(続)海の音

雑念のメモ

たかがゼリーポンチ、されど

京都の喫茶店、ソワレのゼリーポンチを食べた。しかし京都へ行ったわけではない。

池袋西武で「菓子博」なる全国からお菓子屋さんが集結するイベントが開催されている、そしてゼリーポンチが来るらしいから食べてみたいと友人が連絡をくれた。行きたいと即答した。だって食べたいから。正確に言うと食べたいというより見たいから。

 

喫茶ソワレのゼリーポンチ。乙女の代名詞のようなメニュー。いわゆるインスタ映えするメニューだと思う。

インスタもツイッターも世界に存在しなかった十代のある夏休み、京都を訪れた。京都へ行ったら、今も無知だが今よりもっと無知だった私に関西の色んな面白い場所やお店を教えてくれたバイブル的情報誌・Lmagazine(地域と世代が合ってそうそうエルマガめっちゃ読んでた!という人にたまに出会うと興奮する)で紹介されていた美しい喫茶店でゼリーポンチなるものを食べてみたい思っていた。しかし訳あってソワレには行くことができなかった。

それから十数年が経過したが、ネットや雑誌でソワレが何度も登場する度に「はっ、また出たな。人の見た光景なんかいらん。いつか絶対行くからな、待ってろソワレ待ってろゼリーポンチ」と勝手に一人で悔しがり誰かが撮ったおしゃれな写真を直視できず雑誌のページは急いで閉じた。いわば、ゼリーポンチに対して拗らせていた。

上京するまで京都は数えきれないくらい訪れたが、なぜかソワレに行くことができなかった。行きたいのに行けなかった。拗らせてるから。何かのついでに行きたくなかった。何ならゼリーポンチを食べるためだけに京都に行き、あの空気にずぶずぶに浸り、店を出たらすぐ帰るぐらいの心意気で臨みかった。とか言ってる間にメディアでの紹介頻度は増した。でも行列して入店するのもなんか違う気がして嫌だった。完全に拗らせてる。

就職を機に関西から離れると京都に行く機会は激変しソワレに行かぬまま数年経過、その間自分史上最大の事件とも言える妊娠出産を経験し、京都自体訪れることがなくなった。

それでも雑誌の京都特集で常連のように登場するゼリーポンチを見かけるとスルーできず、一体自分はいつ行けるのだろうか子連れで京都なんてまず無理だから10年後かもしれない等と考えていた矢先。

本場で食べなきゃ意味ない、店で食べるのとは味が違う、ソワレみたいな喫茶店は京都の街や店の雰囲気込みで味わうものだからデパートの催事で食べても意味ない、などの意見があるとすれば全部無視したい。

違う。そんなの分かってる。河原町のあの場所、フランソワ喫茶室と同じ並びにある海の中みたいに青い照明のお店で食べた方がそりゃあいいに決まってる。あの夏の夕方、行けなかったソワレ。食べられなかったゼリーポンチ。通りに人は少なく、暑くて静かだった。

色々な当たり前にできていたことが出産後、当たり前でなくなった。一人で行きたい場所に簡単に行けなくなり、したいことは簡単にできなくなった。助けがない状況下での子育ては不自由さを伴うものだともちろん出産前に理解していたつもりだったが、甘かった。

当然、子どものおこだわりを優先すればするほど自分のおこだわりは削られる。それは不自由でありながら案外悪くはない。本当に必要で大事な部分だけ残った。削られて純度が高くなった。会社の飲み会やあまり行きたくない集まりなど気が乗らないものは断ち、本当に行きたい場所に行き本当に好きな人にだけ会うようになっていった。意識したわけでなく仕方なく。それでも叶わない場合はさっぱり諦めたり、目的に応じて子どもも連れて行くことも覚えた。

 ベビーカーで混雑した催事に来ている、騒ぐ子どもと列に並んでいる、大人だけだと必要ない席まで余分に使っている。分かっている。きっとある人には異様な光景で、ゼリーポンチ食べるために何もそこまでしなくてもねぇと思われているだろう。分かっている。子連れで何でも許される優遇されて当然なんて今まで思ったことはないし、人様に迷惑をかけないように常に意識している。

 

その上で見た、あの光景。お花みたいな受け皿に乗って現れたあの子。しゅわしゅわのソーダに沈むキラキラの色鮮やかなゼリー。フルーツ。小さい頃、夏休みにおばあちゃん家に行って特別に玩具のアクセサリーセットを買ってもらった時みたいな懐かしさと憧れの入り混じった気持ちが一瞬で湧き上がる。

これはなにいろ?黄色だよ。これは?緑だよ。どの色が好き?サイくんはあかいのがすき。ピンクだね、お母さんもね、ピンクが好き。

スプーンで掬うたびに宝石の煌きが目の前に溢れてうっとりする。あれだけ思い焦がれたゼリーポンチはソーダもゼリーも甘さを抑えた大人の味だった。甘すぎなくて美味しいね、と友人と言い合った。

ゼリーポンチを待つ行列は更に増えており、席から順を待つ人達が大勢見えていたし、インスタ映えからは程遠い写真しか撮れなかったし、ガヤガヤと煩いし、子どもは食べ零すし、とにかく落ち着かなかったけどあの瞬間、幸せがあった。なんか生きててよかったって思った。

一人だと絶対にまた行かずに終わっていただろうから、今回誘ってくれた友達にありがとうの気持ちしかない。いつか分からないけど、必ずソワレを訪れたい。こうやって色々な面倒や与えられた境遇と日々折り合いをつけながら大切を失わないようにしたいなぁ。

 

ゼリーポンチへの拗らせおしまい。