(続)海の音

雑念のメモ

岡本太郎とさいあくななちゃん

桜が満開の頃、岡本太郎現代芸術賞大賞、岡本太郎賞(TARO賞)を受賞したさいあくななちゃん(「さん」など敬称をつけると違和感があるのであえてつけないことにする)の作品《芸術はロックンロールだ》を観に、川崎市岡本太郎美術館へ行った。さいあくななちゃんの作品を初めて生で観たのは昨年夏のことだ。だから、何年も前からファンの方からしたら私などまだまだ浅いと思われても致し方ない。初めて対面したあの瞬間せり上がってきた言いようのない感情や在廊していたななちゃん本人と緊張しながら交わした会話は心の中にずっと残っている。以来、行ける場所の展示へは全て行くようにしている。初めて観るまでネットで見かけたことはあっても実際に観たことはなかった。絵や芸術は自分の身体で眼で向き合って初めて何か感じたりできると思っているので、ネットの画像をあまり注視したことがなかった。あえて見ないようにしてきた。画像だけで好き嫌いを判断したり、知っているつもり分かったつもりになるのが嫌だった。そういう存在の人は他にもいる。

トークがある日だとご本人に会えた可能性があるが、どうしても一日しか行ける日が取れなかったため、ならばできれば人の少ない環境で作品に向き合いたいと平日に行くことにした。新宿から普段滅多に乗らない小田急線に乗り込む。平日昼間の小田急線は乗客数が少なく、JRのように車内に駅名を示す液晶画面や電光表示がない上にアナウンスもよく聞こえなかったので、向ヶ丘遊園駅で降りるはずがイヤホンで音楽を聴いていたらいつの間にかずっと先の駅にいることに気づき慌てて引き返す。危うく小田原まで行ってしまうところだった。まるで遠い国で一人旅をしているようだった。こういうプロセス(というか自分がうっかりしていただけだが)を経て好きな人の作品に会いに行くのはとても気分が高揚した。

美術館の最寄駅、向ヶ丘遊園駅は都会の喧騒から離れた長閑な場所だった。駅からバスに乗り「向ヶ丘緑地」というバス停で降りた。「緑地」という名の通り、自然が豊かで空気が綺麗な場所だった。坂道をのぼり森林や公園を抜けてずっと奥へ進んで行く。歩いても歩いても看板は現れず本来の目的を一瞬忘れどこか遠くにハイキングに来たような心地になった。ようやく美術館の看板が見えてほっとするも入口を探して右往左往。入口が分かりにくい美術館ってそれだけでわくわくする。外では桜が綺麗に咲いていた。太郎の作品と思わしき造形物があった。入館してチケットを購入すると受付で最初に岡本太郎作品が並ぶ常設展を見るよう促されたため言われた通りに進む。

誰もが知る「太陽の塔」や、街で壁画や立体作品を見たことはあっても岡本太郎の原画をちゃんと見たのはこの日が初めてだった。赤と黒の配色が印象的な、それが何なのか容易に判断できないモチーフをじっと見つめているとその力強いエネルギーに引き込まれていくかのように血液が体内を駆け巡り体温が上昇する感覚をおぼえた。しかし同時に、背筋がぞくっとするような冷ややかなものが目の前を通り過ぎることにも気づいた。孤独のような何か。安易にこうと言えないが、一つの作品の中に陰と陽が含まれている気がした。

展示途中に岡本太郎が絵を描く様子を撮影したカラー映像が流れていて、しばらく立ち止まって食い入るように観てしまった。映像の中で、太郎は鉛筆(多分)で下書きをした巨大なキャンパスに大きな筆で脇にある机のパレットから絵の具をつけて一塗りし、一端後ろに下がってじっと全体を見て再び近づき一塗りするという動きを繰り返していた。その眼差しは自分の作品を真っ直ぐに捉えて離さない眼差しだった。勢いに任せて豪快に描いているイメージを勝手に抱いていたので意外だった。筆がキャンバスを走る時のさーさーという摩擦音以外に音はなかった。後の展示解説で、太郎は晩年、積極的に公開制作するなどして外の世界と対峙していたと知り、岡本太郎という自己を芸術に昇華させようとしていたのかなと得たばかりの浅い知識で考えた。

他には妻(事実上は養女)の敏子による、太郎関連の新聞雑誌記事のスクラップブックや太郎のためにテーマごとに集められた資料が興味深かった。今のようにネットが当たり前でない時代、必要な情報は手作業で地道に集める必要があったのだろう。特に太郎が関心を持っていたらしいメキシコの資料が多かった。そう言われてみると岡本太郎の作品にはメキシコ文化の影響が反映されているように今更ながら感じた。太郎自身がメキシコへ行った際に撮影した写真も展示されていた。メキシコの祭壇や街の写真。私はメキシコに詳しくないが、メキシコの宗教的なモチーフや祭壇には個人的な関心があり、いつか訪れてみたい国のひとつである。

順路の最後の方に大きな壁画の原画が飾ってあった。『明日の神話』だ。渋谷駅にあるあの有名な壁画。展示説明を読むと、「太郎がメキシコのホテルに依頼され、ロビーに飾る壁画を1968~69年頃制作したがホテルは完成後、経営悪化で廃業となり太郎の壁画も行方不明となった。太郎が亡くなった後も敏子は壁画を探し続け、2003年にメキシコの資材置き場(なんと!)で発見した。それが修復されようやく日の目を浴びた。」というようなことが書かれていた。そんな背景があったとは知らなかった。実際に太郎と敏子が建設中のホテルにいる写真も展示されていた。渋谷駅の壁画は大きすぎて全体に意識を行き渡らせるのが難しいが、その何分の一かサイズの視野に収まる原画を改めて眺めると隅々から迫り来るものがあった。壁画の真ん中に骸骨のようなモチーフが描かれ、無数の何かが爆発するように外向きに広がっている。燃えているようにも見える。骸骨の周りには炎のような赤い線や煙のような何かが渦巻いている。その下には人間のような群衆や断定できないモチーフが描かれている。と言葉で説明しても何の面白味もないのでこれ以上は辞めておく。後からWikipediaで調べてみたら「第五福竜丸被爆した水爆」をモチーフにした作品だと知った。関連書籍があれば読んでみたいが、それよりも壁画をもう一度見てみたい。美術館再訪が難しくても渋谷駅へ行きたい。

それにしても、この壁画が辿った運命よ。敏子がいなければ誰にも見つからないまま異国の資材置き場で朽ち果てて幻になっていただろう。太郎が死後この壁画が発見されることを望んでいたかどうかは知らないが、敏子が2003年に見つけ出したからこそ我々は今パブリックアートとして渋谷駅に掲げられたこの壁画をいつでも好きな時に見ることができる。その敏子の、絶対に壁画を見つけ出して世界の人に見てもらおうとした執念、太郎への愛を想うと気が遠くなった。額装され美術館で展示されて初めて芸術と呼ばれるのではなく、この壁画のような運命を迎える作品ももちろんある。作者以外の誰にも知られず、日の目を浴びないまま捨てられたり、なかったことにされた作品はこれまでたくさん存在したに違いない。ヘンリー・ダーガーの作品も死の直前に大家が見つけていなければ永久に知られることなく燃やされて消滅していたかもしれない。「はいこれは作品ですよ」と提示されないばかりか、存在すら知られない作品とは。芸術の根本的な意味について考えさせられた。

そんな思考で頭がぐるぐる回転した状態のまま常設展を出て、さいあくななちゃんの作品を観るために岡本太郎現代芸術賞展の展示スペースへ入った。さいあくななちゃんの作品は入り口から遠い場所にあったので、先に他の受賞者の作品が目に入った。さいあくななちゃんの作品が目的ではあったが、探して最初に見たいというよりは自然に邂逅したいという気持ちがあり、見る順は特に意識せず流れに身を任せた。受賞者それぞれの作品は部屋のように囲われていて展示されているものもあれば直接床に展示され境界が曖昧なものもあった。どの作品も観る者に強く何かを訴えかけようとしている感じがして、込められたコンセプトが分かり易く伝わってくる作品もあった。岡本太郎作品を観て、作品に込められた意味だけを追求することが必ずしも正しいとは限らないという意識になっていた私としては正直戸惑ってしまった。印象的だったのは岡本敏子賞を受賞した弓指寛治さんの《Oの慰霊》という作品で、「自殺」というはっきりとしたテーマが示されていたが、床と壁をびっしり覆い尽くす鳥のようなモチーフが描かれた無数の木片に圧倒された。木の匂いが漂っていた。伐採された木材の匂いであり生物(森林)の匂いではないな、すなわち死…など色々考えてしまった。作品から匂いを強く感じたことは初めてだった。こういう感覚は実際展示の前に行かなければ絶対に分からないものだろう。

さいあくななちゃんの作品はどこだろうと彷徨っていたら唐突にピンク色が目に飛び込んで来た。上野の東京都美術館でピンクの額縁で囲われて展示されていた大きな作品、『Rock’n Roll Forever!』の女の子と目が合った。再会。「あっいた」これが最初の気持ち。それから四方の壁と床の隅々、展示スペースいっぱいに貼られたり置かれたりしているさいあくななちゃんの作品が目に飛び込んで来た。今まで見たさいあくななちゃんのどの展示よりも大きく、圧倒的な光景だった。近づくこともせずしばらくその場に立ち尽くしたまま全体を見渡した。ぐっと涙が込み上げてきた。平日でお客さんが少なかったため、運よく私一人で作品と対面することができた。流れている時間や空気が一瞬止まり、作品と自分の身体だけが無重力空間にぽんと投げ出されたような感覚になった。大森靖子さんのライブへ行った時もこの感覚になる。それから痺れていた手が元に戻っていく時のようにじわじわと感覚が蘇ってきて、力強くて格好良くて、あぁこれがさいあくななちゃんだ!と感じた。

私は映像で絵を描いていた岡本太郎のように下がったり近づいたりを繰り返しながら、作品一つ一つを注意深く観察した。それぞれのドローイングの女の子と目が合った。さいあくななちゃんの描く女の子の瞳が私はとても好きだ。海のような宇宙のような光の結晶のような。たくさんのものが瞳から溢れていて、言葉では説明できない。怒っていたり悲しそうに見えたり、何を考えているか判断できない時もある。何時間でも眺めていられる。その一人一人の瞳と対話するように視線をゆっくりとずらしていった。

壁の一番上に私が初めて見た日に一目惚れした緑色の髪をして赤いリボンをつけた女の子がいるのを見つけた。「あぁまた会えたね」と心の中で呼びかけてその女の子と無言で見つめ合った。さいあくななちゃんの作品はピンク色が印象的だが、私は緑色が遣われている作品も好きだ。ここで突然過去の個人的な話になるが、幼稚園の時、画用紙に緑色の髪をした女の子を描いたら「そんなの人の髪の色じゃない、黒か茶色にしなさい」と先生に叱られた。それが腹立たしく帰って母親に訴えたら「そんな先生は無視しなさい、別に何色でもいいの」とフォローされた。それでも納得がいかず未だに根に持っている。根に持ちすぎてこの時の怒りが今の私の性格を形成してしまっている。という背景があるので昨年初めて行ったさいあくななちゃんの展示で赤いリボンをつけた緑色の髪の女の子が床にいるのを見つけた時、「あなたまだ怒ってるでしょ、でも大丈夫だよ」とあの時否定された女の子や悔しかった幼少期の自分に再会した気持ちになった。嬉しかった。その時、ななちゃんは「緑を遣うのも好き」と言われていた。昨年私はさいあくななちゃんの作品を一枚購入させていただいたが、その作品の女の子も緑色の髪をしている。絵を買うという行為自体生まれて初めてでドキドキした。値段がついていなかったが直観で買いたいなと思ったためご本人にその場で値付けしていただいた。絵は額に入れて直射日光の当たらない、好きなものしか置いていない部屋の壁に飾っている。

ドローイングはキャンバスだけでなく画用紙や紙袋など様々なものに描かれており、絵の具・鉛筆・クレヨンなど画材も限定せずに用いられている。彩色されたラジカセやギターや造形物も置かれている。よく見ると、さいあくななちゃんのこれまでの個展のチラシやななちゃんがアートワークを手がけた「Su凸ko D凹koi」のアルバム(確かタワレコのシールがついたまま置かれていてそれがいいなと思った。別の場所に原画もあった)も混ざっていた。ラジカセからはオリジナル曲が小さなボリュームで流れていた(昨年、町田で開催されたワークショップに参加した際、参加者が飾り付けしたピンクのギターでななちゃんがこの曲を歌ってくれた。ワークショップは言語化できないくらい素晴らしい思い出)。額装された絵だけが芸術じゃないんだよと言われているように感じ、岡本太郎の『明日の神話』を観て考えたことを再び思い出した。これだ。さいあくななちゃんは定義されない。これこそ芸術だ。岡本太郎の作品をみて命題のように頭の中で絡まっていたものがすっと解けるように腑に落ちた。

東京都美術館で観た『Rock’n Roll Forever!』は真っ白な広い空間で隣の作家と距離を置くように展示されていて、それはそれで美しさが際立ってとても格好良かったが、今回のようにたくさんのドローイング作品に囲まれた真ん中で守護神のように存在するのもいいなと感じた。同じ作品でも展示の仕方によって感じ方や印象が変わってくるのが面白い。

さいあくななちゃんは常に作品を受け取る側に立っている。立っているというのは、つまり、他の受賞者の作品の多くは「これはこういう意図で作ったものだからこう感じてほしい」と一方的に主張していた印象(あくまで個人の印象なのでそうとは限らない)だったが、さいあくななちゃんの作品は本人が「作ることに理由とかコンセプトとかどうでもいいです。」とパンフレットで言われているように、作品に込められた意味を考えること、どこに注目するか、どういう見方をするか、それ自体をこちらに託してくれているように感じた。だからさいあくななちゃんの作品とはいつも対話ができる。ななちゃんが絵を描く時の感情を想像したり自分の感情に重ねることができる。

とはいえ、無数の作品はいい加減に配置されているのではない。さいあくななちゃんの絵がそうであるように、展示全体で一つの作品となるよう一見無造作に展示されているようで全体として美しい均衡を保っているようにも感じた。またこれは断定できないし、はっきり分かれていた訳でもないが、過去の作品が壁の上の方や隅(鑑賞者の目線から遠いところ)に、最近の作品が目線の近くに展示されているようにも感じた。無秩序のようで秩序がある。対極するのものが緩やかに混ざり合う感覚がとても心地良かった。この辺りは文字で説明するのが難しいので実際に眼で観るのが一番良い。

何を以て芸術を芸術と呼ぶのか私は未だに理解できていないし、生み出す側に立っていない私が語る資格もないが、少なくともこれが芸術ですよと世の中で提示されるものの多くは違っているような気がする。有名な場所に並べられているとか、美術界で評価されているとかそういうことではなく、作り手がどれくらい本気で取り組んでいるか、意味やコンセプトではなく「生きること」それ自体が作品の内側から感じられるか、のような気がする。また、「継続すること」の意味にも最近気づいた。さいあくななちゃんは「毎日絵を描き続けている」とインタビューやブログなどで度々発言されていて、膨大な作品数を見ればそれは明らかだ。現在進行形で新しい作品が生み出されている。作者と一緒に生きて呼吸しているからこそ芸術。これは絵画だけでなく音楽や映画や小説、あらゆる作品に言えることかもしれないし、私が好きなものに共通している。だから私はそれらの生きている芸術をネットや他者の目線を通してではなく、出来る限り生身の身体を預けて自分の五感でみたいと思っている。それが私自身も生きることに繋がる。

自分が好きな人が世間で評価されないことはただ自分が好きでいる上では何の問題にもならないが、ヘンリー・ダーガーやその他誰にも知られずにこの世界から消えてしまった作家達を想うと悲しくて悔しい気持ちになる。売れなくても好きだけど売れてほしいなんて自分勝手な矛盾だが、さいあくななちゃんが「絵で食べていきたい」と考えられている限りファンとしては売れてほしい。だからこそ今回の岡本太郎賞受賞はとても嬉しかった。何に対するか分からないが勝ったという気持ちになった。それはさいあくななちゃんがというより、私の絵を批判した幼稚園の先生やこれまでの人生で私を否定してきた誰かや何かかもしれない。でも受賞したのはななちゃんで、正確には私はまだ何にも勝っていない。でもこれから勝つために背中を押された気がした。好きな人、応援している人が受賞するいうことはそういうことなのか。今後、さいあくななちゃんはもっと評価されるかもしれない。だが誰がどんな評価や批評をしようと自分自身が作品を観て感じることや初めて対面した時にせり上がって来た感情は掻き消されないよう大切にしたいと思っているし、それはご本人が一番分かってくれているような気がする。

岡本太郎とさいあくななちゃんの芸術に対する姿勢はきっと似ている、そう強く感じながら売店で『明日の神話』のポストカードとさいあくななちゃんの自主制作CDを購入して美術館を後にした。さいあくななちゃん、受賞おめでとうございます。

 

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追記:

公募ガイド』2018年5月号に掲載されているさいあくななちゃんのインタビューがとてもよかった。