(続)海の音

雑念のメモ

65歳男性(趣味は釣り)になりたい

とある方で、その方が他の人に教えたのをきっかけに私が生涯かけて追いたいと思うほど好きになったものがあり、だからありがとうを伝えたくてずっと話してみたいと思っていた方(既婚者なので恋愛関係になりたいとかは断じてない)がいて、その方に一度だけお会いした時、あまりにも緊張して全然話せなくて、私がそんな感じなので向こうも何も話してくれなくて結局話したいことは何一つ話せなかった。

後日、「かわいい女子とは緊張して話せない」と本人が言っていたと奥様から聞き、それが例えお世辞でも嬉しくてビール何杯でも驕りますよの気持ちになったが、もし私がそうさせているのであれば私に原因があるということになり何だかなぁという気持ちになった。

己の見た目が可愛くもなければそもそも「女子」と名乗る年齢でもないのは重々承知しているが、最低限、見た目だけで人に不快感を与えないようには心がけている。いつもではないができる限り髪は梳かして人並みに(か分からないがまずまず)化粧はする。洋服も基本的に好きなものを着ているが、半裸とか露出とか不潔とか他人がげーって思うような恰好(完全に自分基準)はしない。だって見た目だけで嫌な気持ちにさせてコミュニケーション自体が遮断されたらそれってとても悲しいと思うから。と思っていたのに逆にそれが仇となっているなら一層悲しい。半裸で血を流して気が狂ったような恰好をすればその人は私と話してくれるのだろうか。それはそれで怖がられて円滑なコミュニケーションの障害になるかもしれない。

じゃあ一体どうしたらよいのか。詰まる所、他人に対してどうのこうのじゃなく、自身が自信(駄洒落じゃないヨ)を持った格好をしてれば一番魅力的なんだろうけど、人にどう見られるか、人に不快感を与えたくないという余計なエゴが常に邪魔をしてくる。悔しいことに最後のところで捨てきれない。いっそのこと、ミュータントみたいに全人類の見た目が同じで服も着ず皆丸裸で街を歩いているのが当たり前の世の中だったらいいのになと思う。同じ見た目のミュータント達がお互い話して初めてどんな人か分かるというような。でもそうなると没個性となり彩のないつまらない世界になりそうだ。歩いていても誰が誰か分からない。おしゃれも奇抜さも何もかも存在しない世界。内面的な精神だけが求められる世界。うう、それってどうなんだろう。外見って難しい。大森靖子さんがよくおっしゃっているように毎日その日の気分で性別を選べたら楽しいだろうな。欲を言えば年齢も選びたい。今は65歳くらいの初老男性、ジャングルポッケみたいなポケットがいっぱいついた釣りジャケットを着て帽子を被っているようなおじさんの外見になりたい気分。