(続)海の音

雑念のメモ

春の中トロ祭り

春だからと託けて腐敗しない色鮮やかな塩化ビニールの造花が路上に咲き乱れ、それを本物の花だと思った人達がブルーシートを敷き毎晩宴会をしている。日に日に人は増え続けて。明け方3時26分抗菌服とマスクを着用した誰かが作ったことを証明するシールが貼られた焼きそばや唐揚げを食らっている。いつかテレビで観た職人のように嘘を丁寧に削ぎ落とした真実が知りたい。真実とは。腐って朽ちてしまう前に本物の花を発見しないと一生造花に囲まれて暮らすことになる。有限会社の未来。無制限通信の遮断。何が正しいのかもう分からない。請求書と一緒にポストにねじ込まれた新装開店の宝石屋のチラシ。18Kお買い得!その下には出前寿司。輝く中トロ。宝石屋のチラシに印刷されたルビーよりも艶やかに見える中トロは隣に赤字で書かれた電話番号に掛ければすぐに私の元にやってくる。その中トロをなんかチラシと違うなと思いながら無心で貪る。窓の外からは生暖かい春の風。発情した猫の声。
「この週末は春の嵐となるでしょう。外出される方は雨具を忘れずにお出かけ下さい。」

岡本太郎とさいあくななちゃん

桜が満開の頃、岡本太郎現代芸術賞大賞、岡本太郎賞(TARO賞)を受賞したさいあくななちゃん(「さん」など敬称をつけると違和感があるのであえてつけないことにする)の作品《芸術はロックンロールだ》を観に、川崎市岡本太郎美術館へ行った。さいあくななちゃんの作品を初めて生で観たのは昨年夏のことだ。だから、何年も前からファンの方からしたら私などまだまだ浅いと思われても致し方ない。初めて対面したあの瞬間せり上がってきた言いようのない感情や在廊していたななちゃん本人と緊張しながら交わした会話は心の中にずっと残っている。以来、行ける場所の展示へは全て行くようにしている。初めて観るまでネットで見かけたことはあっても実際に観たことはなかった。絵や芸術は自分の身体で眼で向き合って初めて何か感じたりできると思っているので、ネットの画像をあまり注視したことがなかった。あえて見ないようにしてきた。画像だけで好き嫌いを判断したり、知っているつもり分かったつもりになるのが嫌だった。そういう存在の人は他にもいる。

トークがある日だとご本人に会えた可能性があるが、どうしても一日しか行ける日が取れなかったため、ならばできれば人の少ない環境で作品に向き合いたいと平日に行くことにした。新宿から普段滅多に乗らない小田急線に乗り込む。平日昼間の小田急線は乗客数が少なく、JRのように車内に駅名を示す液晶画面や電光表示がない上にアナウンスもよく聞こえなかったので、向ヶ丘遊園駅で降りるはずがイヤホンで音楽を聴いていたらいつの間にかずっと先の駅にいることに気づき慌てて引き返す。危うく小田原まで行ってしまうところだった。まるで遠い国で一人旅をしているようだった。こういうプロセス(というか自分がうっかりしていただけだが)を経て好きな人の作品に会いに行くのはとても気分が高揚した。

美術館の最寄駅、向ヶ丘遊園駅は都会の喧騒から離れた長閑な場所だった。駅からバスに乗り「向ヶ丘緑地」というバス停で降りた。「緑地」という名の通り、自然が豊かで空気が綺麗な場所だった。坂道をのぼり森林や公園を抜けてずっと奥へ進んで行く。歩いても歩いても看板は現れず本来の目的を一瞬忘れどこか遠くにハイキングに来たような心地になった。ようやく美術館の看板が見えてほっとするも入口を探して右往左往。入口が分かりにくい美術館ってそれだけでわくわくする。外では桜が綺麗に咲いていた。太郎の作品と思わしき造形物があった。入館してチケットを購入すると受付で最初に岡本太郎作品が並ぶ常設展を見るよう促されたため言われた通りに進む。

誰もが知る「太陽の塔」や、街で壁画や立体作品を見たことはあっても岡本太郎の原画をちゃんと見たのはこの日が初めてだった。赤と黒の配色が印象的な、それが何なのか容易に判断できないモチーフをじっと見つめているとその力強いエネルギーに引き込まれていくかのように血液が体内を駆け巡り体温が上昇する感覚をおぼえた。しかし同時に、背筋がぞくっとするような冷ややかなものが目の前を通り過ぎることにも気づいた。孤独のような何か。安易にこうと言えないが、一つの作品の中に陰と陽が含まれている気がした。

展示途中に岡本太郎が絵を描く様子を撮影したカラー映像が流れていて、しばらく立ち止まって食い入るように観てしまった。映像の中で、太郎は鉛筆(多分)で下書きをした巨大なキャンパスに大きな筆で脇にある机のパレットから絵の具をつけて一塗りし、一端後ろに下がってじっと全体を見て再び近づき一塗りするという動きを繰り返していた。その眼差しは自分の作品を真っ直ぐに捉えて離さない眼差しだった。勢いに任せて豪快に描いているイメージを勝手に抱いていたので意外だった。筆がキャンバスを走る時のさーさーという摩擦音以外に音はなかった。後の展示解説で、太郎は晩年、積極的に公開制作するなどして外の世界と対峙していたと知り、岡本太郎という自己を芸術に昇華させようとしていたのかなと得たばかりの浅い知識で考えた。

他には妻(事実上は養女)の敏子による、太郎関連の新聞雑誌記事のスクラップブックや太郎のためにテーマごとに集められた資料が興味深かった。今のようにネットが当たり前でない時代、必要な情報は手作業で地道に集める必要があったのだろう。特に太郎が関心を持っていたらしいメキシコの資料が多かった。そう言われてみると岡本太郎の作品にはメキシコ文化の影響が反映されているように今更ながら感じた。太郎自身がメキシコへ行った際に撮影した写真も展示されていた。メキシコの祭壇や街の写真。私はメキシコに詳しくないが、メキシコの宗教的なモチーフや祭壇には個人的な関心があり、いつか訪れてみたい国のひとつである。

順路の最後の方に大きな壁画の原画が飾ってあった。『明日の神話』だ。渋谷駅にあるあの有名な壁画。展示説明を読むと、「太郎がメキシコのホテルに依頼され、ロビーに飾る壁画を1968~69年頃制作したがホテルは完成後、経営悪化で廃業となり太郎の壁画も行方不明となった。太郎が亡くなった後も敏子は壁画を探し続け、2003年にメキシコの資材置き場(なんと!)で発見した。それが修復されようやく日の目を浴びた。」というようなことが書かれていた。そんな背景があったとは知らなかった。実際に太郎と敏子が建設中のホテルにいる写真も展示されていた。渋谷駅の壁画は大きすぎて全体に意識を行き渡らせるのが難しいが、その何分の一かサイズの視野に収まる原画を改めて眺めると隅々から迫り来るものがあった。壁画の真ん中に骸骨のようなモチーフが描かれ、無数の何かが爆発するように外向きに広がっている。燃えているようにも見える。骸骨の周りには炎のような赤い線や煙のような何かが渦巻いている。その下には人間のような群衆や断定できないモチーフが描かれている。と言葉で説明しても何の面白味もないのでこれ以上は辞めておく。後からWikipediaで調べてみたら「第五福竜丸被爆した水爆」をモチーフにした作品だと知った。関連書籍があれば読んでみたいが、それよりも壁画をもう一度見てみたい。美術館再訪が難しくても渋谷駅へ行きたい。

それにしても、この壁画が辿った運命よ。敏子がいなければ誰にも見つからないまま異国の資材置き場で朽ち果てて幻になっていただろう。太郎が死後この壁画が発見されることを望んでいたかどうかは知らないが、敏子が2003年に見つけ出したからこそ我々は今パブリックアートとして渋谷駅に掲げられたこの壁画をいつでも好きな時に見ることができる。その敏子の、絶対に壁画を見つけ出して世界の人に見てもらおうとした執念、太郎への愛を想うと気が遠くなった。額装され美術館で展示されて初めて芸術と呼ばれるのではなく、この壁画のような運命を迎える作品ももちろんある。作者以外の誰にも知られず、日の目を浴びないまま捨てられたり、なかったことにされた作品はこれまでたくさん存在したに違いない。ヘンリー・ダーガーの作品も死の直前に大家が見つけていなければ永久に知られることなく燃やされて消滅していたかもしれない。「はいこれは作品ですよ」と提示されないばかりか、存在すら知られない作品とは。芸術の根本的な意味について考えさせられた。

そんな思考で頭がぐるぐる回転した状態のまま常設展を出て、さいあくななちゃんの作品を観るために岡本太郎現代芸術賞展の展示スペースへ入った。さいあくななちゃんの作品は入り口から遠い場所にあったので、先に他の受賞者の作品が目に入った。さいあくななちゃんの作品が目的ではあったが、探して最初に見たいというよりは自然に邂逅したいという気持ちがあり、見る順は特に意識せず流れに身を任せた。受賞者それぞれの作品は部屋のように囲われていて展示されているものもあれば直接床に展示され境界が曖昧なものもあった。どの作品も観る者に強く何かを訴えかけようとしている感じがして、込められたコンセプトが分かり易く伝わってくる作品もあった。岡本太郎作品を観て、作品に込められた意味だけを追求することが必ずしも正しいとは限らないという意識になっていた私としては正直戸惑ってしまった。印象的だったのは岡本敏子賞を受賞した弓指寛治さんの《Oの慰霊》という作品で、「自殺」というはっきりとしたテーマが示されていたが、床と壁をびっしり覆い尽くす鳥のようなモチーフが描かれた無数の木片に圧倒された。木の匂いが漂っていた。伐採された木材の匂いであり生物(森林)の匂いではないな、すなわち死…など色々考えてしまった。作品から匂いを強く感じたことは初めてだった。こういう感覚は実際展示の前に行かなければ絶対に分からないものだろう。

さいあくななちゃんの作品はどこだろうと彷徨っていたら唐突にピンク色が目に飛び込んで来た。上野の東京都美術館でピンクの額縁で囲われて展示されていた大きな作品、『Rock’n Roll Forever!』の女の子と目が合った。再会。「あっいた」これが最初の気持ち。それから四方の壁と床の隅々、展示スペースいっぱいに貼られたり置かれたりしているさいあくななちゃんの作品が目に飛び込んで来た。今まで見たさいあくななちゃんのどの展示よりも大きく、圧倒的な光景だった。近づくこともせずしばらくその場に立ち尽くしたまま全体を見渡した。ぐっと涙が込み上げてきた。平日でお客さんが少なかったため、運よく私一人で作品と対面することができた。流れている時間や空気が一瞬止まり、作品と自分の身体だけが無重力空間にぽんと投げ出されたような感覚になった。大森靖子さんのライブへ行った時もこの感覚になる。それから痺れていた手が元に戻っていく時のようにじわじわと感覚が蘇ってきて、力強くて格好良くて、あぁこれがさいあくななちゃんだ!と感じた。

私は映像で絵を描いていた岡本太郎のように下がったり近づいたりを繰り返しながら、作品一つ一つを注意深く観察した。それぞれのドローイングの女の子と目が合った。さいあくななちゃんの描く女の子の瞳が私はとても好きだ。海のような宇宙のような光の結晶のような。たくさんのものが瞳から溢れていて、言葉では説明できない。怒っていたり悲しそうに見えたり、何を考えているか判断できない時もある。何時間でも眺めていられる。その一人一人の瞳と対話するように視線をゆっくりとずらしていった。

壁の一番上に私が初めて見た日に一目惚れした緑色の髪をして赤いリボンをつけた女の子がいるのを見つけた。「あぁまた会えたね」と心の中で呼びかけてその女の子と無言で見つめ合った。さいあくななちゃんの作品はピンク色が印象的だが、私は緑色が遣われている作品も好きだ。ここで突然過去の個人的な話になるが、幼稚園の時、画用紙に緑色の髪をした女の子を描いたら「そんなの人の髪の色じゃない、黒か茶色にしなさい」と先生に叱られた。それが腹立たしく帰って母親に訴えたら「そんな先生は無視しなさい、別に何色でもいいの」とフォローされた。それでも納得がいかず未だに根に持っている。根に持ちすぎてこの時の怒りが今の私の性格を形成してしまっている。という背景があるので昨年初めて行ったさいあくななちゃんの展示で赤いリボンをつけた緑色の髪の女の子が床にいるのを見つけた時、「あなたまだ怒ってるでしょ、でも大丈夫だよ」とあの時否定された女の子や悔しかった幼少期の自分に再会した気持ちになった。嬉しかった。その時、ななちゃんは「緑を遣うのも好き」と言われていた。昨年私はさいあくななちゃんの作品を一枚購入させていただいたが、その作品の女の子も緑色の髪をしている。絵を買うという行為自体生まれて初めてでドキドキした。値段がついていなかったが直観で買いたいなと思ったためご本人にその場で値付けしていただいた。絵は額に入れて直射日光の当たらない、好きなものしか置いていない部屋の壁に飾っている。

ドローイングはキャンバスだけでなく画用紙や紙袋など様々なものに描かれており、絵の具・鉛筆・クレヨンなど画材も限定せずに用いられている。彩色されたラジカセやギターや造形物も置かれている。よく見ると、さいあくななちゃんのこれまでの個展のチラシやななちゃんがアートワークを手がけた「Su凸ko D凹koi」のアルバム(確かタワレコのシールがついたまま置かれていてそれがいいなと思った。別の場所に原画もあった)も混ざっていた。ラジカセからはオリジナル曲が小さなボリュームで流れていた(昨年、町田で開催されたワークショップに参加した際、参加者が飾り付けしたピンクのギターでななちゃんがこの曲を歌ってくれた。ワークショップは言語化できないくらい素晴らしい思い出)。額装された絵だけが芸術じゃないんだよと言われているように感じ、岡本太郎の『明日の神話』を観て考えたことを再び思い出した。これだ。さいあくななちゃんは定義されない。これこそ芸術だ。岡本太郎の作品をみて命題のように頭の中で絡まっていたものがすっと解けるように腑に落ちた。

東京都美術館で観た『Rock’n Roll Forever!』は真っ白な広い空間で隣の作家と距離を置くように展示されていて、それはそれで美しさが際立ってとても格好良かったが、今回のようにたくさんのドローイング作品に囲まれた真ん中で守護神のように存在するのもいいなと感じた。同じ作品でも展示の仕方によって感じ方や印象が変わってくるのが面白い。

さいあくななちゃんは常に作品を受け取る側に立っている。立っているというのは、つまり、他の受賞者の作品の多くは「これはこういう意図で作ったものだからこう感じてほしい」と一方的に主張していた印象(あくまで個人の印象なのでそうとは限らない)だったが、さいあくななちゃんの作品は本人が「作ることに理由とかコンセプトとかどうでもいいです。」とパンフレットで言われているように、作品に込められた意味を考えること、どこに注目するか、どういう見方をするか、それ自体をこちらに託してくれているように感じた。だからさいあくななちゃんの作品とはいつも対話ができる。ななちゃんが絵を描く時の感情を想像したり自分の感情に重ねることができる。

とはいえ、無数の作品はいい加減に配置されているのではない。さいあくななちゃんの絵がそうであるように、展示全体で一つの作品となるよう一見無造作に展示されているようで全体として美しい均衡を保っているようにも感じた。またこれは断定できないし、はっきり分かれていた訳でもないが、過去の作品が壁の上の方や隅(鑑賞者の目線から遠いところ)に、最近の作品が目線の近くに展示されているようにも感じた。無秩序のようで秩序がある。対極するのものが緩やかに混ざり合う感覚がとても心地良かった。この辺りは文字で説明するのが難しいので実際に眼で観るのが一番良い。

何を以て芸術を芸術と呼ぶのか私は未だに理解できていないし、生み出す側に立っていない私が語る資格もないが、少なくともこれが芸術ですよと世の中で提示されるものの多くは違っているような気がする。有名な場所に並べられているとか、美術界で評価されているとかそういうことではなく、作り手がどれくらい本気で取り組んでいるか、意味やコンセプトではなく「生きること」それ自体が作品の内側から感じられるか、のような気がする。また、「継続すること」の意味にも最近気づいた。さいあくななちゃんは「毎日絵を描き続けている」とインタビューやブログなどで度々発言されていて、膨大な作品数を見ればそれは明らかだ。現在進行形で新しい作品が生み出されている。作者と一緒に生きて呼吸しているからこそ芸術。これは絵画だけでなく音楽や映画や小説、あらゆる作品に言えることかもしれないし、私が好きなものに共通している。だから私はそれらの生きている芸術をネットや他者の目線を通してではなく、出来る限り生身の身体を預けて自分の五感でみたいと思っている。それが私自身も生きることに繋がる。

自分が好きな人が世間で評価されないことはただ自分が好きでいる上では何の問題にもならないが、ヘンリー・ダーガーやその他誰にも知られずにこの世界から消えてしまった作家達を想うと悲しくて悔しい気持ちになる。売れなくても好きだけど売れてほしいなんて自分勝手な矛盾だが、さいあくななちゃんが「絵で食べていきたい」と考えられている限りファンとしては売れてほしい。だからこそ今回の岡本太郎賞受賞はとても嬉しかった。何に対するか分からないが勝ったという気持ちになった。それはさいあくななちゃんがというより、私の絵を批判した幼稚園の先生やこれまでの人生で私を否定してきた誰かや何かかもしれない。でも受賞したのはななちゃんで、正確には私はまだ何にも勝っていない。でもこれから勝つために背中を押された気がした。好きな人、応援している人が受賞するいうことはそういうことなのか。今後、さいあくななちゃんはもっと評価されるかもしれない。だが誰がどんな評価や批評をしようと自分自身が作品を観て感じることや初めて対面した時にせり上がって来た感情は掻き消されないよう大切にしたいと思っているし、それはご本人が一番分かってくれているような気がする。

岡本太郎とさいあくななちゃんの芸術に対する姿勢はきっと似ている、そう強く感じながら売店で『明日の神話』のポストカードとさいあくななちゃんの自主制作CDを購入して美術館を後にした。さいあくななちゃん、受賞おめでとうございます。

 

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追記:

公募ガイド』2018年5月号に掲載されているさいあくななちゃんのインタビューがとてもよかった。

縷縷夢兎個展『YOURS』に行って感じたこと

某日、東佳苗さんがデザイナーをつとめる縷縷夢兎の3回目となる個展『YOURS』に行った。大森靖子さんの衣装やMVで縷縷夢兎のことを初めて知った。縷縷夢兎の衣装の、オートクチュールならではの五感に迫ってくる重みは生で観た時が一番強いと大森さんのライブを観て感じていたし、もっと近付いて見てみたかった。展示に行くのは今回が初めてだった。何となく今まで行けなかった。

突然だがここでツイッターの話をしたい。これまで何かの展示に行く際、SNSを意識することはそうなかったのだが、今回は違った。展示が始まってから縷縷夢兎のデザイナーである東佳苗さんは今回の展示に行った人の感想や行っていないが展示や縷縷夢兎に言及したツイートを(おそらくエゴサした上で)リツイートして自ら拡散されていた。私がうっかり「佳苗さん」という名前を入れて展示に全く関係ないツイートをした時、佳苗さんは「いいね」をしてくださったので「縷縷夢兎」というキーワードのみならず名前でもエゴサしていることを知り驚いた(絶対とは言い切れないが)。わざと縷縷夢兎というワードを避けて言及しているようなツイートもTL上でちらほら見かけた。

リツイートで流れてくる感想や発言は多種多様で、中には偏見的なものもあったが、佳苗さんはそれも含めて受け止めようとしているように感じた。佳苗さんがこれまで何度か言及されている「インスタ映え」風に撮られた写真、「インスタ映え」写真目的の来場者に対して理解できないと言う意見、そもそも展示に行けないという嘆き、縷縷夢兎とは何かという持論、色々な言葉がツイッターという特有の世界に溢れていた。どんな展示であれ、私は事前に写真や感想で知り過ぎたくないので、最初、展示の写真や感想はできるだけスルーするようにしていた。でも佳苗さんが拡散し続けるその意味は何だろう、それ自体が興味深いと思い、毎日TLに増え続けるリツートに対し、完全に目は瞑らないで薄目を開けて読んだ。そして佳苗さん自身のツイートはしっかり読むようにした。

 

佳苗さん本人や他の方がそう指摘されていた通り(佳苗さんのツイートを引用したかったがリツイートが多すぎて遡れなかった)、SNSであるツイッター上で放たれた様々な意思はヒップホップのラップ対決のようにぶつかり合っていた。でも正確にはぶつかっていない。ツイッターの海で自由に泳いでいるだけで顔と顔を突き合わせて喧嘩している訳ではないし、ほとんどがリプライですらない。現実では無言&冷戦状態を保ち、SNSの中に入った途端見えない敵、誰というわけではない誰かに向けてラップをまくし立てる感じ。私は都築郷一の『夜露死苦現代詩』に近いものを感じた。『夜露死苦現代詩』で紹介されている言葉は作品として世に発表されたわけではないが痛いほど強烈な個性や主張に満ちている。本人が作品だと意識していない「詩」を都築氏が取材して拾い上げたからこそ私は目にすることができた。その産院でなく路端で生まれたような言葉の、誰にも向けられていないがいつか拾われる日を待っていたような強すぎる声。今回の佳苗さんの一連のリツートによる拡散は都築さんの取材に似ている気がした。ツイッターが路上かもしれない。

少数部族の民族衣装やアジアの極彩色の乗り物、もっと言うとデコトラや暴走族の刺繍入りスカジャン、高校生の制服カスタムのような、表に出ても薄まらない人間の強い何か、「魂」と呼ぶとしたらそのようなものが縷縷夢兎の衣装やその他の作品に宿っていると個人的に感じていて、そこが好きだ。魂が色濃く露出しているものは見た目には鮮やかで「インスタ映え」するのかもしれない。それ自体はおかしいことではない。例えばアジアに旅行して色鮮やかな装飾で飾り付けられた派手な乗り物を見かけたら私は「かわいい」と思わず撮ってしまうだろう。それをSNSに上げるかどうかは別として。ただ、仮にある作品や物事に対して「雰囲気がいい」「かわいい」「おしゃれな」写真を撮ってSNSで共有することに満足する人がいるとして、そうされることに対して佳苗さんがどう考えているか分からないが、縷縷夢兎が好きな人の中には良く思わない人もいて、だからあんな風にエアラップ対決のような形になったのだと思う。私は展示を見てどんな気持ちになるのか、「かわいい」のその先まで自分のフィルタで見ようとできるのか。そもそも見ようとする姿勢は正しいのか。今回の展示で初めて「no muse」を掲げた佳苗さんは我々に何を求めているのか。

などと、悶々としながら展示会場に向かった。個人的な想い入れがあったので縷縷夢兎と大森靖子さんと伊勢丹のコラボトートを持って行ったが同コラボのキャップは被るのを辞めた。また家を出る時に着けていた派手なピンクのイヤリングも途中で外した。会場内で目立つこと、「見られること」が怖かった。トートも会場に着くとなんとなく絵柄を隠すように持った。会場入口から中を覗くと、想像以上に大勢の女の子が広くはない空間の中でひしめきあっているのが見えた。平日の昼間だしそんなに多くの人はいないだろうという自分の読みは甘かった。気を取り直して入場すると佳苗さんがいらっしゃるのが見えた。展示概要(ステートメント)が2箇所に貼ってありますとスタッフの方に言われたので、まず白い紙に印刷されたステートメントを注意深く読んだ。会場に溢れる縷縷夢兎の色合いと違って、装飾がなく報告書のような普通のフォントで印字された簡素な紙が一枚、壁にマスキングテープで貼られていた。その代わり、書かれている内容が強くて本気だった。ああやっぱり私は佳苗さんが好きだと思った。書いてあることが全て理解できず、後でもう一度読みたいと思ったので急いでスマホを出してステートメントを撮影した。

会場内はステートメントに書いてあったとおり、部屋のような展示と、映像・写真・ヴィンテージのドレスが掛かっている展示があり、それぞれの境界は線引きされているようで曖昧に混ざり合っていた。部屋のような展示では綺麗な色の洋服やぬいぐるみや下着や本やDVDや食べ物やゴミが床を埋め尽くしたり、洗濯物ハンガーにぶら下がっていた。それらは無造作である一方でミリ単位で計算されている気もした。展示をみた友人が「ここにゴミが置いてあっても実際のゴミとは違うよね」と面白いことを言っていたがそれはその通りで、異物のように混ざっているゴミや煙草の吸い殻は汚いというよりむしろ洗練されている感じがした。縷縷夢兎のゴミ、縷縷夢兎の吸い殻。開封済のコンドームの袋があってその開き方だけがやけにリアルだなと思ったがその微笑ましい理由を佳苗さんがお客さんに話しているのがたまたま聞こえて納得した(誤解を招いてはいけないので記しておくと佳苗さんが私用されたのではない)。では異臭を放つ本物のゴミを会場に撒けばいいのかと言うとそれはまた違う気もする。美しいものと対極のものをただ同時に存在させればアートが完成するわけではない。

佳苗さんのコレクションと思われるたくさんのヴィンテージドレスや洋服が掛かっているコーナーは素敵だなとうっとりしたし、これらは自分が纏いたくて纏えなかった服だなとしみじみ感じた。繊細なレース、フリル、透けるオーガンジー、リボン、ピンク。小さい頃、キラキラしたピンク色の服が好きだったが親の方針で着せてもらえなかった。それで自分は「かわいい」物に相応しくないから着せてもらえないのだと解釈して拗らせてしまった。大人になって自由に着れるようになっても一定距離を置き遠ざけた。同じクラスにいる気になるけど絶対話しかけられない可愛い子みたいな。関連の本を集めたり、古着屋やお店で触れて眺めるのは好きだし買うこともあるが纏うことはない。だからあぁ綺麗だなと子どものように思った。ほら好きだったでしょ何も考えずに好きでいいよと語りかけてもらえたようで心がすぅーっとした。

最後にLADYBABY(や他のアーティストも含?)が着用した衣装が並ぶコーナーを見た。衣装をこんなに近くで見るのは初めてだった。縷縷夢兎の衣装が大森靖子さんのkitixxxgaiaツアーファイナルでロビーに展示されているのを見たが、その時は人が多くて今回ほど近寄れなかった。目と鼻の先で見ると、色々な素材で編まれたものが何重にも重なったり繋げられていて、一つのパーツに見えるものも注意深く見ると手で編まれていて驚いた。手編みのものと既成のパーツが合わさっている部分もあった。これらは佳苗さんが「muse」と呼ぶたった一人に向けて作られているから、着用後の形跡や生々しさも感じた。私は裁縫技術が小学校低学年レベルで、編み物においては小3の時に手芸クラブでおぞましいマフラー(と呼ぶならばそうだが羊毛の塊でしかないもの)を作って以来やっていないので、裁縫作品を見るとそこに込められた意味を考えるよりも前にただその技術に圧倒されてしまう。人間にこんなことができるのかと。裁縫よりももっとできない楽器についても似た気持ちを持つ。とにかく「すごいな」と感じる。佳苗さんの作品は一体どう作るのか分からないというものばかりだったが、ずっと眺めていると絵画のようにも思えてきて突然親近感が湧いた。絵は上手くはないが好きなので、編み目や縫い目を絵の線だと考えると筆跡のようにも見えた。そして、だんだんと編まれた糸や布が内臓のようにも見えてきた。特に襞状のものが繰り返されている部分は小学校時に教科書で見た小腸の写真を連想した。今回展示されていなかったが、大森靖子さんの『流星ヘブン』のMVで佳苗さんは「臓物」と呼ぶものを作られ、大森さんはMVでそれを引きずって歩いていた。「臓物」は綺麗な色で可愛いのにぞっとするような生々しさやグロテスクさが感じられる。佳苗さんの作品には「かわいい」のベールの下に正体不明のおぞましいもの、「かわいい」と対極していそうで実は繋がっているものがあからさまではなく密かに存在する気がするが、刺青のように刻まれていてどんな洗剤でも全然薄まらない。それが「魂」なのかもしれない。あー、また考えてしまった。佳苗さんはこんな風に考えることを望んでいるだろうか。

会場出入口付近に佳苗さんの私物が売られているフリマのような一角があった。洋服やバッグを中心に雑貨や布やボタンもあった。ほとんど公園のフリマのような安い価格がつけられていた(10円~)。私物なので当たり前だが、展示されている私物よりもっと佳苗さんの生活や日常に近い気がした。フリマは展示ではないがこの空間の中で一番現実味が強いと感じ、嬉しくなった私は自分が着れない外国製の幼児用ワンピースやセーラームーンの布や毛糸など5点ほど購入した。佳苗さんの私物が買えるすごい催しだと私は興奮したが人が殺到して取り合いになるような感じではなかった。買った時は嬉しかったのだけど、家に持ち帰るとおじさんが女性の下着を盗んできたような、急に悪いことをしたような申し訳ない気持ちになって、ワンピースはお気に入りの子供服用ハンガーにかけてクローゼットの一番奥に隠した。

佳苗さんの「話しかけてほしい」というツイートを見ていたのもあり、機会があれば話しかけてみたいと展示に行く前から思っていた。それは話すのが苦手な私にとって相当勇気のいることだし、うまく話せるか分からなかったけど展示を観て思ったことや衣装を見て感じていたことを自分の口で直接伝えてみたかった。展示を見る中で、縷縷夢兎以上に私は佳苗さん本人が好きなのかもしれないという気持ちにもなっていた。意気込みはあったが、他の女の子が佳苗さんと絶え間なく話しており、そういう機会は訪れそうになかった。佳苗さんは女の子達と積極的に話していて、高校生の女の子が身に付けていた流行りのアクセサリーについて、雑誌にも載っているかどうやって作るのか興味津々に質問されていた。佳苗さんが一人になるのを待っている間、中央に置かれた作品集(欲しかった「muse」は売り切れだった)や書籍を見ていたら、急に展示に向いていた集中力が途切れ、周囲が気になるようになった。

私は女性、特に若い女性がたくさん集まっている場所に行くと動悸がしてその場にいられなくなる。女子高、女子大、女性専用車両、ルミネなどのファッションビル、バレンタインデーのチョコレート売り場、化粧品売り場、女性下着専門店…。できる限り避けて生きてきた。自分は性別上「女性」として分類される外見を持って生まれたが、内面で「男性性」が強く占めていた。幼少期に封じられたことで「かわいい」ものへの憧れは人一倍強かったし、自分が男性だと思っているわけではないからトランスジェンダーとも少し違う(のかな、よく分からない)。人生でお付き合いをした相手は男性だが「女」として見られると途端に苦しくなった。言葉で説明するのが難しいが、「男性」「女性」という性意識そのもの、意識してしまうような場面が苦手なのかもしれない。大学の時、信頼しているゼミの教授に「君は本当は60代の男性だよね」と真顔で言われて一番しっくりきた。歳を取ると性別の区別が曖昧になると言われているから。

会場に男性は一人も見当たらず(いたと思ったら機材スタッフですぐいなくなった)、その空間にいる全員が女性でおそらく私より若かった。集中力が切れた途端、整えられた髪と白い肌の女の子達から発せられる女性特有の匂い、声、スマホのシャッター音、自撮する姿が洪水のように流れ込んできて無視できなくなった。「インスタ映え」についてどれだけ議論されても、SNSでエアラップ大会が開催されても、実際会場では多くの女の子達がそれらを忘れたかのように展示物や自撮を何枚も撮影していた。展示物と一緒に撮影したり、佳苗さんにツーショットを求めている子もたくさんいた。いや忘れてない。きっと知らないふりをしているだけ。「どう見られるかもちろん知っている」「自分が可愛いことをちゃんと自覚した」上で意識的に動いている彼女達に畏怖の念を感じ居たたまれなくなった。結局、佳苗さんと接触する前に限界に達して会場を出て深呼吸した。私が撮った写真は展示概要の一枚だけだった。

今回の展示タイトルが「YOURS」だということを考えても、そこにいた来場者(もちろん自分も)や来場者の行動や放つ空気も含めて展示だったのかもしれない。美しい女の子達の中で私は異物だったけれど展示物として置かれていたゴミや吸い殻のようになることもできなかった。うまく混ざれなかった。展示に集中していた時には全く思わなかったが、周囲が気になりだした途端、呼ばれていない誕生日会に間違って来てしまったような気持ちになった。どこかに行ってこんな感情になったことはこれまでなかったので、縷縷夢兎を取り巻く世界の深淵を見てしまい一層好きになった。確かにそこには私がいつか持っていて手放した夢もあった。縷縷夢兎はブランドではなく私や誰かが諦めた夢を手作業で復元する運動なのかもしれない。

 

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と、ここまで書いて何だかぺらぺらした感想だなと思ったが、まだ縷縷夢兎を理解するに至らない己の経験不足と文章能力の低さのせいということで、恥ずかしながらそのままにしておく。

チャンキー前田

チャンキーヒールという単語を初めて知った途端、「チャンキー前田」という架空の人物が頭の中に出現した。
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チャンキー前田は腹話術人形のふくちゃんと暮らしていて性格は比較的明るいが友達はいない。好物は草餅。海外でイルカと泳ぐことが夢。
 
チャンキー前田は小3の時に受けた交通安全教室の腹話術に衝撃を受けたのをきっかけに腹話術師を志す。ただそれだけでは生計が立てられないので書店でアルバイトをしている。休憩中に旅行雑誌を眺めていたら店長に鼻で笑われて以来店長に積極的に夢の話をするのを辞めた。先週店長主催の飲み会があったがカメの餌やりで忙しいという理由で断った。カメは飼っていない。彼の好きな芸人「味噌漬☆パラダイス」の深夜ラジオを愛聴しているが投稿は一度も採用されたことがない。ラジオネームは「草もち男」。
 
店長に理不尽なことで怒られた日の夜、愚痴を漏らすとふくちゃんは「まあそんな日もあるよね」と明るく慰めてくれた。チャンキー前田はアパートのベランダからふくちゃんと二人で雲に半分隠れた月を眺め、Amazonプライムで発注した好きな漫画の新刊の不在票を握りしめて泣いた。「ふくちゃん、明日からもがんばろうね」「うん君は天才!えらい!あははははは」
 
明日は早番。マキちゃんがいる日。江の島水族館のお土産を渡すんだ。

生きる宣言

昔から走れず泳げず歌えず、人前に出ればうまく話せず思い切って言葉を捻り出せば意味不明だと狂人扱いされ、唯一絵を描くのが好きだったけど高校で基礎デッサンが全然できなくて美術の先生にいつも叱られて美大断念。それきりほとんど描かなくなってしまった。何においても人より優れたものがなく、とりあえず勉強だけは真面目にしていたのだけど別段好きでもないしテストで良い点取ることや内申点を上げることが一体何の役に立つのか分からないと気づくや一気にやる気を失い大学受験戦争から見事に脱落した。悲しいことに、自信を持ってこれだけは誰にも負けませんと言えるものがどこを探しても一つもない。子育てにおいてはまあ胸を張れるがそれは自分の特技ではなく状況だと思っている。お遊戯会で主役に抜擢され、何でも器用にこなしていた(いるように見えた)きょうだいをいつも横目に放課後、学校の裏にある、怪しいと噂されるおっさんが実家の一階で一人でやってる薄暗い絵画教室に直行し絵を描くことだけが楽しみだった。部屋の中に先生の描いた絵が数枚飾ってあったがどれも雲の浮かんでいる空の絵だった。全部同じに見えた。先生の影響か子どもにしては無意識のうちにパレットの上で暗い色を作って塗りがちになり「夜中に床に横たわる人形」とかよく分からない絵ばかり描いていた。絵画教室で友達は一人もできなかったし、先生ともほとんど口を利くことがなかったけれど、先生は時々絵を褒めてくれた。何度か部屋の奥に年老いた女の姿を見かけた。いたと思ったら消えて幻のようで怖かったけれどおそらく先生の母親だったのだと思う。絵画教室へは5歳から12歳まで週に一度通ったが、一度だけ、確か高学年の時、先生が後ろから近づき長い髪と首筋を後ろから撫でるように触れ「汚れるからくくっておこうね」と長い髪を輪ゴムで縛られた。その時のぞくっとした感覚と髪が輪ゴムに巻き込まれて痛かったこと、鼻孔に染みついた油絵具の匂いを今でも鮮明に覚えている。抵抗せずただ前を向いて黙っていた。親は私が暗い絵ばかり持ち帰るので別の絵画教室に行かせるべきだったと言った。先日また一つ歳を取った。悲しい。「誕生日を迎えると死に近づくから小さい頃から全く嬉しくなかった」とある小説家は言っていた。まさにそうだと共感した。数年前まではできませんとへらへら笑って許されることもあったが歳を重ねていくうちに笑っているだけで済まされないぞという思いが強くなるばかりで己の行く末を思うと恐ろしい、などという文を書いてもこの通りの稚拙さで、毎日食べて寝て排泄して呼吸するのを繰り返しているだけの醜い中年女と化している。何かしなければと思うけれど何もできないでいる。あーと声を出しているうちにそのまま死んでいくのかもしれない。そう考えていた矢先、同じ人が好きな方がお亡くなりになったと知った。面識はないが今までにないくらい自分に置き換えて考えた。その方が想像を遥かに超えて、「行動していた」「生きていた」様子を泣きながら聞いた。自分は今、惰性だけで生きているような気がしてやはり何かしなければ動かなければと親が毎年黙って送ってくれるケーキを早朝暗い台所に立って一人貪りながら決意した。生きる宣言。

『勝手にふるえてろ』をみて勝手にふるえて感じたこと

年末から観たいと思っていた映画『勝手にふるえてろ』を正月明けにようやく鑑賞することができた。都心で平日朝イチの上映だったが思ったより人が入っていた。内容的に若い人が多いかと思いきや白髪の男性もいて幅広い年齢の客層だった。ネタバレもあり得るのでこれから観る方で何も知りたくないという方はどうか読まないでいただきたい。

勝手にふるえてろ』は綿矢りさの同名小説を大九明子監督が映画化した作品。綿矢りさの小説は全部読んだわけではないが、人が人に関わる時のどうしようもなさが少し距離を置いた目線から描かれているのが好きだ。ウィキペディアによると、『勝手にふるえてろ』の初掲載は『文藝界』2010年8月号なので、この度十年近くの時を経て映画化されたということになる。大九監督が脚本を書くにあたり綿矢さんは特に細かい指示をされなかったそうなので確かに原作と映画で異なる点も見受けられる。ただ、原作のある映画がそれを忠実に再現すれば良い作品になるとは言い難く、原作は原作、映画は映画としてそれぞれ評価されるべきだと思っている。なので原作との違いがどうこうとあまり言いたくないが、一つだけ挙げると、絶え間ない一人語りで読者を少し突き放しているように感じた主人公ヨシカが実際に服を着て言葉を発しスクリーン上で生きて動いている姿は愛おしく、原作にはなかった親近感を覚えた。それはイチや二など他の登場人物にも言えるかもしれない。また、原作のぱーっと物語が展開していく疾走感(他の綿谷作品と比べて読み易く感じた)は映画でも踏襲されていた。一つだけと言っておきながらもう一つ上げると、原作で主人公は池袋に勤務しており、池袋のアニメイトなど具体的な場所が登場するのだが、映画では舞台は都内だと思うがどこかは不明で池袋という印象は全く感じられなかった。全国の観客が受け入れ易いように、あるいは現実感を薄めるためにこの設定を外したのかもしれないが、個人的には池袋の乙女ロードとかアニメイトが出てきて欲しかったなぁという気持ち。

あらすじは下記公式サイトのとおり。
http://furuetero-movie.com/intro_story/

簡潔に言うと24歳のOLヨシカがイチと二、二人の男の間で悶々とするというストーリー。と書くとなんだ、ありきたりな恋愛コメディかと思われるかもしれないがそう単純なものではないので、気になる方はとりあえず作品を観るか原作を読んで欲しい。ヨシカはイチに中学時代から片想いしていたがほとんど接触したことがなく、二は同じ会社の営業マンでヨシカに一方的に好意を抱いている。もうこの設定だけで、ああああぁぁぁっとなる(もちろん、ならない人もいると思うが)。

恋愛とは難しいもので、好きになった人が自分を好きになるとは限らない。また好きな人に会わないでいるうちに「好きな人」は実像から遠ざかり妄想や理想で肉付けされた別人となっていく。少ない接触経験や会話を雛のように温めて大事に育てあれやこれや時に自分の都合の良いように記憶を改竄というか捏造して色付けする。いつでも脳内に「召喚」して愛でることができる。できるけれど保温し続けたご飯が美味しくなくなるように、脳内での保温期間を経て再会した相手が「好きな人」と一致しないということが当然起こり得る。このような経験がある人とない人、なくても共感できる人と全くできない人でこの映画への見方は大きく変わる気がする。

私はどちらかと言うと、好きな人と結ばれた経験がほとんどなくあっても悲しい結末を迎えているので序盤からヨシカに心を重ねて観てしまっていた。ヨシカの得意とする、好きな相手を直視しないで視界の隅に捉える「視野見」は私も小学生くらいからやっていた。小学校の時、クラスでほとんど話したこともないのに好きだったRくん(仮)のことを今でも思い出す。Rくんは学年が終わる時、遠くの街へ転校した。最後の日にクラス一人ずつRくんに手紙を書いて渡しましょうと先生が企画したため、私は手紙にその想いをしたためようとした。実家の食卓で震えながら手紙を書いたのを覚えている。結局「好き」という文字を書くことができず、適当な文言の途中に「好きです」と吹き出しがついた猫のキャラクターシールを貼った。そんなことしたら余計目立つのに何故。告白らしきことをしたのは人生それが最初で最後かもしれない。笑顔で手紙を受け取ったRくんが手紙を読んだかどうか分からないがその次の年にRくんから年賀状が届いた。当たり障りのない内容だったし他の生徒にも届いた可能性が高いがRくんは手紙を読んでこれを書いたに違いないと勝手に解釈してずっとその年賀状を大事にしてきた。結局年賀状は上京後に部屋を掃除した家族に捨てられてしまったが、Rくんが友達と話していた時の顔(視野見で確認)や最後手紙を受け取る時に立っていた情景は今でもずっと忘れられない。背が高くて、小学生なのに大人のような落ち着きがあり、飄々としていて、他の男子のように暴れたりせず、何を考えているかはっきり分からないが優しい瞳をしていた(はず、彩色されている可能性もある)。今は便利な世の中になったもので、やろう思えばヨシカのように同窓会を開いたり、ネットで本人を探し当てることができる。が、私は卒業アルバムを開くことさえしない。名前はわかるが今すぐ会いたいと思わない。やったこともないフェイスブックに実名で登録して本人に辿り着くのが怖い。承認して欲しくはない。脳内にいてくれればそれでいい。その点ではヨシカは私より行動力がある。

この映画の最大の魅力は松岡茉優に尽きると個人的に思っている。松岡茉優が演技している時の表情が好きだ。美人だがやや男性的な顔立ちをされていて、一見元気で明るいのにどこか憂いある表情をされる。ヨシカを別の女優さんが演じていたらこれほど感情移入できていなかったかもしれない。松岡さんのことは朝ドラ『あまちゃん』で初めて知った。アイドルグループGMTのリーダー役でネギ(埼玉出身という設定だったから)をイメージした衣装を着ていた覚えがある。気が強くてハキハキしていて、でもなんだかウェットな部分もあって応援したくなるキャラクターだった。どうせドラマでしょうと思わせない街角で出会えそうな親しみを感じさせることのできる女優さんだなと思った。素朴といったら語弊があるが、なんというか心の根元に違和感なくすっと寄り添う感じ。だから駅で見かける「いくぜ東北」のポスターに彼女がいると妙な安心感がある。

ヨシカがとにかく可愛い。イチとの思い出を回想するヨシカ、二にイラつくヨシカ、アンモナイトを撫でるヨシカ、好きな音楽を聴きながら皿洗いをするヨシカ、目を細めるヨシカ、反復横跳びをするヨシカ、暴言を吐くヨシカ、一挙一動全部愛おしかった。彼女が動き、話すだけで「がんばってーー」とヨシカを見守る街の人になった気持ちで応援していた。私が出来なかったことがテンポよく進められていくのを眺めるのはとても気持ちのよかった。

二はイチと違って現実の人だ。願ってもないのに頻繁に出会うし(同じ会社とはいえ会い過ぎ?そこは映画なので仕方ない)、強引にライン交換してくるし、行きたくないデートに誘うしどんどんヨシカの領域に土足で踏み込んでくる。原作では主人公の一人称で語られることもあり、二はかなりイラッとする人物に感じ取れたが、映画では黒猫チェルシーのボーカル渡辺大和が演じていることで憎めないような愛らしさが加味されていた。渡辺大和の演技はみうらじゅん原作の映画『色即ぜねれいしょん』でしか観たことがないが、全力で動いたり大きい声を出すことに対する厭らしさみたいなのが全くない人だなと思っていた。それが私には余計苦しかった。どこまでも嫌味で腹立つ奴が寄って来たら構わずイチとの脳内恋愛に没頭できるが、あの笑顔、あの爽快さで来られるとうっとなる。ちょっと待って一回整理させて欲しい、となる。あと、個人的な話だが私は渡辺さんと同郷なので変にシンパシーを感じてしまう。

ヨシカはなぜイチに会う必要があったのだろうか。そもそもヨシカはイチとの脳内恋愛を終わらせる覚悟があったのか、なかったのか。原作でも映画でも、二が現れてどうしていいか分からないからイチに会うという展開になっていて現実逃避のような感じもしたけど、後で考えるとヨシカは二とこれ以上関係を続けるには現実のイチに会い脳内のイチを抹殺するべきだとどこかで思っていたのかもしれない。ディズニー映画だったら王子様が現れてヒロインを救ってくれるがそんな王子様は待っていても来ない。二は見方によっては王子様かもしれないが二にそんな能力はない。自ら切腹して守ってきた世界を終わらせないといけない。それには痛みが付きまとうし致命傷を負い兼ねない。常に頭をフル回転させるヨシカがそうなることを全く想定していなかったとは考え難い。

ヨシカは二に告白された時点で誰ともまだ付き合ったことがなかった。だから「処女性」も守られてきたことの一つである。ヨシカの中では「処女<非処女」という構図があるようで、二に対しては処女であることを頑なに隠して優位に立とうとしていたし、同僚の来留美は昼寝姿から男へのアプローチ方法まで、ヨシカがなれない女としてやや妬みを込めて描かれている。そういえば『色即ぜねれいしょん』での渡辺大知の役どころ(原作が私小説なので若い頃のみうらじゅん)も童貞(MJ風に言うとDT)だった。処女と童貞では全く違う種類のカタルシスがあるはずだと私は信じているが、主人公がわーっと走り抜けていくような疾走感は両作品とも共通している気がする。

イチと再会した後、ヨシカを覆っていた膜はどろどろに溶け、観客は初めてヨシカの生きる現実を種明かし的に知る。それはあの歌のシーンに凝縮されている。あの場面が私は映画の中で一番好きだ。突然のミュージカル調に正直戸惑ったし歌以外の表現方法もあったかもしれないが、あそこは歌でよかったなぁと思う。ディズニー映画でも感情の転換を表す際に決まって歌が挿入される。監督がそのある意味ベタな方法をあえて使ったことで、あのひりひりとした痛みや喪失感が歌い踊る主人公の微かな可笑みと混ざって輪郭を極め、ずどーんと観ている者の胸に真正面から突き刺さってくる。痛い。その大きく開いた傷口から色んなものが入り込んできて連鎖反応のように仕事への気力も失う。私だったらワンカップ一杯では済まないだろう。そしてあのラストシーンへと繋がる。

結果としてヨシカは自分で自分を守ってきたシールドを溶かしてしまう必要があったのか私には分からない。あのラストシーンをハッピーエンドあるいは希望と捉える人もいるかもしれないが、私はヨシカに置き去りにされたような寂しさを少しだけ覚えた。ここからは私の想像だが、ヨシカがこれから二と一緒に過ごしていくうちに、イチの思い出を一切合財記憶から消却して、イチと一緒に盛り上がったウィキペディアで調べた絶滅動物から興味を失ったり、届いた時あんなに喜んでいたアンモナイトが棚の上に放置され埃を被ったら悲しい。ヨシカがネット通販でしか買えない(という設定だと後で知った)ゆえにアンバランスにコーディネートされた絶妙に可愛い服装が完璧なモテコーデになってしまったら悲しい。好きなアニメや音楽のことを忘れてしまったら悲しい。「ファック!!」って言わなくなったら悲しい。などなど彼女がこれまで大事にしてきたものがなかったことにされたり、彼女を無意識のうちに可愛くしていた要素が色褪せていくことを私は一人で勝手に恐れている。この先どうなるか分からないしヨシカの性格上すぐに変わることはないだろうがつい悪い方向に考えてしまう。そのままでいてくれなんて、アイドルの少女性に拘って一生そのまま変わらないでいてくれと切望する迷惑なオタクみたいだなと自分でも思うが、ヨシカが生きにくさと引き換えにして守ってきた大切を遠ざけてもいいけど心の奥に仕舞って時々でいいから取り出したり召喚して愛でて欲しい。

思い出しただけで動悸のするような過去や歴史をミイラのように蓋付きの箱に閉じ込めておく資格が誰にだってあるはずし、本人がそうしたいなら一生抱えて生きていてもいいのでは、それと現実で起こる事象は別物なのでは、と信じている。ヨシカがこの先どうなるのかなという気持ちを抱えたまま二(役の渡辺大知)が歌うエンディング曲を聴いて余計胸がざわざわしたので、急いで映画館を出て隣にあった店に駆け込んでビールを一気飲みした。数日経ってからパンフレットやネット上にある色々な感想やレビューを読んだ。結末があれでよかったのか未だに分からないが、ヨシカよりも云年多く生きた立場としては、ヨシカと二がこれから付き合っていくなら二はヨシカが切腹して失ったものも一緒に掻き集めてそっと体内に戻しつつヨシカを愛してくれたら嬉しいなと思った。

 

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観終った直後にメモした好きなシーン

*ヨシカがイチに会いに行くときの恰好
首元にスカーフ、足元は白タイツとヒールでお洒落してるのが可愛い。この格好をした写真がパンフレットの表紙にも使われていて、後で見ると酒が入っていると思わしき北野エース(伊勢丹でなく北野エース、ここ肝心)の縦長の紙袋持ってるし、ヨシカ~がんばった~ううう~と愛おしさ爆発。個人的にヨシカの他の服装も全部好みだった。家にいる時の恰好も可愛かった。

*イチが白ニットを着ているところ
厳しいことを言い放つのに無垢な感じの白を纏っているその差がヨシカの脳内と現実のイチとのギャップのようで苦しくもいい表現だなと思った。

*二の車のキーにお守りがついているところ
こういう細かい部分まで人物設定されているのがいいなぁと思った。二、めちゃくちゃ鍵にお守り付けてそうだし。

*『あまちゃん』っぽい音楽
これは気のせいかもしれないけど一箇所そういう音が流れたところがあって、もしオマージュなら『あまちゃん』ファンとしては嬉しい。

*ヨシカが二から逃げる時に靴の踵を履き直してからダッシュするところ
松岡茉優はなぜこんなに走る演技が上手いのだろうか。惚れ惚れした。あの公園もいい。

*話しているヨシカが現在と過去で交差しているところ
こういう手法を何と呼ぶのか詳しいことは分からないが同一人物が時間を行き来しながら語り続けるのが面白いなぁと思った。

ゴミ袋のアリス

あれは小2の図工の時間だった。まだ図工の先生に教えてもらう前の学年だったからいつもの教室だった。ニシイ先生という担任の先生がいた。家庭から持ってきたゴミ袋や紙袋で班ごとにテーマを決めて衣装を作って完成したらそれぞれ発表しましょう、という授業だった。自分の班が何のテーマだったか忘れたが私は意気揚々とデパートの紙袋やその他色々でロボットの衣装を作った。今で言うガラピコみたいな。けっこういい感じのが出来たと思った。隣の班も完成したらしくその中のクラスの花形みたいな女の子が青いゴミ袋でできた「不思議の国のアリス」でアリスが着ているようなワンピースを着ていた。紙袋を解体して作ったエプロンもちゃんとついていてパフスリーブ袖で。とにかく上手で可愛かった。明るくて人気のあるその女の子は勝ち誇ったように笑っていた。周囲も先生もすごいすごいと言った。途端に自分のロボットが全く可愛くなくみすぼらしく思えてきて、着ていた紙袋の衣装を全部破り捨てた。そして机に突っ伏して泣いた。先生はどうして私が泣いているのか分からず困惑していた。こんなにすてきにできたのに、と確か言っていた。私だってアリスになりたかった。でもなれなかった。なれるのは道化のロボット。それから何十年経ってもあの時の何に対するか分からない悔しさややるせなさがずっと頭に残っている。あの子は今どうしているだろうか。ゴミ袋でできたワンピースのことを覚えているだろうか。