(続)海の音

雑念のメモ

8767日

阪神大震災から24年経ったらしい。らしいというのは何年経ったか正確にわからなかった。ニュース記事を読んで「そうか、そんなにか」と実感した。

神戸新聞の記事の冒頭に「8767日。あの大地の揺れから、私たちが歩んできた日数です。あなたは1日1日を、どのように過ごしてきましたか。」と書いてあった。どのように…。どのようにと問われてもただ目の前で起こる出来事をやり過ごしてきただけです、としか言えない気がする。この類の質問が苦手だ。「あなたは大学時代どのように過ごしてきましたか」「あなたは入社してからどのように過ごしてきましたか」容易に言語化して他人に答えられる問いではない。8767日の間、私は一体何をしてきたのか考えた時に、小中高、大学、就職、結婚、出産、離婚と驚くほど多くの転期を迎えている。にも関わらずどのように過ごしてきたかうまく説明できない。ただ目の前にやってくることを時に何も考えず、時に逃げるように選択してきただけだ。そこには主義も思想もなくただやってきた、それだけである。だから就活でどのように過ごしてきたかなんて怖い顔で問われてもうまく答えられなかった。集団面接で隣に座った学生が「海外留学を頑張りました」「ボランティアで精を出しました」などと就活攻略本に載っている模範解答を真っ直ぐ前を見据えて答えていた姿が眩しかった。彼らを真似て無理矢理何かを「頑張った」ことにして面接官に言ってみたりしたが、面接後嘘をついた自分に対して激しい嫌悪感を覚えたしそんな風だから受けた会社はことごとく落ちた。結局ゼミの先生の知り合いがいた今の会社に潜りのように入れてもらった。東京でまさか働くことになるなんて思わなかった。全てが受動的だ。後から振り返って頑張りましたと主張できることなんて私にはひとつもない。いや頑張ったといえば頑張った時もあったかもしれないが他人に明確な自信を持って言えるものなのかという疑念が付きまとう。

たとえどう過ごしてきたか説明できずとも8767日は確実に過ぎていて、今がある。それが揺らぎない事実であり、時間の経過というものだ。一方で8767日の時間を過ごすことなく24年前の1月17日に亡くなった方は大勢いて、私は助かったがそれは単なる偶然であの時ひとつ隣の駅に住んでいたら今ここにいなかったかもしれない。あの日生きられなかった人と生き残った人の境目なんて何もなくきっとあみだくじの当たり外れようなものだ。誰にも選べない。震災関係の記事でよく見かける、あの時亡くなった家族がもし生きていたら今は何歳で、という文を読むたびに「おまえはその娘が生きられなかった年月一体何をしてきたのか」と問われているようで苦しくなる。震災後、一か月ほど経って登校した学校で先生に言われた「亡くなった方の分まで精一杯生きよう」とか「生き残った者が前を向くことが亡くなった人のためになる」という言葉に違和感を覚え吐き気がした。亡くなった方と自分の人生は全く別の切り離されたものであり、残された者が亡くなった方のために生きるなんてそれはおかしいような気がする。ただ、最近思うのはあの時死を逃れて今生きている私はこのステージに立つことを自分のために守り続けなければいけない。私があの日人生を終えて、代わりに記事に書かれていた亡くなった女の子、明るくて家族思いで将来の夢があった女の子、が8767日の時間を過ごした方がもっと社会的に価値あるものがそこに成立していたかもしれない。でもそういう考え方だけはしたくない。そんなものはいないが人の生死を分ける神様か何かがいたとして、「おまえの人生は意味がないからもうここで終わりで良い」「君は見込があるから生きてよい」なんて審判するとしたら傲慢で不公平だ。

頑張ったと言えなくても生きてきたという事実がある。人が積み重ねてきた年月をどのようなものだったのか判断するのは他者ではなく本人であり、それは他の何とも比較できず良くも悪くも過去には戻れないし今があり今もこの先に繋がっている、というただそれだけだ。息子と二人で暮らし始めてからただぼんやりと生きているわけにもいかなくなった今、前以上に病気や災害に怯えるようになった。人の死や病気を耳にするととても他人事とは思えない。私が突然どうかなり息子がたった一人残されたらと思うと夜眠れなくなることもある。

少し前に一人で自転車に乗っていた時猛スピードで角を曲がって来たトラックに衝突しそうになった。こんなに死を意識したことは過去にないというくらいスレスレだった。あと1秒早かったら衝突して大量出血か脳をぶつけて死んでいただろう。その瞬間、意外にも恐怖や抵抗はなく、あっダメだ…という諦めに近い感情があった。案外そうやって死は訪れるのだろう。張り巡らされた目には見えない電気網を掻い潜るように生死の境目をそっと跨いで今日も歩いている。こんな歳にもなって24年前と同じように将来に対する野望さえ持ち合わせていないが、今はまだ生きていたいと思う気持ち、好きな人や物と共存していたいという意思でぎりぎり生きながらえている気がする。

これからの8767日がどのようになるかそれは全然分からない。幸せかもしれないし、とんでもない不幸が訪れるかもしれない。でも息子が笑った時のたまらなくなる嬉しさ、好きな音楽や絵に触れた時の締め付けられるような感情、空や花の無条件の美しさに対する心のざわめきに私はまだ未練があるからその未練を毛布がいつまでも手放せないライナスみたいに引きずっていたいとは強く思っている。春がきたらあの芝生でビールを飲みたい、好きな漫画の続きが読みたい、好きな人に会って話したい、パフェの新作が食べたい、仮面ライダーの次回が待ち遠しい。そんな煩悩に生かされている。