(続)海の音

雑念のメモ

生きる宣言

昔から走れず泳げず歌えず、人前に出ればうまく話せず思い切って言葉を捻り出せば意味不明だと狂人扱いされ、唯一絵を描くのが好きだったけど高校で基礎デッサンが全然できなくて美術の先生にいつも叱られて美大断念。それきりほとんど描かなくなってしまった。何においても人より優れたものがなく、とりあえず勉強だけは真面目にしていたのだけど別段好きでもないしテストで良い点取ることや内申点を上げることが一体何の役に立つのか分からないと気づくや一気にやる気を失い大学受験戦争から見事に脱落した。悲しいことに、自信を持ってこれだけは誰にも負けませんと言えるものがどこを探しても一つもない。子育てにおいてはまあ胸を張れるがそれは自分の特技ではなく状況だと思っている。お遊戯会で主役に抜擢され、何でも器用にこなしていた(いるように見えた)きょうだいをいつも横目に放課後、学校の裏にある、怪しいと噂されるおっさんが実家の一階で一人でやってる薄暗い絵画教室に直行し絵を描くことだけが楽しみだった。部屋の中に先生の描いた絵が数枚飾ってあったがどれも雲の浮かんでいる空の絵だった。全部同じに見えた。先生の影響か子どもにしては無意識のうちにパレットの上で暗い色を作って塗りがちになり「夜中に床に横たわる人形」とかよく分からない絵ばかり描いていた。絵画教室で友達は一人もできなかったし、先生ともほとんど口を利くことがなかったけれど、先生は時々絵を褒めてくれた。何度か部屋の奥に年老いた女の姿を見かけた。いたと思ったら消えて幻のようで怖かったけれどおそらく先生の母親だったのだと思う。絵画教室へは5歳から12歳まで週に一度通ったが、一度だけ、確か高学年の時、先生が後ろから近づき長い髪と首筋を後ろから撫でるように触れ「汚れるからくくっておこうね」と長い髪を輪ゴムで縛られた。その時のぞくっとした感覚と髪が輪ゴムに巻き込まれて痛かったこと、鼻孔に染みついた油絵具の匂いを今でも鮮明に覚えている。抵抗せずただ前を向いて黙っていた。親は私が暗い絵ばかり持ち帰るので別の絵画教室に行かせるべきだったと言った。先日また一つ歳を取った。悲しい。「誕生日を迎えると死に近づくから小さい頃から全く嬉しくなかった」とある小説家は言っていた。まさにそうだと共感した。数年前まではできませんとへらへら笑って許されることもあったが歳を重ねていくうちに笑っているだけで済まされないぞという思いが強くなるばかりで己の行く末を思うと恐ろしい、などという文を書いてもこの通りの稚拙さで、毎日食べて寝て排泄して呼吸するのを繰り返しているだけの醜い中年女と化している。何かしなければと思うけれど何もできないでいる。あーと声を出しているうちにそのまま死んでいくのかもしれない。そう考えていた矢先、同じ人が好きな方がお亡くなりになったと知った。面識はないが今までにないくらい自分に置き換えて考えた。その方が想像を遥かに超えて、「行動していた」「生きていた」様子を泣きながら聞いた。自分は今、惰性だけで生きているような気がしてやはり何かしなければ動かなければと親が毎年黙って送ってくれるケーキを早朝暗い台所に立って一人貪りながら決意した。生きる宣言。