(続)海の音

雑念のメモ

生への拡張 「大森靖子 超自由字架ツアー2022@神戸公演1部」を観て

7月24日、「大森靖子超自由字架ツアー2022」神戸公演1部(昼公演)に行った。ライブがあった日曜日から今もまだ余韻に浸っている。観た光景、聴いた音、あの場の空気、鼓動。ライブ直後に感想をツイートしようとしたが到底140字足らずで言語化できるような感情ではなくただ頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。一言で言うと「すごかった」なのだが「すごかった!」で終わらせて良いのか、あのライブに対してそんな安易な受け取り方で良いのか疑問が沸き、できる限り丁寧にまとめてみることにした。主観が強く正確性に欠く内容や偏った捉え方をしたり意味不明な記述が頻出しているかもしれない。ただ抱いた感情を整理するのに、今の感情をいつか忘れてしまわないように、書き留めておきたい。

普段一人で出かける機会がほとんど作れないため、ZOC(現METAMUSE)を除けば大森さんのライブに訪れるのは昨年冬の自由字架ツアー以来約七か月ぶりで、同じ場所でまたライブがあると知った時は本当に嬉しかった。時間的な理由で1部のみチケットを取った。会場の「クラブ月世界」はその名のとおり70年代にキャバレーとして華やかな歴史を刻み今はライブやイベント向け会場として活用されている。銀色の建物の中に一歩踏み入れるとステージを囲むように配置されたたくさんのソファ、高い天井から金色のシャンデリアが煌めく大人の世界が広がっていて、関西で同じく戦後の歓楽施設であった味園ユニバースと似た雰囲気がある。でも色鮮やかな電飾パネルが力強さを放つユニバースより面積が狭く照明の色彩も少ないため、より閉じられた秘密の世界という感じもする。千日ユニバースが宇宙だとしたらまさに月である。名付けた人のセンスが素晴らしい。余談だか、ここで二十歳の時に高校の同窓会があった。なぜ行こうと思ったのか今でも分からないが、馴染めず奥のソファに座り早く帰りたいと思いながらキラキラ輝くシャンデリアや絨毯ばかり見つめていた。高校時代ヒエラルキー上層にいた可愛い子たちが大学生になりより一層可愛くなっているのを見て卑屈な気持ちになり、新しく買ったワンピースも見すぼらしく思えた。その日からずっと、いつか今日とは違う感情でまたこの場所に来ることができたらいいなと夢見ていた。そして大森さんがその夢を叶えてくれた。家に帰りたかった二十歳の自分を再び連れて来ることができた。大森さんには本当にいつも夢を叶えてもらってばかりいる。

チケット運が良い方ではないので期待せず発券すると一桁代だったので驚いた。嬉しい反面、普段ほとんどライブに行けていない私が前の席に座って良いものか直前までとても迷った。そんな資格ないのではないか。でも空いている席を見た時、今ここに座らなければ後悔するかもしれないと腹を括った。座った席の横が大森さんと理香子さんの通り道になっていて「入場時に気になるかもしれませんが(振り返ると邪魔になるので)振り返らないでください」と直前にスタッフさんに小声で忠告されると尚更緊張した。会場の写真を撮りたかったがそんな余裕もなく、ただ目の前に置かれたハミングバードiPadに映るナナちゃん、揃えられた大森さんのサンダルを見つめていた。サンダルがここにあるということは裸足…?などと考えつつ。SEは道重さんの曲が中心だった。引きこもり期にずっと聴いていたモー娘。'14の『君の代わりは居やしない』が緊張を和らげてくれた。あの時救ってくれた道重さんの声。隣にいらっしゃった古参の方に「緊張します」と言うと「僕もしますよ」と返って来たのが意外だった。

SEがフェイドアウトしたかと思うと、照明が落ち拍手が起こり、気づいたら大森さんが目の前にいた。一瞬の出来事すぎて振り返らないよう注意されていなかったとしてもそんな余裕はなかったであろう。久しぶりに見た大森さんはあまりにも可愛くて脳がおかしくなりそうだった。前日の京都公演から一変してストレートヘアに繊細な刺繍が施されたリボン。前回ZOCで観た時はピンク色だったので金髪にドキドキした。近景を写真で見て知っていても実際目で見た時の胸の高まりは尋常ではない。淡いピンク色をしたサテン地(?)のスリップドレスの上に京都でも着用されていたふんわりとした白いオーガンジーのような素材のドレスを重ねていて、胸元には作家さんのブローチ(たしか誰よりも早く大森さんがオーダーされたという素敵な物)、輝く白い肩、手先にはレースのグローブ、右手甲にはご自分で貼られたのかキラキラした粒で×が描かれていた。そしてやはり靴下なしの生足。陶器のように艶やかな肌にぱっちりとした瞳(アイラインの色がピンク寄りでマスカラが際立っていた)、目元にラインストーン、赤いリップ。後で「楽屋が和室なので本気のヘアメイクができた」というようなことをSNSに書かれていて納得したのだが、引くところは引き算されてとても丁寧にメイクされている感じがした。衣装の装飾や模様が多くない分、ステージに立った時の美しさが際立っていた。まさに月の世界のお姫さまだった。あるいは小さい頃大切にしていたお人形が月の光を浴びて一夜だけ人間に変身して会いに来てくれたようでもあった。大森さんは美大のご出身ということもあり、ヘアメイクや衣装のセンスがずば抜けている。洋服をそのまま着用されるだけでなく、ご自分でリメイクされたりアレンジもされる。今日はどんな姿で登場するか楽しみにしているファンは多いだろう。そういう部分も含めて自由字架の世界を細かく作り上げ、本来であれば荷物を減らしたくなる遠征であっても、その日しかないライブをファンに届けようとしてくださる。

一曲目が『Rude』だったのは予想外だった。参加回数が少なく比較できるライブが少ないのが悲しいが、ちょうど一年前のビルボード大阪のおかわりライブもたしか『Rude』始まりだったと思う。この曲の良さについて私が語るまでもないが、大阪ビルボードでの『Rude』は打ち破るような力強い声が印象的だったが、この日の『Rude』は強さの中に歌詞一語一語で聴き手を包み込むような優しさも感じた。どちらも好きだ。それにしても聴く度に歌が上手くなられている。

続いて『ひらいて』。映画館のエンドロールでこの曲が流れた時の高揚が甦る。普段は主人公の愛が目に浮かぶが、目の前の大森さんを月の国のお姫さまだと思っている私は、お姫さま(=大森さん)が『ひらいて』を歌っている、つまり次から次へと要らない貢物ばかり持って来る独りよがりな求婚者達にうんざりするかぐや姫のように、月の国のお姫さまが「わたしをちゃんとひらいて」と訴えているように見えた。自分はファンとして大森さんが本当に見てほしいと願うものを捉えられているのか、自問した。そして『ひらいて』からの『えちえちDELETE』の流れの良さと言ったら。ここで再び映画の愛ちゃんが顔を出し、お姫さまであり愛ちゃん(たぶん映画の数年後)である大森さんは『ひらいて』で満足させられなかった我々に「ねぇ」と訴える。ちなみに私が一番好きな歌詞は「空気入れ替えたいの」である。息苦しさを表す分かりやすく現実的な言葉なのに相手に届かない悲しさがある。

挨拶・曲紹介の後、新曲『TOBUTORI』。歌う前にタイトルを教えてくれるのが嬉しい。表記がかなと漢字ではなくアルファベットなのが、大森さんが早口で「とぶとりとぶとり」と言われていたように見た目も音も呪文みたいで面白い。ここではお姫さまから大森さんに戻った感じ(私の中での話)。何も知らないまま新曲をライブで初めて聴けるのは新鮮かつ贅沢なので、セットリストで曲名は知っていたもののライブ当日までSNSに上げられる動画を一切観ないようにしてきた。何なら既存曲も含めてツアー名のタグがつく投稿からなるべく目を背けた。誰かの感情の譲り受けではなく、まずは自分の気持ちで大森さんの音楽に向き合いたかった。初めて聴いた『TOBUTORI』はsugerbeansさんの奏でる旋律が美しく、どことなく『ピンクメトセラ』を彷彿とさせる伴奏だった。曲自体は『死神』や『きもいかわ』のような大森さんの内心を抉り出した曲のように感じた。おそらく次期アルバムの重要曲になるだろう。一度聴いたら忘れられないメロディが今も脳内で繰り返し鳴っている。初めてでうまく聴き取れないところもあったため撮影した動画を元にメモ帳に文字起こししてみた。でも不明確な部分もあるので歌詞をきちんと読みたい。

飛ぶ鳥はすぐ落ちる

本当は鳥人間 何年も作ってきて

上手をして押しただけ

こんな歌詞が特に印象に残った(正確かは不明)。我々は大森さんを空で上手に飛ぶ鳥だと勝手に決めつけていないか。大森さんが軽やかなステップで躍る度に白いオーガンジーがふわりふわりと舞い、本当に美しかった。踊る大森さんが大好きなので、目の前で見られてただただ嬉しかった。

続いて新曲『最後のTATOO』。何拍子というのか、リズム良くラップ調のパートがあったり大森さんが作った曲!という感じがして、ご自身も気持ち良さそうに歌われていてた。正直、『TOBUTORI』の処理で脳が追い付いていなかったため、歌詞をあまり覚えていない。自分の処理能力の低さに悲しくなる。できることならもう一度ライブで聴いてみたい。手拍子が入ったので会場の空気が少し変わった気がする。

その後sugerbeansさん退場。ギターを持ち、ソロの弾き語りパートへ。『マジックミラー』『TOKYO BLACK HOLE』と続くのだが、この二曲の流れがとてもよかった。おそらくライブで歌った回数で言うと他の曲に比べて少なくない『マジックミラー』が始まった時、特に意識したわけではないがスマホを手に取り撮影を始めた。何度も聴いてきたこの曲を「撮っておきたい」と瞬間的に感じた。言語化するのが難しいが、過去に聴いたものと違った。発売当時の『マジックミラー』『TOKYO BLACK HOLE』ではなく、今の大森さんの曲だった。一度届いたその先の心に届く感じというか。

前日の京都の話や幻のお団子の話などファンとの会話も交えた楽しいMCを挟み、「神戸には港があるから」と弾き始めた伴奏を聴いた瞬間、あぁ『I love you』が来た…と動揺した。この時、大森さんと目があったような気もするが全く気のせいかもしれない。大森さんの曲で一曲だけ挙げるとすると、私は『I love you』で、リミスタで好きなワンフレーズを歌ってもらう企画があった時も『I love you』から座右の銘にしている一節を選んだ。基本的には大森さんがその時に歌いたい曲を歌ってほしいという気持ちが強いため、ライブで聴けるかは運に任せている。でも本音としてはやっぱり聴きたい。できることなら地元で。だから嬉しかった。「初代バチェラーの街、神戸。あれ、初代じゃなかったっけ?」とぼそっとつぶやかれた時は一瞬笑いが起きた(たぶん三代目?)のに、歌い始めると一気に『I love you』の世界が広がる。大森さんは私の知る人の中で一番面白い。頭の回転速度が我々の何倍も速く、どんなに面白い話をして笑いが巻き起こっていても楽しいMCの空気から歌の世界へ演劇の暗転のようにぱっと切り変わる。大森さんの歌声が描く世界と自分の住んでいる見飽きたけど嫌いになれない地元の風景や繰り返される日常が重なり合い、どんどん膨らんでいく。海が見える。船が進む。涙が込み上げた。

『月に帰らないうさぎちゃん』は初めて聴く曲で会場にぴったりの選曲だった。『I love you』の世界に完全に心を持っていかれ放心状態が続いていたため、はっきり思い出せない部分もあるが歌詞がとてもよかった。ライブ後、詳しい方にSAYUMINLANDOLLの曲で道重さんへの提供曲だと教えてもらう。大森さんが作る道重さんの曲が好きだ。まだ音源化されていないらしいので、されるのが楽しみだ。

タイトルだけ知っていた『天国ランキング』が流れるとこれは何という曲だろうと思ったがサビを聴き『天国ランキング』と気づく。『TOBUTORI』は大森さん自身により近い心情で歌われている曲に感じたが、『天国ランキング』は物語のように大森さんとは別の主人公が浮かんで見えた。もちろん大森さん自身が投影されて作られている部分もあるかもしれないが、「僕」は『TBH』や『少女漫画少年漫画』で描かれた「僕」や『KITTY’S BLUES』の少女など、これまで大森さんの楽曲で歌われてきたどちらかというと大人になる前の若い年代の人物が混ざり合って人格を形成しているように感じた。都会の生活、深夜のコンビニや万引きを連想させる歌詞がそう感じさせたのかもしれない。「午前三(ごぜんさん)時」と「ご精算(ごせいさん)前」の掛けが秀一すぎて震えたし、フレーズ間がどこで区切られているかわからない繋ぎ方をした歌唱が大森さんらしく大好きだ。聴き方で色々な捉え方ができる余白がある。「しこう」は「至高」なのか「嗜好」なのかはたまた「趣向」なのか。日本語をここまで自由で気持ち良く編み上げる歌手の方を私は他に見たことがない。

そして『あまい』からの『熱帯夜』。この流れがまた最高で。考えてみると『あまい』は夏の曲なのかもしれない。空調が利いているはずの会場内でゆらゆらと漂う蒸し暑い湿度を感じた。『熱帯夜』はSPEEDのトリビュートアルバムに収録されているが大森さんがSPEEDをカバーすると知った時は嬉しかった。若い人はどうかわからないが私はSPEED全盛期に小中学生時代を過ごしたため、大森さんがSPEEDを歌うと大森さんが当時同じクラスにいたかもしれないという妄想というか錯覚を覚えドキドキする。途中、気分が乗って楽しかったのか歌を中断して喋ってしまったのを「ちょけてしまった」と反省する大森さんが可愛かった。「喋りたい」の歌詞に合わせて「喋りたい」気持ちを重ねていて楽しかった。

書き方に齟齬があってはいけないので記録は控えるが、あるコメントをされてからの『■ックミー、■ックミー』は社会にとって個人にとって音楽がもたらす意味とは何か、こちらに投げかけているようでもあった。『■ックミー、■ックミー』、個人的にすごく好きな曲なのだけど最近ライブで聴いた記憶がなかったので単純に嬉しかった。弾き語りで聴けるのは貴重な機会かもしれない。そこから『君と映画』。嬉しい。私はこの曲を聴くと8年前に初めて大森さんのアルバムを貸してくれた先輩のことを思い出す。先輩がこの曲が好きだと言っていたから。細かな情景を浮かぶも『君と映画』に強く季節感を意識したことがなかったが、『熱帯夜』からの流れで夏の夜を重ねてみるとこれまでと違った風に聴こえて胸に迫るものがあった。夏休みに貸りた君の漫画(『美代子阿佐ヶ谷気分』)、一緒に観たDVD、夜中にアイスを買いにコンビニまでサンダルで歩く…(以下妄想)。

sugerbeansさんが再登場され、『みっくしゅじゅーちゅ』の旋律が流れると完全に夏の夜が明け、熱い日差しが差し込む。セトリが最高すぎる。踊る大森さんが最高にかわいい。お姫さまが普通の人間の暮らしをしたくて月のお城をこっそり抜け出し高校生のふりをしてカラオケをしたり水着を着て夏休みを過ごしている情景が見えた。かわいい。『みっくしゅじゅーちゅ』はかわいい曲だが、ねっとりと濃い少女特有の怖さがあり、そこが好きだ。

『みっくしゅじゅーちゅ』で既に完璧な夏の世界が作り上げられていたが、これで終わりではない。理香子さん入場。大森さんの時のようにすっと通られたのか、気が付いたら目の前にいらっしゃた。三人での自由字架編成が始まる。ここから呼吸を忘れそうになるほど圧倒的だった。『真夏の卒業式』。ずっと聴きたかった大好きな曲。前回の月世界公演でもやってくれたのに両部参加できず聴き逃し悔しかった。『みっくしゅじゅーちゅ』の後に歌われることの意味。私は大森さんが作る学校や学生を連想させる曲が大好きで、それは青春時代を肯定できなかった者へも大森さんにしか描けない光を当ててくれるからだ。

実際には数えるほどしか観たことがないので自分には語る資格はないが、理香子さんの身体表現は言葉で説明できないほど美しい。自分が同じ人間とは思えないほど頭の上から手足の先端まで意識が張りつめられている。私は普段音楽を聴覚を中心とした感覚で享受しているが、そこへ全然違う方角から突然視覚で刺激されると脳が混乱する。台本のあるお芝居を観る感覚とも違う。見るというより、その瞬間生まれた命ある何かが眼球から内臓や血管に向かってじわじわと吹き込まれる感覚がある。大森さんの歌を聴いた時に似ている。道具や装置を使わず身体だけでこのような表現ができるなんてこの眼で見ても信じられないが、長年努力されてきたからこその力量と圧倒的才能、生きることを芸術で体現することへの追求心が大森さんと共通しているのかもしれない。ライブで理香子さんを初めて観たのは2016年秋にZepp Tokyoで行われたTBHツアー最終公演の『ピンクメトセラ』でのパフォーマンスだったが、その時も圧巻され見惚れた。最前列で観た光景が鮮明に残っている。身体が音楽だった。それから数年後に観たアイドルとしてのパフォーマンスはまた全然違っていたので更に驚いた。METAMUSEの最新曲『tiffanytiffany』ではメンバーごとに異なる振りを作られていて仕事の緻密さに驚かされた。

自由字架で理香子さんと大森さんが同じ舞台に立つ時それぞれの命、意思が絡み合い生々しく官能的で美しい。大森さんが分裂しているようにも見えれば、光と影のようでもあるし、一人の人間の様々な内面感情が重なり合っているようでもある。二人は化学反応を起こすように身体を離したり重ねていく。そこへ合わさるsugerbeansさんの旋律。それぞれの才能が最高潮の状態で絡み合って共鳴している。自由でありながら同じ着地点へ向かって三人の意識が畝る。

『真夏の卒業式』から『夕方ミラージュ』の流れでお姫さまが実は最初から人間だったことに気づいた。教室にいた少女は大人になり、孤独の深度を高め部屋の中で解き放つ。この流れが、『ひらいて』から『えちえちDELETE』の組み合わせと対になっているようにも感じた。歌詞が物語を描くように、セットリストそのものが壮大なストーリーになっているのかもしれない。しかも決めつけすぎず聴き手が自由に想像できる機会を与えてくれている。そしてクライマックスの『死神』で夕方の布団から生死の境に沈んでいく。時間は再び夕方から夜へ。陸地から海へ。地球から宇宙へ。大森さんは髪や衣装を乱れさせながら理香子さんと絡んでいく。どのタイミングであったか、大森さんは脱げかけた白いオーガンジーをさっと脱ぎ、サテン地のワンピース一枚になる。衣服を纏っていない生身の身体に近い状態で、ドキドキした。生まれたての姿にも見えた。

『死神』が終わって二人は動かず静寂が続き、大森さんが消え入るような声で『わたしみ』の冒頭をアカペラで歌い出した。リズムを抑えて朗読するように。話すように。sugerbeansさんが目を見開いて演奏に入るタイミングをじっと待たれ、今かという瞬間にピアノの音が鳴る。この一連にライブを観ていることを忘れてしまうほどの緊張感があった。文字に書くとうまく書けないし、きっと動画では全部伝わらないからライブで観るのが一番だ。一人の人間がこの世界に生まれ、役割を生きることへの苦悩を抱えつつ部屋のベッドや教室という閉じられた世界を守りながら膨らみ、殻を剥がしながら宇宙に放たれていくような感覚があった。ミクロからマクロへの拡張。それは死ではなく、何かその先の希望を予感させる終わり方だった。他者の力ではなく内側から湧く自己再生力のような。そこには超絶的な宗教も魔力もなく肉体による生身の音楽だけが輝いている。クラクラした。

呆然とする最中、ライブは終了し大森さんがメンバー紹介をし、深いお辞儀をして三人は足早に退場された。あっという間だった。これが自由字架の先の超自由字架なのか。前回の月世界での自由字架より強く引き込まれたのは細かな息遣いや表情や呼吸が感じられる最前列で観られたことが大きかったかもしれない。

記録からではなく自分の眼で観られたことが嬉しいし、我々観客に届けよう地方までツアーを組んでくださったこともありがたい。東京だけの公演だったら観れていなかった。来月もう一度大阪で会えるのがとても嬉しい。生きるための芸術を届けてくださり、ありがとうございました。

 

◇◇◇

ここからは本来書く必要のない個人的な話なのでライブの感想が知りたい方は読まないで下さい。

過去の記憶を引っ張り出し嘆くのは野暮な行為だが、かつてはかなりの頻度で大森さんに会えていた。ツアー、フェス、リリイベ、サイン会、ファンクラブイベント。ありがたいことに絶え間なく新しい現場があり、好きな人に会いに行くことができた。現場によっては言葉も交わせたし認知もされていた。住んでいた時は慣れてしまっていたが東京はすごい。大勢の人が生活を営み流行が生まれては消費されていく。スピードに置いていかれそうになるが日常の辛さや孤独を埋めるのには心地良かった。あの速さでなれければやってられなったであろうことが思い返せばたくさんある。

人生で最も辛くて生きることを諦めようとしていた頃、大森さんとのDMで何度も救われた。離婚が成立した深夜二時、一番最初に報告したのも大森さんだった。五分後ぐらいに「よかったね」と返事が来た。精神的に追い詰められてファンとしての在り方や距離感を完全に間違えていたのを今となっては猛省しているが、迷惑で自分勝手な私にも優しく接してくださった。「がんばれ」などという心の励ましではなく公的機関の紹介や法律の話など実際に役立つ具体的な助言をくださった。大森さんのこういう聡明なところが本当に大好きだ。

苦しみから脱した後の都心暮らしは楽しかったが経済的に厳しいものがあり、三年前、十年住んだ東京から離れ物価の安い地元の神戸に戻った。家のベランダからも通勤電車からも見渡せば海と山ばかり、ローカル電車はなかなか来ない地方に住んでいる。地元にはあまり良い思い出はない。幼少期は人と話すのが苦手で部屋の中でひたすら架空のお姫さまの絵を描いていた。学校が大嫌いだった。とにかく勉強だけは頑張って問題なさそうな高校に行っても馴染めなかった。かと言って他にどこにも行けなかった。今また同じ海を眺めながら通勤し、休日は子どもと二人で昔から変わらない古びたショッピングモールや公園に行ったり家の中でゲームをする日々を送っている。不思議なのは家の周りを歩いていると鳩以外ほとんど出会わない。大人も子供も一体どこにいるのか静けさが気持ち悪くもある。東京が文化都市だとしたら、海を隔てて忘れられた世界の果てのようだ。大切な友達とは離れてしまった。地元の友達はみな結婚して幸せな生活を送っているようだが誰にも年賀状を返さなかったら次第に来なくなった。

大森さんのことは以前と変わらず好きだが、物理的に遠ざかった今自分に何ができるのか音源を聴いたり配信を観て考える日々だ。滅多にライブに通わない私はファンと名乗れるだろうか。分からない。そんな不安があの日曜日のライブで少しは減った気がする。考えていることが馬鹿馬鹿しくなるほど壮大で美しい宇宙規模の芸術を大森さんは作り上げていた。回数を重ねることではなく、たとえ一年に一度であったとしても自分が生きている限り、大森さんが歌い続けてくれる限り、愛する機会を失わないよう継続することで私は私の好きを守っていきたい。それが正しい方法かどうかは別として。小さい頃の私に出会ったら、いつか月の世界でお姫さまに会えるから必ず待っていて、大丈夫、あなたの好きを必ず手放さないように、と伝えたい。

 

◇◇◇


大森靖子 超自由字架ツアー2022

兵庫神戸 クラブ月世界

2022.07.24[Sun]

1部セットリスト(大森さんのInstagram参照)

Rude

ひらいて

えちえちDELETE

TOBUTORI

最後のTATOO

マジックミラー

TOKYO BLACK HOLE

I love you

月に帰らないうさぎちゃん

天国ランキング

あまい~熱帯夜

■ックミー、■ックミー

君と映画

みっくしゅじゅーちゅ

真夏の卒業式

夕方ミラージュ

死神

わたしみ