(続)海の音

雑念のメモ

夏の呪縛からの解放 ー MAPA『SUMMER SHOOTER』

いつから夏が嫌いになったのだろう。幼少期は好きだったのにな。朝から夕方まで近所の子たちとセミ捕りやセーラームーンごっこをしたり、地蔵盆でもらえるお菓子が楽しみだったり純粋に楽しかった。好きだったはずの季節はいつの間にか苦痛になっていった。泳げないから毎年夏休みにプールの補習授業を受けさせられ、「できない子」の存在を抹消しようと必死な学校にぞっとした。海なんか行かないから泳げなくていいのに。補習帰り、だるい身体に照り付ける太陽と自信満々に広がる雲に苛立った。

 

思春期になると更に嫌になった。花火大会に誰と誰が行ったとか、その後告白したとか付き合ったとか、教室で聞こえてくる会話。イケてる子だけに許される袖をロールアップした夏服の着こなし。安い制汗剤の匂い。わざとシャツから透けるような下着を着ている女子。そういうの全部馬鹿みたいで気持ち悪いのに完全に憎めずちょっとだけ眩しく感じる自分がまた嫌いだった。高校の学祭でお団子を売るから女子は浴衣を着ることになり私もようやく夏らしいことができるのかと浮き足立ち普段着ないピンク色の浴衣を妹から借りた。あんなにわくわくしたのに着てみたら恐ろしいほど似合わなかった。浴衣を着てはしゃぐヒエラルキー上部の子たちが可愛くてどうしようもなく悲しくなって廊下を歩いていたら別のクラスの「校内にいる女装した男子生徒を探せゲーム」をしていた保護者のおばさんに「あなたそうでしょ」って後ろから肩を叩かれた。

 

躾が厳しい家庭に育ったからか、夏の夜に出歩くようなことはせず朝は宿題をして午後から塾に行って帰るというつまらない毎日をただ真面目に繰り返した。夜遊びしている子やクラス数人で集まっている子が羨ましいかとかそういうわけでもなかった。そんなくだらないことはしたくないけど何かが物足りない。消化不足の見えない衝動。何一つできないのに夏に対する幻想みたいな期待を諦められない苛立ちが暑さと共に募るだけだった。「大冒険」や「新しい発見」みたいな夏特融の鮮やかで溌剌としたイメージ、思い出に残る体験を成し遂げましょうと畳みかけてくる生への積極性みたいな強迫観念が苦手だった。

 

学生みたいに長い休みもない社会人になれば夏の呪縛から解放されるかと思いきやそうでもなかった。仕事帰り、夏を感じようと軽い気持ちで一人でビアガーデンに行ってみたら選んだ場所が悪かったのか、受付の人に「一名様ですか」とぎょっとされ、盛り上がる集団に挟まれた広いテーブルに座ってぽそぽそと乾いた枝豆を食べた。空のジョッキや食べかけの揚げ物や焼きそばが載った隣のテーブルから聞こえるどっと笑う声が想像以上に身体に突き刺さってみじめで悲しくなり、結局ワンルームの部屋に逃げ帰った。何がしたかったのか。休日も引きこもってばかりもダメだと夕方夏バテの身体で外に出ると行楽帰りの家族連れや薄着のカップルと街や電車で居合わせ、夏を過ごすことに対して何の違和感もなさそうな気怠い安堵に自分だけ乗り遅れてしまったような焦燥を感じた。私の夏はどこ。行き先がない。

 

そんな夏に対する拗らせた感情をMAPAの新曲『SUMMER SHOOTER』は昇華してくれた。なんて良い曲なんだ。あの時の苛立ちや疎外感を肯定も否定もせず「そっか、じゃああっちへ行こう」とぎゅっと手を繋いで一緒に走ってくれる。MAPAの曲はいつも優しい。体育座りして泣いている真っ暗なワンルームまで迎えに来てくれるし、手を繋いで部屋から連れ出してくれる。ラップ調のソロも好きだし、夏の風のようにひゅっと重なり合う4人の声が美しくて好きだ。

 

波は来ない海に行かないから

実に良い歌詞だ。「波」に不安な気持ちの比喩がかかっているようでまたすごい。そう、波が怖い。そもそも泳げない。海の家も怖い。


日焼けがキモい陽キャが怖い

でも「海なんか嫌いだクソだ」とは言ってない。全否定じゃない。海は好き。でも行かない。いや行けない。行けないけど海の存在は好きだ。ビーチに行く代わりに夏を想ったり遠くから眺めて暗い部屋でパーティーしたっていいんじゃないか、その精神こそ夏じゃんと楽曲の生みの親である大森さんと体現者であるMAPAの4人は教えてくれる。「海なんか」の「なんか」は夏に何かしなくてはという幻想や強迫観念からの解放だ。


この夏は違うって思わせてくれる何かが欲しい

何もないこの夏を撃ち殺して

街にはたくさんの夏の生が溢れる。いや、あるはずなのに実際私の周囲にはなかった。自ら作り上げて苦しめてきた「何もないこの夏」に立ち向かうのもまた自分である。何かしなきゃでも何もできないの呪縛を撃ち殺して「夏の果て」まで一緒に行ってくれる絶対的な救いがこの曲にはある。


夏祭りの記憶も薄れてきた

金魚すくいって子どもの頃にしかないのかな

震える。「金魚すくいはもう楽しめない」ではないのがいい。家族とお祭りに出かけたあの時の私が好きだったはずの「金魚すくい」に対する同じだけの温度や興奮が残念ながら今はもう存在しない。過ぎ去った記憶。残されたのはいつからか夏に飛び込んでいけなくなった哀しさ。


美味しいとこ全部持ってく準備はできてる

ここも好き。良い。そう、いつだって気持ちは夏を迎え入れられるのにどこへ行けばいいかわからない。25mも泳げないし、浴衣を着てもあの子みたいに可愛くなれない。大盛況のビアガーデンに行っても寂しい。この曲は夏に置き去りにされたと勝手に腐っている私と一緒に怒って、泣いて、一緒に走り抜けようと優しく手を握ってくれる。秘密のMAD PARTYに招待してくれる。理想通りの夏を描けない卑屈さをまあそれもいいんじゃないと言ってくれる。『7:77』の歌詞「パリピ越しに花火を見て」をふと思い出した。


SUMMER SHOOTERはいい歳した大人になっても夏に対する嫌悪と憧憬から生まれたどうしようもない呪縛を未だに引きずって毎年夏が来る度に外を睨んでしまう私に強くて優しい夏の光を与えてくれた。古正寺さんが制作されたMVも素晴らしい。何回も観たくなる。

夏はまだこれから。