(続)海の音

雑念のメモ

学校へ行こうにだぜっていう大学生いたよね

とおくにきえてしまいたいけど朝になれば息子がおはようって起きるからどこにもきえないぜ。ぜってなんや。動きながらラジオ聴きたいのに電池があと3パー。でっかいねこのぬいぐるみは買ってよかった。秋刀魚の内臓は好きじゃない。ハーゲンのかぼちゃは美味しい。銀杏が綺麗でだれもいないあの公園にもう一度行きたい。本をたくさん読みたい。絵を描きたい。誰にも見せない絵を描きたい。あー連休が終わる。何これポエムかよ。

 

 

呼ばれて飛び出て即死

頭の中にあることを真面目に話しただけなのに全員ほんとに漫画みたいに目が点になって黙り込み以降話が全く進まなくなり、あーやっぱり話すの辞めれば良かったって思った。いつもいつも言いたいことを殺してきた。撲殺して普段は檻の中に入れているのだけど、この人だったら、今だったら話しても大丈夫かなって瞬間、檻の鍵を外す。そしたら一度死んだ大切がなんかお洒落して蘇って出て来る。しかしその大丈夫は妄信に過ぎず結局自分は相手にトチ狂った奴としてしか映っていなかったと後から気付いた時、途端に恥ずかしくなって再び逝ってしまったギラギラの昭和の漫才師みたいなスーツに蝶ネクタイの亡骸を抱えてどこか秘境にでも逃げたくなる。生涯でたった一人ぐらい逃げなくてもいい人に出会えるのかな、それとも探し求めて道端で野垂れ死ぬか。分からないからずっと怖い。

花屋敷でアイスもいいよね絶対

どっから辿り着いたのか気が付いたら全然知らない人のインスタを見ている、なんてことは多々あるのだけど、それは整理整頓が好きな主婦のアカウントだったり、ラーメン愛好家のアカウントだったり何故それを見ているのか自分でもよく分からない。今日は知らない女の人がひたすらポートレイトをアップしているインスタを見たのだが、いかにもなロケーション(緑いっぱいの公園とかカフェみたいに非現実的な部屋とか)でいかにもな格好(全身真っ白でお胸強調したワンピースにヒールとか)で撮影されており、うおおお違う、違うんや、煙もくもく飲屋街で古着&スニーカーで焼き鳥食べてる、とか、彼女の好きな物でごちゃついた部屋でサイズオーバーのロックTシャツにパンツ一枚でそこら辺に寝転がってる、とかその方が絶対可愛いのに可愛いのにー公園でヒール白ワンピよりも絶対にー!ってどこの誰か知らぬ彼女に向けて心の中で絶叫している。全く余計なお世話である。有り余るほどのお金があったら可愛い女性のポートレイトを撮りまくって毎日暮らしたい。ロケーション候補めちゃくちゃあるのに肝心のモデルがいない。悲しき哉。

PINK

最近、PINKという曲がずーっとずーっと脳内でかかっていて、BGMというよりもはや身体に纏わりつく空気のような感じ。自転車に乗りながらお風呂につかりながら布団に寝転びながら気がついたら一節を歌っている。息子になにそのうたって聞かれる。おーもりさんだよ。ふーん…ねようよもう。うん。

帰り道、ピンク色と群青色の絵の具が溶けてとろーんと混ざり合っていた空が死ぬほど綺麗だったからいつも問うているように、ねえあの空何色に見える?って聞いた。少し考えて、んとね、あれはにじだよ。そうか、虹、知ってるんだね。うんしってるよ。いつもわたし達はそんな風に会話している。毎日毎日空ばっかり描いてたあの先生は今何してるんだろうか。生きて今日も空を見上げていたらいいけれど。

14歳の読みすぎかもしれない

会いたい人には自ら会いに行けばいいのだし会えなければ相手を想ってただ時間を過ごせば良い、即ち同じ時間軸上にいる限りこれまでと変わらない日常を過ごせばよいというだけの話だなほほう、って考えて変な時間に目が冴え冴えしている。

昔から感情を言葉にして話すのが死ぬほど苦手で授業で挙手をして立って発表なんて拷問でしかなかったから自分はいつも席に座って俯いて前に使っていた誰かが開けたプリント書く時いつも鉛筆がすぼっと嵌る机の黒い穴を見ながらぐるぐる頭の中を回転させたりさせなかったりしていた。さすがに今は社会人になったから会議で求められば口を開くようになったけど伝え方に問題があるのか、ん、いやそうじゃないんだけどなって後から悶々とする時があるし伝えたところで結局各々持っている意見が変わらない場合もある。そもそも感情を誰とも共有しないで、たった一人で考えたり想うことってそんなに悪いことじゃないしそのために夜中があるんじゃないかって思っている。頭の中でどうにもならない時は書いたり描いたり歌ったり踊ったり作ったり身体を動かして吐露することだってできる。芸術が何なのか未だに理解できていないが、結局大昔からそういう日常の延長で生まれてきたような気がする。

 

少し寝て起きたら曜日感覚が分からなくてあれ週末かな明日休みだったかなとふと思ったけどまだ週も半ばだった。仕事は続くし予定はあるし世界はまだまだ終わらない。植物が突然消えて人類も地球も滅亡して終末を迎えるわけじゃないんだし。

わからない

別に死にたいとか全く思わないのだけど今生きている理由、仕事してごはん食べて洗剤買って洗濯して眠ってまた朝が来てっていう毎日を繰り返している意味が全然分からない時どうすればいいのだろうか。最近そればかり考えて街を歩く人職場の人電車に乗っている人皆なにゆえ日々の生活を営んでいるのだろうかと考えてみるもその表情からはわからない。そもそも何のためとか考えるのが間違っているのかもしれない。

何が言いたいのか分からないただの更年期

人間25歳がピークだなんて誰が決めた訳でもなくただ漠然と自分で勝手に思っているだけなのだけど、何の根拠もなく思っているというよりは自分が25歳を過ぎた辺りから新しいことをするのを諦めたり無理に嫌いな人とコミュニケーションを取るのを辞めたり、まあ消極的というかガッツと呼ぶならそういうのが減っている気がし始めて、身体的にも精神的にも人生の終焉に向かっているのかもしれないと薄々自覚し始めた。いやいやそんなの気のせいだ気力次第だとそれなりに生きてきたのであるが、それが30歳過ぎた時点でいよいよはっきり感じるようになり、以降あらゆる物に対するモチベーションは数学の教科書で見たような上に凸の二次関数が最大値を過ぎてどんどんゼロ否マイナス領域にまで急降下するように勢いよく失われている。何故か分からないけど。というのはごく個人的な問題であって一般論ではない。25過ぎても30過ぎても50過ぎてもあぁ魅力的だと思う人は勿論いて、そういう素敵な人を見る度に愚痴愚痴ぼやいている場合ではないと奮起し格好良くて可愛くて美しい彼ら彼女らに少しでも近づきたいと思って、まずは内面からだと何事にも大らかになろう人に対してはとにかく優しく穏やかになろうと努め、外見でも増えていくシミや皺を野放しにする訳にはいかんとカウンターのお姉さんに何かお悩みのことはございますかと問われれば人生相談所かというくらい前のめりで悩みを打ち明け待ってましたとばかりにお姉さんに勧められた基礎化粧品を購入、大丈夫ほらいい感じみたいな生き方を演じようとするのだけどやればやるほど運動音痴が無理して逆立ちしてるみたいになり、本来の自分と乖離してるからふとした瞬間転けてズル剥けになり阿呆な面がぽろぽろ人前で出てきてしまいその度に哀しくて恥ずかしい。結局薬局、丁寧な暮らし白っぽい服高い箒手作り市常備菜無垢の床くそ喰らえって全部纏めて丸めて壁に投げつけてファミチキを齧って発砲酒を飲んでソファに転がっている始末。仕事も家事もうまくこなせなくて、人ともうまく話せなくて、世代なのか何なのかネットSNS至上主義の速度にも全然着いて行けなくて、気が付いたらどこにも居場所を見つけられずに溺れていて、一層のことちょっとやそっとじゃ帰って来れない場所、言語も価値観も全く通じないどこか遠くの世界へ行ってしまいたいと思う。それって別に今に始まったことでなく、物心付いた時からずっと同じようなこと考えていたから何も変わってないのだなぁと我ながら愕然とする。そんな世界どこにあるのか果たして分からないけど近所の公園の遊具に誰かがでかでかと書いた「神」という落書きを見る度に何故か少し救われていてちゃんと残っているか無意識に確認していた。その落書きは今日見たら綺麗にペンキで上塗りされてなくなっていた。代わりに喧嘩上等という文字が何たら中学何年何たらという署名入りで落書きされていた。私はまた週末ごとに喧嘩上等がちゃんとあるか確認しに行くのだろう。それが果たして救いになるのか分からないけど。