(続)海の音

雑念のメモ

よしお兄さんりさお姉さんありがとう

時代が遷り変わるように始まったものにはいつかきっと終わりがやってくる。当たり前のように側にいると思っている人がずっとそこにいるとは限らない。そろそろかなと番組を観る度になんとなく覚悟をしていたため、あまり驚かなかったが日を追うごとにじわじわと実感がわいてきた。何の話かというとよしお兄さんとりさお姉さんの話。「よしお兄さん」こと小林喜久さんと、「りさお姉さん」こと上原りささんががこの3月でEテレの『おかあさんといっしょ』を卒業する。

4年半前に息子が生まれてから、自分の幼少期以来、数十年ぶりに『おかあさんといっしょ』を観る生活が始まった。最初はこの番組を観よう!と強く思って観たわけではない。息子が生まれたのは秋の終わりだったのですぐに寒い冬がやってきた。日中近所のスーパーに買い物に出かける以外は朝から晩まで息子と二人きりで家の中に閉じこもっていることが多かった。会社にもいかず友達に会うこともなかったため、外の世界がどうなっているかあまりわからなくなるほど孤独だった。息子は起きている時には常に泣いているような子だった。寝かせるのがとにかく大変だった。眠いのに眠れなくて泣いているが背中には高機能センサーが搭載されているらしく、よし寝たと思って布団に寝かせようとすれば世界の終わりのように泣き叫んだ。抱きながら部屋の中を歩き回り、抱いたままカップラーメンやパンを食べた。終わりがないような孤独な一日が始まる朝、延々と黄昏れ泣きをする夕方、暗がりで電気をつけるような感覚でEテレにチャンネルを合わせた。

黄色い洋服を着たよしお兄さんがブンバボンという歌で踊りながら次々動物になったり、大道芸風のオレンジの衣装を着たりさお姉さんがパントをしていたり、二人がこどもを持ち上げたりしてお弁当を作る歌で踊っていた。子ども番組なので当たり前とはいえ、一ミリも嫌な顔を見せることなく活力に溢れた二人の身体の動きや表情をぼんやりと目で追った。明るいスタジオ、着飾った子ども達、笑顔のお兄さんお姉さん、負の要素が一切ない明るく前向きな歌、私がかつて愛した「にこにこぷん」とは全く造形が違うがなんとなく名残はあるような三人組のキャラクターがいるテレビの中の世界は、息子が泣き続け洗い物がシンクに溜まっている散らかった部屋とは何千里もかけ離れているような気がした。ここからは辿り着くことはできない笑顔に溢れる桃源郷

でも彼らは決して手癖でやっているようには見えなかった。二人を毎日繰り返し見ていたら、自分より年上であろうよしお兄さんや自分と同年代くらいであろうりさお姉さんが、絶対的な使命感に駆られて「よしお兄さん」「りさお姉さん」であることを守り抜き、踊って跳ねているようにも見えた。ああやって笑っているけど、裏では風邪を引いて体調を崩していたり悩んでいることだってあるかもしれない。そう思うと、ここも向こう側も同じひと続きの世界で彼らも私も同じ人間なのだと感じた。あぁ私もこの子とがんばって生きないとな、とこの世の終わりがやって来たかのように泣き続ける我が子をあやしながら考えたものだった。

赤ちゃんの頃は最初は目を丸くしていただけの息子は今やテレビで観る度に恋かと思うほど「よしおにいさんかっこいい…」と目をかがやかせお兄さんに憧れ、踊りを真似したり、誰からも教えてもらっていない独学の前転を布団の上で練習するのに日々励んでいる。ある時、踊るお兄さんを観ながら「よしおにいさん、もうすぐいなくなるんだって…」とつぶやくと「えっなんで?いなくなるの?」とサイは驚いていた。「あ、いや、いなくならないけどね、これには出なくなるんだって。でもまたどこかで観れると思うよ。」と言うと分かったような分かっていないような感じだった。それ以来、ふとした時に「よしおにいさんいなくなるの?」と何度も聞かれるので、彼なりに気にしているようだ。

テレビの向こうでよしお兄さんやりさお姉さんがあんな風に笑ってくれていたから、熱々のエビフライを揚げてくれていたから、なんか今日は難しいこと考えるのはよして散歩でもしようか、と思う日がたくさんあった。番組で二人の姿を観れなくなるのは寂しいけれどこれからもまたどこかで会える気がする。ありがとうございました。