(続)海の音

雑念のメモ

〈ビバラポップ!と音楽〉現場風俗資料になりたかった何か

こんなに長くてまとまりのない文章を最後まで読む人は誰もいないだろう。書きながらビバラポップについて書いているのか、大森靖子さんについて書いているのか、自分の人生における音楽との関わりについて書いているのか、そもそも何のために書いているのか、それさえも分からなくなった。しかし書くのを辞められなかった。どうしても感情を全て羅列する必要があった。たった140字に瞬間プレスして簡単に流してしまうのが嫌だった。ひと月が経とうとしている今、ビバラポップの話をしている人は一人もいないかもしれない。別に誰にも読まれなくてもいい。深呼吸するように少しずつ吐き出した。その結果がここにあるだけで。

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★私にとっての音楽とビバラポップ
春がようやく訪れた頃、連休最終日にさいたまスーパーアリーナ大森靖子さんとピエール中野さんがプレゼンターを務める「ビバラポップ!」というフェスが開催されると知った。埼玉最大の音楽フェス「VIVA LA ROCK」の「兄弟イベント」ということだった。私は中学生の時に家族と宇多田ヒカルさんのライブに一度行ったきり、数年前に大森靖子さんのライブに初めて行くまでライブというものに一度も行ったことがない人生を送ってきた。

だからフェスなんて自分と一番遠いところにある世界だと思って生きてきた。大学生の頃、バイト先で仲の良かった先輩が毎年夏にフジロックに行くのが生き甲斐だと言っていた。元々色白の彼女はフェス直後に会うと頬や鼻が赤く焼けていた。「顔や背中がひりひり痛いけどとにかく楽しくて最高だった」と嬉しそうに日焼けした肌を見せてくれた。先輩の話を聞いても具体的にどこがどう良いのか分からず、ライブさえ行かない私はフェスがどんなものなのか頭の中で想像するしかなかった。キャンプとかアウトドアとか個人的に苦手な類のものと同じ世界線上にあると思っていた。音楽好きな人が露出の多い恰好で好きなアーティストのライブを観ながら踊ったりお酒を飲んだり時々男女の出会いがあったりなかったりして遊んでいるイベント。ザ・偏見。そういう偏見や、音楽現場は未知の領域で怖いという歪んだ感情のせいで私はライブやフェスをずっと遠ざけて生きてきた。山口百恵ビートルズを愛聴していたが今も活動して会いに行ける好きなアーティストは特にいなかった。私には音楽を好きになることはできないと思っていた。

転機となったのがモーニング娘。だった。ある理由からどうしようもなく人生に絶望していた時、6畳のワンルームで蹲ってYoutubeで動画を漁っていたら偶然9期のオーディション動画に辿り着いた。感動した。それから9期がコンサートで『好きな先輩』を歌う動画(確か公式ではなかったのであまり良い行為とは言えない)を観た。泣いた。『マジですかスカ!』のMVを観た。衝撃的だった。9期の4人に心を奪われた。高橋愛さん、新垣里沙さん、道重さゆみさん、田中れいなさん、私がかつてテレビで観ていた人達がいた。私が就職や上京を経て色々なことに時間を費してきた間もこの人達はずっと継続してきたのだ、それにこんな若い子達も、と心を揺さぶられた。後からプラチナ期のことを知り一層好きになる。それからどんどんモーニング娘。に嵌り、初めてフラゲ日にCDを購入するということもした。ハロープロジェクト自体を好きになり、他のグループも少しずつ知っていった。モーニング娘。以外ではBuono!が好きでよく聴いた。それでもライブには行けなかった。現場という空間が怖かった。音楽を愛していると胸を張って言えない私みたいな者が踏み入ってはいけない世界だと思っていた。でも真っ暗なワンルームで蹲ってライブ映像を観る度にこの美しい世界に入ってみたいと感じるようになった。意を決して何度かチケットを取ろうとしたこともあった。でも最後までうまくいかず怯んで諦めた。やっぱり私が入る世界じゃないと思った。

その少し後、モー娘。の話をしていた私に「道重さんが好きで道重さんのことを歌ってる人がいるんだけど知ってる?」と友人が存在を教えてくれたのをきっかけに、恋に落ちるように大森靖子さんを好きになった。友人に借りた音源を聴き、好きだと伝えるとライブに誘われた。気になったが、現場が怖かったのと体調が万全でなかったため迷った挙句に断った(これは今でも後悔している)。

それから数年を経て、アルバム『TOKYO BLACK HOLE』が発売されリリースイベントがあると知ると無料で観られるならば、と初めて現場に行くことに決めた。CDショップなら一人でも行けると思った。初めて大森さんを生で観て聴いた。その時、身体と脳がこれまで生きてきて感じたことのない状態になり、セメダインでがちがちに糊付けされていた音楽現場への扉がこじ開けられた。今後、たとえ何かの理由で断続されることがあったとしても、この先ずっとこの人のライブを観続けようと決めた。大森さんのライブに行くようになって初めてライブで聴く音楽の素晴らしさを知った。大森さんは単独ライブだけではなく、フェスや音楽イベントにも積極的に出演されている。フェスや音楽イベントとなると先述の理由から超えるべきハードルが大きすぎて躊躇してしまった。嘘ではないが境遇的に行けないというのを言い訳にして毎年フェスのシーズンになると大人しくしている。それでも良かったという感想を耳にしたりレポート読む度に、自分は拗らせているが故に見逃している光景があるのだと一人悔しくもなった。特にフェスやイベントは撮影禁止が多いため後から映像で観ることもできない。自分でそこに行かないと見えない光景。現場でしか分からない何か。私は確実にそれらを逃していた。

2017年4月、大森靖子さんが出演されるということで「湯会」という温泉施設で複数のアーティストのライブが行われるイベントに初めて参加した。複数のアーティストが出演する音楽イベント自体参加が初めてだったので不安だったが結果的にとても楽しかった。目当ての大森さんが出演される時間以外も、楽しそうに踊って盛り上がる人達を後ろから眺めて音楽って良いなと感じた。もう怖くはなかった。それで今年も参加した。フェスや音楽イベントに対し持っていた偏見が少しずつ崩れていった。

ビバラポップ!の情報が解禁された時、フェスという文字を見て一瞬躊躇した。でも大森さんとピエール中野さんがプレゼンターだったことや、開催にあたる大森さんのコメントを読みこれは絶対に行かないといけないと感じ、チケットを買った。

3月6日付の大森さんの開催に関するコメントは何度読んでも素晴らしい。
http://vivalapop.jp/message/

出演者が発表され、ずっと見てみたかったハロプロのアーティストや他のアイドルが何組も出ることを知り個人的に嬉しかった。それから道重さゆみさん。大森さんは情報解禁前に「出演者は本当にすごいから期待していて」と言われきっとそこにいた誰もが道重さゆみさんを真っ先に思い浮かべただろうが、同時に誰もがいやまさかと思っていただろう。本当に道重さんが出演されると知るや夢が現実になることに驚きつつチケットを取って間違いなかったと強く確信した。フェスの最後に出演アーティストと大森さんとのコラボステージがあると知ると、大森さんは当日見たことのない光景を見せてくれるのだろうと期待した。期待は裏切られないと分かっていたから期待した。そんな風に不安が期待に変わっていったので楽しみだという感情しかなかった。前日は緊張してほとんど眠れなかった。

前置きが長くなったがそんな背景があって挑んだビバラポップ!だということを記しておきたかった。以下、自分が「目撃」した光景を時系列で記録しておく。レポートと呼べるほど客観的に書けていないため、第三者が読んで意味が分からない箇所も多いかもしれない(公式レポートはhttp://vivalapop.jp/report/に詳しく記載されている)。ただ、あの場で自分が何をどう感じたか記録しておきたかった。よくあることだが、気持ちが高まりすぎて記憶が正確さを欠いている部分もあるかもしれない。

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★開場
寝不足状態で起床して出発。この感じ、海外旅行に行く時のようだ。寝不足なのに気分は高揚していた。開場時間に合わせて会場のさいたまスーパーアリーナへ。カラフルな飾りがついたゲートをくぐるとアリーナまでの導線に食べ物の出店やテントが並び、これがフェスかと一人でドキドキした。アリーナ入場前、緊張しながら並んでいると偶然大森さんファンの知人に会い、話していると緊張がほぐれる。暑かったので上着を脱いで友人からもらったピンク色のTシャツになる。道重さんのオタTをオマージュして作ったということだった。普段ピンク色を纏うことにやや抵抗があるので着るかどうかすごく迷ったが、本物の道重Tは着れずともピンク色を纏うことで道重さんへ私なりの敬意を示したかった。気合が入る感じがした。整番が早かったのであまり待つことなく中に入る。

人生初めて踏み入ったアリーナは想像以上に広大だった。今までの行ったどのライブ会場とも明らかに違う空気があった。両サイドに「ビバラポップ!」と書かれた大きな装飾が目に入り、今日一日のことを考えてわくわくした。良い整番のおかげでほとんど最前に近い花道のすぐ横で待つことができた。さっき会った知人にも運良く再会し、開始まで色々と話す。私がこぶしのステージがもう本当に楽しみで楽しみで仕方がないと熱く語っていたら「好きなら良い場所で観た方がよくないですか」と始まる直前に花道側の最前を譲ってくださった。感謝。ステージ上にナナちゃんが確認できたのでナナちゃんファンとして反射的に撮影した。しかし最前でもステージまで距離がありうまく撮れなかった。それほどここが大きな会場なのだと改めて感じた。遠目でも新衣装のナナちゃんだと分かった。新衣装のナナちゃんに会うのはMUTEKIツアーのファイナル以来だったので嬉しかった。

 

こぶしファクトリー
こぶしファクトリーがビバラポップに出演すると知った時、これは私のためにあるイベントだと思ったほどだった。一年程前、昼休みにたまたまMVを観たことをきっかけにこぶしファクトリーを知り好きになった。ただ、語るほど詳しくなく、メンバーも一人一人しっかり把握していなかった。こぶしファクトリーBerryz工房の精神を継承するグループとして結成されたということを公式サイトで知った。Berryz工房が解散した今、生まれ変わるようにこぶしが活動しているのが嬉しい。前向きになれる歌詞とメロディの曲が多く聴く度にエールをもらえる。辛い時どうしようもないときにこぶしの曲を聴くと明日からも頑張ろうと思える。今年2月に出たシングル収録曲『これからだ!』と『明日テンキになあれ』は何度も聴いて時に通勤電車で涙していた。この歳になって電車で泣くなんて恥ずかしいのだが、こぶしの曲を聴くと頑張らなくてはと思う。耳に馴染み易く楽しい曲も単に楽しい曲として終わらず胸に響く。また歌が皆上手く、歌い方がめちゃくちゃカッコ良い。何と呼ぶのだろうか、ハロプロ特有の低音の唸り声を利かせた歌い方が私は本当に好きなのだがこぶしの曲にはそれが多い。MVではなく一度生でパフォーマンスを見てみたかった。今回はこぶし初の生バンド演奏、しかも大森さんのバンドだと知らされていた。何という。この曲やあの曲が生バンドだとどんな風になるかと想像しては震えていた。それだけでも、この日しか観られない新しい企画で観客に楽しんでもらおうという大森さんとピエールさんの意気込みが感じられる。

ステージを見つめながらどきどきして待っているとこぶしのメンバーが登場。最初からバンド演奏だと思っていたら最初はバンドでない演奏で『これからだ!』。後から考えたら普段のこぶしを見せるためにバンドではなかったのかもしれない。歌い出しの「綺羅星かがやけ!」と共にスポットライトに照らされたメンバーを見て感極まって涙。やっとライブを観れたことの嬉しさやこの曲を聴いた時の感情が溢れ出した。初めて生で観るメンバーは皆スタイルが良く可愛くて動揺した。それからバンド演奏が入り『明日テンキになあれ』。一番生バンドで聴きたい曲だった。伴奏だけで涙。歌い踊るメンバーはMVよりも美しくて力強くて、生歌が上手くてすごいなすごいなと感激しながらペンライトを振った。私は大森さんのペンライトしか持って来ていなかったが、こぶしのファンはそれぞれのメンバーカラーを光らせているようだった。アリーナに入る時、浜浦さんの顔が印刷されたピンク色のTシャツを着ている方を見かけたため、ピンクが浜浦さんのカラーだと知った。でもそれは気にせず誰が歌っていてもペンライトを振った。どの曲の合間だったか忘れたが、途中で挨拶とメンバー紹介があった。映像をMV以外あまり観たことがなく、名前も完全に把握していない状況だったので改めて紹介があったのは個人的に嬉しかった。浜浦彩乃さんは元々知っていた(あんなに小さかったのにこんなに美しくなられて…と親戚のおばさんのような気持ちだった)。リーダーの広瀬彩海さんは歌が上手いなと一番気になっていたので話しているのを聞き一層好きになった。野村みな美さんは何となく顔つきが私が好きな鞘師さんに似ているような気がした。和田桜子さんは和の趣というか譜久村さんに通じるようなウェットさを感じた。井上玲音さんはお姉さんぽいなと思ったら後で最年少だと知り驚く。それぞれ個性がある。まだ全然知らないのでもっと知っていきたい。

低音の叫びがたまらない『懸命ブルース』、大好きなファンク調の曲『チョット愚直に!猪突猛進』が終わると、メンバーの呼びかけで大森さんが登場された。ナナちゃんが最初からいたにも関わらずこぶしのことで頭がいっぱいでまさか大森さんが来ると思っていなかったため驚いた。しかも新譜『クソカワPARTY』のビジュアルで公開された縷縷夢兎の新衣装を纏っているではないか。うおおおお、か、かわいい!!!大森さんがセンターになり、みんなで『ドスコイ!ケンキョにダイタン』。この曲がまた良い。「謙虚」に「大胆」と相反する言葉が並んでいるタイトルからしていいし、とにかく歌詞が好き。全部載せたいぐらいだ。伴奏も冒頭から本当にカッコ良い。よく考えれば歌い踊る大森さんは貴重で、kitixxxgaiaツアーファイナルの『夢幻クライマックス』でアップアップガールズ(仮)と踊る大森さんは新鮮だったのでまた観られて嬉しかった。目の前には最高のパフォーマンスをするこぶしの5人がいて、その真ん中で楽しそうに歌い踊る大森さんがいて、その背後でナナちゃんが嬉しそうに耳を傾けていて、バックに大森さんバンドがいて、その好きが何重にも重なる光景にくらくらした。もうフェスの終盤かなと思ってしまうほどだった。『ドスコイ!ケンキョにダイタン』は曲名通り「相撲」をイメージした曲なので、メンバーが相撲を取る場面がある。今回は特別ステージということで、メンバー(誰だったのかよく見えなかった)と大森さんが相撲を取っていた。MUTEKIツアーのいくつかの公演で大森さんは希望したファンと相撲と取ることがあった。ライブでファンと相撲を取ろうとする歌手なんて前代未聞だ。盛り上がって楽しいのだが、でもただのお笑いでなく、身体と身体を突き合わせてファンとぶつかり合うようなライブをしたいという大森さんの心情を、実際に体現することでお互いに感じようとする試みだったと私は解釈していた。ついそれを思い出した。今日の出演者とも本気で体当たりしていきたい、と誓っているように見えた。私の記憶ではこの曲の一番の後の伴奏でメンバーと大森さんはセンターステージに移動した。その時花道の下から眺めた、大森さんとこぶし5人が跳ねながらセンターステージに向かっていく光景が脳裏に焼き付いている。

それから『ラーメン大好き小泉さんの唄』の伴奏。あがる!この曲はきっとシャ乱Qの『ラーメン大好き小池さん』(この曲を作ったつんく♂さんはどう考えても天才)へのオマージュなのだが、伴奏の音が最高にカッコ良い。それが生バンドになるともう言葉を失うカッコ良さだった。センターステージだったため、後ろから観る形となったが、後ろ姿だけでも十分カッコ良くて可愛かった。伴奏に合わせて踊る大森さんの黒い衣装の裾がひらひら揺れるのが本当に可愛かった。大森さんは心から楽しそうでこちらまで嬉しくなった。更に「小泉さん」が全て「大森さん」に変えて歌われており、大森靖子ファンとしては楽しくて嬉しいという気持ちが振り切れてしまいそうだった。サビの「小泉さん小泉さん好き好き」も「大森さん大森さん好き好き」になっていて、今の自分の気持ちが歌で代弁されているようで笑ってしまうような泣いてしまうような不思議な心地がした。それを大森さん自身が歌っているのがまた良くて。大森さんは自分で好き好きと歌うのが変な感じだったと後のMCで照れていた。

それからまた全員が前方ステージに戻ってきて、それまで楽しそうだった大森さんは引き締まった表情でギターを手にした。それまでの空気が一変した。ドキドキした。大森さんの曲を一緒に弾き語りで歌うのだろうかと思った。そして観客が静かに見守る中、大森さんは「こぶしと一緒に弾き語りするならこれを歌いたいと思っていた曲を歌います。辛夷の花。」と曲紹介をした。『辛夷の花』はアルバム『辛夷其ノ一』の最後に入っていて、こぶしファクトリー自身をグループ名の由来でもある辛夷の花に例えて歌った曲。演歌のような印象もある。もしかしたらライブで最後に歌われることが多いのかもしれない。大森さんの弾き語りとこぶしメンバーの歌声の重なりが名曲を更に進化させていて、本当によかった。『コーヒータイム』(アルバム『PINK』収録)にも歌詞に用いているので大森さんは辛夷の花が好きなのかもしれない。「約束されている未来なんてないさ/夢が叶う保証なんてないさ/でもなんだかやれるような自信だけあるから」や「熱く現在(いま)を歌っていけ 派手な色でないけれど」などの歌詞は、こぶしファクトリーが今後どうあろうとしているかという意思だと感じると同時に、大森さん自身の歌手としての姿勢にも重なる気がする。また聴き手である自分自身にもエールを送られている気持ちになり、涙が止まらなかった。生きてきて今この場でこの光景を目撃できてよかったと強く思った。すっかりファンになった私は絶対こぶしのライブに行こうと心の中で誓った。

終わった後、広瀬彩海さんのブログを読んだ。ブログを読んだのは初めてだった。文面から人柄が溢れ出ていて、気になっていた広瀬さんのことがもっと好きになった。この記事に書かれている大森さんとのやり取りは微笑ましく、何度読んでも幸せな気持ちになる。これからブログも含めて、こぶしファクトリーのことを追っていきたいと思っている。

「ビバラポップ!!♡広瀬彩海」 こぶしファクトリーオフィシャルブログ2018年5月7日更新
https://ameblo.jp/kobushi-factory/entry-12374227529.html


★SHOWROOMオーディション受賞者
こぶしのステージの後、大森さんとピエール中野さんがセンターステージでご挨拶された。二人の話を聞くとオーディションで選ばれたアーティストが出演する時間だった。まず初めに大森さんとピエール中野さんがそれぞれ同じ人に賞を贈り、本当は一組5分のところを10分間観たいと二人が推した松山あおいさんが登場された。歌もパフォーマンスもぶっ飛んでいて強烈な印象があったが作詞作曲をご自身で手掛けられているとおっしゃっていて、それはすごいなと思った。「路上からアリーナに来ちゃったよ!」という発言は冗談のようで現実で、普段目立たない場所で頑張っている方にも他の出演アーティストと同じステージで歌う枠を設けるという姿勢がカッコ良い。グランプリを受賞されたCanCanaさんは着物みたいな衣装が可愛いかった。花道を通る時にハイタッチしてくれたので私は照れながらこれからも頑張ってほしいなと思った。CanCanaさんがステージ下の暗闇でスタンバイしている姿が目に入っていたから余計そう思ったのかもしれない。


吉川友
こぶしの余韻に引きずられながらアリーナを出て、とりあえず給水。吉川友さんをどうしても見たかったため、屋外のガーデンステージへ。ここは無料で観覧できるエリアなのだがこの方々を無料で観て良いのかと戸惑うアーティストばかりだった。フロア部分に人工芝が敷かれたテントのステージだがちゃんと生バンドが入るのがすごいなと思った。これがフェスかとまた実感した。吉川さんのイメージカラー、黄色のTシャツを着た人が多かった。到着が開始直前だったため優先エリアには入らず、ステージがよく見えるフリーエリアで観ることにした。

まもなくきっかバンドのメンバーが登場。大森さんの生誕祭で一度拝見した劔樹人さんもいた。そして吉川友さんも颯爽と登場された。吉川さんの曲をモーニング娘。に嵌り出してから何度か聴いたことがあったが全ての曲を把握できておらず、近年大森さんが曲提供されているのをきっかけにより一層興味を持つようになった。音源やMVから、表情豊かで歌唱力が圧倒的な人だなという印象を持っていた。でも生で観たことはなかったのでどんな風に歌われるのか気になっていた。ガーデンステージはアリーナのように広くないので最初は不安もあったが、歌い始めた瞬間から吉川さんの笑顔、身体の動き、観客と共に楽しもうというパフォーマンスに惹きつけられ、楽しい!楽しい!という感覚しかなかった。フェス初心者の私でも一瞬で楽しいと惹きつけられるなんて、それが吉川さんの最大の魅力なのだろうなと後で考えた。そして本当に歌が上手くて身体の動かし方の一つ一つがチャーミングだった。一人でステージに立つ屈強さが見える人だなと感じたので、だからこそつんく♂さんは吉川さんをモーニング娘。に入れなかったのかもしれない。

大森さんによる吉川さんへの初の提供曲『歯をくいしばれ!』が本当に好きで歌ってくれたらいいなと思っていたので、伴奏がかかった時は嬉しかった。この曲は大森さん自身も2016年のコピバン生誕祭で歌われている。私は音楽のことに詳しくないので推測でしかないが、この曲は音の上がり下がりやリズムの差が激しく、歌うのが相当難しく良い意味で歌う人を選ぶクセのある曲ではないかと思っている。他の吉川さんの曲と色合いが違うようにも感じる。それでも吉川さんのボーカルが激しく変化するリズムや音に短距離走で追いつくように寄り添っている。それから最新シングル『ときめいたのにスルー』(この曲も大森さん作詞作曲)も歌ってくれた。この日は歌われなかったが『さよならスタンダード』も好きだし、大森さんが吉川さんに提供する曲が本当に好きなのでこれからも提供し続けてほしいなとひそかに願っている。

途中で湯会が大好きな知人(横でずっと楽しそうにされていたのでこの時この人に会えてよかったなと後からしみじみ考えた)を見つけて横で一緒に飛んだり跳ねたりできたことで余計に楽しく、終わりまであっと言う間のステージだった。吉川さんは退場されるまでずっと笑顔で観客に応えていて、それがとても自然で、その度に幸せな気持ちになった。ハロプロ伝統のコールなのか「える・おー・ぶい・いー(LOVE)ラブリーきっか!」と黄色いTシャツを着たファンの方がコールしていたのがすごく耳に心地良く、聞こえる度に私もやってみたいなぁとにやにやした。そして初夏の太陽がこんなに似合う人は他にいないのではとも思った。だから吉川さんをアリーナではなく外のガーデンステージで観られて良かった。この日初めて聴いた曲もあったので音源でチェックしたいし、またこの笑顔に再会できたら嬉しいなと思った。

太陽の元飛び跳ね続けて喉が渇いたため、良かったねと言い合って給水。フード出店の中にビールの看板を見つけるやゾンビのように駆け寄った。乾杯したら湯会の好きな知人はどこかへ消えていなくなった。そういうずっと誰かと一緒にいなくてもいい空気が私には合っていた。いつでも好きな形で好きな音楽を聴くことができる。もしかして私は今この瞬間フェスを楽しんでいるのでは…まさか…とこの時初めて気づいた。それも素晴らしいステージを体感した後だったからこそ感じられたのだと思う。


ゆるめるモ!
給水してクールダウンしたのも束の間、すぐに同じガーデンステージでゆるめるモ!が始まった。一旦退場していたのと飲みかけのビールを持っていたので芝生フロアを囲む階段状になった外側から観た。前述のとおり私は音楽に偏狭なまま生きてきたので、ゆるめるモ!のことは失礼ながら全然知らなかった。大森さんがあのさんと一緒に『勹″ッと<るSUMMER』を歌って初めて、あのさんやゆるめるモ!の存在を知った。あのさんが歌ったり話しているところを大森さんのLINEライブで見たことがあるのだが、手を触れたら壊れてしまいそうな美貌を持つ一方で永久に消えない烙印を肌に焼きつけてくれそうな方だなと思った。あの曲に「いつか失われてしまいそうだが確かに存在した中高時代の夏」というイメージを私は勝手に抱いていて、「先輩」とか「内出血」という歌詞に、超がつくほどクソ真面目な中高生活を送っていた私は実は憧れていたが入りたくてもれなかったちょっと悪そうな世界の温度や鮮やかな色彩を頭に描いてドキドキする。MVやジャケットでは先輩役の大森さんと後輩役のあのさんがいることで世界が完成されている。だから『勹″ッと<るSUMMER』であのさんを相手に選んだ大森さんの才能には恐れ入る。

少し脱線してしまったが、あのさんが他の曲ではどう歌うのかもっと観て見たかったし、他のメンバーのことも知りたかった。『うんめー』を歌ってくれた時は嬉しさで胸がいっぱいになった。『うんめー』は昨年リリースされたゆるめるモ!のアルバム『ディスコサイケデリカ』に収録される大森さんの提供曲で、私は大森さんの提供曲の中で一番好きな曲だ。リリース前にMVが公開した時はMVを見ながら紙に歌詞を書き写し繰り返し読んだ。これは私が人生で音楽に対して距離を置いてきたからこそやる行為なのかもしれないが、好きな曲や気になった曲は何度も聴いて耳が覚える前に歌詞を鉛筆で紙に書き出してそれを読んで自分の身体に染みこませる。自分で書き出した歌詞を見ながら曲を聴き、常に世界とズレを感じてうまく生きられなかった小学生の時の私にこの曲があったら救われただろうな等と考えて涙した。生で聴く『うんめー』は音源よりも荒く削られている感じがして、メンバーが生身でぎゅっと私を抱き締めてくれているような感覚になった。

何の曲だったか失念したが、あのさんが大きな声で絶叫する場面があり、あのさんのイメージが覆されたので驚いた。こんな一面もあるのだなと前よりも好きになった。最後に「『逃げろ!!』という曲をやります」と言われた時、知らなかったがいいタイトルだなと単純に思った。始まって聴いていると涙が溢れてきた。自分と重ね合わせていた。後日Wikipediaを見て初めて、ゆるめるモ!が「逃げる」をテーマにして結成されたグループだと知った。そう言われて考えると、『逃げろ!!』も『うんめー』もうまく生きられない人をそっと掬って抱き締めてくれるような曲だ。私はビバラポップ!がなければずっと知ることがなかったかもしれない逃げ場所を、この時初めて発見した。ゆるめるモ!をもっと知りたい。


★DJダイノジ
何しろ「音楽現場怖い」で生きてきたため、DJもよく分からない怖い職業というイメージを勝手に持っていた。しかしいつだったか興味本位で読んだ漫画『とんかつDJアゲ太郎』でDJの奥深さを知った。それでも漫画では具体的な情景までは浮かばす、湯会に参加し初めてDJをちゃんと見た。人々やその場の空気をも巻き込むDJはまるで指揮者のようだなと感じた。当初思っていた「レコードをターンテーブルに乗せて音楽を流す」という固定概念がガラガラと崩れていった。

DJダイノジに大森さんが出演されると知人に聞いたため、果敢にも優先エリアへ飛び込んだ。冒頭からアップアップガールズ(仮)のメンバーが登場し盛り上がる。彼女たちとダイノジさんの明るさと気さくさのおかげで音楽で踊ることに慣れていない私でも楽しいと感じることができた。だが左右にステップを踏みながら踊ったり、ぐるぐる輪を描くように走ったりそこまでは全く想定していなかったので初心者の私は波に飲み込まれるようにして洗礼を受けた。ノリノリの人たちの中で直射日光に当たり続けていると今自分が踊りの渦の中にいるのが現実なのか夢なのかだんだん分からなくなってくる。ふとダイノジさんがこの場について、「戦争から一番遠い場所」と言われた。確かにそうだった。照りつける太陽、音楽、汗の匂い、踊る人。音楽とは本来、生産性に直結するものでなく、人が各々の精神を解放して自由に身体を動かして踊る、こういう人間の根元にある原始的な欲望のために存在するしそれこそが平和だという真理を発見したような気がした。私は悲しき哉、自身の偏狭さから誰もが知るHave a Nice Day!を大森さんとのコラボ曲『Fantastic Drag』の一曲を除いてその名前しか知らないのだが、もしかするとHave a Nice Day!の音楽もそういうものを追求しているのかと推測してしまった。音楽以外のあらゆる芸術は全て、生産性に結び付かない精神の解放に結び付くのかもしれない。

そんなことを考えつつ直射日光と人の熱気で気が遠くなりかけた時、ついに大森さんが登場された。こぶしのステージのと同じ黒い新衣装。「違うんだ 君を死の淵から救いに来た 僕 天使なのに」という『死神』のワンフレーズ(音源未発表のため歌詞は聴き取りに基づく)が脳内に反響する。あぁ天使!!アプガのメンバーが大森さんが暑くないように大森さんの衣装のフードをすぽっと後ろから被せてあげるという微笑ましい場面があり、大森さんとアプガの仲の良さが自然に出ているようで嬉しくなった。それから大森さんは西井万里那さんと一緒に『YABATAN伝説』を歌った。生ハムと焼うどんとの対バンに行かなかった私は大森さんが一人で歌うところ(おそらく新生姜での特典ライブの一度だけ)しか見たことがない。初めて西井さんと一緒に歌っている姿を見られて嬉しくて高揚した。

それからモーニング娘。の『わがまま 気のまま 愛のジョーク』がかかる。この曲がもう好きで好きで。田中れいなさん卒業後初めてリリースされた『愛の軍団』との両A面シングル。共に「愛」がタイトルに入っている。この時のリーダーは道重さんで、私が説明するまでもないが、忘れ去られたモーニング娘。を何とか世間に思い出してもらおうと道重さんとメンバーはプロとしてのモーニング娘。を世間に提示し続けた。曲にもそんな思いが込められているように感じていた。「負けない 負けない 負けたくないから 笑顔でごまかさない うわべの愛情なんかは要らない なんにも怖くはない」この曲を聴いただけでリーダーとしての道重さんの気概や鞘師さんが紅白に出たいと書初めしていた姿、またそれに励まされていた自分が走馬灯のように浮かんでくる。鞘師さんの腹の底から唸る絞り出すような「愛されたい」という太い叫びに私は救われた。大森さんが2013年秋のシブカル祭の登場時にこの曲をかけていたと後々知った時は動悸がしたが、同じ時間軸上で生きていて同じ曲を聴いていたのに大森さんと交われなかった自分が少し悲しくもなった。私が大森さんを初めて知ったのは記憶では2013年3月だが、その頃は音源で聴く範囲に留まっていた。音楽は自宅で聴くもの、という考えしか頭になかったため現場で何が起こっているか知ろうともしなかった。音楽に対してこれほど偏狭だった私がモーニング娘。に出会い、導かれるように大森さんに出会った。だから大森さんがモーニング娘。の曲を歌ったりラジオやSEでかける度に私の濁った過去が浄化される。中でも『わがまま 気のまま 愛のジョーク』は私のどうしようもない感情を打ち負かした曲なので、その曲で歌い踊る大森さんが目の前にいる奇跡のような現実を目の当たりにし、汗と涙でぐちゃぐちゃになりながら必死に踊った。


鈴木愛理
DJで体力的に限界に達していたが休んでいる暇はない。鈴木愛理さんが待っている。とにかくアリーナへ急ぐ。後のことを考えず体力を使い切ってしまうのがいかにもフェス初心者という感じがする。もっと若かったらと我ながら悔しかった。フェスに初めて行った私が言うのはおかしいが、若い人は気になるイベントがあればネットであれこれ調べたり考えるより前に多少無理をしてでも参加した方がいい。フェスだけでなく行きたい場所にはとにかく自分の足で出かけてみた方が良いと思う。その時にしかない一期一会が絶対にあるはずだし、年齢を重ねて境遇が変化するにつれ自分の意思とは裏腹にどうしても叶わなくなることが増えてくる、と身を持って実感した。時間は戻せない。

そんなことを考えつつアリーナへ向かっていると歌声が聞こえてきたため、私は独り言のように「愛理さん~愛理さん~」とステージにいるであろう愛理さんに呼びかけながら足早になった。鈴木愛理さんは°C-uteのメンバーだった。しかし私にはBuono!のメンバーでもあったという個人的な思い入れがある。ハロプロを知った頃、モーニング娘。の他にBerryz工房、°C-uteスマイレージ(現アンジュルム)等のグループがあることを知った。でも一つにしか注視できない性格のせいで、モーニング娘。以外はきっちり楽曲を聴いたり追うことができなかった。メンバー一人一人にいい加減に目を向けるのも嫌だったため、とにかくモーニング娘。だけを追っていた。現場に行っていたらまた違っていたのだろうが宅オタとしてはそれが限界だった。そんな矢先にBuono!というグループがあることを知る。何かのきっかけでYou tubeのMVを見たのだと思う。°C-ute鈴木愛理さん、Berryz工房嗣永桃子さんと夏焼雅さんで結成されたユニットだが、三人とも歌が抜群に上手く一気に惹きこまれた。他のハロプロ曲と違うバンド楽曲も新鮮に感じた。

登場される瞬間を見れなかったが、鈴木愛理さんはあの広い空間に一人で立っていて物凄い存在感を放っていた。あのとびきりの笑顔に身体の先端まで美しい動き、アリーナに響く歌声。正真正銘のアイドルという感じだった。何度も音源で聴き映像で観た人がそこにいるのが不思議だった。アリーナ全体が熱狂しているのを肌で感じた。予習が足らず初めて聴いたソロ曲はどれも愛理さんの歌の上手さが際立つかっこ良い曲で、特に『君の好きなひと』という曲が忘れられない。愛理さんのあの笑顔の奥に、曲で歌われるかつて好きだった人に対するどうしても消えない怨念が僅かに感じられる気がしてその表現力にぞくぞくした。愛くるしさの中に炎をさっと鎮静化するようなクールさがある人なんだなと感じた。いいないいなと感激していると『ロッタラロッタラ』の伴奏がかかる。もう心の中の人全員歓喜、まさかBuono!の曲を歌ってくれると思っていなかった。『ロッタラロッタラ』は多分一番初めに聞いたBuono!の曲で、衣装と踊りが可愛くて三人の歌の上手さが際立っている。何度も聴いた。「ほんと?」が生で聴けるなんて、ね。この時点で私は疲労していたことなどすっかり忘れていた。

それからあの曲が!!もう私が今まで一番生で聴きたかったBuono!の曲。「愛をあげるよ~」と愛理さんが歌い始めた瞬間から大号泣。Buono!が指原梨乃さん主催の「指祭り」に出演した時、トップバッターでほぼアウェイの中『初恋サイダー』を歌い観客を制圧した映像をいつだったか観たことがある。震えた。私も生で観たいと思った。でも現場に行くのが怖かった。そして昨年横浜アリーナの単独ライブがあると知り、それが最後のライブになるかもしれないということだった。もうこれこそ行かなければ一生後悔すると思ったがチケットが取れなかったのか何だったのか、結局私は逃してしまった。それを後悔していた。だから愛理さんがたった一人で『初恋サイダー』を歌った時、私には横浜アリーナにいる三人が光の中に見えて、ただ泣き続けた。以前某映像で一瞬映り込んでいて初めて知ったのだがライブ中の自分の顔は自分が思う以上に酷いものだった。一体全体なぜこんな顔になっているのだろうかと目を背けたほどだった。『初恋サイダー』の時どんな顔をしていたか分からないがもう顔が顔ではなくなるくらい崩壊していたに違いない。それでも私は今ここでこの曲を聴く必要があったのだ、と強く感じつつ手を振って去りゆく愛理さんを見送った。

鈴木愛理さん終演後、気になるアーテイストが続いていたがいよいよ体力が限界に達したため、周囲に迷惑をかけてはいけないと思い外に出た。外気に触れながら今日観た光景を一つずつ反芻するように思い返す。冷静になると朝から水分しか摂取していないことに気づき急に空腹を感じた。目についた屋台(始まる前はあれ食べようこれ食べようと浮かれていたのだがそんな余裕もなかった)で買ったごはんを無言でかきこむ。それから椅子に座って一人でぼんやりしていた。この間に見逃したアーティストについて悔しさが残るが夕方からのステージにかけていたのでその選択は間違ってはいなかった。私の器に対して入ってくるものが大きすぎたのかもしれない。


欅坂46
物販を買って荷物が増えたため、一旦クロークに行った後再びアリーナへ。もう欅坂46のステージが始まっていた。ハロプロ贔屓なところがあるため、AKBグループについて敵対視しているわけではないがどうしても入り込めない自分がいた。でも大森さんはハロプロファンでありながら欅の大ファンであるし、欅好きな友人にどこがどう良いのか映像を流しながら熱く解説してもらったこともある。AKBといえば秋元康先生、秋元先生といえば『なかよし』で愛読していた漫画『あずきちゃん』という図式を脳内で勝手に抱いており(私ぐらいしかいないと思うが)、つんく ♂さんとは違う意味で目指す世界を作り上げるプロという印象がある。欅の楽曲について、大森さんが『サイレントマジョリティー』をカバーされて初めてちゃんと知ったくらい無知だったため、ビバラポップ!がほぼ初めてと言っても過言ではない。初見が生だというのは相当貴重な体験だろう。

以前欅好きな友人にレクチャーしてもらったおかげで、何人か顔と名前は知っていた。個人的に平手さんが気になっていたので楽しみにしていたのだが欠席されていた。でもその分他のメンバーに目がいき、あれは誰だろうと目を凝らしてパフォーマンスを見守っていた。背の高い黒髪ロングヘアの子、あれは誰だったのだろう。聴いたことのある曲も多く、ダンスがハロプロとはまた違ってカッコ良くて面白いなと思った。最初は人数が多いなという印象だったが、あの人数だからこそ魅せることができるダンスだなと納得した。衣装が戦闘服のようだと初めて気づき(遅い)、セーラームーンチャーリーズ・エンジェルなど「闘う女性」が昔から好きな私は羨望の眼差しで見守っていた。MVで観た時は鍛え上げられたパフォーマンスに機械的な美しさを感じていたが、実際に近くで見ると額に汗を浮かんでいたり髪が振り乱れているのが分かったり、長袖で裾まであるずっしりした戦闘服やロングヘア(長い髪はアレンジしないのが欅流?)はこの会場の熱気で絶対暑そうなのにそれを感じさせないそのストイックさがすごいなと感心していた。理解できない大人達が蔓延る世間と、それに立ち向かう自分自身と闘っている少女達が見えた。時代の色を詠み取って「闘う少女達」の世界を作り上げた秋元先生はさすがだし、それを具現化するメンバーもすごい。彼女達と同年代くらいの時に聴いていたらまた違った感情を持っていたかもしれないが、どうしても親目線というか後輩目線で観てしまっている自分がいて、また「大人=自分」でもあるため、若い人が生きにくい世の中になってしまったのは自分にも責任があるのでは等とモニターに表示される歌詞を見ながら深々考えてしまった。楽曲をもっと聴いてみたいしまた機会があれば是非生で観てみたい。


大森靖子(弾き語り)
タイムテーブルが発表され大森さんが欅と道重さんに挟まれているのを知った時は、好きな人達に挟まれているのはいいことだと単純に思っていたが、その意味についてあまり深く考えていなかった。持ち時間はたったの15分。大森さんが他のフェスやイベントに出演される時の時間に比べると相当短い。だからこそ何を歌うのか、とても楽しみだった。欅が終わってドキドキして待っていると大森さんがセンターステージに現れた。DJまで着ていた黒い縷縷夢兎からおそらくMUTEKIツアーファイナルで着ていた縷縷夢兎の白い衣装に変わっていた。この衣装が私は好きで好きで。大森さんの肩や背中の美しさを際立たせながら佳苗さんによって編まれたパーツや布が複雑に重なり合っている。

大森さんが『サイレントマジョリティー』を歌い始める。欅が終わった直後のステージ周辺は去ろうとする欅ファンと残って大森さんを観ようとする人達が混ざり、それまでの一体感がほろほろと零れ落ちていく感じだった。その観客を派手な演出もなく弾き語りのみで惹きつけていく大森さん。欅から会場の温度を下げることなく次の道重さんに繋げなければいけない。そういう意味で『サイレントマジョリティー』は劇薬のようだった。いつもよりヒリヒリと胸に突き刺さってきた。歌い終えた頃には会場は大森さんの気流に乗っていた。たった一人でギター一本でこんなことができるなんて。

それから『死神』。音源・歌詞未発表ながら大森さんはこれまで何度もこの曲をライブで歌われ、私も聴く機会に恵まれた。それまでも既にライブで何度か歌われていたようだが、私が初めて聴いたのは11月のFCイベント(大森靖子の続・実験室)だった。大森さんは弾き語りでもバンド形式でもきっと曲から次の曲へ移る時の流れも大切にされていて、曲の前にどんな曲を歌うか説明されることがあまりない(される場合もあるが)。だからこの時も「新曲やります」という前置きなしに歌われ、それが聴いたことのない曲だと驚きつつ、音楽に詳しくない私は既存曲のカバーなのか新曲なのか瞬時に判断ができなかった。しかしこの歌詞は、このメロディは大森さんかなと探偵のように薄々感じ、曲がサビに向かって進行するにつれ「新曲だ!」と確信に変わり高揚する。曲が初めて自分の元にやってきた瞬間の喜び。いつもライブに行けない私は初めて新曲に触れる機会がラジオということもある。でも『死神』は弾き語りライブだったという点で特別な思い入れがある。ライブで聴く回数を重ねる度に頭に浮かんでいた情景がはっきりと輪郭を帯び発光する。眼鏡を作る視力検査の時にだんだんレンズの度数が上げられていく感じに近い感覚。見えてきたぞ!と叫びたくなる。ラジオやMVや歌詞の前情報なしに、そこにいる生身の体だけで受け止めて形成された曲の世界。そしてつい先日、『死神』の音源を初めて聴いて仰天した。その時の感情や音源を聴いた後で『死神』に対して感じていることは改めて文章化したいと思っている。

『死神』は最近のライブではほぼ毎回セトリに組まれている。大森さんがリリース前にこの曲を何度も歌ってくれるのはこの曲に思い入れがあるのはもちろん、目の前にいる人に直送したいという意図がある気がしている。それをビバラポップ!でやる意味。ここにいる大勢に直接今歌いたい音楽を届けたいという大森さんのビバラポップ!への意気込みそのもののようだった。アリーナのセンターステージに立ってこの曲を歌っている大森さんは孤独を背負ったまま世界中に向けて叫んでいるようにも見えた。ファンが撮影した一部のライブ動画を除くとネットに映像も上がっていないので、他のアーティストのファンで『死神』を初めて聴いた人もいたはずだ。私も何度も聴いているはずなのに初めて聴いたような感覚すら覚えた。「死は海へと広がる」の歌詞がアリーナの深い天井に伸びていくようで美しかった。「西陽(西日)」はスポットライトだった。実際には派手な演出はないのに、ミュージカルのように光や色が呼吸していた。

そして『ハンドメイドホーム』。あああ!と本当に声が出ていたかもしれない。この曲は、若い主人公が少ない給料ながら好きなアイドルに投資してそれは痛い出費だけれど好きなアイドルがいるから明日からまた仕事頑張ろうそれでまたお金も貯めてさ、という曲だと私は勝手に想像(そんな意図で作られていないかもしれないがあくまで私的解釈として)していて、投資先がアイドルではなかったが上京してすぐ一人暮らししていた極貧時代にボーナスをつぎ込んで恐ろしく高い洋服を買った(そのせいで暖房器具が買えずボロアパートで震えていた)自分と重なる。今このビバラポップ!に来ている観客の中にもそういう人が少なからずいるのではないかと思った。ビバラポップ!のチケット代はあの内容から考えると妥当どころか安く感じるのだが、それでもお金を貯めて遠方から来ている若い人も絶対にいるはずだ。今の自分も金銭的に余裕があるわけではないが、今では意味が違うというか、上京してまもない頃の好きなものさえあれば貧乏でも体力的に厳しくても構わないという絶対的な自信があの頃のように持てなくなってきている気がする。それは自分の立場が変わったからというのもあるが、単純に歳を取ってこうありたいという意思に身体や自由が伴わなくなってきたのだと思う。でも若い時に多少無理をしてでもフェスやライブに行ったら、その時にしか得られない価値が必ずあるはずで、大森さんもそれはよく言われている気がする。無理をしたから良いという意味ではなく。だから『ハンドメイドホーム』を聴くと私はあの頃の自分に「この気持ち忘れてないか?」と喝を入れられているような気持ちになる。

それから「好きな人に向けて作った曲です」と言い始まった『ミッドナイト清純異性交遊』。道重さんのために作られた曲が今まさに道重さんに向けて歌われている。その事実に震え上がった。2014年10月NHKの音楽番組「MUSIC JAPAN」で大森さんがモーニング娘。'14と共演した際、卒業を控えた道重さんにラブレターを読んで『歩いてる』の一節を歌った姿や、カラオケにミッドナイトが入った時に泣きながら繰り返し歌っていた大森さんの姿(Youtube【モリステ♯02】より)が脳内を駆け巡る。今から道重さんがこのステージに上がるという緊張で訳が分からなくなりながら必死にペンライトを振った。そして「ラララのピピピ ラララのピピピ ララララ」でいよいよ感情が大波のように押し寄せた時、アーティスト登場のSE(『IDOL SONG』をアレンジした音楽で後で全部サクライさんが作ったと知る。すごい。)が鳴り、「道重さゆみ!」と他のアーティストの時は音声だったのにこの時だけ大森さんが肉声で叫んだ。欅坂からバトンを受けて会場を掌握し、その場で音楽を直送する意味を大勢の観客に見せた後、好きな人にその人を想って作った曲でバトンを渡す。この15分がなければ以降のステージは成立していなかったであろう、と後で何度も考えた。


道重さゆみ
道重さんのことを私はまだほとんど知らない。もちろん私はモーニング娘。時代の道重さんを少し知っている。でも道重さんのファンは道重さんへの眼差しが半端でない気がして、私なんかが「知っている」とは軽々しく言えない。また、好きな人の好きな人だからこそ容易に語るべきでないと思っている。でもモーニング娘。を卒業されたちょうど2年後に活動再開され、ビバラポップで初めてフェスに出演される道重さんのステージを観て私なりに何を感じたか、自分のためにも書き留めておきたい。道重さんは「一生道重」「道重依存」などのピンク色のさゆTを着たファンに混ざって会場にいる人をおそらく指して「限定道重」と呼んでいたが、自分は「限定」というより「道重初心者」だなと思いながら立っていた。これからもっと知りたいから。

道重さんを初めて生で拝見したのはつい先日4月の「SAYUMING LANDOLL~宿命~」だ。前年の公演「SAYUMING LANDOLL~再生~」を観なかったことを激しく後悔したのと、ご自身も道重さんファンで大森さんのグッズも手掛けられている青柳カヲルさんがグッズのロゴやイラストのデザインされていることに感動し、公演を申し込んだ。前年の公演を観なかった後悔はモーニング娘。時代の公演を観なかった時からずっと続いていた。現場に行く勇気が出ず後悔を繰り返しているうちに道重さんは卒業されてしまった。だからついに後悔を鎮める時を迎えられることに言葉にならない喜びを感じていた。申し込んだ後に大森さんの提供曲が2曲あると知り興奮した。「SAYUMING LANDOLL~宿命~」では始まりから終わりまで鳥肌が立っていた。何かを観てそんな状態になったのは初めてだった。「かわいい」の価値観が根底から覆された。何日経っても感想が書けなかった。それくらい自分の人生において衝撃的だった。S席だったため、道重さんが途中目の前を通ってくれる場面があった。走り去るのかなと思っていたが気がついたら目と鼻20センチくらいの距離に道重さんの顔があり、その時の道重さんの眼力があまりにすごく、瞬間的に全ての機能が停止してそのまま死んでしまうかと思った。きゃー可愛い、とかそういう次元ではなかった。畏怖の念さえ感じる壮大な自然のようだった。東京公演の会場、コットンクラブでのパフォーマンスは初めて観るには贅沢すぎるくらい近い距離だったが、指や髪の先端まで美しい道重さんを堪能する傍ら、もっと大きな会場にいる道重さんを見てみたいという気持ちも湧き起った。だからビバラポップで再会できることが何よりも嬉しかった。

『好きだな君が』で登場された道重さん。あぁ…。この曲は9期の譜久村聖さん(現リーダー)とのユニゾン(?言い方が分からない)曲なのだが、道重さんのピンク色と譜久村聖さんのピンク色がマーブルのように混ざり合いそれは美しい曲である。ライブ映像で観た際には後輩である譜久村さんが先輩の道重さんに引っ張られるように道重さんのピンクの世界に入っていくのが表情や身体の動きで感じ取れる。私は9期全員好きだったが、譜久村さんのまだ子供らしい内面からかけ離れたウェットさと豊満な体つきに惚れて勝手に脳内恋愛していた時期があった。道重さんとは違う種類のピンク色だった。ちょっとまだ大人になりきれていない譜久村さんが道重さんの導きでフランス女優のような眼差しをして、それにまた道重さんが煽るような目線を被せ、あぁ。冷静さを失うのでこの辺りで留めておく。この時には幸いにも最前にいられたため、ステージ上で踊りながら歌う道重さんと自分の間に何の妨げもない状態だった。道重さんはこの曲が好きだという気持ちが身体中から溢れているのが分かった。もう本当にドキドキした。一瞬、立って観ている自分がステージで道重さんと踊り歌う譜久村さんになったような錯覚さえした。

歌い終えた道重さんはビバラポップ!が初めてのフェス出演だということとそれに対する大森さんへ感謝の気持ちを粛々と話された。道重さんのこいういうところすごいなと思った。道重さんを好きな大森さんとして見つめつつ、同時に一人のアーティストとしての、ビバラポップ!のプレゼンターとしての大森さんに敬意を持っているのが感じ取れた。道重さんを知っていくほど道重さんのことを好きな人のことが理解できるというか、好きになるのが納得できる。

それから道重さんは一人では心細いからということでゲストを呼ばれた。私は道重さんで胸いっぱいだったので誰だろうと考える隙もなかった。高橋愛さんが登場された時、目の前の光景が信じられなくて涙が溢れた。これを打っていてまた泣いている。私が観たくて観られなかったモーニング娘。の歴代リーダーの二人がステージに並んでいた。これは夢なのか現実なのか。私がモーニング娘。を知った9期加入時、リーダーは高橋さんだった。高橋愛さんのパフォーマンスをずっと生で観てみたかった。でも叶わなかった。卒業後高橋さんがモデルやファッションの分野で活躍されているのをインスタなどで拝見し嬉しく思うと同時にあの時の高橋さんに間に合わなかった自分を悔やんでいた。その個人的に拗らせたどうしようもなく面倒臭い悔恨を大森さんが、道重さんが昇華してくださった。

それから二人で『Fantasyが始まる』と『みかん』。伴奏が鳴った瞬間、現実か夢か見分けがつかなくなるほど頭が混乱し、目の前の光景に泣きながら縋っていた。そういう言い方をされてお二人がどう感じるか分からないが、私にとってはもうモーニング娘。のコンサートそのものだった。何度もコンサート映像で聴いた曲が自分が今立っている場所で聴こえる。機敏な動きで踊る二人がセンターステージにいる。諦めていた過去の夢がそこにあった。道重さんがいて、高橋さんがいて。あの時真っ暗なワンルームで蹲っていた私がいて。自分が生きて電車に乗ってここに来たから、お二人が生きて今も音楽を続けてくださっているから時空を超えて私はこの光景に居合わせられた。その事実に泣き続けた。道重さんは高橋さんが来たことで心強くなられたのか『好きだな君が』の時より更に表情が生き生きしていた。SAYUMING LANDOLLの時も共演者の方とばっちり息が合っていたので、誰かとステージに立つ時の呼吸の合わせ方はモーニング娘。時代に身につけられたのかもしれないし道重さんの器用さや性格によるのかもしれないなと後に考えた。

高橋さんと2曲を歌い終えると道重さんは「大森さんに是非歌って欲しいと言われた曲をやります」と言われ、『セクシーキャットの演説』を歌われる。この曲は猫みたいなダンスと衣装が可愛い曲で、私が初めて聴いたのは2017年の1月1日、カウントダウンTVモーニング娘。が生出演した時だ。大晦日から元旦にかけての明け方、大森さんに年賀状を書いていたらいきなりテレビ画面にモーニング娘。が映り興奮した。モーニング娘。'16から'17になった瞬間だった。その時はもう大森さんの現場に行くようになって一年近く経っていたのでモーニング娘。の楽曲をちゃんと追えていなかった。私は偏愛なので、基本的に一人の人しか本気で愛せない。好きの度合いにどうしても順番が生じてしまう。というのは言い訳かもしれず、鞘師さんや鈴木さんが卒業されて寂しくなって離れてしまったという気持ちも正直ある。でも明け方に生放送で観る『セクシーキャットの演説』はカッコ良くて美しく覚醒された。モーニング娘。モーニング娘。だった。大森さんがなぜこの曲を二人に歌って欲しかったのかそれは分からないが、今のモーニング娘。の曲をかつて支えた二人が歌うのは感慨深いものがあった。歌い終わると道重さんは一旦ステージから下がられた。高橋さんが一人で『SEXY BOY 〜そよ風に寄り添って〜』。ぬおぉぉ!かっこいい!!!高橋さんのおしゃれなインスタを見てあのキレキレでカッコいい高橋さんはもういないのかと少し寂しく感じていたのがそう思うこと自体誤りだった。高橋さんは高橋さんだった。あぁぁ。歌が上手い。踊りが上手い。カッコいい。本当は恐れ多くて呼べないが心の中では「愛ちゃんーー!」と叫んでいた。

曲が終わると道重さんが衣装を替えて登場された。そして高橋さんが退場される。道重さんは高橋さんが退場されるのを本気で寂しがっているように見えたので、私は道重さんが急に不安になってパフォーマンスに支障が出たらどうしようと心配になった。が、心配は余計だった。再び一人になった道重さんは、さっきまでの表情とはまた違う「さあここからは今の私を見てよ」という顔になり、「SAYUMING LANDOLL~宿命~」からつんく ♂さんの楽曲『キラキラは一日にして成らず!』と大森さんの楽曲『ありえない遊園地』を披露された。「SAYUMING LANDOLL~宿命~」のような演出がないからこそ、逆に道重さんの身体の美しさがステージ上で際立っていた。この2曲が収録された「SAYUMING LANDOLL~宿命~」のサウンドトラックは既に発売されているが、アリーナでこの曲を知っている人の割合は道重さんがモーニング娘。在籍時代の曲に比べるときっと下がるであろう。観客人数が増えるほど誰もが知っている過去の曲しか歌わないアーティストは少なくないだろう。しかしそれってライブである意味があるだろうか。大森さんの『死神』の時も同じことを思ったが、会場の規模に関わらず、過去の曲だけではなく今歌っている曲を目の前にいる人に届ける意味。ネットを開けば何でも簡単に調べられて情報拡散される今、知らずにいることが異常みたいな風潮があるのが耐えられない。

アリーナの観客の温度は道重さんが高橋さんとパフォーマンスしていた時の盛り上がった空気とは一変していた。多くの「限定道重」の人が道重さんが見せてくれる新しい世界に理解が追いつかず圧倒されているような雰囲気だった。私はサントラを購入し何度も聴いていたが生で観るのは二回目で、やはり戸惑った。道重さんはモーニング娘。だった頃の道重さんを私達に見せてくれることもできるが、過去は過去。今は今の道重さゆみさんがいる。「かわいい」を超えた先の「かわいい」にいる道重さん。何を言っているのか自分でも分からないが「SAYUMING LANDOLL~宿命~」の楽曲の中でも特につんく ♂さんと大森さんの楽曲はそう思わずにはいられないものだった。大人になった道重さんが新しく見せてくれる「かわいい」。私はまだそれを発見したにすぎない。もっともっと知っていきたい。

それから道重さんのモーニング娘。ラストシングルに収録される在籍時代最後のソロ曲『シャバダバドゥ~』。卒業公演にも行けず『シャバダバ ドゥ~』を観られなかった私はそれをずっと悔やみ拗らせてきた。この曲は卒業曲なので、卒業を前にした道重さんの内面がつんく ♂さんにより描かれている。今ここで歌うことにより、過去の道重さんから今の道重さん自身や道重さんを見守る我々に呼び掛けているようで私はまた涙ぐんでしまった。

こんな長い間やってこれたのは
誰のおかげでしょうか?
私の努力
私の愛嬌
私の運の強さ…「ってことにしよけよ!」「うす!」
モーニング娘。'14『シャバダバ ドゥ~』作詞作曲:つんく より)

この節の最後は「ってことにしとけよ!」という台詞調の歌詞に譜久村さんが「うす!」と答える(2番は飯窪さん)のだが、この「ってことにしとけよ!」に道重さんの真面目な性格やメンバーへの想いが凝縮されている気がする。つんくさんは天才である。道重さんの「私の努力」は今もリアルタイムで続いていて、だから私は今目の前で道重さんを見られていると思うともう涙が止まらなかった。この時「うす!」を道重さんが言われていたかどうか記憶が曖昧なのだが、多分そうだったと思うので、過去の自分の「ってことにしとけよ」に自分で「うす!」と答えることで更に未来を見据えているかのような道重さんに、私も着いて行きたいという気持ちで「うす!」に力を込めた。それから「大森さんの曲の最後にも歌詞が出てくる曲をやります」と紹介され『ラララのピピピ』。大森さんの『ミッドナイト清純異性交遊』を歌った時、道重さんは最初にこの曲を歌うのかなと多くの人が予想したかもしれない。でも最後だった。最初ではなく全ての曲を終えた最後に「ラブレターを受け取った」というメッセージが放たれるその重要性に私は眩暈がした。「私の今を見てくれたかな。私は私だよ。でもまだまだこれから見せるものがある」と言われている気持ちになった(あくまで想像)。

『好きだな君だ』で私が会えなかった道重さんに出会え、高橋さんとの共演で私が間に合わなかったモーニング娘。が蘇り、「SAYUMING LANDOLL~宿命~」の2曲で道重さんの「現在」を浴び、それから『シャバダバ ドゥ~』と『ラララのピピピ』で過去の道重さんと対話し大森さんや我々ファンの愛を受け止めて未来に向かう道重さんを見送るという流れは道重さんがこれまで歩んできた人生を映す大河ドラマのようだった。道重さんは私が過去に到達できなかった願いや夢を目の前で見せてくれ、更にまだこれから先の予測できない可能性をも見せてくれた。ステージ袖に帰って行く最後の最後まで笑顔を絶やさない道重さんを胸がいっぱいになりながら見送った。


★ビバラポップ!クライマックス 大森靖子×❤︎❤︎❤︎コラボスペシャルライブ


❤︎『夢幻クライマックス』(with鈴木愛理
道重さんのステージで私は全て終わったような気持ちになっていたがまだ次が待っていた。雷のようなSEに大森さんのMUTEKIファイナルツアーを思い出す。何かが始まるぞと昂る。大森さんが現れてバンドの伴奏が鳴る(逆だったかもしれない)。その瞬間『夢幻クライマックス』の夢が叶うのかという興奮が押し寄せ、鈴木愛理さんがステージの袖から登場される。「クライマックス」と名付けられたコラボステージが『夢幻クライマックス』で始まるとは粋だ。ぞくぞく。鈴木さんはソロテージの時のショート丈のTシャツに赤いチェックのスカートという元気かつセクシーな衣装とは全く違う、後ろにボリュームのある薄いピンク色の衣装を纏われていて神々しかった。「アイドルだ!」と思った。大森さんと鈴木さんが互いに呼応し合う『夢幻クライマックス』は大森さん一人の時とはまた違う、刹那の中で燃え盛かるような力強さがあった。歌い終えた後の二人のMCがまたよかった。鈴木さんの衣装が°C-uteのコンサートっぽいと鋭く指摘した大森さんに、まさに°C-uteのコンサートで着ていたもの(『夢幻クライマックス』の時ではないがまさに大森さんが観たさいたま公演で着ていた、などと細かく説明されていた)だと鈴木さんが答えたくだりなど二人が初めて一緒に歌ったは思えないほど呼応し合っていて、ただただ美しかった。


❤︎『きゅるきゅる』(with金子理江
金子理江さんはなんと顔が小さいのだろう。大森さんも小さいが負けず劣らず小さい。新生LADYBABYのステージを観てみたかったが体調不良で叶わなかったため、金子さんが出てきてくれて嬉しかった。『きゅるきゅる』は大森さんのメジャーデビュー初のシングル曲で、明るくてパワフルな曲調の中に冷ややかな怒りが共存しているところが私はとても好きだ。その「怒り」が金子さんの声や姿を通じて線香花火のようにパチパチ弾けていてすごくよかった。金子さんは立ち去る時にとても名残惜しそうにしていたが、大森さんは仕方ないよという感じで優しく微笑んでいた。金子さんは大森さんのことが本当に好きなんだなというのがステージ上でも見て取れて、高校の先輩に懐く後輩のようで愛おしかった。


❤︎『イミテーションガール』(withアップアップガールズ(仮)吉川友
『イミテーションガール』は私が初めてお金を払って行った大森さんのライブで聴いた曲なので思い入れがある。先述の宇多田ヒカルさんを除けば初めてのライブだったし、初めて聴いたバンド演奏だった。初めてで音への乗り方も分からなかった私は星型のペンライトを振る人達を真似ながらぎこちなく身体を動かしていた。『きゅるきゅる』もそうだが、『洗脳』に収録されている曲にはこれからメジャーでやっていく大森さんの強い意思や前向きさの奥に孤独の叫びが見える。楽しいけれど胸が締めつけられるような苦しさを棘のように感じる曲が多い。大森さんとアプガ(仮)&吉川友さんの共演はkitixxxgaiaツアーファイナルの『夢幻クライマックス』で初めて観た。大森さんはアプガ(仮)と吉川友さんと一緒に踊っていた。大森さんも同じグループのメンバーかと思うほど息が合っていた。その『夢幻クライマックス』の時の絞られるような一体感とまた違い、アプガ(仮)のメンバーや吉川友さんのダンスが『イミテーションガール』の「孤独」を壊さないよう擦れ擦れの距離で寄り添って一緒に曲の世界を作り上げていて、それがとても気持ちの良かった。言語化しにくいのだが、音源とも大森さんが一人でライブで歌う時とも違った快感があった。


❤︎『非国民的ヒーロー』(withあの)
曲が終わるとどんどんゲストが入れ替わる。その濃さとスピード感がディズニーランドのパレードのようだった。まだミッキーが視界にいるのにミニーが見えてくる感じというか。感情が息継ぎする間なく夢がブチ込まれていく感じにくらくらしていた。そしてあのさんが登場される。はっと心臓が止まりそうになる。昼間にゆるめるモ!のステージで観たが、改めて生で観るとその美しさと存在感に凍りついてしまいそうだった。『勹″ッと<るSUMMER』を披露されると思いきや不意打ちだった。『非国民的ヒーロー』の伴奏が鳴った瞬間の鼓動。神聖かまってちゃんののこさんが作曲し一緒に歌われているこの曲をMV以外で初めて観たのは確か生放送のテレビで、大森さんとのこさんは深夜とは思えないテンションで心の内側をぶつけるように歌っていた。同番組でそれまで歌っていたアーティストと明らかに違った。本気だった。また、銀杏BOYZとの対バンで大森さんは峯田さんとこの曲を歌った。のこさんの時とは違うぶつかり合いの美しさがあった。感覚的な話になるが『非国民的ヒーロー』の歌い手と歌い手がぶつかり合ってできるざらざらとした感触が好きだ。大森さんと相手の魂がぶつかり合って私の中に飛び込んできてぶつかり、ざらざらした大きな塊ができそれが空にばーんと飛び出す感じ、というか。これは男性だからこそ成り立つのだろうか。大森さんの男性性と相手の男性の女性性と私の中のどちらともの性がぶつかり合ってざらざらになって性別を超越する心地良さ。そもそも男性か女性かという問題に固執するのは間違っている気がする。でも女性だとどんな人が大森さんと歌うか、私には思い浮かばなかった(もしかするとどこかで女性と歌われているのかもしれないが把握できていない)。それであのさん。ああ!あのさんが持つ少年性と少女性が大森さんと共鳴し合って見たことのないざらつきが生まれていた。あのさんにこの曲をやろうと大森さんから提案されたのかそれは分からないが、『非国民的ヒーロー』の新しい世界を見られて興奮した。『勹″ッと<るSUMMER』の時の女子高生の先輩後輩同士の世界とは違う、少年と少女(二人がどちらでもある)の世界が歌われていた。あのさんの変貌にドキドキした。それを引き出した大森さんと今後もっと色々な曲を歌うところが見てみたいなと感じた。


❤︎『あまい』『TOKYO BLACK HOLE』(withアイナ・ジ・エンド)
アイナさんがBiSHのメンバーであることをビバラポップのステージに出演されると発表されて初めて知った。というよりBiSHというグループのことも私は知らなかった。本当に無知だ。実はBiSHのステージの時に一瞬アリーナの2階席に座っていた。初めて観るBiSHは今まで観たどのアイドルとも違っていた。物凄いパワーがあった。どこからこんな声が出るんだろうというくらいアリーナに響く声量に感嘆すると同時にぐるぐるとステンディングエリアでまわる観客を2階席からぼんやり眺めていた。とても美しかった。BiSHはその観客も含めて芸術だと強く意識しているアイドルグループなのだろうなと一見の立場ながら考えた。

大森さんとアイナさんの絡みつくようなパフォーマンスにドキドキした。アイナさんが歌いたいと言われた『あまい』と大森さんが提案した『TOKYO BLACK HOLE』。ビバラポップの前にアイナさん『あまい』で踊る動画を観た。官能的で美しかった。それが大森さんと二人とになると官能度合はもっと深くなり、背後から寄り添うアイナさんと大森さんは孤独と孤独が抱き合っているようでとても綺麗だった。アイナさんは『TOKYO BLACK HOLE』は踊られていなかったため、伴奏が始まった時はこう来たかとやや驚いた。

『TOKYO BLACK HOLE』は私の頭の中で「主人公である僕と僕が好きな子がこの世界で互いに孤独を持ったまま生を重ねている」曲だというイメージがあり、多分それは映画『リリィ・シュシュのすべて』から来ている。「赤い染みのパンティ」(=処女喪失?)、「射精」「体育倉庫」など思春期を思わせる言葉が散りばめられていて、人それぞれ描いている世界が違うと思うが、私にとっては中学生の物語である。『リリィ・シュシュのすべて』は田舎が舞台だったが、『TOKYO BLACK HOLE』は都会を思わせる描写があるので、私の中で都会の中学校という設定にしている。きっと東京の。学校で居場所がなく、家にも帰れない。でも夜に観たビル群の明かりや朝焼けを見てこの世界に生きる希望を「見晴らしのいい地獄」の中に見出す。学校では話せない君(好きな子)と同じ時間を重ねて生きていることを感じる。私にとって「生きること」を静かに、強く、後押ししてくれる曲だ。何度救われたか分からない。大森さんがライブでこの曲を歌う時は、私はそういった情景を浮かべて架空の二人が頭の中に登場していた。二人は過去の自分だったり、『リリィ・シュシュのすべて』の主人公だったり、見聞きした何かだったり、色々な記憶や経験の断片から構成されている。でも、アイナさんと大森さんが二人で歌うことでその世界が可視化され、生きた二人がそこにいた。アイナさんが主人公の少年で大森さんが少女、あるいはその逆、あるいは二人で一人にも見えて、その多面的な見え方自体に陶酔した。僕と僕の好きな人の孤独と孤独が抱き合っているのが見えた。アイナさんの「生」を強く感じる身体の動きや表現力と曲の世界への入り込み方が並みならぬものであったからかもしれないが、この方はすごい人なんだと感じると同時にBiSHについてもっと知ってみたいと思った。


❤︎『絶対彼女』(with長濱ねる)
感情の余韻を残したまま、ステージはどんどん転換する。続いて現れたのは長濱ねるさん。大森さんが大好きな人。欅坂に詳しくない私は大森さんが推していることで初めてねるさんの存在も外見も知った。ねるという名前は本名なのだろうか。名前からしてもう可愛い。画像で見て、顔の可愛さが言葉を失うほどだとは思っていたが動いたり話すところを見たことがなかったのでどんな方なのだろうという気持ちだった。欅坂のステージの時は私の注意力が足りないのか、ねるさんがどこにいるか分からなかった。膝下丈の花柄のワンピースを着て登場されたねるさん。その登場の仕方やこのステージのために私服ワンピースを着てきたことその全てが可憐でねるさんのいる世界を余白ごと切り取ってそのまま運んできたようだった。大森さんはねるさんを見て「草原かな」と言われていたが、本当にねるさんの周囲に草原が見えて草原ごと歩いてきたような感じだった。室内なのに初夏の風さえ吹いている気がした。私はねるさんがどんな性格の方なのか失礼ながら知らなかったが、存在しているだけで周りに幸をもたらすような方なんだろうなとにこにこ微笑んでいる様子を見て思った。そんな方が欅の中でどのようなパフォーマンスをしていたのか見つけられなかった自分が悔しい。

女性らしいとかそんな言葉では片付けられない、きっと生まれてからこれまでの全てを内包して長濱ねるさんという一人の女性が完成されているのだなと感じた。表情や佇まい、話し方全てが「女の子」だった。何も余計なものが付け加えられていないであろう絶対的な強さがあり、それこそ『絶対彼女』だった。その前のアイナさんとのステージでもそうだったが、『絶対彼女』という曲の世界が目の前で展開していることにドキドキした。テンポに変化はなかったかもしれないが、ねるさんが歌うことでゆったりとした印象だった。大森さんのライブでは『絶対彼女』のサビを大森さんが呼びかけるあるカテゴリーに当てはまると自覚する観客が歌う。カテゴリーは女の子、おっさん、ハゲ、ヤリマン、など様々である。最初は歌詞の「女の子」だけだったが増えていったと大森さんは以前言われていた。普段ならマイノリティーでカテゴライズすらされない人達にあえてスポットライトを浴びせることでそれぞれの価値を認める。しかも大森さんが決めるのではなく、本人の自覚に基づくので、自分によるカテゴライズということになる。誰かの決めた自分でなく、自分で決めた自分を認める。サビを振るやり取りにはそういう意味がある気がしている。今日はねるさんの口から「ハゲ」とか「ヤリマン」という言葉が出るのかなとドキドキしていたらそれはなかった。大森さんが言わなかった。「女の子」と「おっさん」だけだった。その、ねるさんの『絶対彼女』の世界を壊さないようにしようという大森さんの気遣いや配慮からねるさんに対する尊敬や愛が感じられた。下ネタや一般に下品と捉われる(私はそうは思わないが)カテゴリーが外されることでソフトなサビ歌唱となり、それが逆にねるさんのにこにことした暖かさが会場いっぱいに拡張され温泉のようだった。長濱ねるさんの顔立ちや佇まいは「絶対女の子」でありながらどこか少年のような側面もある気がした。それがたまらなく良かった。欅のステージで「男の子」のねるさんも観られるのかもしれない。もっと見てみたい。


❤︎『I&YOU&I&YOU&I』『マジックミラー』(with道重さゆみ
さあ、いよいよ道重さんが登場する。大森さんと舞台に並ぶ。そう考えただけで既に私は最前のバーにつかまって涙ぐんでいた。道重さんを見た瞬間、大森さんは驚いた顔をした。その時の感情がこちらに伝わってきた。大森さんは道重さんの「かわいさ」に驚いていたのである。私も驚いた。ビバラポップの公式Tシャツをこんなに可愛く着こなせる人がいるのか!と。道重さんはビバラポップの会場で販売しているTシャツをデニムのショートパンツにインしていた。他の方が着ていると、ああ可愛いなという感じだったのだが、道重さんが着用すると次元が違う。このTシャツはこんなTシャツだったけと混乱するほどだった。手に触れたり纏うものまで道重さん色に染める。それが道重さんのすごいところだと思った。道重さんは更にTシャツをデコっていた。大森さんがそれを見つけて指摘すると、楽屋でデコったと道重さんは答えていた。出番前にTシャツをデコっている道重さんを想像したら動揺した。デコるのは大森さんも得意でお好きなので、大森さんが確実に喜ぶ格好で来た道重さんはさすがだなともうその段階で恐れ入った。愛理さんやねるさんもそうだったが、纏う物にも気を遣い言語コミュニケーションが発生する前の段階できちんと「好かれていること」に対して返していて、そこにあざとさが全くなく、かわいい人はかわいいを中途半端に背負わず徹底的に貫いているのだなと圧倒された。

何を歌うのかなとドキドキしていたら大森さんの弾き語りで始まった『I&YOU&I&YOU&I』。『魔法が使えないなら死にたい』の最後にカバーが収録されているタンポポの曲だ。ライブでも頻繁ではないが何度か演奏されている。タンポポの三人が歌っていた当時は可愛らしい曲だなくらいに思っていたのだが、大森さんが歌っているのを音源で初めて聴いた時、「I&YOU」すなわち「私と大好きなあなた」のいる今がこれからも先も続くことへの根拠のない希望とそれに対する孤独がこの曲には描かれているのかもしれないと初めて気づき、苦しいような嬉しいような気持ちになったのを覚えている。何年先も好きなあなたとこうしていたいなと願っているかと思うと突然「はずだよ!」が挿入されていて、続くかどうか分からない不安をこの4文字で自分から打ち消そうとしている強い肯定感に泣きそうになる。また「I love you」が「I&YOU」と並べられることで、「I love you」という言葉が私とあなたがいて初めて意味を成す言葉であると知る。しかも「I&YOU」でなく「I&YOU&I&YOU」と続く。私がいてあなたがいて、それで私がいて、だからあなたがいて、とお互いの存在が合わせ鏡のように永久に作用し合うような気の遠くなる愛の世界。つんくさんは天才である。それを二人が歌うのである。今や大森さんは道重さんに曲提供もされていてお互いに交流もされているようなので、大森さんと道重さんの関係は最初の頃と事実上は変わったかもしれない。でも、「何年経っても」、大森さんの道重さんに対する気持ちは変わらないし道重さんもそれを分かっているということが二人が歌う様子から強く伝わってきて、立ち入れない世界が完成していた。大森さんのファンとして私は、大森さんに少しだけ置いていかれたような気持ちにもなったが、その寂しささえもやがて消えてしまうくらい美しい光景だった。永遠の愛の誓いを目の前で観ているようだった。

はぁ良かったなと終わったつもりでいたらまさかの2曲目があった。『マジックミラー』の伴奏が鳴り鳥肌が立つ。心拍数が上がる。予想していなかった。『マジックミラー』は道重さんが大森さんの曲で一番好きな曲だと大森さんから聞いたことがあった。『マジックミラー』がどんな曲か改めて説明するのは野暮だが、私は時々この曲と向き合えなくなる時がある。色々な人の立場で歌われている他の曲と違い、大森さんが歌うことについて歌われているこの曲を聴くと、大森さんが歌うことに対して、聴き手である私に対して、ここまで真っ直ぐ向き合っているのに自分はそれに見合う生き方ができているだろうか、生き方を改めなければいけないのでは、という感情に駆られることがある。歌詞も音も歌い方も全部好きな曲なのだが思い入れが強すぎて時々苦しくなる曲だ。人によって感じ方はそれぞれなのでこういう感情を持っているのは私だけかもしれない。この曲を聴いて救われて、そこで止まっていて良いのか。救われたらそれをどう自分の生き方に変えるのか。そういうことをいつも考えてしまう。それだけ特別で強い曲だ。

二人の『マジックミラー』はあまりにも見たことのない美しい光景だったので、多くの人がブログや感想を書いているかもしれない。だから私は私が感じたことをここに残しておきたいと思う。サビ以外大森さんと道重さんでパートを分けられていて、そのパート割りも事前にすごく考えられたのかもしれないと後で感じた。「絶対安全ドラック この歌私のことうたっている 気持ちいい EEE あーん」を道重さんが歌われる時、私はとてもドキドキした。道重さゆみさんから「ドラッグ」という言葉が放たれることと、「気持ちいい」という性行為も連想させる歌詞を歌っているというズレ。いわば違和感。この「あれ?」という違和感こそが道重さんのかわいさと偉大さを最大限に引き延ばしていたように私は感じた。この部分は歌や音楽による得られる「快感」を表した大森さんにしか書けない歌詞である。個人的に大森さんの歌詞の中でも特に好きで思い入れのある歌詞である。曲をよく理解していなければ歌うのを躊躇する人もいるかもしれない。でも道重さんはこの曲が好きだ。何度も繰り返し聴かれたかもしれない。だからか、恥じる素振りは全く見せず目を大きく見開いてはっきりと発声されていた。特に「ドラッグ」の発声は最後の「グ」にアクセントを持って来ているようで、強かった。誰もが平等に所有する資格がある「絶対安全ドラッグ」の強さを道重さんは歌い方や表情全てで表現していた。本気だった。突然、「SAYUMING LANDOLL~宿命~」で目の前に来てくれた時の道重さんを思い出した。その時と同じ顔だった。相手をしっかり見据え、こちらの眼球の奥まで到達するような眼差し。あぁこの人は歌を届けることに対して他人が入れないくらいこれまで本気で継続してきたのだなというのが伝わってきて、モーニング娘。時代の道重さんや先ほど観た高橋さんとのステージや、「SAYUMING LANDOLL~宿命~」で歌い踊っている姿や、インスタの自撮りやブログの文章など、道重さんの人生、道重さんにまつわる全てがぶわーと大群になって正面から迫ってきて、泣いた。この歌詞があったからこそ、この曲を大森さんと二人で並んで歌われたからこそ目撃できた光景。その奇跡さえ超えてしまっている、あまりにも強すぎる現実が発光していて私はくらくらした。だから他の細かいところをあまり覚えていない。あと、道重さんを見ている時は推しである大森さんを全力で見れなかったことを、きっと大森さんなら「ぎゃはは」と笑って許してくれるだろうという勝手な希望で、正直に告白しておく。大森さんを見させないなんて、道重さんくらいにしかできないことだと思う。

そして、「私の有名は君の孤独のために光るよ」を二人が一緒に歌うことのその強すぎるほどの説得性に眩暈がした。何でも歌詞にして歌えばいいというものではなく、歌詞に説得性がないと曲が曲でなくなる。例えば本気で音楽をやっていない人が「音楽で君を救うよ」などと歌っても何も伝わってこない。だから私は音楽にあまり馴染めなかった。モテそうな人が失恋ソングを歌っているのが嫌だった。毎日楽しく生きてそうな人に「頑張って生きろ」と歌われるのが嫌だった。それは偏見かもしれないし、本気で音楽をやっている人に出会えなかっただけかもしれない。私の誰にも理解されない孤独は鍵のかかった部屋で閉じ籠ったまま脈打っていた。決して怖くはなかったが寂しさの伴うものだった。だから私は好きな小説や映画を見つけて愛でることで孤独を可愛がっていた。偏愛した。音楽は分からなかった。でもいつか、生きている音楽に出会いたかった。ずっと探していた。そんな私が出会ったのがモーニング娘。であり、大森靖子さんだった。道重さんも大森さんも本気で生きて、本気で歌っている。二人とも自身の孤独を抱えたまま、私の孤独に潜ることができる。「これからも私達がいるから君の孤独は孤独のままで大丈夫だよ」と目の前で二人に言われた気がして、泣き続けていた。あの広いアリーナからぷっつりと切り離され、宇宙に浮遊して三人だけになった気がして不思議だった。


❤︎『ミッドナイト清純異性交遊』(出演者全員で)
『マジックミラー』で放心状態になっていた私は最後に出演者全員で歌った『ミッドナイト清純異性交遊』を夢の光景のようにぼんやり眺めていた。道重さんと大森さんが真ん中にいて、囲むように他の出演者がいて。全員で歌う「愛」。「君だけがアイドル」は道重さんであり、そこにいた出演者全員であり、大森さん自身でもあった。アイドルを軸にした「ビバラポップ」のラストとしてこれほど相応しいエンディングはなかったように思う。「アイドル」が’idol’(=偶像、神)という本来の言語の同義として使われることは今はないかもしれない。しかし我々の好きなアーティストや歌手は、本人の手で自ら世界を作り上げて我々に見せてくれるという点でやはり’idol’である。人間は神にはなれない。生きて呼吸する人間がidolになることは難しい。でもそれをやり遂げようとしている方々が集まっていた。人間がアイドル=idolになる時に生じる摩擦や傷痕は決して表には見えないけれどパフォーマンスを自分の五感で目撃することで静かに感じることができた。そんな一日だった。エンディングのSE『IDOL SONG』に身体を重ねて跳ねつつ、アリーナの出口に向かってゆっくりと歩きながらそういうことを考えていた。


★ビバラポップとは
会場で他のアイドルファンの方に大森さんについて聞かれたり、こぶしファクトリーに関するツイートにこぶしファンの人が反応してくれるのが新鮮だった。つい読んでしまった道重さんのファンの方が書いた感想もとても新鮮で興味深かった。当日のみならず終了後まで別のアーティストのファンが垣根を越えて交わる現象が続くという点で、ビバラポップ!が生きて呼吸しているイベントだと実感した。それは誰にでもできることではなく、ステージに立つアイドルについて誰よりも熟知していて、自身がステージに立つ歌手であると同時にアーティストへ曲提供したり対バンした実績のある大森さんでなくては実現できないイベントだったように思う。大森さんの好きを実現したフェスだという見方もできるが、個人としての「好き」を叶えるイベントではなく、音楽という領域に「アイドル」という軸で切り込み、新たな音楽文化の創造や変革を投げかけようとした意義のあるイベントいやプロジェクトだったのではないかと私は考えている。音楽フェスでありながら音楽の域を超えていたように感じる。これを実現させてくれたお二人には感謝の気持ちしかない。

大森さんは開催前日にビバラポップへの想いをツイートをされていた。

 

「現場風俗資料」は大森さんの造語だと思われるが、私はこの言葉にはっとした。Wikipediaによると「風俗」は「ある時代や社会、ある地域や階層に特徴的にみられる、衣食住など日常生活のしきたりや習わし、風習のこと」と定義されている。「日常生活や風習」の主体はどこにあるのか。地方や国やある限定されたコミュニティの中で生まれる風習はある日突然こうしようと決定されるのではなく、元々は個々人で生まれたものから重なり合う領域が自然とそうなった気がする。主体が個に帰属するミクロの習慣がやがて文化になる。人が何を見てどう感じたか、それによりどう行動したか、その瞬間瞬間の機微が日常になる。これを音楽に置き換えると、ビバラポップ!という「現場」に居合わせた出演者と観客一人一人が体感したものが、融合したりぶつかり合って新しい文化が生まれる、すなわちそれが「風俗資料」になるということなのではないかと私は勝手ながら解釈した。私がそう感じただけなので大森さんの真意は分からないが、これはこうだとはっきり定義しないのが大森さんの魅力である。いつも考える余白を与えてくれる。なので私なりに解釈した。もちろん見たものを全て文章化して人に伝えるのが正しい行為だと思っている分けではない。むしろSNSで何でも簡単に拡散・共有されてしまう時代だからこそ目撃した情景を自己の内側に留めて初めて芸術と対話できるのではないかと思っている。

しかし、世界にはその場にいた人にしか感じ得ない光景が必ず存在する。そこで何があったか伝えることは現場にいた者にしかできない。私には何ができるか。ただ目に見える形で目撃した光景を残しておきたかった。ただこれまで書いた記録は個人的な感情が整理されておらず客観的でないため誰かに何かを伝える「現場風俗資料」にはなれていない気もする。それでも自分が目撃した光景がやがて色褪せて消えてしまうのが怖かった。自分の中で大切な光景はいちいち日記に書かなくてもずっと覚えているものだ、と私の好きな作家は言っていた。確かにそうだ。でもそこに至るまでの細かな景色や光はやがて記憶から薄れて全体像が思い出せない。それはとても悲しい。

受けたものが大きすぎて表面張力して溢れそうだったたため、これを書くまではほとんど他の人の感想やレポートを読めないでいた。自分の見た光景が零れ落ちて上書きされるのが怖かった。目撃したものを自分なりに書き出して一旦閉まった今、ようやく読めるのが嬉しい。他の方がどんな風に感じたのかできる限り読んで点と点を結び付けるように自分の中で「現場風俗資料」を完結させたい。いや本当のところ完結はしない、この先にある何かとまだ地続きになっている。大森さんがこれが最終目的地だと思っているはずはない。

 

★今、大森靖子さんについて思うこと(おまけ、でもこれが一番言いたいことかもしれない)
私が知る限り、大森靖子さんという人は音楽をこの世界の誰よりも愛していて、「音楽とは何か」「音楽で何ができるか」というほとんどの人が問うことを諦めて目を背けている根本的な命題について、自身が音楽となり芸術となることで体当たりで答えを模索され続けている。ファンクラブが「実験現場」、FC会員が「被験者」、FCイベントが「実験室」と名付けられているように、大森さんはまだ誰も知らない結果を見ようと実験を繰り返している科学者のような人だと思っている。常に新しい世界を見せてくれる。飽きさせない。古いものを捨ててしまうのではなく、積み重ねてきたものを背負いそれを元に新しい世界を生み出す。その実験は無重力空間に宇宙服なしで飛び込むくらいの大実験なので当然身体ごと飛ばされて削られる危険が付きまとう。「大森靖子」だけではなくご結婚されて名字が変わった本当の靖子さんまで削られるかもしれない。顔がなくなるアンパンマンみたいにいつか消えてしまうのではないかとドキドキする。そんな大森さんのスピードに私は被験者でありながら「あぁ色が変わった!」「あぁ見たことない形だ!」と子どものように口を開けて驚いてばかりでちゃんと追いつけていない気がする。もっと追いつきたい。本気で。と考えていたら大森さんは以下のツイートをされた。

 

大森さんはスピードの速さを自覚されている。「被験者」として実験を傍観していてはいけない。「孤独」を「孤立」させてはいけない。それには自分が勝手に幸せにならなければいけない。大森さんは2018年3月の銀杏BOYZとの対バンで去り際に「勝手に幸せになってください」と言った。笑っている人もいたがその時私が一番求めていた言葉だった。そう、私は私で生きていかなれければならない。人と人は完全には分かり合えない、私の音楽で君のあらゆる全てを叶えられないから最後は君が君自身を守るしかないし私は私を守らなければいけない、と言われている気がした。ここ最近のライブや発言から、ライブや音源である美しい光景を体感したらそれで終了でなく、一度己のフィルタを通じて分解した感情をそれぞれのエネルギーに再生して欲しい、これこそが大森さんが私達に求めていることなのかもしれないと私は受け止めたつもりでいた。需要と供給の関係ではなくエネルギーの放ち合い。それこそ音楽の、芸術の本来あるべき姿なのではないか。生む人がいて生まれたものに共鳴する人がいて更に新しいものが生まれて。芸術を取り巻く全体が生きて蠢いている。そんな風に感じた。正しいかどうかは別として。大森さんが次々見せてくれる世界を消費して廃棄物みたいに黒い海に流してしまいたくない。大森さんは大森さんの孤独を守る。私は私の孤独を守りたい。来週からのCOCOROMツアーや近日発売する書籍やアルバムでどんな新しい世界が待っているのか楽しみでならない。

 

ビバラポップは生き方まで考えさせられるイベントだった。ありがとうございました。次の駅へ。