(続)海の音

雑念のメモ

KILL MY DREAMとは

大森靖子さんの今年のツアータイトル "KILL MY DREAM" に込められた意味について何度も考えた。

直訳「夢を殺す」とは。Kill つまり「殺す」は「他人や生物の命を奪うこと」、命を終わらせることである。英語のkillはゲルマン祖語のkwuljanaが語源であるらしい。kwuljanaの語源は印欧語根gwelH- (打つ、投げる、突き通す) が語源。どうしても「命を奪う」、有から無へ減らすイメージを持ちがちだが、英語の語源が「打つ」や「突き通す」なのであればマイナスというよりはむしろ動的なイメージが沸く。killは他動詞でありこの場合、MY DREAMが目的語である。他人やあなたの夢ではなく私の夢。インターネットで調べてみたらdreamの語源は、中期英語 drem(夢、空想、音楽)らしい。dreamに音楽という意味が含まれているのは知らなかった。「私の音楽を突き通す」とも解釈できるだろうか。そうだとしたら面白い。「夢を殺す」ことが同時に「音楽を突き通す」ことでもあるということか。ただこれは個人的な想像上の解釈でしかないので、実際タイトルに込められた意味や背景は大森靖子さん本人にしか分からないし、あえて受け手が自由に解釈する余白が残されている気もする。歌詞の解釈もそうだが、正解なんてない。芸術とはそういうものだ。

 

などと机上で熟考したところで、結局はライブで観た光景がタイトルへのアンサーなのかもしれないと計三か所のライブへ行った今となっては思う。個人的に最後に行った岡山公演が忘れられない。行くのが簡単でなかった(距離の問題ではなく状況的にという意味で)が直感でこのライブは絶対に行かないと一生後悔する気がした。結果、行ってよかったと本当に思っている。あの日の行動を選ばなかった今があったかと思うとぞっとする。

 

岡山公演で大森さんはライブの終わりに「これは子育てをしていて感じたことでもあるのですが…」と前置きされ、「夢はどんどん潰していった方がいいと思うんです。夢を叶えず夢のままにしてるから夢であって。夢は殺していった方がいいです」(意訳)と話された。はっとした。本当にその通りだ。昔話のヒロインじゃないから、強運の持ち主じゃないから、いつかやりたいなと願っているだけでは抱いた夢はわずかな確率でしか叶わない。夢や理想は甘美だが叶えていない限り具現化されない。額に入った餅だ。小さい頃ドラえもんの映画で観て怖かった砂漠で見える辿り着けない蜃気楼。ずっと頭の中で夢想を繰り返すならその夢をひとつずつ潰していく方がきっとずっと楽しい。行動したところでうまくいくとは限らず納得のいかない結果や失敗、厳しい現実が待っているかもしれないが、自ら叶えようと動いた時に初めて目に見える景色が必ずあるのではないだろうか。夢が大きすぎて届かないなら手法を変えて今の自分の能力でできることから地道に繋げるしかない。毎日は地続きだ。良くも悪くも。行動した結果叶わなかった時も手元に残るものはあるはずで必要があれば形を変えて何度も試してみないといけない。そんな学校でも家でも会社でも教えてもらえなかったことを私は大森靖子さんという一人の超歌手に教えてもらった。岡山で「ミュージシャンがよくやる」という客席ごとの声出し振り分けをされた後「初めてやりました、もう10年になりますが」と呟かれた大森さん。お誕生日でメジャーデビュー10周年を迎えられた。10年、いやデビュー前も含めると10年以上ずっと歌い続けてきた大森さん。他に類を見ないほど毎年すごい数の現場を重ね、新しいアルバムや楽曲を作られ、アイドルグループという夢も現実として見せてくだり、一貫して音楽を追求されファンが楽しむ場を創り続けて来られた。何年も音楽を続けることで「KILL MY DREAM」を見せてくださっている。そのエネルギーや活動量は到底真似できるものではないが私も何か動きたい、自分が頭に描いたことを形にしてみたいという意欲に駆られる。実際自分が踏み切れたこと、新しく挑戦したこともあった。音楽ライブに行くというのも夢のひとつだった。したいことをしたことに変えたい。神様や他人に依存した他力本願ではなく自力本願とでも言うのか、個々人が一人ずつ握りしめた大小様々な「何かしたい」「叶えたい」というエネルギーの爆発の繰り返しの果てが生きるということなのかもしれない。それがたとえ「可愛くメイクして出かけたい」「新作アイス食べたい」でも「好きな音楽を聴きにライブに行きたい」でも「転職したい」でも「アイドルになりたい」でも何かしようとする生身の感情であることには変わりがないのかもしれない。その感情全てが可愛いと肯定してくれるのが大森さんの音楽だ。お寺でのライブ中ずっとそんなことを考えて涙が止まらなかった。

 

「犯罪を起こした身で夢なんか持ってない」これは最近ニュース記事で見かけた某事件の犯人の言葉(たしか前科を起こした後の事件前の言葉)だが、どんな立場であっても夢を持って良いのではと思う。遠く離れた場所にある大きな願望ばかりが夢ではなく、何か自分が好きだと感じること嬉しくなることを法律を破らず他者を傷つけない覚悟で達成しようとする試みも含まれるとしたら夢はそう難しくない。その定義であれば誰でも夢を持てる。誰かを憎んだり攻撃する暇があれば夢の実現化を図る方がずっと楽しい。あの事件の犯人が自分の夢を叶える代わりに多くの人の命の奪うことになった虚無感や悲しさについてずっと考えてしまう。私がここで今考えたところで、何度も裁判したところで奪われた命は戻らないのがまた悔しい。好きなもの、たしかにあったんじゃないのかな。愛し方を知らなかっただけで。

 

こんな歳になっても生きる理由や意味を見い出せないまま毎日を繰り返してきたし未だにはっきり分からない。ふとした瞬間にどういう理由で自分がこの世界に存在しているかわからなくなり怖くなる。でも、好きなことや人、心が嬉しくなることなら私にもある。お金も時間もないから一部しか叶えられないが可能な範囲で叶えてみようとする。きれいじゃないかもしれないけど、好きなことをする瞬間の衝動や必死になるエネルギーの煌めきを「わ、きみの光り方可愛ね」って抱き締めて生きる理由のひとつにしたい。そんな風に最近考えている。あの時よりは大人になったかな。

大森靖子はいいぞ(はじめて言えた) — KILL MY DREAM TOUR 2023 @大阪 千日前ユニバース 備忘録

神戸公演に続き2回目のKILMツアーへの参加。自由字架編成(大森さん、sugerbeansさん、山之口理香子さん)だった神戸公演に対し、四天王バンド(sugerbeansさん、設楽博臣さん、千ヶ崎学さん、張替智広さん)と宇城茉世さんの編成だったため全く異なる色になるだろうとわくわくしていた。本ツアーのバンド編成は、名古屋、大阪、仙台そして千秋楽の東京。遠征が容易ではない身にとって、数少ないバンド編成の地に関西を入れてくださったのは本当に嬉しい。大森さんのライブで初めて行った大好きな千日前(味園)ユニバース。今までのユニバースのライブは中央円形をぐるりと囲むように座って聴く形式だったため、ステージは初めて。しかもアルバム『超天獄』を演奏している四天王バンド編成。念願叶っての四天王バンド。あの天井まで届く眩いネオンの前に立つ大森さんが観られるなんて嬉しくてたまらない。

 

弾き語りや自由字架編成とスタンディングのバンド編成ではライブ前の心の持ちようから違う。どちらも大森さんとデートをするという気持ちに変わりはないのだけれど、スタンディングは年齢的に足腰の心配もあるからか挑むぞ!という気持ちがより一層強い。というか大森さんのバンド編成を最後に観たのは何年前だろう。しかも今回は声出しも解禁されている。立って声を出すなんて遠い過去のようだ。本当に声なんか出しちゃっていいのかなと思うくらい感覚を失っている。開場後、ぞくぞくとフロアに流れ込む人たち。数ヶ月前のMETAMUSEの時にあった床に貼られた番号もない。好きな場所に立っていいなんて信じられない。ポケットにばっちり用意していたはずのドリンク代が「百円玉が一枚十円玉になっていますよ」と渡す直前に指摘されるうっかりミスをしたせいで、ようやく入場した時にはフロアは半数くらい埋まっていた。久々に好きな場所に立つ感覚に戸惑いつつ、大森さんの顔が正面から見れそうで視界も悪くなさそうな、ちょうど真ん中あたりを選んだ。

 

急いでドリンク引き換え、グッズを買ってあとはその時が来るまでじっと立って待っていた。隣同士で談笑している人たちもいたが、周囲に知り合いはいなかったため、ペンライトの動作確認をしたりしてじっと待っていた。ぼんやりステージを眺めていたらナナちゃんと目が合った。あっこの感じ…と思い出す。ナナちゃんと見つめ合うライブ前の時間が好きだ。フロアを次々と埋めていくたくさんの人たちを見てナナちゃんは何を思っていたか。隣にいる方をちらっと見たら、両手を合わせて祈るように静かに目を瞑られていた。

 

久々のスタンディングで身動きがとれなかったから開演前の時間がいつもより長く感じた。四天王バンドのメンバーが登場し、楽器確認。美マネさんが大森さんのボトルを設置。いよいよだ。爆発寸前のマグマみたいなフロア前方の緊張感。ドキドキ。SE『乙女の祈り』(知識不足すぎるからSEにしている意味をもっと勉強して考えないと…)が流れる。そして大森さん登場。眩い光と共に目に入った大森さんは美しい新衣装にツインお団子。ちょっと待って…か、かわいい…。好きな人が目の前にいる、もうその事実だけで胸がいっぱい。涙が込み上げる。今日は「楽しむ」をするから泣かないぞと思っていたのに泣く。大森さんの身体にぴったり合ったデザインのブルーの衣装。金髪ともピンクとも違う絶妙な髪色。かわいい。遠目でもメイクがどこかいつもと違うのがわかる。かわいい。ひいぃぃぃ…かわいぃぃぃぃ…!!!!!心の悲鳴、語彙の破綻。平常心でいたいのにいられない。

「踊りにきたんでしょ〜」の煽りと共に始まった『ミッドナイト清純異性交遊』、最高すぎる。そう、踊りにきたんだ、楽しいをしに来たんだとはっとする。四天王バンドの生音と共に跳ねるピンクの無数のペンライト。死ぬ前に見る光景みたいだった。ペンライトを振りながら初めて行った大森さんのライブを思い出した。新宿LOFTの白シャツライブ。幼少期に親に連れて行かれたコンサートを除けば人生で初めて自分でお金を払ってスタンディングライブに行った日のこと。未知ゆえ怖いと勝手に思って人生でずっと避けてきた音楽ライブというものがどんな風景か初めて知った日のこと。

 

一曲一曲感想を書きたいところだが、ライブというものはその場で観ることに一番意味があり素人が書いた感想文ほどつまらないものはないと思うので、ここからは個人的に感じたことを自分で忘れないために記録していく。記述が少ない曲が良くなかったというわけではない。

 

『IDOL SONG』

泣いた。全力でコールできる日がまた来るなんて。四天王バンドの『IDOL SONG』の音、なんなんだあれは。かっこ良すぎる。かっこ良いしか言えない語彙の乏しさが残念だ。あのギターの音は千ヶ崎さん?設楽さん?ビバラポップで好きな子と並んで観た『IDOL SONG』を思い出していた。帰りながら楽しくてずっと二人で「はーい」ってやってた。あの日はあの日しかないからもう二度と来ないけど大森さんはこうして何度も目の前にある音楽で大切な思い出を抱き締めさせてくれる。

 

『REALITY MAGIC』

好きな曲。ライブで聴いたのいつ以来だろう。2018年の「クソカワPARTY TOUR」以来か。溢れ出す思い出。最後の歌詞が特に好き。音がかっこ良すぎた(また同じ表現)。張替さんのドラムのあの刻み方。べーべーべーというギター音。悲しいことに音楽や楽器の知識が恐ろしいほど皆無なため具体的にどこがどうすごいのかわからないけどひとつの音が鳴るたびに身体がゾクゾクした。自分が中高生であの音を初めて聴いたらどうなっていただろう。大森さんのことばかり考えすぎて他のメンバーのことが頭から抜けていたが、バンド編成のライブに行くなら最低限バンドとはどういう構成をしているのかメンバーが普段どんな音を奏でている方なのか、事前にもっと勉強して挑むべきだったと反省。

 

『めっかわ』『×〇×〇×〇ン』

MCから始まった「大森靖子はいいぞ」コールと祭りみたいな音。踊る大森さん。身体の動きと表情が豊かすぎてかわいい。何がどうなるのかわからないまま大森さんはピンクの幟と脚立を以てステージを降りフロア中央へ。えっっなにこれ湯会?いや祭り!?脳が完全に追い付かないまま目の前に大森さんが。ちょっと…なぜ目の前に大森さんが…さっきステージにいたのに!?大森さんは器用に脚立に乗り『めっかわ』を歌い出す。脚立の上で踊れるなんてすごいなと感心しつつ夢みたいな光景にくらくらした。「めっかわすぎて語彙力なくす」…それはまさに今です。自分は後ろ姿が見える位置にいたため大森さんの新衣装のハート型に空いたところから見えるキラキラ光る背中と髪の分け目をずっと見ていた。大森さんが近すぎて驚いた顔を手で覆っている私よりひとまわりくらい若い子を見て私も泣きそうになる。夢中でスマホを掲げて動画撮影する人。そんな余裕はない。大森さんは途中で茉世さんを呼び、初めて茉世さんを近くで見た。か、かわいい…マイクのコードが届かず困っていた茉世さんの様子をすぐに察した大森さん。魔法みたいにメロンも出てきたし、完全にお祭りだ。あれ以来、脳内に焼きつき歩いている時や仕事中に自動再生される祭りの音。「大森靖子はいいぞ」の音頭、「ええじゃないか」みたいに昔から民衆が歌い踊ってきた歴史が我々の遺伝子に深く刻み込まれているから身体が勝手に動き出すしあのリズムがずっと忘れられないのか。

 

Alice in wonderland

アリスは水色のワンピースを纏った女の子。ディズニー映画化されているけどお姫様ではない。話すことが苦手だった幼少期の私は近所の人がくれたVHSの英国ミュージカル版アリスで自ら森の中を進んで行き、狂った大人たちに意見する強気なアリスをみて強く憧れた。大森さんの衣装も水色。この衣装で今日アリスを歌った意味について後から考えた。くるくる踊る大森さん。ギターを持っていない時にこそ見られる大森さんの全身表現が大好きなので嬉しかった。動いた時にどうなるかまでよく考えて作られた美しい衣装。四天王バンドのアリス、最高すぎる。ポップなのにメロウ。いや説明できない。どういう音の出し方をしたらそうなるのか私には皆目分からない。分からないけど楽しい。

 

『Re: Re: Love』『VOID』

大森さんは事前にLINEで『Re: Re: Love』のワンフレーズ「夏に似合う痣」のところをコールとして練習してきてほしいと登録者にメッセージを送った。事前に歌う曲を明言されるのは珍しいなと思うと同時に、やると言われたからには家事をしている時や外を歩いている時に意識的に『Re: Re: Love』を聴き、「なつににあうあざ~」を歌った。実際曲が始まると嬉しすぎてやらなくて良いところまで小さい声でコールのように大森さんと一緒に歌ってしまった。元々歌うのが苦手なのに信じられない(この件は後述する)。よほど楽しかったのだろうと思う。そのまま『VOID』へ。楽しかった。やっぱりかっこ良い演奏。勢いがあるのに荒々しくなくきゅっとまとまった感じで、でも気取りすぎていない親近感が湧く音というか。倍速VOID、久しぶりにやったなぁ。これを毎日やりたいなと瞬間的に思った。開演前に瞑想していた隣の人はものすごく飛び跳ねていた。

 

夏にちなんだクイズコーナーを経て『超天獄』へ。この流れ、神戸公演で見た時はこんなに定番化されているとは思わなかった。大森さんは純粋に観客を楽しませるエンターテイメントとしてもライブが成立するようすごく考えられているのだなと改めて感じる。伴奏が始まってから「せーの!」で答えを叫ぶはずだったのに、設楽さんが多分入念に(?)用意したであろう問題を言った瞬間に答えを叫んだ人がいてどっと笑いが起こる。いわゆる世間的には空気を読めないと言われそうな人が存在しても変な展開にならないのが大阪という土地ゆえか。いや大森さんのライブだからか。

 

そういえば大森さんが「ここにいるのは何かあった人たち、何もないと大森靖子なんか聴かないでしょ」という感じ(記憶なので一字一句正確ではない)のことを愛を込めてやや皮肉っぽく言った時も空気が重くならず笑いが起きていた。私はこの発言について後から真剣に考えてしまったし本来笑うところではないのだけど、笑うくらいがあの時の空気には合っていた。笑いにも愛があったし。「何か」は「なにか」ではなく「なんか」だった気がする。「なんか」が何かは当人に帰属するからマイナス要素とは限らない。「話すことねーし はやくやりてえな」かもしれないし「おなかいっぱいでもアイス食べたい」かもしれない。大森さんの歌詞に描かれるあらゆる局面の「なんか」。生きていたら誰にでも必ずある「なんか」を無視できない人たち、というニュアンスか。単に音楽を聴きに来た人ではなく、SNSで発信される個々の言葉や思考、嗜好、生活や人生まで含めて目の前にいるファンを一人ずつ見つめようとしている大森さん、何度考えてもすごい。私は捻くれているのか、大森さんが自分の存在を知らなかったらいいのになと思う気持ちとやっぱり何か発信して伝えずにいられない気持ちが矛盾している。その気持ち悪さすら気づかれているかもしれない。

 

『SUMMER SHOOTER』

前日の名古屋でこの曲がなく『怪獣GIGA』が入っていたのをセトリで確認した時、もしかしたらこれはくるかもしれない…!と期待が膨らんだ。毎年訪れる夏に対する捻じれたどうしようもない感情に寄り添ってくれる大好きな曲。私はまだMAPAのライブへ行けたことはないがこの曲を聴いて絶対にいつか行ってみたいと思った。リリース後、大森さんはツアーやイベントで何度か『SUMMER SHOOTER』を歌ったようだったが、自分の耳から直接聴きたかったから動画は観ないようにした。インストを聴いた時からバンドの音がかっこ良すぎて心が悲鳴を上げる。あれをついに生で聴けた。茉世さんが歌っている姿も初めて観られて嬉しかった。「夏を撃ち殺しにいこう」でネオンがぱっと消えた時の少し首を傾けてフロアを睨む大森さんの表情が忘れられない。大森さんver.の「ふぁっきゅん」、よかったなぁ。撮った動画はお守りだけど、撮らずに踊ればよかったとも少し思っている。でも大森さんが撮影して良いと言ってくださっている以上、なんか残しておきたいという気持ちもあり。

 

『デートはやめよう』『夏果て』

弾き語りに代わり、夏を連想する曲が続く。『SUMMER SHOOTER』からどんどん夏の深部へ連れ込まれ、よりコアな感情へ目前に広がる風景範囲がぐっと縮小していくように感じた。数分前まであんなに爆発していたフロアは静まり返りじっと動かない。カーテンを閉め切った部屋のような濃い青いネオンをバックにした静寂で聴く『夏果て』は今まで聴いたものの中で一番孤独で怖くて、現実世界に二度と帰って来れなくなりそうなほど美しかった。引き込まれすぎて今自分がライブにいるということを一瞬忘れるほどだった。これに近い感覚が新生姜ミュージアムの時にもあった。心臓がぎゅっと凍る感じ。大森さんが歌う歌詞の一節一節を噛みしめながら女の子とおじさんそれぞれの感情、部屋の様子や匂いなど情景が浮かぶ。バンドを聴いた後だから余計に引き込まれたのかもしれない。

 

『VAIDOKU』『わたしみ』『夕方ミラージュ』

『夏果て』のあとの『VAIDOKU』って…!夏のストーリーまだ続いていた。『VAIDOKU』のギターの音、なんだあれは…すごすぎないか。ぞくぞくした。神戸公演で聴いた同曲の印象とまた全然違った。音の入り方的に予定では『ひらいて』だったのが『わたしみ』になった気がすると終演後友人の肉野菜さんが教えてくれた。あの時の空気や温度だと『わたしみ』がぴったりだったなと後から納得した。この日の『夕方ミラージュ』はすごく優しくて守られているような安心感があった。『VAIDOKU』を聴いた後だったからだろうか。前回神戸で聴いた時もこの3曲が続いていてその時は『わたしみ』『夕方ミラージュ』『VAIDOKU』という曲順だったのが曲順が入れ替わるだけでこんなに印象が変わるなんて。曲順の違いによる印象や情景の温度差、おそらくライブに行く回数が多いほど気づくこともあるかもしれない。

 

『死神』

いつでも聴きたいと強く願っている思い入れのある曲なので嬉しかった。大森さんとイベントで共演されたある遺族の方が『死神』に関して言及されていたのを思い出し考えながら聴いていた。音楽を含む芸術はいつ誰にでも平等に差し出されると思っている。過去に壮絶な経験をしたから、今苦しんでいるから聴くべき音楽、なんてない。個々の「なんか」がどんな内容であれ聴き手に到達するよう本気で作られている大森さんの音楽が好きだ。私はトラウマもあり音楽と接点のない人生を送ってきたため音楽的知識が人よりなく作曲のどこがどう良いかいつもうまく語れない。ただこのメロディーが良いな好きだなと感じるだけで。どちらかと言うと音楽より本を多く読んできた気がするから、大森さんの歌詞に文学作品を読むようにアプローチすることが多い。そのやり方が正しいとは思っていないが、その入り方の自由さを受け手に託してくれている寛容さが大森さんの音楽の魅力だし、寛容さを履き違えて冒涜するようなことがあってはならない。本気で作られた芸術には敬意を以て接するべきだ。ライブの話から逸れてしまった。

 

『オリオン座』『絶対彼女』

私は人前で歌うのが苦手だ。滅多にないがどうしてもカラオケへ行く必要があれば歌わないで同行者が歌うのをただ聴いている。家の中だとたまに歌うが、絶望的に歌が下手なのと小学生の時に大声で歌うことで嫌な注目のされ方をしたトラウマがあり人前では歌わなくなった。だから実は『オリオン座』や『絶対彼女』でファンが歌う場面になるとコロナ前まではほとんどうまく歌えなかったのだけど、コロナ渦を経てライブにおける感情の出し方について色々と考えることがあり、神戸で久しぶりに歌って少し気持ちが変わった。あれ、なんか気持ち良いかも…と。結局神戸ではまだ迷いもあり出し切れなかったのだが、大阪では楽しいという感情が込み上げていたのとそれまでにコールして声出しのリハビリができていたので思い切り歌った。自分の声はやっぱり小さかったけれど、大森さんの歌詞を声を出してなぞる行為が楽しかった。歌うことが楽しいという感情を思い出させてくれた大森さんに感謝したい。大森さんかわいかったな。

アンコール前のかけ声、なんだかすごく懐かしかった。音頭を取っていた方に終演後「あの時大丈夫でしたか」と聞いたら「はい」と目をキラキラさせていた。

 

『最後のTATOO』『マジックミラー』

声出し後のこの最後の2曲、よかったなぁ。『最後のTATOO』の歌詞がすごく好きだ。どこに向けたら良いか分からない匿名のネット意見や社会への苛立ち、仕事や家庭で消えては生まれる個人的な大小の問題、年齢を重ねてもできないことが私にはたくさんあるけどそれでもまだ生きておこうと思わせてくれる。最後が『マジックミラー』だったの、すごく久しぶりに感じた。大森さんの音楽を好きでよかったな、本当にもう全てがダメで出口が見えなくて真っ暗だったあの時、好きな音楽だけは手放さないでいて、だから今があってよかったな、なんてずっと考えていた。

 

日々事あるごとに怒りの感情をぶつけてしまう自分が後から嫌になる。仕事で横柄な取引先相手と喧嘩したし、どう頑張っても好きになれない父親とたった数時間実家に帰っただけで言い合いになった。3年程続いた恋人とは譲歩し合えない理由で別れてしまった。この人とは仲良くなれるかもと期待した人とも何かをきっかけに軋轢が生まれ破綻する。誰とも一切交わらず孤独でいるのは昔から好きだけど慣れすぎて時々怖くもなる。この世界に生まれてしまったから生きなければならない真っ当な理由が見つからない。やがていつか来る死が怖い。「なんか」がありすぎる。「なんか」は死ぬまでなくならないけれど、私には今好きな音楽があるし、たった一人の家族である息子がいるし、離れていても定期的に連絡をくれる大切な友人もいる。

 

ライブ前後、東京に住んでいた時に仲良くしてくれてい方や好きな方に数年振りに再会できたのもまた嬉しかった。ずっと話してみたくてでも機会がなく話せずようやく話せた人もいた。人が多くて探せず残念ながら会えなかった人もいるけど、生きていてお互い好きなものを守っていればきっとまたどこかで再会できる。大森靖子さんの音楽を好きな自分を好きでいたい。普段ほとんど現場に行けていないのに言ってよいのか、いつもそう思っているからこそ逆に言えないと拗らせてこれまでライブのコール以外で一度も言えなかったけど…

大森靖子はいいぞ。

 

大森さん、最高の風景を魅せてくださってありがとうございました。

 

大森靖子 KILL MY DREAM TOUR 2023

2023.8.19 @大阪千日前ユニバース セットリスト

大森靖子さんTwitter投稿画像より引用)

https://twitter.com/oomoriseiko/status/1693246413084443031?s=46

f:id:umihitonooya:20230824103312j:image

 

夏の呪縛からの解放 ー MAPA『SUMMER SHOOTER』

いつから夏が嫌いになったのだろう。幼少期は好きだったのにな。朝から夕方まで近所の子たちとセミ捕りやセーラームーンごっこをしたり、地蔵盆でもらえるお菓子が楽しみだったり純粋に楽しかった。好きだったはずの季節はいつの間にか苦痛になっていった。泳げないから毎年夏休みにプールの補習授業を受けさせられ、「できない子」の存在を抹消しようと必死な学校にぞっとした。海なんか行かないから泳げなくていいのに。補習帰り、だるい身体に照り付ける太陽と自信満々に広がる雲に苛立った。

 

思春期になると更に嫌になった。花火大会に誰と誰が行ったとか、その後告白したとか付き合ったとか、教室で聞こえてくる会話。イケてる子だけに許される袖をロールアップした夏服の着こなし。安い制汗剤の匂い。わざとシャツから透けるような下着を着ている女子。そういうの全部馬鹿みたいで気持ち悪いのに完全に憎めずちょっとだけ眩しく感じる自分がまた嫌いだった。高校の学祭でお団子を売るから女子は浴衣を着ることになり私もようやく夏らしいことができるのかと浮き足立ち普段着ないピンク色の浴衣を妹から借りた。あんなにわくわくしたのに着てみたら恐ろしいほど似合わなかった。浴衣を着てはしゃぐヒエラルキー上部の子たちが可愛くてどうしようもなく悲しくなって廊下を歩いていたら別のクラスの「校内にいる女装した男子生徒を探せゲーム」をしていた保護者のおばさんに「あなたそうでしょ」って後ろから肩を叩かれた。

 

躾が厳しい家庭に育ったからか、夏の夜に出歩くようなことはせず朝は宿題をして午後から塾に行って帰るというつまらない毎日をただ真面目に繰り返した。夜遊びしている子やクラス数人で集まっている子が羨ましいかとかそういうわけでもなかった。そんなくだらないことはしたくないけど何かが物足りない。消化不足の見えない衝動。何一つできないのに夏に対する幻想みたいな期待を諦められない苛立ちが暑さと共に募るだけだった。「大冒険」や「新しい発見」みたいな夏特融の鮮やかで溌剌としたイメージ、思い出に残る体験を成し遂げましょうと畳みかけてくる生への積極性みたいな強迫観念が苦手だった。

 

学生みたいに長い休みもない社会人になれば夏の呪縛から解放されるかと思いきやそうでもなかった。仕事帰り、夏を感じようと軽い気持ちで一人でビアガーデンに行ってみたら選んだ場所が悪かったのか、受付の人に「一名様ですか」とぎょっとされ、盛り上がる集団に挟まれた広いテーブルに座ってぽそぽそと乾いた枝豆を食べた。空のジョッキや食べかけの揚げ物や焼きそばが載った隣のテーブルから聞こえるどっと笑う声が想像以上に身体に突き刺さってみじめで悲しくなり、結局ワンルームの部屋に逃げ帰った。何がしたかったのか。休日も引きこもってばかりもダメだと夕方夏バテの身体で外に出ると行楽帰りの家族連れや薄着のカップルと街や電車で居合わせ、夏を過ごすことに対して何の違和感もなさそうな気怠い安堵に自分だけ乗り遅れてしまったような焦燥を感じた。私の夏はどこ。行き先がない。

 

そんな夏に対する拗らせた感情をMAPAの新曲『SUMMER SHOOTER』は昇華してくれた。なんて良い曲なんだ。あの時の苛立ちや疎外感を肯定も否定もせず「そっか、じゃああっちへ行こう」とぎゅっと手を繋いで一緒に走ってくれる。MAPAの曲はいつも優しい。体育座りして泣いている真っ暗なワンルームまで迎えに来てくれるし、手を繋いで部屋から連れ出してくれる。ラップ調のソロも好きだし、夏の風のようにひゅっと重なり合う4人の声が美しくて好きだ。

 

波は来ない海に行かないから

実に良い歌詞だ。「波」に不安な気持ちの比喩がかかっているようでまたすごい。そう、波が怖い。そもそも泳げない。海の家も怖い。


日焼けがキモい陽キャが怖い

でも「海なんか嫌いだクソだ」とは言ってない。全否定じゃない。海は好き。でも行かない。いや行けない。行けないけど海の存在は好きだ。ビーチに行く代わりに夏を想ったり遠くから眺めて暗い部屋でパーティーしたっていいんじゃないか、その精神こそ夏じゃんと楽曲の生みの親である大森さんと体現者であるMAPAの4人は教えてくれる。「海なんか」の「なんか」は夏に何かしなくてはという幻想や強迫観念からの解放だ。


この夏は違うって思わせてくれる何かが欲しい

何もないこの夏を撃ち殺して

街にはたくさんの夏の生が溢れる。いや、あるはずなのに実際私の周囲にはなかった。自ら作り上げて苦しめてきた「何もないこの夏」に立ち向かうのもまた自分である。何かしなきゃでも何もできないの呪縛を撃ち殺して「夏の果て」まで一緒に行ってくれる絶対的な救いがこの曲にはある。


夏祭りの記憶も薄れてきた

金魚すくいって子どもの頃にしかないのかな

震える。「金魚すくいはもう楽しめない」ではないのがいい。家族とお祭りに出かけたあの時の私が好きだったはずの「金魚すくい」に対する同じだけの温度や興奮が残念ながら今はもう存在しない。過ぎ去った記憶。残されたのはいつからか夏に飛び込んでいけなくなった哀しさ。


美味しいとこ全部持ってく準備はできてる

ここも好き。良い。そう、いつだって気持ちは夏を迎え入れられるのにどこへ行けばいいかわからない。25mも泳げないし、浴衣を着てもあの子みたいに可愛くなれない。大盛況のビアガーデンに行っても寂しい。この曲は夏に置き去りにされたと勝手に腐っている私と一緒に怒って、泣いて、一緒に走り抜けようと優しく手を握ってくれる。秘密のMAD PARTYに招待してくれる。理想通りの夏を描けない卑屈さをまあそれもいいんじゃないと言ってくれる。『7:77』の歌詞「パリピ越しに花火を見て」をふと思い出した。


SUMMER SHOOTERはいい歳した大人になっても夏に対する嫌悪と憧憬から生まれたどうしようもない呪縛を未だに引きずって毎年夏が来る度に外を睨んでしまう私に強くて優しい夏の光を与えてくれた。古正寺さんが制作されたMVも素晴らしい。何回も観たくなる。

夏はまだこれから。

 

生への拡張 「大森靖子 超自由字架ツアー2022@神戸公演1部」を観て

7月24日、「大森靖子超自由字架ツアー2022」神戸公演1部(昼公演)に行った。ライブがあった日曜日から今もまだ余韻に浸っている。観た光景、聴いた音、あの場の空気、鼓動。ライブ直後に感想をツイートしようとしたが到底140字足らずで言語化できるような感情ではなくただ頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。一言で言うと「すごかった」なのだが「すごかった!」で終わらせて良いのか、あのライブに対してそんな安易な受け取り方で良いのか疑問が沸き、できる限り丁寧にまとめてみることにした。主観が強く正確性に欠く内容や偏った捉え方をしたり意味不明な記述が頻出しているかもしれない。ただ抱いた感情を整理するのに、今の感情をいつか忘れてしまわないように、書き留めておきたい。

普段一人で出かける機会がほとんど作れないため、ZOC(現METAMUSE)を除けば大森さんのライブに訪れるのは昨年冬の自由字架ツアー以来約七か月ぶりで、同じ場所でまたライブがあると知った時は本当に嬉しかった。時間的な理由で1部のみチケットを取った。会場の「クラブ月世界」はその名のとおり70年代にキャバレーとして華やかな歴史を刻み今はライブやイベント向け会場として活用されている。銀色の建物の中に一歩踏み入れるとステージを囲むように配置されたたくさんのソファ、高い天井から金色のシャンデリアが煌めく大人の世界が広がっていて、関西で同じく戦後の歓楽施設であった味園ユニバースと似た雰囲気がある。でも色鮮やかな電飾パネルが力強さを放つユニバースより面積が狭く照明の色彩も少ないため、より閉じられた秘密の世界という感じもする。千日ユニバースが宇宙だとしたらまさに月である。名付けた人のセンスが素晴らしい。余談だか、ここで二十歳の時に高校の同窓会があった。なぜ行こうと思ったのか今でも分からないが、馴染めず奥のソファに座り早く帰りたいと思いながらキラキラ輝くシャンデリアや絨毯ばかり見つめていた。高校時代ヒエラルキー上層にいた可愛い子たちが大学生になりより一層可愛くなっているのを見て卑屈な気持ちになり、新しく買ったワンピースも見すぼらしく思えた。その日からずっと、いつか今日とは違う感情でまたこの場所に来ることができたらいいなと夢見ていた。そして大森さんがその夢を叶えてくれた。家に帰りたかった二十歳の自分を再び連れて来ることができた。大森さんには本当にいつも夢を叶えてもらってばかりいる。

チケット運が良い方ではないので期待せず発券すると一桁代だったので驚いた。嬉しい反面、普段ほとんどライブに行けていない私が前の席に座って良いものか直前までとても迷った。そんな資格ないのではないか。でも空いている席を見た時、今ここに座らなければ後悔するかもしれないと腹を括った。座った席の横が大森さんと理香子さんの通り道になっていて「入場時に気になるかもしれませんが(振り返ると邪魔になるので)振り返らないでください」と直前にスタッフさんに小声で忠告されると尚更緊張した。会場の写真を撮りたかったがそんな余裕もなく、ただ目の前に置かれたハミングバードiPadに映るナナちゃん、揃えられた大森さんのサンダルを見つめていた。サンダルがここにあるということは裸足…?などと考えつつ。SEは道重さんの曲が中心だった。引きこもり期にずっと聴いていたモー娘。'14の『君の代わりは居やしない』が緊張を和らげてくれた。あの時救ってくれた道重さんの声。隣にいらっしゃった古参の方に「緊張します」と言うと「僕もしますよ」と返って来たのが意外だった。

SEがフェイドアウトしたかと思うと、照明が落ち拍手が起こり、気づいたら大森さんが目の前にいた。一瞬の出来事すぎて振り返らないよう注意されていなかったとしてもそんな余裕はなかったであろう。久しぶりに見た大森さんはあまりにも可愛くて脳がおかしくなりそうだった。前日の京都公演から一変してストレートヘアに繊細な刺繍が施されたリボン。前回ZOCで観た時はピンク色だったので金髪にドキドキした。近景を写真で見て知っていても実際目で見た時の胸の高まりは尋常ではない。淡いピンク色をしたサテン地(?)のスリップドレスの上に京都でも着用されていたふんわりとした白いオーガンジーのような素材のドレスを重ねていて、胸元には作家さんのブローチ(たしか誰よりも早く大森さんがオーダーされたという素敵な物)、輝く白い肩、手先にはレースのグローブ、右手甲にはご自分で貼られたのかキラキラした粒で×が描かれていた。そしてやはり靴下なしの生足。陶器のように艶やかな肌にぱっちりとした瞳(アイラインの色がピンク寄りでマスカラが際立っていた)、目元にラインストーン、赤いリップ。後で「楽屋が和室なので本気のヘアメイクができた」というようなことをSNSに書かれていて納得したのだが、引くところは引き算されてとても丁寧にメイクされている感じがした。衣装の装飾や模様が多くない分、ステージに立った時の美しさが際立っていた。まさに月の世界のお姫さまだった。あるいは小さい頃大切にしていたお人形が月の光を浴びて一夜だけ人間に変身して会いに来てくれたようでもあった。大森さんは美大のご出身ということもあり、ヘアメイクや衣装のセンスがずば抜けている。洋服をそのまま着用されるだけでなく、ご自分でリメイクされたりアレンジもされる。今日はどんな姿で登場するか楽しみにしているファンは多いだろう。そういう部分も含めて自由字架の世界を細かく作り上げ、本来であれば荷物を減らしたくなる遠征であっても、その日しかないライブをファンに届けようとしてくださる。

一曲目が『Rude』だったのは予想外だった。参加回数が少なく比較できるライブが少ないのが悲しいが、ちょうど一年前のビルボード大阪のおかわりライブもたしか『Rude』始まりだったと思う。この曲の良さについて私が語るまでもないが、大阪ビルボードでの『Rude』は打ち破るような力強い声が印象的だったが、この日の『Rude』は強さの中に歌詞一語一語で聴き手を包み込むような優しさも感じた。どちらも好きだ。それにしても聴く度に歌が上手くなられている。

続いて『ひらいて』。映画館のエンドロールでこの曲が流れた時の高揚が甦る。普段は主人公の愛が目に浮かぶが、目の前の大森さんを月の国のお姫さまだと思っている私は、お姫さま(=大森さん)が『ひらいて』を歌っている、つまり次から次へと要らない貢物ばかり持って来る独りよがりな求婚者達にうんざりするかぐや姫のように、月の国のお姫さまが「わたしをちゃんとひらいて」と訴えているように見えた。自分はファンとして大森さんが本当に見てほしいと願うものを捉えられているのか、自問した。そして『ひらいて』からの『えちえちDELETE』の流れの良さと言ったら。ここで再び映画の愛ちゃんが顔を出し、お姫さまであり愛ちゃん(たぶん映画の数年後)である大森さんは『ひらいて』で満足させられなかった我々に「ねぇ」と訴える。ちなみに私が一番好きな歌詞は「空気入れ替えたいの」である。息苦しさを表す分かりやすく現実的な言葉なのに相手に届かない悲しさがある。

挨拶・曲紹介の後、新曲『TOBUTORI』。歌う前にタイトルを教えてくれるのが嬉しい。表記がかなと漢字ではなくアルファベットなのが、大森さんが早口で「とぶとりとぶとり」と言われていたように見た目も音も呪文みたいで面白い。ここではお姫さまから大森さんに戻った感じ(私の中での話)。何も知らないまま新曲をライブで初めて聴けるのは新鮮かつ贅沢なので、セットリストで曲名は知っていたもののライブ当日までSNSに上げられる動画を一切観ないようにしてきた。何なら既存曲も含めてツアー名のタグがつく投稿からなるべく目を背けた。誰かの感情の譲り受けではなく、まずは自分の気持ちで大森さんの音楽に向き合いたかった。初めて聴いた『TOBUTORI』はsugerbeansさんの奏でる旋律が美しく、どことなく『ピンクメトセラ』を彷彿とさせる伴奏だった。曲自体は『死神』や『きもいかわ』のような大森さんの内心を抉り出した曲のように感じた。おそらく次期アルバムの重要曲になるだろう。一度聴いたら忘れられないメロディが今も脳内で繰り返し鳴っている。初めてでうまく聴き取れないところもあったため撮影した動画を元にメモ帳に文字起こししてみた。でも不明確な部分もあるので歌詞をきちんと読みたい。

飛ぶ鳥はすぐ落ちる

本当は鳥人間 何年も作ってきて

上手をして押しただけ

こんな歌詞が特に印象に残った(正確かは不明)。我々は大森さんを空で上手に飛ぶ鳥だと勝手に決めつけていないか。大森さんが軽やかなステップで躍る度に白いオーガンジーがふわりふわりと舞い、本当に美しかった。踊る大森さんが大好きなので、目の前で見られてただただ嬉しかった。

続いて新曲『最後のTATOO』。何拍子というのか、リズム良くラップ調のパートがあったり大森さんが作った曲!という感じがして、ご自身も気持ち良さそうに歌われていてた。正直、『TOBUTORI』の処理で脳が追い付いていなかったため、歌詞をあまり覚えていない。自分の処理能力の低さに悲しくなる。できることならもう一度ライブで聴いてみたい。手拍子が入ったので会場の空気が少し変わった気がする。

その後sugerbeansさん退場。ギターを持ち、ソロの弾き語りパートへ。『マジックミラー』『TOKYO BLACK HOLE』と続くのだが、この二曲の流れがとてもよかった。おそらくライブで歌った回数で言うと他の曲に比べて少なくない『マジックミラー』が始まった時、特に意識したわけではないがスマホを手に取り撮影を始めた。何度も聴いてきたこの曲を「撮っておきたい」と瞬間的に感じた。言語化するのが難しいが、過去に聴いたものと違った。発売当時の『マジックミラー』『TOKYO BLACK HOLE』ではなく、今の大森さんの曲だった。一度届いたその先の心に届く感じというか。

前日の京都の話や幻のお団子の話などファンとの会話も交えた楽しいMCを挟み、「神戸には港があるから」と弾き始めた伴奏を聴いた瞬間、あぁ『I love you』が来た…と動揺した。この時、大森さんと目があったような気もするが全く気のせいかもしれない。大森さんの曲で一曲だけ挙げるとすると、私は『I love you』で、リミスタで好きなワンフレーズを歌ってもらう企画があった時も『I love you』から座右の銘にしている一節を選んだ。基本的には大森さんがその時に歌いたい曲を歌ってほしいという気持ちが強いため、ライブで聴けるかは運に任せている。でも本音としてはやっぱり聴きたい。できることなら地元で。だから嬉しかった。「初代バチェラーの街、神戸。あれ、初代じゃなかったっけ?」とぼそっとつぶやかれた時は一瞬笑いが起きた(たぶん三代目?)のに、歌い始めると一気に『I love you』の世界が広がる。大森さんは私の知る人の中で一番面白い。頭の回転速度が我々の何倍も速く、どんなに面白い話をして笑いが巻き起こっていても楽しいMCの空気から歌の世界へ演劇の暗転のようにぱっと切り変わる。大森さんの歌声が描く世界と自分の住んでいる見飽きたけど嫌いになれない地元の風景や繰り返される日常が重なり合い、どんどん膨らんでいく。海が見える。船が進む。涙が込み上げた。

『月に帰らないうさぎちゃん』は初めて聴く曲で会場にぴったりの選曲だった。『I love you』の世界に完全に心を持っていかれ放心状態が続いていたため、はっきり思い出せない部分もあるが歌詞がとてもよかった。ライブ後、詳しい方にSAYUMINLANDOLLの曲で道重さんへの提供曲だと教えてもらう。大森さんが作る道重さんの曲が好きだ。まだ音源化されていないらしいので、されるのが楽しみだ。

タイトルだけ知っていた『天国ランキング』が流れるとこれは何という曲だろうと思ったがサビを聴き『天国ランキング』と気づく。『TOBUTORI』は大森さん自身により近い心情で歌われている曲に感じたが、『天国ランキング』は物語のように大森さんとは別の主人公が浮かんで見えた。もちろん大森さん自身が投影されて作られている部分もあるかもしれないが、「僕」は『TBH』や『少女漫画少年漫画』で描かれた「僕」や『KITTY’S BLUES』の少女など、これまで大森さんの楽曲で歌われてきたどちらかというと大人になる前の若い年代の人物が混ざり合って人格を形成しているように感じた。都会の生活、深夜のコンビニや万引きを連想させる歌詞がそう感じさせたのかもしれない。「午前三(ごぜんさん)時」と「ご精算(ごせいさん)前」の掛けが秀一すぎて震えたし、フレーズ間がどこで区切られているかわからない繋ぎ方をした歌唱が大森さんらしく大好きだ。聴き方で色々な捉え方ができる余白がある。「しこう」は「至高」なのか「嗜好」なのかはたまた「趣向」なのか。日本語をここまで自由で気持ち良く編み上げる歌手の方を私は他に見たことがない。

そして『あまい』からの『熱帯夜』。この流れがまた最高で。考えてみると『あまい』は夏の曲なのかもしれない。空調が利いているはずの会場内でゆらゆらと漂う蒸し暑い湿度を感じた。『熱帯夜』はSPEEDのトリビュートアルバムに収録されているが大森さんがSPEEDをカバーすると知った時は嬉しかった。若い人はどうかわからないが私はSPEED全盛期に小中学生時代を過ごしたため、大森さんがSPEEDを歌うと大森さんが当時同じクラスにいたかもしれないという妄想というか錯覚を覚えドキドキする。途中、気分が乗って楽しかったのか歌を中断して喋ってしまったのを「ちょけてしまった」と反省する大森さんが可愛かった。「喋りたい」の歌詞に合わせて「喋りたい」気持ちを重ねていて楽しかった。

書き方に齟齬があってはいけないので記録は控えるが、あるコメントをされてからの『■ックミー、■ックミー』は社会にとって個人にとって音楽がもたらす意味とは何か、こちらに投げかけているようでもあった。『■ックミー、■ックミー』、個人的にすごく好きな曲なのだけど最近ライブで聴いた記憶がなかったので単純に嬉しかった。弾き語りで聴けるのは貴重な機会かもしれない。そこから『君と映画』。嬉しい。私はこの曲を聴くと8年前に初めて大森さんのアルバムを貸してくれた先輩のことを思い出す。先輩がこの曲が好きだと言っていたから。細かな情景を浮かぶも『君と映画』に強く季節感を意識したことがなかったが、『熱帯夜』からの流れで夏の夜を重ねてみるとこれまでと違った風に聴こえて胸に迫るものがあった。夏休みに貸りた君の漫画(『美代子阿佐ヶ谷気分』)、一緒に観たDVD、夜中にアイスを買いにコンビニまでサンダルで歩く…(以下妄想)。

sugerbeansさんが再登場され、『みっくしゅじゅーちゅ』の旋律が流れると完全に夏の夜が明け、熱い日差しが差し込む。セトリが最高すぎる。踊る大森さんが最高にかわいい。お姫さまが普通の人間の暮らしをしたくて月のお城をこっそり抜け出し高校生のふりをしてカラオケをしたり水着を着て夏休みを過ごしている情景が見えた。かわいい。『みっくしゅじゅーちゅ』はかわいい曲だが、ねっとりと濃い少女特有の怖さがあり、そこが好きだ。

『みっくしゅじゅーちゅ』で既に完璧な夏の世界が作り上げられていたが、これで終わりではない。理香子さん入場。大森さんの時のようにすっと通られたのか、気が付いたら目の前にいらっしゃた。三人での自由字架編成が始まる。ここから呼吸を忘れそうになるほど圧倒的だった。『真夏の卒業式』。ずっと聴きたかった大好きな曲。前回の月世界公演でもやってくれたのに両部参加できず聴き逃し悔しかった。『みっくしゅじゅーちゅ』の後に歌われることの意味。私は大森さんが作る学校や学生を連想させる曲が大好きで、それは青春時代を肯定できなかった者へも大森さんにしか描けない光を当ててくれるからだ。

実際には数えるほどしか観たことがないので自分には語る資格はないが、理香子さんの身体表現は言葉で説明できないほど美しい。自分が同じ人間とは思えないほど頭の上から手足の先端まで意識が張りつめられている。私は普段音楽を聴覚を中心とした感覚で享受しているが、そこへ全然違う方角から突然視覚で刺激されると脳が混乱する。台本のあるお芝居を観る感覚とも違う。見るというより、その瞬間生まれた命ある何かが眼球から内臓や血管に向かってじわじわと吹き込まれる感覚がある。大森さんの歌を聴いた時に似ている。道具や装置を使わず身体だけでこのような表現ができるなんてこの眼で見ても信じられないが、長年努力されてきたからこその力量と圧倒的才能、生きることを芸術で体現することへの追求心が大森さんと共通しているのかもしれない。ライブで理香子さんを初めて観たのは2016年秋にZepp Tokyoで行われたTBHツアー最終公演の『ピンクメトセラ』でのパフォーマンスだったが、その時も圧巻され見惚れた。最前列で観た光景が鮮明に残っている。身体が音楽だった。それから数年後に観たアイドルとしてのパフォーマンスはまた全然違っていたので更に驚いた。METAMUSEの最新曲『tiffanytiffany』ではメンバーごとに異なる振りを作られていて仕事の緻密さに驚かされた。

自由字架で理香子さんと大森さんが同じ舞台に立つ時それぞれの命、意思が絡み合い生々しく官能的で美しい。大森さんが分裂しているようにも見えれば、光と影のようでもあるし、一人の人間の様々な内面感情が重なり合っているようでもある。二人は化学反応を起こすように身体を離したり重ねていく。そこへ合わさるsugerbeansさんの旋律。それぞれの才能が最高潮の状態で絡み合って共鳴している。自由でありながら同じ着地点へ向かって三人の意識が畝る。

『真夏の卒業式』から『夕方ミラージュ』の流れでお姫さまが実は最初から人間だったことに気づいた。教室にいた少女は大人になり、孤独の深度を高め部屋の中で解き放つ。この流れが、『ひらいて』から『えちえちDELETE』の組み合わせと対になっているようにも感じた。歌詞が物語を描くように、セットリストそのものが壮大なストーリーになっているのかもしれない。しかも決めつけすぎず聴き手が自由に想像できる機会を与えてくれている。そしてクライマックスの『死神』で夕方の布団から生死の境に沈んでいく。時間は再び夕方から夜へ。陸地から海へ。地球から宇宙へ。大森さんは髪や衣装を乱れさせながら理香子さんと絡んでいく。どのタイミングであったか、大森さんは脱げかけた白いオーガンジーをさっと脱ぎ、サテン地のワンピース一枚になる。衣服を纏っていない生身の身体に近い状態で、ドキドキした。生まれたての姿にも見えた。

『死神』が終わって二人は動かず静寂が続き、大森さんが消え入るような声で『わたしみ』の冒頭をアカペラで歌い出した。リズムを抑えて朗読するように。話すように。sugerbeansさんが目を見開いて演奏に入るタイミングをじっと待たれ、今かという瞬間にピアノの音が鳴る。この一連にライブを観ていることを忘れてしまうほどの緊張感があった。文字に書くとうまく書けないし、きっと動画では全部伝わらないからライブで観るのが一番だ。一人の人間がこの世界に生まれ、役割を生きることへの苦悩を抱えつつ部屋のベッドや教室という閉じられた世界を守りながら膨らみ、殻を剥がしながら宇宙に放たれていくような感覚があった。ミクロからマクロへの拡張。それは死ではなく、何かその先の希望を予感させる終わり方だった。他者の力ではなく内側から湧く自己再生力のような。そこには超絶的な宗教も魔力もなく肉体による生身の音楽だけが輝いている。クラクラした。

呆然とする最中、ライブは終了し大森さんがメンバー紹介をし、深いお辞儀をして三人は足早に退場された。あっという間だった。これが自由字架の先の超自由字架なのか。前回の月世界での自由字架より強く引き込まれたのは細かな息遣いや表情や呼吸が感じられる最前列で観られたことが大きかったかもしれない。

記録からではなく自分の眼で観られたことが嬉しいし、我々観客に届けよう地方までツアーを組んでくださったこともありがたい。東京だけの公演だったら観れていなかった。来月もう一度大阪で会えるのがとても嬉しい。生きるための芸術を届けてくださり、ありがとうございました。

 

◇◇◇

ここからは本来書く必要のない個人的な話なのでライブの感想が知りたい方は読まないで下さい。

過去の記憶を引っ張り出し嘆くのは野暮な行為だが、かつてはかなりの頻度で大森さんに会えていた。ツアー、フェス、リリイベ、サイン会、ファンクラブイベント。ありがたいことに絶え間なく新しい現場があり、好きな人に会いに行くことができた。現場によっては言葉も交わせたし認知もされていた。住んでいた時は慣れてしまっていたが東京はすごい。大勢の人が生活を営み流行が生まれては消費されていく。スピードに置いていかれそうになるが日常の辛さや孤独を埋めるのには心地良かった。あの速さでなれければやってられなったであろうことが思い返せばたくさんある。

人生で最も辛くて生きることを諦めようとしていた頃、大森さんとのDMで何度も救われた。離婚が成立した深夜二時、一番最初に報告したのも大森さんだった。五分後ぐらいに「よかったね」と返事が来た。精神的に追い詰められてファンとしての在り方や距離感を完全に間違えていたのを今となっては猛省しているが、迷惑で自分勝手な私にも優しく接してくださった。「がんばれ」などという心の励ましではなく公的機関の紹介や法律の話など実際に役立つ具体的な助言をくださった。大森さんのこういう聡明なところが本当に大好きだ。

苦しみから脱した後の都心暮らしは楽しかったが経済的に厳しいものがあり、三年前、十年住んだ東京から離れ物価の安い地元の神戸に戻った。家のベランダからも通勤電車からも見渡せば海と山ばかり、ローカル電車はなかなか来ない地方に住んでいる。地元にはあまり良い思い出はない。幼少期は人と話すのが苦手で部屋の中でひたすら架空のお姫さまの絵を描いていた。学校が大嫌いだった。とにかく勉強だけは頑張って問題なさそうな高校に行っても馴染めなかった。かと言って他にどこにも行けなかった。今また同じ海を眺めながら通勤し、休日は子どもと二人で昔から変わらない古びたショッピングモールや公園に行ったり家の中でゲームをする日々を送っている。不思議なのは家の周りを歩いていると鳩以外ほとんど出会わない。大人も子供も一体どこにいるのか静けさが気持ち悪くもある。東京が文化都市だとしたら、海を隔てて忘れられた世界の果てのようだ。大切な友達とは離れてしまった。地元の友達はみな結婚して幸せな生活を送っているようだが誰にも年賀状を返さなかったら次第に来なくなった。

大森さんのことは以前と変わらず好きだが、物理的に遠ざかった今自分に何ができるのか音源を聴いたり配信を観て考える日々だ。滅多にライブに通わない私はファンと名乗れるだろうか。分からない。そんな不安があの日曜日のライブで少しは減った気がする。考えていることが馬鹿馬鹿しくなるほど壮大で美しい宇宙規模の芸術を大森さんは作り上げていた。回数を重ねることではなく、たとえ一年に一度であったとしても自分が生きている限り、大森さんが歌い続けてくれる限り、愛する機会を失わないよう継続することで私は私の好きを守っていきたい。それが正しい方法かどうかは別として。小さい頃の私に出会ったら、いつか月の世界でお姫さまに会えるから必ず待っていて、大丈夫、あなたの好きを必ず手放さないように、と伝えたい。

 

◇◇◇


大森靖子 超自由字架ツアー2022

兵庫神戸 クラブ月世界

2022.07.24[Sun]

1部セットリスト(大森さんのInstagram参照)

Rude

ひらいて

えちえちDELETE

TOBUTORI

最後のTATOO

マジックミラー

TOKYO BLACK HOLE

I love you

月に帰らないうさぎちゃん

天国ランキング

あまい~熱帯夜

■ックミー、■ックミー

君と映画

みっくしゅじゅーちゅ

真夏の卒業式

夕方ミラージュ

死神

わたしみ

『①④才』が好き

ZOCのメジャーデビュー後ファーストアルバム『PvP』が大好きで毎日聴いている。ものすごいボリュームなので感想を語るにはまだ聴き込みが足りない。そんな中、今一番心に引っかかっているのが『①④才』。この曲が本当に好き。曲を分析するのが正しい向き合い方ではないのは承知だが残念ながら普段在宅で音楽を楽しむ選択肢しかない生活をしているのでついあれこれ考えてしまう。

まず歌詞が好き。「機能(≠昨日)」「仮定(≠家庭)」「謝って」「誤って」など複数の意味を含む言葉選びが大森さん節というか天才的(ZOCの曲ではないが『東京と今日』の「狡い」と「狭い」を初めて聴いた時もやられた!となったり大森さんの言葉を操る才能にはいつも驚かされてばかり…)で唸らされる。SNSでは多くを語られないが、会報や連載の大森さんの文章が好きだ。言葉に対する向き合い方に嘘がなくて美しい人だなといつも思う。また、「匂いが黒いワンピース」「こびりついた嘘の正体」のように単語が直後以外にも結びつくように歌詞が作られていることで、切り刻まれた過去の記憶が断片的に取り出されているようで胸が締めつけられる。囁くように繰り返される'HAZE'が散らばった記憶を召喚する呪文みたいだ。友達とは呼べない同級生、蒸し暑い夏の外気と対照的な喫茶店の冷やかさ、そこで告げられたことを思い出しながら歩く街の喧騒、帰りの地下鉄へ続く階段…たとえばそういう情景が口から出る煙草の煙みたいに浮かんではすっと消えていく。歌詞が時間軸どおりに並んでいるとは限らないから何通りもの想像ができる。音なのに映像を観ている感覚。いや映像以上に生々しい。曲の主人公は誰かであって自分でないはずなのに、14才の女の子の五感が自分の身体に乗り移ってくる。

曲はライブで更に拡張される。幸運にもツアー初日の公演がオンラインで配信された。配信で観ただけなので実際観たらもっと違ったかもしれないが、メンバーの歌声が重なり合って「僕」の叫びとなり、ステージ上に撒かれた煙と光の奥からじわりじわりと共鳴し、り子さんの振り付けで更に生を帯びて客席へ向けて解き放たれていた。14才に一番近い年齢の鎮目さんと他のメンバーの声の対比が同じ一人の少女の過去と現在を見せられているような感覚にさせる。

この曲を聴いていると息苦しくなり逃げたくなる。なのに聴き終わるとまた聴きたくなる。いつまでも目の前をまとわりつく煙霧から這い出したいから。僕から希望を奪った人(=親だとはっきり書かれていないのがこの曲の好きなところ)に謝罪してもらって赦すためでも失った歴史をとり返すためでもなく、まだ終わりにできないこの先を生き続けるための叫び。こちらが想像する音楽の領域を超えた先の芸術を大森さんはいつも作ろうとされ、それをメンバー一人一人がそれぞれのやり方で噛み砕いて昇華させ色彩を与える。あまりにも美しい。この曲が聴けてよかった。大切な曲がまたひとつできた。いつかライブで観られる機会が訪れますように。

嗚呼、プリント倶楽部

プリクラが「プリント倶楽部」の略だということを今の若い子のうち何人が知っているだろうか。

先日、十年以上ぶりにプリクラを撮った。友達の親子と息子と一緒に。その時の嬉々とした気持ちは日記に書き留めたが、プリクラについて異様なほど思いが溢れてきたため、私のプリクラ回顧録とともにここに書き記すことにした。

プリクラ、プリント倶楽部はそもそもいつ生まれ、誰が考えたのだろうか。歴史的なことはググれば出てくるかもしれない。記憶している限り、私の周りでは小学校中学年くらいで初めて登場した。プリクラ帳(実家にあるか、おそらく家族に勝手に捨てられてしまっている)の一番最初に貼られていたおそらく私が初めて撮ったプリクラは個別にめくれる、角の少し丸い小さい長方形のシールが16枚から20枚程度並んで印刷されているものだった。一回の撮影で撮れるバリエーションはひとつか二つ。証明写真のような仕組みで、後ろに色のついた幕があった。画面上には意匠がよくわからない装飾的な草花や端にキャラクターがいる簡易的なフレームだった。

そのキャラクターは今でもはっきり覚えている。角が二本生えたような紫色の帽子を被ったピエロ(道化)だった。おそらくメーカーが考えたキャラクターだろうが、なぜピエロなのかいつも不思議だった。動物や女の子に比べて普段親しみのない、やや不気味なピエロが自分の人生に新たに登場したプリクラという概念を特別なものにしていた。幕の前に立ってお金を入れると、いきなり「プリント倶楽部~!」と(多分)ピエロの陽気な声がした。異界への誘いである。クラブではなく倶楽部と漢字で表記されている点も、秘密結社に潜入するような気持ちになるから、個人的には重要だった。

登場時はおそらく複数人数で撮るという概念がなかったので、一人で台に立ち真顔でじっと目の前の画面を見つめていた。証明写真を撮る時と同じような感じ。人生で一番最初に撮ったプリクラは自分が一体どこを向いたらいいのかわからず戸惑っている間に撮影終了、という表情だった。フレームに重なって顔が一部隠れている。良い画像を選ぶ権利はこちらになく一発撮りのような感じだった。その何とも言い難い真顔の自分が印刷されたシールを印刷口から受け取った時、他にはないような嬉しさがこみ上げたのを今でも覚えている。

お金を入れて完成するまで証明写真の仕組みと似ているが、プリクラが証明写真と決定的に違うのは、特に使用が求められる用途がないのに自ら進んで撮影台に行き、わざわざ自分の顔と向き合っていることだった。特に何かに使うための写真でないから真顔でもいいし、笑っていても変顔をしてもいい。自分の望む自分をさらけ出すことができる。思い当たるとすれば、家で一人で鏡を見ている時間に似ている。ピエロを通じて異界に入り、自分のまだ知らない自分に出会って快感を覚える、これが私にとってのプリクラだった。もはやエンターテイメントを超えた儀式、もっと言えば自慰行為であった。

プリクラは流行に伴い数年のうちにどんどん進化を遂げ、顔出しパネル的なフレームや最初から写真が組み込まれあたかも芸能人と並んで写っているかのように撮れるフレームもあった。安室奈美恵のプリクラを撮ったのをよく覚えている。黒いタートルネックを着た茶髪の安室ちゃんと芋臭いトレーナーを着た小学生の自分が並んでいる写真は異様だったが田舎にいながらにして有名人に接したような謎の興奮を覚えた。安室ちゃんの写真と自分の写真の画質が違うのが異次元と結ばれている感じがした。ピンプリ、と今は呼ぶのか一人撮影が基本だったが次第に複数人数での撮影を前提にしたものが多くなっていった気がする。

撮ったプリクラが溜まってくるとそれらを手元に置いておいても仕方ないので最初はきょうだいや親戚と、次に学校や塾の友達と交換するようになった。プリクラ帳(プリ帳)と言われるプリクラを貼るためだけのノートがファンシーショップに売り出され始め、空白を埋めるように順番にきれいに貼っていった。自分やきょうだいや友達の一人写真、自分と友達の写真、知っている友達と自分のまったく知らない誰か(友達の友達)が並んでいる写真、それらが並んでいる光景は今から考えたらなかなかシュールだった。それぞれから飛び出した自意識が交わることなく並んでいた。

中学生になると、放課後友達とプリクラが置いてあるジャスコやサティまでよく撮りに行った。首から上だけ写る証明写真のようなスタイルは次第に廃止され、箱のサイズは大きくなり全身が撮れるプリクラ機が取って代わるようになった。そしていつの間にかあの帽子を被ったピエロは姿を消した。

中学の終わりか高校生くらいになると、今のプリクラ機と変わらない、ラクガキのできるものが登場した。最初のペンのあまりにも書きにくかったこと。画面とペンの接触が悪く、やきもきしているうちに制限時間がきてしまうのはよくあることだった。ペンどころか、指で書くのもあった気がする。撮る時は片手を斜め前方に伸ばして掌を広げて見せる当時のギャルポーズ。あのポーズはなんだったのだろうか。あとはプリクラ機のビニール幕に印刷されているモデルに憧れたりした。

休日に学校の誰かと遊びに行くとプリクラを撮るのはお決まりだったし、平日も放課後や塾に行く前に制服で撮った。教室ではそんなに仲良くないけど一方的にかわいいなと思っていた子がいた。私はその子と同じ進学塾に通っていた。その女の子と何かをきっかけに塾がある日限定で仲良くなり、一緒に塾までの時間をつぶすことが多かった。学校を出てから、「プリクラ撮ろうよ」と急に言われた時のドキドキを今でも覚えている。教室ではグループが違うのであまり話さなかったその子と本当は話したかったし関わりたかった。だから嬉しかった。そういう意味で「プリクラ撮ろうよ」は私にとって「友達になろう」より強い言葉だった。「私の顔=自意識、見せてあげるよ」と言われている感じ。そういう特別なプリクラを他の子に見せたりあげると「この子とプリクラを撮る仲なのか」とライバルに嫉妬されないか余計な心配をしてできれば隠しておきたかった。

恋愛からほど遠い学生生活を送ってきたし男友達もいなかったので、残念ながら私には異性と二人でプリクラを撮った経験は一度もない。ないが憧れだった。同じ学校に彼氏のいるヒエラルキー高めの女の子が昨日一緒にプリクラ撮ったよと別の友達に話しているのを漏れ聞いて、ああいいなと羨ましかった。異性だろうが同性だろうが好きな者同士の二人がプリクラを撮るのはセックスと同等の行為だと今でも思っている。だって二人で同じ空間に入って同じカメラを向いて、撮影される0.何秒間を共有するって、あまりにもぞくぞくする。私はもう若くないが、この先本当に好きな人に出会ってその相手が一緒にプリクラを撮ってくれるとしたらきっと嬉しい。でも第一にもう高校生でないから恥ずかしいし、このプリクラへの捻じれた想いを一言で相手に説明するのは容易ではないからあえて言わないかもしれない。

先日、友達のおかげで十何年ぶりにプリクラを撮ることができた。その友達がいなければあの機械へ入る勇気がなかったので感謝している。撮影してみてわかったのは、最近は数年前からネットでよく見かける、目が大きくなったり美肌美脚になったり「盛れる」プリクラの流行が一旦落ち着き、できる限りナチュラルに(しかし素のままではなくほんの少しだけ盛れて)撮れるものが主流のようだ。「盛れる」のを売りとしたプリクラ機はわりと空いていた。私は撮ること自体が目的でどんな風な撮れ方でもよかったので空いていた機械で撮ったら目がキラキラになって友達と大笑いした。若い子はナチュラルを謳う機械に多く並んでいた。

SNSにあげる若い子が多いから撮ったデータはスマホに転送できる。盛れすぎたプリクラは実像から遠ざかっているからプリクラを自画像として掲げるのは反則あるいは虚像だと承知の上での認識なのかもしれない。データ化やプリクラ画像をめぐる概念は、私の若い頃からは想像もできなかった。時代に合わせてプリクラは生き残るために進化して、それに伴う文化や考え方もどんどん変化している。

それでも「自分の顔や姿を閉じられた空間に身体を預けて撮る」という根本的な仕組みは昔と何も変わってない気がする。一人で撮ろうが誰かと撮ろうが、あの機械音声に煽られて表情やポーズを作る撮影の瞬間、誰もが自己と向き合って今まで出会ったことのない新しい自分をさらけ出す。ラクガキしながら、自分にはこんな顔があるのかと気づく。印刷口から出て来たプリクラを見て、現在進行形で生まれた新しい自分に出会う。居酒屋の暖簾をくぐるようにビニールの幕をめくって箱の中に入って撮影し、異世界から出てクールダウンしつつ完成を待つという一連の行為がもたらす自慰後のような爽快感はあのピエロのプリント倶楽部時代から今もずっと継承されているのではないか。私は少なくともそう思っている。自撮りやカメラ撮影とはまるで違う。もっと閉鎖的かつ他動的で、自分の力ではない何かの力に突き動かされている感じ。

プリクラが日本特有の文化なのかよく知らないが、他には代えがたい特殊な文化が進化しつつも消滅することなく存続して、己と向き合う興奮を若者やかつて若者だった人たちに与え続けてくれたら嬉しいなとひそかに願っている。

三十路の回顧的一人ごとおわり。

よしお兄さんりさお姉さんありがとう

時代が遷り変わるように始まったものにはいつかきっと終わりがやってくる。当たり前のように側にいると思っている人がずっとそこにいるとは限らない。そろそろかなと番組を観る度になんとなく覚悟をしていたため、あまり驚かなかったが日を追うごとにじわじわと実感がわいてきた。何の話かというとよしお兄さんとりさお姉さんの話。「よしお兄さん」こと小林喜久さんと、「りさお姉さん」こと上原りささんががこの3月でEテレの『おかあさんといっしょ』を卒業する。

4年半前に息子が生まれてから、自分の幼少期以来、数十年ぶりに『おかあさんといっしょ』を観る生活が始まった。最初はこの番組を観よう!と強く思って観たわけではない。息子が生まれたのは秋の終わりだったのですぐに寒い冬がやってきた。日中近所のスーパーに買い物に出かける以外は朝から晩まで息子と二人きりで家の中に閉じこもっていることが多かった。会社にもいかず友達に会うこともなかったため、外の世界がどうなっているかあまりわからなくなるほど孤独だった。息子は起きている時には常に泣いているような子だった。寝かせるのがとにかく大変だった。眠いのに眠れなくて泣いているが背中には高機能センサーが搭載されているらしく、よし寝たと思って布団に寝かせようとすれば世界の終わりのように泣き叫んだ。抱きながら部屋の中を歩き回り、抱いたままカップラーメンやパンを食べた。終わりがないような孤独な一日が始まる朝、延々と黄昏れ泣きをする夕方、暗がりで電気をつけるような感覚でEテレにチャンネルを合わせた。

黄色い洋服を着たよしお兄さんがブンバボンという歌で踊りながら次々動物になったり、大道芸風のオレンジの衣装を着たりさお姉さんがパントをしていたり、二人がこどもを持ち上げたりしてお弁当を作る歌で踊っていた。子ども番組なので当たり前とはいえ、一ミリも嫌な顔を見せることなく活力に溢れた二人の身体の動きや表情をぼんやりと目で追った。明るいスタジオ、着飾った子ども達、笑顔のお兄さんお姉さん、負の要素が一切ない明るく前向きな歌、私がかつて愛した「にこにこぷん」とは全く造形が違うがなんとなく名残はあるような三人組のキャラクターがいるテレビの中の世界は、息子が泣き続け洗い物がシンクに溜まっている散らかった部屋とは何千里もかけ離れているような気がした。ここからは辿り着くことはできない笑顔に溢れる桃源郷

でも彼らは決して手癖でやっているようには見えなかった。二人を毎日繰り返し見ていたら、自分より年上であろうよしお兄さんや自分と同年代くらいであろうりさお姉さんが、絶対的な使命感に駆られて「よしお兄さん」「りさお姉さん」であることを守り抜き、踊って跳ねているようにも見えた。ああやって笑っているけど、裏では風邪を引いて体調を崩していたり悩んでいることだってあるかもしれない。そう思うと、ここも向こう側も同じひと続きの世界で彼らも私も同じ人間なのだと感じた。あぁ私もこの子とがんばって生きないとな、とこの世の終わりがやって来たかのように泣き続ける我が子をあやしながら考えたものだった。

赤ちゃんの頃は最初は目を丸くしていただけの息子は今やテレビで観る度に恋かと思うほど「よしおにいさんかっこいい…」と目をかがやかせお兄さんに憧れ、踊りを真似したり、誰からも教えてもらっていない独学の前転を布団の上で練習するのに日々励んでいる。ある時、踊るお兄さんを観ながら「よしおにいさん、もうすぐいなくなるんだって…」とつぶやくと「えっなんで?いなくなるの?」とサイは驚いていた。「あ、いや、いなくならないけどね、これには出なくなるんだって。でもまたどこかで観れると思うよ。」と言うと分かったような分かっていないような感じだった。それ以来、ふとした時に「よしおにいさんいなくなるの?」と何度も聞かれるので、彼なりに気にしているようだ。

テレビの向こうでよしお兄さんやりさお姉さんがあんな風に笑ってくれていたから、熱々のエビフライを揚げてくれていたから、なんか今日は難しいこと考えるのはよして散歩でもしようか、と思う日がたくさんあった。番組で二人の姿を観れなくなるのは寂しいけれどこれからもまたどこかで会える気がする。ありがとうございました。