しときたいって押入から引っ張りだそうとしても、そもそも家に帰れないなぁって泣きながら涙を拭くこともできないで天井をただ見つめていそう。ナースコールも押せない身体で。死際に初めて正直になれるかもしれないがなったところで時既に遅し。

65歳男性(趣味は釣り)になりたい

とある方で、その方が他の人に教えたのをきっかけに私が生涯かけて追いたいと思うほど好きになったものがあり、だからありがとうを伝えたくてずっと話してみたいと思っていた方(既婚者なので恋愛関係になりたいとかは断じてない)がいて、その方に一度だけお会いした時、あまりにも緊張して全然話せなくて、私がそんな感じなので向こうも何も話してくれなくて結局話したいことは何一つ話せなかった。

後日、「かわいい女子とは緊張して話せない」と本人が言っていたと奥様から聞き、それが例えお世辞でも嬉しくてビール何杯でも驕りますよの気持ちになったが、もし私がそうさせているのであれば私に原因があるということになり何だかなぁという気持ちになった。

己の見た目が可愛くもなければそもそも「女子」と名乗る年齢でもないのは重々承知しているが、最低限、見た目だけで人に不快感を与えないようには心がけている。いつもではないができる限り髪は梳かして人並みに(か分からないがまずまず)化粧はする。洋服も基本的に好きなものを着ているが、半裸とか露出とか不潔とか他人がげーって思うような恰好(完全に自分基準)はしない。だって見た目だけで嫌な気持ちにさせてコミュニケーション自体が遮断されたらそれってとても悲しいと思うから。と思っていたのに逆にそれが仇となっているなら一層悲しい。半裸で血を流して気が狂ったような恰好をすればその人は私と話してくれるのだろうか。それはそれで怖がられて円滑なコミュニケーションの障害になるかもしれない。

じゃあ一体どうしたらよいのか。詰まる所、他人に対してどうのこうのじゃなく、自身が自信(駄洒落じゃないヨ)を持った格好をしてれば一番魅力的なんだろうけど、人にどう見られるか、人に不快感を与えたくないという余計なエゴが常に邪魔をしてくる。悔しいことに最後のところで捨てきれない。いっそのこと、ミュータントみたいに全人類の見た目が同じで服も着ず皆丸裸で街を歩いているのが当たり前の世の中だったらいいのになと思う。同じ見た目のミュータント達がお互い話して初めてどんな人か分かるというような。でもそうなると没個性となり彩のないつまらない世界になりそうだ。歩いていても誰が誰か分からない。おしゃれも奇抜さも何もかも存在しない世界。内面的な精神だけが求められる世界。うう、それってどうなんだろう。外見って難しい。大森靖子さんがよくおっしゃっているように毎日その日の気分で性別を選べたら楽しいだろうな。欲を言えば年齢も選びたい。今は65歳くらいの初老男性、ジャングルポッケみたいなポケットがいっぱいついた釣りジャケットを着て帽子を被っているようなおじさんの外見になりたい気分。

おでんのゆで卵は嫌い

新卒で入社して以来ずっと働いている会社では月に一度くらい月曜日に事業部全体の朝礼があり、ビルのほとんどの人と言っても数十人が同じ部屋に集って、朝イチで本社から中継されるテレビ朝礼に参加する義務がある。基本的に営業員向けなので売上達成や先の計画のことを各部長が報告したり、何名かいる取締役がコメントしたりする。あまり具体的に書くのもアレなのでこれくらいにしておく。
いつものように人が集まりスクリーン上で朝礼が始まった。何故かエアコンが入っていないようでクソ暑く息苦しかった。

冒頭、いつもコメントする人と違う取締役が出てきた。顔は何度か見かけたことがあるが面識はないし話したことはない。おでんに入っているゆで卵みたいな顔の人。仮にゆで卵としておく。ゆで卵は開口一番いきなり、「みなさんは週末何して過ごしましたか?」と問うた。実際に前にいる何人かに「何しましたか?」と聞いて答えさせていた。えっ、校長の話みたいでいつもの感じと違うな、仕事論でも説くのかなと思って耳を澄まして聞いていると、「なんでこんな質問したかと言いますと、仕事のあり方についてちょっと語らせていただきたいんです。みなさん、週末は趣味に没頭したり、スポーツをしたり、家族と過ごしたりしていると思います。一方で仕事をしている人もいます。何が言いたいかと言いますと、月曜から金曜日まで最高のパフォーマンスをするために週末皆さんは好きなことをしたりするんです。そう考えると週末は休みでなくて仕事だということなんです。週末で万全の態勢にして月曜日からしっかり働いてほしいんです。・・・」というようなことを言った。こうやって書き起こすと何でもないような気もするがそれを聞いて私は異常に腹が立った。

ゆで卵の持論では、人生は仕事が中心で進むものだから仕事のため会社のために全て向かっていかなければならない、という風に感じ取れた。会社だからそうなのかもしれないが、モチベーションのあり方まで勝手に決めつけ押し付けてきて私はこのおっさん何言うてんねんとムカムカした。「好きなこと」や「好きな人」は仕事のために存在するのではない。それ自体を愛し人生を色づけするためにある(私の持論)。なぜ全てが仕事を中心に自転しているような言い方をするのだろうか。ゆで卵は週末も仕事のことで頭がいっぱいなのだろうか。私の大切なものがぐちゃぐちゃに踏みにじられた気がして腹が立ったしこんな会社で働いていることが悔しかった。家族と過ごしたり、美味しい物を食べたり、友達に会ったり、好きな人のライブに行ったり、それが確かに仕事のモチベーションに繋がることもあるが、私の「大切」は仕事という目的のための手段ではない。好きなことをしたり、好きな人に会うために仕事をするという考えが彼の頭にはないのだろうか。独裁国家みたいに仕事のあり方が語られるのが嫌だった。

ゆで卵が同じ話を続けるものだから途中からミュートして俯いていた。部屋は更に暑くて、血の気が引いたのが分かり気分が悪くなってきた。中学生の時よく倒れたみたいに目の前が真っ白になって倒れそうだった。でももう少しで終わりそうだったのでハンカチで口を押えながら前に立っている女の人のスカートの柄を見ていた。ウィリアム・モリスを真似したけれど少し失敗したような、いつかテレビで観た海外のお金持ちの家にあるゴブラン織りみたいな柄をただ見つめていた。深呼吸したら加齢臭のような匂いとむわっとした温かい空気が鼻から入ってきた。吐きそうになったところで朝礼は終わった。

ふらふらで戻って席に着いたら涙が出てきそうだった。その後すぐ打ち合わせもあるので泣くのは堪えた。戻ってきた上司に「あれおかしくないですか?」と聞いたら少し頷いて苦い顔をして「あれはちょっとな」と言った。それで少し救われた。それでも午前中ずっと気分が悪く早退しようかと思った。でもゆで卵野郎に負けるのが悔しかった。小学生の時「学校に行きたくない」と母に言ったら「行っても行かなくても好きにしていいよ」と言われた。変に負けず嫌いでそう言われたら悔しくてその時は一度も学校を休まなかった。何に対してか分からないけど小さい頃から私は戦ってきた。それはきっと大切なもの、好きなものや人のためかなと出産してから気が付いた。

以上、イライラの衣良のはけ口。あーすっきりした。
この話は事実ですがあくまで全部持論です。

スイマーと私

SWIMMERが来年1月に終了すると発表から少し遅れて知った。りんご王子やピンクや黄色のうさぎ、オリジナルプリントのポーチ、鏡、ノート、ランプ、時計…。今でこそ珍しくないが、小学生だった私にとって「かわいい」が息苦しくなるくらい詰め込まれた雑貨の数々はいつか見た夢の世界のようだった。SWIMMERに関してはちょっと人と違うエピソードがある。

なぜインターネットも普及していない時代に地方在住の小学生がスイマー(以下昔の思い出の感覚でカタカナ表記)を知っていたかというと、近所にスイマーを取り扱っている雑貨屋さんがあった。その雑貨屋さんは繁華街からほど遠い地元の最寄駅のすぐ近くにあり、お姉さんが一人で経営していた。セレクトショップみたいな感じで、スイマー以外にもお姉さんが選んだ雑貨が広くはない店に所狭しと並べてあった。いつできたのか覚えていないが物心ついた時にはもうあって、最初は母親と一緒に行った。小学校中学年くらいまではサンリオ絶対信者で、サンリオに行けば全て揃っていると思っていたのだが、このお店はサンリオとは違う少し大人の物が売っていてドキドキした。入店した途端独特の甘ったるい匂いが鼻にやってきて、レジに立つお姉さんの服装、アメリカ企業広告のポストカードやアクセサリーなど全てが初めて触れる世界だった。スイマーもその一つだった。駅から家までに通る道にあり、狭いお店なので何度か行くとすぐに顔を覚えられてしまい、親と一緒の時は買わずに出るのが気まずかったのかペンやシールなど小さな物を買ってくれた。今から考えればおそらく外国製のスイマーの雑貨は値段が安く、他の商品に比べて買ってもらい易かったのだと思う。

確か初めて買った(買ってもらった)スイマーの商品はうさぎの形をしたシャーペンだったと思う。学校でシャーペンは禁止されていたが塾では使ってよかった。最初の頃はそれが何のブランドであるかは意識しなかった。そのうち、雑貨の側面にSWIMMERと読めないアルファベットで書いてあることに気が付いた。そういえば全部絵柄や雰囲気が似ているなと思った。りんご王子やうさぎのキャラクターも同じブランドだと知った。慣れてきたらお小遣いを握りしめてきょうだいと一緒に行ったり一人で行った。お店のお姉さんに話しかけられて恥ずかしかった。読めない英字の意味と発音を習っていた英語塾で後から知り、なぜ「泳ぐ人」なのか不思議だった。

思えば90年代後半から2000年にかけて雑貨屋全盛期で、文化屋雑貨店、宇宙百貨、大中ほか魅力的な雑貨屋さんがたくさん存在した。雑貨屋の最新事情は当時読んでいたMc Sisterという雑誌で学ぶことが多かった。Mc SisterはMen's Clubの妹版で当時洋服好きな母親が何誌かファッション誌を購読していたので家にあり、多分近所の雑貨屋さんに通い始めた少し後、小学校5年生頃からリニューアルしたMc Sisterを何となく読み始めた(年齢がバレる・・)。小学生にとっては洋服の着回しよりも雑貨紹介ページやシスターズと言われアケミ、ミワコ、ヨシミなど呼び捨てされ友達か姉妹のような距離感で登場するモデル達の愛用品や生活を見る方が面白かった。可愛いと思ったものは何でもハサミで切り抜いてキャンパスノートに貼りいちいち雑誌と同じクレジットを切り抜きの横に書き込んだりしていた。

ある日突然、雑貨特集のページに自分が持っているスイマーの商品が載っていて驚いた。スイマーは近所の雑貨屋のオリジナル商品だと思っていたので、なるほどうちの近所に売っている雑貨は雑誌に載るほど有名なものだったのかと誇らしいような可笑しいような気持ちになった。しかしよくよく見ると「スイマー代官山店」のクレジットがあり、(おそらく代官山がどこにあるのか母親に尋ねて)その時初めてスイマーが東京のブランドであることを知った。井の中の蛙状態でショックだった。それからも雑貨屋には通い続けた。雑誌に載っているものが売っていたりすると東京が身近になった気がして嬉しかった。

小学6年生の頃、ディズニーランド好きな父の提案で家族旅行で東京に行くことになった。私はその時ディズニーはさほど好きではなかったので、真っ先にスイマーと文化屋雑貨店に行くことを企んだ。結局TDLの翌日だか東京観光のために設けられた日に家族を巻き込んで原宿へ行った。初めて行く竹下通りは人が多くて怖かった。謎のTシャツを売る露店や当時流行っていたシノラー風ファッションをした若者でいっぱいだった。母親はスリに合うから気をつけなさいと言った。家族でぎゅっと縮こまり草食動物の群れように移動した。竹下通りの真ん中に文化屋雑貨店はあった。文化屋雑貨店で何を見たのか覚えていないが2階に上がったことは覚えている。近くのバーガーキングでドラマでしか聞いたことのない標準語で話す若い女の子達に怯えながらハンバーガーを食べた後、ラフォーレに入っているスイマーに行った。初めて見る実店舗に感動するかと思いきや、地元の雑貨屋に売っているものとそう変わらず少しがっかりした。きっと近所の雑貨屋が頻繁に新商品を仕入れていたのだろう、特に目新しいものは置いてなかった。それに流行りの服装をした年上の女性達で混雑していて子どもには肩身が狭かった。

やはりスイマーの本店を見てみたいという思いが湧いてきて、代官山にも行きたいと親に提案した。ラフォーレに行ったからいいんじゃないと最初は反対されたが子どものように駄々をこねた結果、どう時間を確保したのかきっとどこかへ行く予定を変更して代官山に連れて行ってもらった。ドキドキしながら店の前まで辿り着くと、その日は定休日だった。

中学生になっても例の雑貨屋へは通い続けた。可愛くて、スタンドミラーやメイクボックスなどちょっと大人の要素があるアイテムを眺めているだけでどきどきした。chocoholicというスイマーのお姉さんブランドも好きだった。高校になってからはお店のお姉さんと話すのが恥ずかしくなって何となく疎遠になった。大学に入ったら忙しくてほとんどお店のことは頭になかった。それでもスイマーのポーチや文房具は使い続けていた。社会人になって上京してから約10年ぶりに「本物」のスイマーのお店に行った。雰囲気は少し変わっていたが「かわいい」を追求したデザインや雑貨を手に取った時のドキドキは何も変わらなかった。自分用と小さい子はスイマーの細々した雑貨が間違いなく好きだろうしスイマー好きになってもらいたいというおばさんの脅迫観念で姪にも買い、海外では考えられないくらい過剰で可愛いラッピングをしてもらう。好みでないのか姪の反応は微妙だったけど、スイマーのお店で選んで買うという行為がただただ嬉しかった。

永遠に続くものなど存在しない。過去に愛用していた文房具や好きだったキャラクターはいつの間にか消えてなくなった。それは時代の変化もあるし、消費者として好んでは飽きる私自身にも原因がある。

実はスイマーを扱う地元の雑貨屋は今も存在する。実家に帰る度に潰れているかなと思って前を通るとちゃんと存在する。外から見る限りあの時と同じお姉さんがレジに立っていてスイマーの雑貨が置いてあるのが窓ガラス越しに見える。でも何となく入店できないでいる。入った途端に昔の記憶が洪水のように溢れて出して蓋が出来なくなりそうで怖くて入れない。ずっと変わらず存在してきた雑貨やさんもスイマーがなくなったらお店を閉めてしまう気がしてならない。

 

いつかみた夢は再び夢となる。しばらくしたら懐かしそうに語ったりするのかもしれない。