(続)海の音

雑念のメモ

どら焼き食べたい

出先から戻る途中ふらふら歩いていたら案内板に町内会のリクリエーションを知らせる張り紙がしてあった。ホテルでブュッフェかー。食べ放題飲み放題3000円かー。なぜか自分がそのリクリエーションに行く前提みたいになっていた。住んでもいない町内会の見知らぬ人達と交流する自分をつい想像する。共通の話題がないばかりか、なぜそこにいるのか説明できず気まずい。とりあえずローストビーフの列に並んでビールを飲む私。

 

その案内板の少し先ににいつ見ても気怠そうなブルドックがいた。飼われている家の前を通る度に少し開いたガレージのシャッターから顔を覗かせていた。こちらを一瞥するだけで吠え立てて来ることはなかった。小さい頃追いかけられたのがトラウマで吠える犬が恐い。ブルドックは歳老いているのかひどく疲れているようだった。ある日、前日と同じように前を通りかかっても彼の姿が見えなかった。突然いなくなった。シャッターも閉まってしまった。あれから見ていない。最近あの犬見ないですよねって会社の人に話してみた。え?何の犬?…ほら、ブルドックいたじゃないですかあの家のガレージに。えっ、ちょっと分かんないなぁ。困ったような顔をされる。えっ、あのブルドックですよ、気怠そうに寝そべってた…。えっ?……。幻だったのかな。何人かに聞いてみたけど結局誰とも彼(彼女かもしれないけど何となく私には彼な気がした)が姿を消した話をすることができなかった。

 

夜中3時代が一番好きな時間帯。朝でも夜でもない、誰のものでもない一人の時間。優しくて穏やかな時間。音楽もかけずに最小限の灯で今日あったことや昔のことを考える。好きな音楽はあるけど無音のしーんとした空間にいると落ち着く。今日ジュースの蓋をちゃんと閉めてなくて冷蔵庫汚してすごい剣幕で怒られたこととか、初めて付き合った人がドラえもんと八宝菜好きだったこととか。考えたってしょうがないのだけど。明日雨だってねぇ。公園もお散歩も行けないねぇ。お腹空いた。

3時から4時までの

あーまた朝が来てしまう。焼肉屋がスピリチュアルやらヒーリングを謳う怪しい事務所になっていた。年収十億だってさ。もみあげが尋常では考えられないくらい長い小学生を見た。耳の下から細長く伸びた髪が鼻の下で蝶々結びできるぐらい長かった。凝視しても男の子なのか女の子なのか分からなかった。ぽっこり膨らんだお腹に時々触れながら皆の前で挨拶して花束もらっていたバイトさんに聖母のような微笑みを向ける彼女を見ていた私の顔は一体どんな顔をしていただろうか。彼女は子どもが生めない。いつも笑っているけど。友達から来たメールを放置している。この度結婚することになりましたって。返事しなきゃ。おめでとうって。ずっと最期の事ばかり考えている。何でどれぐらい苦しんで死ぬのかとか。どこで死ぬのかとか。後戻りしたくてもできない事がある。もっと選択していかなきゃいけない。洗濯もしなきゃいけない。魚は川を上る。私は中耳炎で辞めてから泳げない。あー4時がきた。

学校へ行こうにだぜっていう大学生いたよね

とおくにきえてしまいたいけど朝になれば息子がおはようって起きるからどこにもきえないぜ。ぜってなんや。動きながらラジオ聴きたいのに電池があと3パー。でっかいねこのぬいぐるみは買ってよかった。秋刀魚の内臓は好きじゃない。ハーゲンのかぼちゃは美味しい。銀杏が綺麗でだれもいないあの公園にもう一度行きたい。本をたくさん読みたい。絵を描きたい。誰にも見せない絵を描きたい。あー連休が終わる。何これポエムかよ。

 

 

呼ばれて飛び出て即死

頭の中にあることを真面目に話しただけなのに全員ほんとに漫画みたいに目が点になって黙り込み以降話が全く進まなくなり、あーやっぱり話すの辞めれば良かったって思った。いつもいつも言いたいことを殺してきた。撲殺して普段は檻の中に入れているのだけど、この人だったら、今だったら話しても大丈夫かなって瞬間、檻の鍵を外す。そしたら一度死んだ大切がなんかお洒落して蘇って出て来る。しかしその大丈夫は妄信に過ぎず結局自分は相手にトチ狂った奴としてしか映っていなかったと後から気付いた時、途端に恥ずかしくなって再び逝ってしまったギラギラの昭和の漫才師みたいなスーツに蝶ネクタイの亡骸を抱えてどこか秘境にでも逃げたくなる。生涯でたった一人ぐらい逃げなくてもいい人に出会えるのかな、それとも探し求めて道端で野垂れ死ぬか。分からないからずっと怖い。

花屋敷でアイスもいいよね絶対

どっから辿り着いたのか気が付いたら全然知らない人のインスタを見ている、なんてことは多々あるのだけど、それは整理整頓が好きな主婦のアカウントだったり、ラーメン愛好家のアカウントだったり何故それを見ているのか自分でもよく分からない。今日は知らない女の人がひたすらポートレイトをアップしているインスタを見たのだが、いかにもなロケーション(緑いっぱいの公園とかカフェみたいに非現実的な部屋とか)でいかにもな格好(全身真っ白でお胸強調したワンピースにヒールとか)で撮影されており、うおおお違う、違うんや、煙もくもく飲屋街で古着&スニーカーで焼き鳥食べてる、とか、彼女の好きな物でごちゃついた部屋でサイズオーバーのロックTシャツにパンツ一枚でそこら辺に寝転がってる、とかその方が絶対可愛いのに可愛いのにー公園でヒール白ワンピよりも絶対にー!ってどこの誰か知らぬ彼女に向けて心の中で絶叫している。全く余計なお世話である。有り余るほどのお金があったら可愛い女性のポートレイトを撮りまくって毎日暮らしたい。ロケーション候補めちゃくちゃあるのに肝心のモデルがいない。悲しき哉。

PINK

最近、PINKという曲がずーっとずーっと脳内でかかっていて、BGMというよりもはや身体に纏わりつく空気のような感じ。自転車に乗りながらお風呂につかりながら布団に寝転びながら気がついたら一節を歌っている。息子になにそのうたって聞かれる。おーもりさんだよ。ふーん…ねようよもう。うん。

帰り道、ピンク色と群青色の絵の具が溶けてとろーんと混ざり合っていた空が死ぬほど綺麗だったからいつも問うているように、ねえあの空何色に見える?って聞いた。少し考えて、んとね、あれはにじだよ。そうか、虹、知ってるんだね。うんしってるよ。いつもわたし達はそんな風に会話している。毎日毎日空ばっかり描いてたあの先生は今何してるんだろうか。生きて今日も空を見上げていたらいいけれど。

14歳の読みすぎかもしれない

会いたい人には自ら会いに行けばいいのだし会えなければ相手を想ってただ時間を過ごせば良い、即ち同じ時間軸上にいる限りこれまでと変わらない日常を過ごせばよいというだけの話だなほほう、って考えて変な時間に目が冴え冴えしている。

昔から感情を言葉にして話すのが死ぬほど苦手で授業で挙手をして立って発表なんて拷問でしかなかったから自分はいつも席に座って俯いて前に使っていた誰かが開けたプリント書く時いつも鉛筆がすぼっと嵌る机の黒い穴を見ながらぐるぐる頭の中を回転させたりさせなかったりしていた。さすがに今は社会人になったから会議で求められば口を開くようになったけど伝え方に問題があるのか、ん、いやそうじゃないんだけどなって後から悶々とする時があるし伝えたところで結局各々持っている意見が変わらない場合もある。そもそも感情を誰とも共有しないで、たった一人で考えたり想うことってそんなに悪いことじゃないしそのために夜中があるんじゃないかって思っている。頭の中でどうにもならない時は書いたり描いたり歌ったり踊ったり作ったり身体を動かして吐露することだってできる。芸術が何なのか未だに理解できていないが、結局大昔からそういう日常の延長で生まれてきたような気がする。

 

少し寝て起きたら曜日感覚が分からなくてあれ週末かな明日休みだったかなとふと思ったけどまだ週も半ばだった。仕事は続くし予定はあるし世界はまだまだ終わらない。植物が突然消えて人類も地球も滅亡して終末を迎えるわけじゃないんだし。