(続)海の音

雑念のメモ

よしお兄さんりさお姉さんありがとう

時代が遷り変わるように始まったものにはいつかきっと終わりがやってくる。当たり前のように側にいると思っている人がずっとそこにいるとは限らない。そろそろかなと番組を観る度になんとなく覚悟をしていたため、あまり驚かなかったが日を追うごとにじわじわと実感がわいてきた。何の話かというとよしお兄さんとりさお姉さんの話。「よしお兄さん」こと小林喜久さんと、「りさお姉さん」こと上原りささんががこの3月でEテレの『おかあさんといっしょ』を卒業する。

4年半前に息子が生まれてから、自分の幼少期以来、数十年ぶりに『おかあさんといっしょ』を観る生活が始まった。最初はこの番組を観よう!と強く思って観たわけではない。息子が生まれたのは秋の終わりだったのですぐに寒い冬がやってきた。日中近所のスーパーに買い物に出かける以外は朝から晩まで息子と二人きりで家の中に閉じこもっていることが多かった。会社にもいかず友達に会うこともなかったため、外の世界がどうなっているかあまりわからなくなるほど孤独だった。息子は起きている時には常に泣いているような子だった。寝かせるのがとにかく大変だった。眠いのに眠れなくて泣いているが背中には高機能センサーが搭載されているらしく、よし寝たと思って布団に寝かせようとすれば世界の終わりのように泣き叫んだ。抱きながら部屋の中を歩き回り、抱いたままカップラーメンやパンを食べた。終わりがないような孤独な一日が始まる朝、延々と黄昏れ泣きをする夕方、暗がりで電気をつけるような感覚でEテレにチャンネルを合わせた。

黄色い洋服を着たよしお兄さんがブンバボンという歌で踊りながら次々動物になったり、大道芸風のオレンジの衣装を着たりさお姉さんがパントをしていたり、二人がこどもを持ち上げたりしてお弁当を作る歌で踊っていた。子ども番組なので当たり前とはいえ、一ミリも嫌な顔を見せることなく活力に溢れた二人の身体の動きや表情をぼんやりと目で追った。明るいスタジオ、着飾った子ども達、笑顔のお兄さんお姉さん、負の要素が一切ない明るく前向きな歌、私がかつて愛した「にこにこぷん」とは全く造形が違うがなんとなく名残はあるような三人組のキャラクターがいるテレビの中の世界は、息子が泣き続け洗い物がシンクに溜まっている散らかった部屋とは何千里もかけ離れているような気がした。ここからは辿り着くことはできない笑顔に溢れる桃源郷

でも彼らは決して手癖でやっているようには見えなかった。二人を毎日繰り返し見ていたら、自分より年上であろうよしお兄さんや自分と同年代くらいであろうりさお姉さんが、絶対的な使命感に駆られて「よしお兄さん」「りさお姉さん」であることを守り抜き、踊って跳ねているようにも見えた。ああやって笑っているけど、裏では風邪を引いて体調を崩していたり悩んでいることだってあるかもしれない。そう思うと、ここも向こう側も同じひと続きの世界で彼らも私も同じ人間なのだと感じた。あぁ私もこの子とがんばって生きないとな、とこの世の終わりがやって来たかのように泣き続ける我が子をあやしながら考えたものだった。

赤ちゃんの頃は最初は目を丸くしていただけの息子は今やテレビで観る度に恋かと思うほど「よしおにいさんかっこいい…」と目をかがやかせお兄さんに憧れ、踊りを真似したり、誰からも教えてもらっていない独学の前転を布団の上で練習するのに日々励んでいる。ある時、踊るお兄さんを観ながら「よしおにいさん、もうすぐいなくなるんだって…」とつぶやくと「えっなんで?いなくなるの?」とサイは驚いていた。「あ、いや、いなくならないけどね、これには出なくなるんだって。でもまたどこかで観れると思うよ。」と言うと分かったような分かっていないような感じだった。それ以来、ふとした時に「よしおにいさんいなくなるの?」と何度も聞かれるので、彼なりに気にしているようだ。

テレビの向こうでよしお兄さんやりさお姉さんがあんな風に笑ってくれていたから、熱々のエビフライを揚げてくれていたから、なんか今日は難しいこと考えるのはよして散歩でもしようか、と思う日がたくさんあった。番組で二人の姿を観れなくなるのは寂しいけれどこれからもまたどこかで会える気がする。ありがとうございました。

はじめて大森靖子さんに出会ったときのこと

初めて大森さんのことを知ったのは2014年の春。今もだが、その頃の私は今よりもずっと音楽に疎かった。山口百恵ビートルズを好んで聴いていたが、歌番組で聴いたり有線から耳にする曲をなんとなく知っているくらい。音楽のことが何もわからなかった。過去ではなく今、歌っている人で好きな歌手は特にいなかった。ある時、そういえば中学の時に流行っていたモーニング娘。って今も活動してるのだろうか、とネットで検索したことをきっかけにモーニング娘。を好きになった。6畳ワンルームの部屋で、暗くなるまでMVやライブ映像を漁るように観続けた。

好きが止まらずモーニング娘。’14の話を職場で仲の良い先輩によくしていたら、「大森靖子さんって知ってる?道重さんのことが好きな人なんだけど」と先輩は二枚のアルバムを貸してくれた。それから、「MVにユイちゃん(橋本愛)が出てるから観てみて」と付け加えた。その少し前、わたしたちは朝ドラ『あまちゃん』に熱中していた。今から考えれば運命的というのだろうか。私がモーニング娘。を好きになっていなかったら、大森さんが道重さんを好きでなかったら、橋本さんがMVに出ていなかったら、私は借りたCDをそのままにしていたかもしれない。

大森さんの音源を初めて聴いた時の第一印象は、わからない、だ。でもそれは自分にとって良いことだった。人でも物でも昔から分かり易いものより、分かりにくいと感じるものに惹かれる。分かろうと近づく過程が好きだ。大森さんの音楽が分かりにくいというわけではなく、私が音楽に疎いというそれだけだったのかもしれない。先輩に借りた『魔法が使えないなら死にたい』と『絶対少女』に入っている曲は他の何とも比べることができない、今まで聴いたことのない音楽だった。キティちゃんの白いところ 6Bで塗りつぶす…?ディスったやつの家にバラの花束を毎日送る…??それは一体どういうこと…?頭の中は疑問符だらけだった。でも繰り返し聴いているうちに、皮膚を細い針で突き刺さされ、何かが身体の奥深くに入り込んでいくような感覚を覚えた。単純にこの人のことをもっと知りたいと思った。恋の予感みたいだった。ドキドキした。特に『音楽を捨てよ、そして音楽へ』を聴いた時、これこそ私がずっと聴きたかった曲に違いないと震えた。これまでの人生で音楽に近づくことができなかった私は、この曲を聴いて初めて歌とは何か、音楽とは何か考えた。

ライブなんて怖い場所だと決めつけていた私が現場に行くまで、それから2年も要した。2016年3月。『TOKYO BLACK HOLE』が発売され、買って聴いているうちに、どうしても生の音が聴いてみたくなった。ツイッターをやっていなかったので情報を得る手段が公式サイトしかなかった(と思っていた)。会社の昼休みに大森さんの公式サイトを見ると、無料のリリースイベントがあることを知った。ライブハウスは怖いけどCDショップでやる無料のイベントであれば勇気を出せば行けるかもしれない。リリースイベントのことはモーニング娘。を追っているとそういうイベントの存在をなんとなく知っていたが、行ったことは一度もなかった。知ったのが遅く、『TOKYO BLACK HOLE』発売記念のリリイベはほとんど終わっていた。でもよくみるとなんと明日、池袋で最後のリリイベがあるらしい。まだ間に合う。行かなかったらきっと後悔する。

翌日、2016年3月30日。退社後、ドキドキしながら池袋へ向かった。息子が生まれてから夜外出するのは初めてだった。イベント前にHMVが入っているEsoraの一階でホットドックを食べたが緊張でほとんど喉を通らなかった。何時に行くのがベストなのか要領を得なかったので、開始時間の1時間ほど前にお店に着くと、既にイベントに参加するであろう人がちらほら集まっていた。まだ始まるまで時間があるなぁと思ってぼんやり突っ立っていたら、店の奥に設置されたステージに大森さんが現れた。大森さんは黒地にピンクと白が配色されたワンピースを着ていて、ステージの後ろに立てられたHMVのロゴが並んだパネルの色と合わせたのかと思うほどみごとに調和していた。自分が思っていたよりもずっと鮮やかなピンク色の髪。色白で驚くほど小さい顔に見とれる。突然の登場に混乱していたら、大森さんはギターをかき鳴らし歌い始めた。揺れるピンク色の髪。力強く弦を弾く白い指。美しかった。数曲弾き語りで歌われた大森さんはまたその場から立ち去った。リハーサルだったことを後から知り驚いた。ともさかりえの『カプチーノ』など8曲ほどカバーで歌われていた気がする。

時間が近づくにつれ、人がどんどん集まってきた。開始直前、券を持っている人は前方の優先エリアに通されていた。券を持っていない私は優先エリアの後ろの無料エリアの一番前に立っていた。目の前の優先エリア最後尾に黄色い服を着た背の高いイケメンが立っていた。この人は私よりずっと大森さんのことを知っているんだろうな、などと考えていたらまもなく大森さんが登場され、いきなり歌い始めた。一番最初は一番聴きたかった『TOKYO BLACK HOLE』だった。あの伴奏を聴いた瞬間の体内中の血がいっせいに駆け巡るような高揚を忘れない。ギターの音が強く身体に響いてきた。それから歌声が矢のように自分に向かって真っすぐ飛んできた。身体の奥がえぐられていく。えぐられてかき回されてドロドロになった自分の内臓が口から飛び出すような感じがあった。

1時間ほどでリリイベは終了した。無料だしニ三曲聴けたら嬉しいなと思っていたので、今から考えると有料のライブかと思うほど曲数も多く、MCもたっぷりで濃いイベントだった(iphoneに残してあるセトリメモを見たらなんと13曲も歌っていた)。内臓が飛び出して空っぽの胴体を抱えたまま、放心状態で店を出た。帰りの電車に揺られながら大森さんは歌に対してすごく真剣な方なんだなと考えた。好きな歌手の歌を生で聴いたという、生きてきてほぼ初めての経験に興奮がおさまらず、家に帰ってからも歌詞や歌声、目に焼きついた髪の鮮やかなピンク色について何時間も思い返していた。そして真夜中、ファンクラブに入会した。誰かのファンクラブに入るのも生まれて初めてだった。

あれから三年。今もずっとドキドキしている。人が何かに新しく出会う時、それはただの偶然かもしれないし巡り合わせかもしれない。それぞれに誰にも介入できない物語があり、人生はそれを積み重ねながらうねるように進んでいく、と最近よく感じる。毎年この時期、あの日あの場所で聴いた『コーヒータイム』を思い出す。春はまたくる。

8767日

阪神大震災から24年経ったらしい。らしいというのは何年経ったか正確にわからなかった。ニュース記事を読んで「そうか、そんなにか」と実感した。

神戸新聞の記事の冒頭に「8767日。あの大地の揺れから、私たちが歩んできた日数です。あなたは1日1日を、どのように過ごしてきましたか。」と書いてあった。どのように…。どのようにと問われてもただ目の前で起こる出来事をやり過ごしてきただけです、としか言えない気がする。この類の質問が苦手だ。「あなたは大学時代どのように過ごしてきましたか」「あなたは入社してからどのように過ごしてきましたか」容易に言語化して他人に答えられる問いではない。8767日の間、私は一体何をしてきたのか考えた時に、小中高、大学、就職、結婚、出産、離婚と驚くほど多くの転期を迎えている。にも関わらずどのように過ごしてきたかうまく説明できない。ただ目の前にやってくることを時に何も考えず、時に逃げるように選択してきただけだ。そこには主義も思想もなくただやってきた、それだけである。だから就活でどのように過ごしてきたかなんて怖い顔で問われてもうまく答えられなかった。集団面接で隣に座った学生が「海外留学を頑張りました」「ボランティアで精を出しました」などと就活攻略本に載っている模範解答を真っ直ぐ前を見据えて答えていた姿が眩しかった。彼らを真似て無理矢理何かを「頑張った」ことにして面接官に言ってみたりしたが、面接後嘘をついた自分に対して激しい嫌悪感を覚えたしそんな風だから受けた会社はことごとく落ちた。結局ゼミの先生の知り合いがいた今の会社に潜りのように入れてもらった。東京でまさか働くことになるなんて思わなかった。全てが受動的だ。後から振り返って頑張りましたと主張できることなんて私にはひとつもない。いや頑張ったといえば頑張った時もあったかもしれないが他人に明確な自信を持って言えるものなのかという疑念が付きまとう。

たとえどう過ごしてきたか説明できずとも8767日は確実に過ぎていて、今がある。それが揺らぎない事実であり、時間の経過というものだ。一方で8767日の時間を過ごすことなく24年前の1月17日に亡くなった方は大勢いて、私は助かったがそれは単なる偶然であの時ひとつ隣の駅に住んでいたら今ここにいなかったかもしれない。あの日生きられなかった人と生き残った人の境目なんて何もなくきっとあみだくじの当たり外れようなものだ。誰にも選べない。震災関係の記事でよく見かける、あの時亡くなった家族がもし生きていたら今は何歳で、という文を読むたびに「おまえはその娘が生きられなかった年月一体何をしてきたのか」と問われているようで苦しくなる。震災後、一か月ほど経って登校した学校で先生に言われた「亡くなった方の分まで精一杯生きよう」とか「生き残った者が前を向くことが亡くなった人のためになる」という言葉に違和感を覚え吐き気がした。亡くなった方と自分の人生は全く別の切り離されたものであり、残された者が亡くなった方のために生きるなんてそれはおかしいような気がする。ただ、最近思うのはあの時死を逃れて今生きている私はこのステージに立つことを自分のために守り続けなければいけない。私があの日人生を終えて、代わりに記事に書かれていた亡くなった女の子、明るくて家族思いで将来の夢があった女の子、が8767日の時間を過ごした方がもっと社会的に価値あるものがそこに成立していたかもしれない。でもそういう考え方だけはしたくない。そんなものはいないが人の生死を分ける神様か何かがいたとして、「おまえの人生は意味がないからもうここで終わりで良い」「君は見込があるから生きてよい」なんて審判するとしたら傲慢で不公平だ。

頑張ったと言えなくても生きてきたという事実がある。人が積み重ねてきた年月をどのようなものだったのか判断するのは他者ではなく本人であり、それは他の何とも比較できず良くも悪くも過去には戻れないし今があり今もこの先に繋がっている、というただそれだけだ。息子と二人で暮らし始めてからただぼんやりと生きているわけにもいかなくなった今、前以上に病気や災害に怯えるようになった。人の死や病気を耳にするととても他人事とは思えない。私が突然どうかなり息子がたった一人残されたらと思うと夜眠れなくなることもある。

少し前に一人で自転車に乗っていた時猛スピードで角を曲がって来たトラックに衝突しそうになった。こんなに死を意識したことは過去にないというくらいスレスレだった。あと1秒早かったら衝突して大量出血か脳をぶつけて死んでいただろう。その瞬間、意外にも恐怖や抵抗はなく、あっダメだ…という諦めに近い感情があった。案外そうやって死は訪れるのだろう。張り巡らされた目には見えない電気網を掻い潜るように生死の境目をそっと跨いで今日も歩いている。こんな歳にもなって24年前と同じように将来に対する野望さえ持ち合わせていないが、今はまだ生きていたいと思う気持ち、好きな人や物と共存していたいという意思でぎりぎり生きながらえている気がする。

これからの8767日がどのようになるかそれは全然分からない。幸せかもしれないし、とんでもない不幸が訪れるかもしれない。でも息子が笑った時のたまらなくなる嬉しさ、好きな音楽や絵に触れた時の締め付けられるような感情、空や花の無条件の美しさに対する心のざわめきに私はまだ未練があるからその未練を毛布がいつまでも手放せないライナスみたいに引きずっていたいとは強く思っている。春がきたらあの芝生でビールを飲みたい、好きな漫画の続きが読みたい、好きな人に会って話したい、パフェの新作が食べたい、仮面ライダーの次回が待ち遠しい。そんな煩悩に生かされている。

かわいく生きるとは ー 超歌手 大森靖子『クソカワPARTY』TOUR 大阪公演@BIG CATに行って感じたこと

以下は思いつくままに感情を羅列した主観的な記録である。だからきっと人が読んで共感するようなものではない。いつもこんな形でしか書けない。でも書きたかった。

2018年12月7日、「超歌手 大森靖子『クソカワPARTY』TOUR」大阪公演に行って来た。場所は心斎橋BIG CAT。大森さんのライブへの参加は9月の別府の海地獄で行われた『超地獄』以来なので三か月ぶり、バンド編成だと6月の『COCOROM』神戸公演以来約半年ぶりの参戦であった。その二回以外、接触ができるファンクラブイベントはもちろん他の大森さんが出演されているライブにもイベントにも参加していないので大森さんに会いたいという気持ちがぐつぐつに煮えたぎった噴火直前の状態で当日を迎えた。

楽しみでわくわくするというより今の自分の状態で大森さんに正面から向き合えるのか、不安で吐きそうだった。会場のBIG CATがあるBIG STEPはそういえば中学生の時によく買い物に来たが、緊張のあまりノスタルジーに浸る余裕はなかった。BIG CATまでの階段には開場を待つ若い女の子達がひしめき合っていて、一体どこからこんなにたくさんの美少女達が集まって来たのだろうと怯んだ。皆ツアーグッズの赤いナナちゃんTシャツや他の大森さんのTシャツを着ており、まつ毛の一本一本まできれいで、髪は乱れがなくよく手入れされているようだった。SNSで定期的に目に入る自撮写真から飛び出てきたような女の子達が実際目の前にいて話したり動いていることに眩暈がし、女の子特有の匂いにむせ返りそうになった。この感覚、以前纏纏夢兎の展示に行った時にも感じた。東京ではもっとおじさんもいた気がしたが一体どういうことだろう、と戸惑っていたら知り合いのファンのおじさんを見つけ、つい話しかけてしまった。話していたら少し眩暈が収まった。おじさんと呼ぶのは失礼だが、ここでは救われたという敬意をこめてあえて「おじさん」と呼ばせていただく。

自分はもう若い女の子ではない。「かわいい」の領域から程遠い場所に立っており、そもそもこんなボロボロな状態でライブに来てよかったのだろうか、あの子達のようにかわいくない自分は今日のライブを聴く資格がないかもしれないなどと勝手に暗くなりながら会場内に入った。

入った途端、会場後方にぽつんと立ち入場する観客を出迎えるゆるナナちゃんを見つけた。タイミング的に一対一で向き合える状況だったが自己嫌悪に苛まれていたため、ゆるナナちゃんと触れ合うこともカメラを向けることもせず軽く会釈だけして通り過ぎた。ゆるナナちゃんに申し訳なく、なんでいつもこうなんだよと悲しくなった。そんな気持ちだったのでステージに本物のナナちゃんがいるのを見つけてもいつものようにテンションが上がらなかった。

ライブが始まるまでは不安に襲われながらずっとうつむいて目を閉じていた。周りがざわざわと会話する中、道重さんの『SAYUMING LADOLL~宿命~』のサントラが流れていた。私もSAYUMING LANDOLLに行った時に購入した。うつむいていたら『私の時代』が耳に飛び込んできた。「若い子には負けないWOWWOW」「上を向いても下だけ向いても私は私なんだ」の歌詞がたった今の自分に言われている気がしてはっとした。「そうか、私は今日ここに大森さんの歌を聴きに来たんだった。若い子に怯んでいてはいけない…」と心の中で自分に言い聞かせて顔を上げた。この曲を丸の内のコットンクラブで道重さんが歌うのを聴いた時の感動や道重さんの表情が思い出された。ここで道重さんのサントラ(道重さんが大森さんのツアーに行かれた翌日に書かれたブログで自ら「アルバム」と呼んでいたからアルバムで良い、と大森さんが言っていた)、を大森さんが流す意味など考えていたらサントラが鳴り止んでライブは始まった。

大森さんがステージに現れた。数か月ぶりに大森さんを見たからか、最初に抱いた感情は「あ?!かわいいいい!!!」だった。おそらく毛先を内巻きに巻いており、前髪は別府の時より少し短くなっていた。ハイライトを入れたのは知っていたが生で見たのは初めてだったので、ドキドキした。毛先のピンク色とよく合っていた。ライブだからアイメイクがしっかりしていた。遠い異世界から来た人形のようだった。大森さんってかわいいな…と何も今初めて知ったことでない事実に恍惚としていたら大森さんは「人生は~かわいくなきゃ生きてる価値なくない?」という『GIRL’S GIRL』の冒頭の台詞を言い放ち、伴奏が鳴った。その瞬間私の中で何かがはじけたが、それが何かわからないまま曲は進行していった。よく考えたら台詞は照明が点く前で、伴奏と共に点灯だったような気もするがその辺りの記憶が曖昧である。

初めてライブで聴いた『GIRL’S GIRL』はとにかくかっこよく、よく研がれた刃物のように歌詞の一つ一つがずぶずぶと身体に刺さってきて快感だった。終わって放心状態になっていたら休む間もなく『Over the Party』の伴奏。

このツアーでは全て終わるまではセトリを漏らすのが禁止されていた。これから参戦を楽しみにしているファンへの大森さんの配慮である。ツアーの時、自分が参加するライブまでなるべくセトリを見ないようにしているが、それでも目に入ってくることはある。それはそれで仕方がないが、できることなら何の前情報もなしにライブを観たいと思っている。どんな曲が歌われるのか、あの好きな曲は歌ってくれるか、『クソカワPARTY』の曲とそれ以外の曲がどれくらいの割合か、曲順はどうか、ライブ前に何度も考えた。『COCOROM』と違って、今回は(自分が)初めて聴く曲が多いだろうと身構えた。生で初めて聴く曲と思い入れのある何度か聴いた曲が混ざり合い生まれる興奮、これは絶対にライブでしか体感できない。

『GIRL’S GIRL』の後に『Over the Party』がくるというこの流れがとにかく良い。『GIRL’S GIRL』も『Over the Party』も感情が畳みかけるように吐露され、歌だが歌ではないような気がしてくる。叫びだ。性別としての女とは、女の子とは、若さとは、かわいさとは…いつも考えさせられる。『GIRL’S GIRL』の音源を最初に聴いた時、私は自身がそうであるからか「母親」や「子育て」というフレーズが気になった。

可愛いまま子育てして何が悪い
子供産んだら女は母親って生き物になるとでも
思ってんの? どっちがADULT BABY

私のかわいいと こどものかわいい
それぞれ尊くて何が悪い
全てを犠牲にする美徳なんていますぐ終われ
かわいく生きたい

『GIRL’S GIRL』

私は最近「かわいい」から程遠い場所にいる。毎朝の慌ただしさで化粧もまともにせず通勤電車に駆け込み、好きな洋服を買い物に行く時間はない。それゆえネットで買うが毎回失敗して返品するか押し入れに眠る。「可愛いまま子育てして」いないから「何が悪い」と主張する段階にすら立てておらず、最初聴いた時はこの歌詞が自分から遠い世界から聞こえる叫びのように眩しく感じた。大森さんはそうであるし、かわいくて美しいお母さんは世の中にいっぱいいる、でもそれを目指すことすら最近諦めている自分に嫌気がさすことがある。

2013年にリリースされた『絶対少女』に収録される『Over the Party』。この曲を初めて聴いた時、私はまだ二十代だったが三十代になった今、歌詞と自分の境遇を重ね合わせて聴くことが多い。「散らばった夢は全部捨てた」とはまさに今の私自身のようだ。結婚して子どもが生まれて多くのことを「捨てた」。それは必ずしも後ろ向きな選択ではなかったしそういうものだと割り切っていた。でも本当は「全部」は捨てきれていない。「かわいく生きたい」気持ちも心の奥に残骸のように残っている。現状「かわいく生き」られていないが、そうありたいと願う気持ちを彼方に捨て去ったわけではない。

『GIRL’S GIRL』の後に続けて『Over the Party』を聴いたことで、バラバラに描かれた線が重なって一枚の絵が完成するように私の中で大森さんがこの二曲を続けて歌った理由が何となくわかった。もしかしてこのどうしようもない希望のような意思こそが「かわいい」なのだろうか。『GIRL’S GIRL』がこれまでと違う見え方がした。『Over the Party』はあの時はよかったと悲観している曲ではなく、なれずに捨てた理想や捨ててしまった夢を超えて「進化する豚」として次のPARTYへ向けて突き進んでいく曲だ、とこのライブで初めて気づいたような気がした。

そして『TOKYO BLACK HOLE』の伴奏が始まった途端、先の二曲に重なる三つ目の線が現れた気がした。個人的な話だが、私が産休育休から復帰し働き始めた時に『TOKYO BLACK HOLE』がリリースされた。再び社会で働くことに不安を覚えつつ通勤中この曲を何度も聴いた。この曲がイヤホンから流れてくると今日も一日頑張ろうと支えられる。私は母親であると同時に会社員でもある。世間にはワーキングママ(マザー)の略で「ワーママ」という言葉があるらしく、自らをそう名乗っている人もいるが私にはどうにも眩しい。「仕事も子育てもどっちもがんばってます!」という活力が溢れ出ている気がするが、自問した時に私はいずれにおいても胸を張れない。十年も同じ会社で働いているのに未だに何をしているかよく分からない仕事が多いし、上司と度々ぶつかるし、電動自転車の充電を忘れて遅刻するし、有休は取りすぎてなくなるし、散々だ。それでも毎朝満員の通勤電車に乗って職場に向かう。休んでいる時間の方がずっと好きだが、息子と食べて行くためには働いて稼がないといけない。ただそれだけだ。毎日定時退社して保育園まで走っていくことに何の罪悪感も感じないわけではないが、私にはこうすることしかできない。ということを考えながら聴いていたら、ステージの大森さんと目が合った気がした。気のせいかもしれないがなぜか『TOKYO BLACK HOLE』で目が合うことが多い。それは私がこの曲で大森さんを真っ直ぐ見ているからかもしれない。今回のライブではバンドアレンジの関係か、包まれるような優しさよりも、士気を高められるような力強さをいつも以上に感じて目頭が熱くなった。

その状態での『ドグマ・マグマ』。伴奏で涙腺崩壊した。心の中で絶叫していた。私はずっと『ドグマ・マグマ』がライブで聴きたかった。「好きな歌をライブでやってくれたから死ねる」だ。同じことを言っている人が何人かいたので、『ドグマ・マグマ』ロスの人は一定数いたのかもしれない。大阪の深夜ラジオで初めて音源を聴いた時も、京都で初めて弾き語り演奏を聴いた時も、kitixxxgaiaツアーの冒頭で聴いた時も、煮えたぎったお湯に大森さんと一緒に浸かってそこから裸で飛び出していくような感覚があった。当然だが、大森さんはkitixxxgaiaの時に背負っていた花のついた大きな十字架はもう持っておらず、ステージ上には『クソカワPARTY』の鎌が置いてあった。それでも私にはあの十字架が見えたし、鎌が十字架にも見えた。神が背負う十字架と死神が振りかざす鎌。十字架は守り、鎌は攻撃するものだ。一見正反対だが守備と攻撃はセットだ。スポーツでもどちらかが欠けてはいけない。『クソカワPARTY』リリースを経て聴く『ドグマ・マグマ』はスター・ウォーズシリーズのように後から過去が提示されることでひとつの物語が完成するような壮大さを感じた。


心を一つなんて ふぁっく YOU

ふぁっく ALL にするから "戦争" なんでしょ

 

結婚別にしたくないし

満たされてるのに心配しないで
『ドグマ・マグマ』

これらの歌詞は今の自分に深くまで突き刺さって体内からドロドロしたものが溢れ出た。「アーメンさっさと」の時の照明が当たった髪を振り乱した大森さんが美しかった。そういえば大森さんはライブ中、十字架を背負っていた時のように鎌を持ち上げたり、観客に向けることはしなかった。鎌はただ横に置いてあるだけだった。触れることもなかった。その意味をまだ考え中だ。

システム一つ作るごとに

マイノリティ も作った罰として

大森さんはMCで「マイノリティってよく言いますけど、マイノリティなんてないですからね」と言われた。確かにその通りで、「マイノリティ」=「少数派」が元々存在するのではなく、そう定義されて初めて生まれる。そもそもある思想や生活様式を持った人を一括りにして名目を与えること自体、何か間違っているような気もする。

それから、『イミテーション・ガール』と『非国民的ヒーロー』で会場内のボルテージは更に上昇した。『非国民的ヒーロー』はなぜかの子さんとの情景の後ろに更に峯田さんと対バンした時の情景が浮かんだ。突き抜けるような明るさがあった。このままこの絶頂状態が続くのかと思った瞬間、MCになった。

大森さんが少し話した後、大森さんにひょいと持ち上げられたナナちゃんが話し出した。そこで「あれ?」と違和感を感じた。ナナちゃんの声を聴く機会はとても貴重だ。今まで二回くらいしか聞いたことがない。元気いっぱいに話すナナちゃんの声は私の知っている声とは明らかに違った。そこで初めてナナちゃんの声は大森さんでなく後ろからピエール中野さんが出していることに気づいた。「天使は性格悪くなきゃ勤まんない」の歌詞のとおり、大森さんが声を充てる時のナナちゃんは少し性格が悪そうでそこが良いと思っていた。大森さん以外の人が声を担当していることに正直戸惑ってしまった。ピエールさんのナナちゃんは私の知っているナナちゃんより饒舌で朗らかで明るい印象だったが、大森さんが自らナナちゃん役をせずピエールさんに託したことで、まるでEテレでお姉さんがニャンちゅうと会話しているような、大森さんとナナちゃんが個別に意思を持って会話をしている実感があった(あくまでその体であるから誰がナナちゃんの声をしているか考えるのがそもそも間違っている気がするが、大森さんがこれまで自分自身でナナちゃんの声を出していたのはナナちゃんは実はもう一人の大森さんである、すなわち大森さんは自身と対話しているという点は私なりに重要なポイントだった)。意思の外にいるナナちゃんと会話している大森さんという構図は今まで見たことがないものだった。ナナちゃんは大森さんに「最近病んでるみたいだけど…」と聞き大森さんが「ダイレクトに聞くね」と答えるなど、即時性のやり取りが実際に見られて楽しかった。

ナナちゃん(声:ピエール中野さん)は大阪の観客のノリの良さを褒め、「551があるとき/ないとき」の関西人で知らない人はいないであろうおなじみのコール&レスポンスを観客に振った後、「ナナがいるとき/いないとき」とナナちゃんバージョンで再度煽り、会場は大盛り上がりだった。『7:77』の前に会場をしんみりとさせてはいけないのでここでナナちゃんの声を担うのはピエール中野さんでなければいけなかった。大森さんが特別ゲストとして呼びかけると、ゆるナナちゃんがステージ脇から登場した。開演前に素っ気ない応対をした自分を思い返し一瞬胸が苦しくなったが、大きなゆるナナちゃんと小さいナナちゃんと大森さんが横に並んでいる光景はかわいいが渋滞して眼福だった。ゆるナナちゃんとナナちゃんが頬を寄せ合ってくっついていた光景が特にかわいかった。ゆるナナちゃんに接触して嬉しそうなナナちゃんを動かしているのが嬉しそうな大森さんで、すごい眺めだった。

ゆるナナちゃんは今回のツアーから現れたナナちゃんのゆるキャラ(?)で、全国各地を巡り、ファンは接触や撮影ができるというお楽しみが用意されていた。私は本物の、大森さんが新千歳空港で出会ったシュタイフのナナちゃんに思い入れがありすぎ、またナナちゃんはあのナナちゃんが唯一無二だと信じているため、ゆるナナちゃんの存在が初めは受け入れられないでいた。ナナちゃんが着ぐるみ化されても、結局中身は人間で本物のナナちゃんとは全く違う存在だと思ってしまった。拗らせている。面倒臭いファンである。でも開演前後に愛想をふりまいたり、撮影に一人一人応じるゆるナナちゃんの健気さには胸を撃たれ、ゆるナナちゃんはもしかしたら現場で自由に動けないナナちゃんの影武者のような存在ではと思い始めた。ゆるナナちゃんはカメラを向けられればくるりと回ってサービスするが、私のように会釈しかしないようなノリの悪い客には迫って来ない。一定の距離を置く。表情も笑ってはおらず無に近い。近くで見ると割と大きな黒い目と向き合った瞬間、吸い込まれそうになった。普段ファンはナナちゃんに触れられない。でももしかしたらナナちゃんはファンと接触したいと思っているかもしれず、その想いが具現化されたのがゆるナナちゃんなのかもしれない。

などとゆるナナちゃんについて考察していたら始まった『7:77』。ナナちゃんグッズの多さから、この曲だけは絶対に聴けるだろうという根拠のない確信があった。大阪公演前日に『7:77』MVの製作者おおたけお氏がMV海賊版と称した非公式動画を公開した。その中で、ステージに立ったグラサンナナちゃんが観客を扇動しライブ(あるいはPARTY)を盛り上げるシーンがあったのだが、まさにそれと同じ光景が見られた。公式MVでは一部のオタクがナナちゃんを支持するシーンが描かれていたと思うので、おおたけお氏が実際にツアーで見た光景から発想を得たのかもしれない。生演奏の『7:77』とマイク前で浮遊しているナナちゃんのかっこ良さよ。ペンライトを振りかざしながら憧れの「ナーナナー」コールをしていると、自分がMVの中で描かれるあの集団の一員になったような、パリピになったような気がした。パーティーパリピに関しては個人的にかなり拗らせていて、それは以前『7:77』の曲について記述した時に吐き出したが、そういう歪んだ感情がこのライブでようやく吐露され昇華されていった気がした。大森さんとナナちゃんのおかげで、自分は今このPARTYを楽しんでいるかもしれないという多幸感に包まれて曲が終了した。

それから大森さんは「『クソカワPARTY』から二曲やります」と言い、『ラストダンス』と『アメーバの恋』。どちらもライブでは初めて聴いた。『ラストダンス』では大森さんが水中で泳いでいるような感じがした。生で聴く「殺したい」の台詞も良かった。『アメーバの恋』ではライブというより劇を見ているような、新しい感覚を覚えた。最近ZOCで踊っていることもあってか、大森さんの身体の動きが今までと違う印象がした。大森さんに降り注ぐ緑色の照明がとてもきれいだったので私もペンライトを緑色にした。どちらも所見だったのでこれからまた観れる機会があれば嬉しいなと思う。

それからMCをしつつ、大森さんはマイクスタンドをT字にした。『わたしみ』だ。ここで私はペンライトを消した。『わたしみ』はCOCOROMツアーで二回聴いた。ザーッという海の音が鳴り始めると、自分が今ライブ会場にいることを完全には忘れないが大森さんと二人きりですーっと宇宙空間に浮遊していくような感覚になる。大森さんの歌詞に合わせたパントマイム的なしぐさはCOCOROMツアーから表現力に更に磨きがかかっているような感じ取れた。「他人の愛にしゃがれて 血を食べる」のところは本当に血を搔き集めて食べてるように見えたし、「いちばん好きなブラジャーを拡張した洋服が着たいな」のところは下着というよりは心臓を皮膚の下からむしり取ってそれを外の世界に放つような大森さんの手の動きに狂気さえ感じて、これまた演劇を観ているようであった。歌い方も、地の果てまで太く伸びていくような、以前とは少し違う強さを感じて永遠にそこに埋没していたい甘美さと身が凍るような戦慄が共存していた。これまで何度か披露された曲がこのツアー終盤で完成されたようで圧巻だった。

『7:77』まで温度を上げ続けた会場の熱が『ラストダンス』『アメーバの恋』で伸びたり縮んだりして混ざり合い、『わたしみ』で観客一人一人の身体に再び帰還していくような現象を少なくとも私は体感した。「このパーティーは紛れもなくあなた個人のものだ」と告げられた気がした。

その状態で始まった弾き語りの『パーティードレス』は完全に不意打ちで、『わたしみ』で「わたし」という個体に帰還した熱ががっちり凝固されてしまうような、ものすごい衝撃だった。あの時あの空間では、「わたしみ」からの「パーティードレス」でなければ絶対にいけなかった。『パーティードレス』の歌詞はよく知っているはずなのに初めて聴いたように感じた。

パーティーが始まるよ

あの夜を超えて

わたし綺麗かしら
『パーティードレス』

「はっ…パーティーってこのことか!」と雷を撃たれたように、大森さんが我々聴き手に伝えたかった「PARTY」が何なのか見えた気がした。『パーティードレス』の一人称の女の子(あるいは男の子)は、汚いおやじを相手に売春して金銭を得る。それは継続的な仕事かもしれないし一夜限りの行動かもしれない。分からないが、とにかく主人公は自分の身体を差し出す代償としてお金を得る。そのお金で好きなものが手に入る。美味しい物も食べられるし、きれいな洋服も買える。新しい洋服を身に纏って好きな場所に出かけることだってできる。歌の解釈は人それぞれだが、私は最初この歌を悲しい歌だと捉えていた。『バスルームのタイルに「死ね」とか描いて水に流して』泣きながら明日パーティードレスを買いに行こうと考える曲だと思っていた。でももっと希望に溢れた曲なのかもしれない。

汚いおやじに身体を差し出すことで得たお金、それは自由であり希望だ。ここで嫌な相手とのセックスを例えば「それが何のためか理論立てることなくやらなくてはいけないこと」に置き換えると、この曲はきっと誰にでも当てはまる。仕事でも子育てでも何をするにも100%喜ばしいことなんて一つもない。どんなことであれ我慢や大小の乗り越えるべき壁がつきまとう。でもその先にあるもの、例えば労働で得たお金を好きなことに費やすのは喜びだし、へとへとになっても子どもの成長やふとした瞬間に見せる表情は何よりもかわいい。それらの喜びはめでたしめでたしの最終地点ではない。どうしようもない不安や憂鬱は入れ代わり立ち代わり現れる。だが喜びを掴もうとする意思が明日を生きる原動力になる。その繰り返しこそが大森さんが言いたかったPARTYなのでは、と私は唐突に理解した。

一人で勝手に納得して嬉しくなっていると再びバンドの伴奏が鳴り『マジックミラー』が始まった。音がCOCOROMの時と違った。もしかしたら「ビバラポップ!」の時のアレンジではないだろうか。道重さんと共演した時のあのアレンジ。『パーティードレス』で結論を得た私は『マジックミラー』で大森さんに手を差し伸べられているような感覚になった。「ほら大丈夫だよ」って。その大森さんは道重さんに見守られている。それをまた私たちが見守っている。乱反射。

そして『VOID』。他会場にも行った人はこのサプライズ的なセトリを知っていたかもしれないが、何も知らない私はここできたかという驚き、そして好きな曲がバンド演奏で聴けることが嬉しくて感極まった。アレンジがとにかく最高だった。音源は弾き語りで、ライブでも弾き語りで一度しか聴いたことがなかったが歌い方も音もそれらとはまた違い、もはや新曲を聴いている感覚だった。終わったと思ったら息つく間もなく大森さんの掛け声とともに今度はテンポが速いバージョンでもう一回。音に合わせて自分の鼓動も速くなり、こんな感覚は初めてでとても興奮した。あの時のドキドキが今もずっと身体の中に残っている。アレンジのどこがどう良いか音楽的な知識がないためうまく説明できないが、音源や弾き語りで聴いた時よりも走り去るようなスピード感、明るさ、生命力を感じた。後で他会場へも行った知人が「大森さんは銀杏BOYZを意識してアレンジしたらしい」と教えてくれて納得した。

『VOID』は『クソカワPARTY』の盤にのみ収録されている曲だが、アルバムの中でも特に思い入れがある曲だ。初めて聴いてからこの曲が大好きだ。曲の一人称が「ぼく」で語られる大森さんの歌が私は好きだ。「ぼく」だからと言って必ずしも男性とは限らず、女性ということもあり得る。男女関係なく誰の中にでもある「ぼく」と呼びたくなる、好きな相手に対する剥き出しの青年性のような感情。この『VOID』では、「友達でもない恋人でもない」相手との気持ちが語られているが、自分自身の記憶を辿ればこの歌詞のような関係は多かったように思う。自分が相手にとって一体何者なのか分からないし尋ねることもない。次に会う約束もしないから今が最後で「もう二度と会わない」かもしれない。でも相手が好きだという理屈では説明できないどうしようもない関係。それがこの曲では痛いほど美しく描かれている…と私は勝手に解釈している。ヒリヒリとした痛みが、大森さんが一人で弾き語りする時は大森さん自身の内側に向かっていくような感じがしたのだが、バンドだと私たち個々の持つどうしようもない愛がぎゅーっと膨れ上がって爆発して一気に外へ拡散するような感覚を覚えた。バンドメンバーがみなさんいい表情をしていた。特にあーちゃんの顔が良かった。

最後の曲かと思うくらい自分の中で満ち足りていたが、まだまだ終わりではない。

MCタイムを経て、この日これなかった人のためにと撮影OKで弾き語り演奏が始まった。撮影OKに際し、大森さんとは所属先が違うバンドメンバーには肖像権の問題があるだろうということで、ステージから他のメンバーはいなくなり大森さん一人になった。曲はお客さんのリクエストの『呪いは水色』。リクエストした女性がそう叫んだ時、大森さんは「いいね」と言ったので大森さんも歌いたいと考えられていたのかもしれない。『呪いは水色』を別府の超地獄ライブで聴いた時は嬉しかった。大森さんの身体の奥から色々な人の業がじわじわと炙り出されるような歌い方で、地獄という地にとても相応しかった。BIGCATでの弾き語りはその時とはまた違う、今一人一人が開催している「PARTY」の扉を一枚ずつそっと開いて覗くような優しい印象だった。

撮影するために静かに掲げられたたくさんのスマートフォンからは撮影開始の「ポン」という音が鳴り、大森さんからの交信を待つ宇宙船がたくさん浮かんでいるような不思議な光景だった。私は本当は撮らずに集中して聴きたかったが、今回のツアーに来たかったがどうしても来れなかった友人がいたので、その友人のために撮影した。ライブ後、動画を送ったら喜んでくれたのでよかった。それもあんなに規模の大きなライブで撮影許可をしてくれた大森さんのおかげである。

大森さんはいつも、様々な理由でその時その場に到達したくてもできなかった人がいることもちゃんと知っていて、その人たちにも音楽を届けよう、手を差し伸べようとされている。Youtubeに公式でライブ動画がたくさんアップされていたり、現場によっては撮影可能なライブもある。それらはSNSやインターネットで拡散され不特定多数の目に触れられる。その広がりが同時に誹謗中傷を生むこともあり得るが、大森さんは自信が傷を負うことも覚悟の上で届けられるべき人まで届けようとする。何かを世に創り出す際これほど戦っている人は他にいるだろうか。でもそれが真の芸術を遂行する人の姿なのかもしれない。

『呪いの水色』が終わると大森さんは『きもいかわ』を歌った。初めてライブで聴いた。その前(『呪いは水色』を歌う前)に言っていたMCの発言について考えながら聴いた。

「このツアーは『クソカワPARTY』とつけましたが、元々生まれつき持っている皮とか長年生きていく中で身についた皮とか自分に色々なものが張り付いていて、そういうのを一枚ずつ剥がしていって川に流してしまうように捨てていった先にあるものが「かわいい」だと思うんですね。」

大森さんはいつだったかアルバムリリース前後、「クソカワ」の「カワ」には「かわいい」や「皮」や「川」色々な意味が含まれているとおっしゃていて、意味をひとつに限定しないところが大森さんらしいと思ったし私は大森さんの作品のそういう部分が好きだ。いつも受け手に考える余白を与えてくれる。この発言を聞いて、一枚一枚皮を剥がしていった最後に残る個々に属する意思のようなものが「かわいい」なのかもしれないと思った。就学、就職、結婚、出産…人は一度の人生の中で様々なライフステージを経験する。その度に色々な「皮」を纏う。やがてそれは古い角質のように堅い皮となり、消えはしなくとも信念や意思がよく見えなくなることがある。諦めないといけない状況を繰り返しているうちに、元々意思なんてものがあったかどうかさえわからなくなる。でも結局、

ぼくを生きるのはぼくだ
きみを生きるのはきみだ
それが交わるとかありえない
心は“ひとりひとつ”付き合おうが まぐわろうが 

歌おうが 結婚しようが
なんとなく“ふたりがひとつ”そんな気になれるだけ

『きもいかわ』

という歌詞のとおりどんな皮を纏ってそれを以てこれまでと別の立場や生き方になったとしても「ぼく」は「ぼく」で「きみ」は「きみ」だ。『パーティードレス』で「わたしはわたしよ心があるもの!」と歌い、『ドグママグマ』で「心を一つなんてふぁっく YOU」と歌った大森さんはその心が“ひとりひとつ”であると歌っている。学校では「画用紙一面の真っ赤な海もブルーにしろって教育された」し、社会人になっても多様性が重要と謳いながら会社の理念にそぐわない意見が排除されるところを何度も目の当たりにした。結婚して子どもが生まれても「母親失格だ」「親としてなってない」と言われることもあり、その度に新しい皮を重ねていたら自分が元々持っていたものは埋もれて見えなくなってしまった。でも必ずある。これだけは譲れないというやり方、昔からずっと自分の好きなものや人、誰に何を言われても変わることのないもの。それらを失くしたくないと願いや意思が「かわいい」なのではないか、と私は今回のライブを聴きながら気づいた。

靖「人生はかわいくなきゃ生きてる価値なくない?」
男「お前が言うなブス」
靖(舌打ち)

私は『GIRL’S GIRL』のこの冒頭が好きだ。「人生はかわいくなきゃ生きてる価値なくない?」という問いかけで完結せず、すぐに誰かわからない男の声が入る。それに大森さんは舌打ちで返す。この一連の意味をライブを終えた今、音源で聴いていた時以上に理解した気がしている。ライブが始まりとともに大森さんが観客に向かってこの台詞を放った時、男の声は誰がやるのだろうと一瞬頭によぎったがおそらく音源だった。音源収録の際は、スタッフの男性何名かにこの台詞を言ってもらい一番良いのを採用した、と大森さんはいつかおっしゃっていた。クレジットのつかない匿名の声。そう、この「お前が言うなブス」は匿名の声でなければいけない。限定された誰かに所属する声ではなく、この声はどこにでも現れる。学校でも会社でも家庭でも。大森さんがMCで言われたように「マイノリティー」なんてないのに勝手に属性を決めてくる人たち。「お前が言うなブス」は「ブスの分際でそれを言うな」という意味だけではなく、かわいく生きたいと思う意思、意思を持って生きることへの否定である。それは社会的な圧力である場合もあるし、葛藤から生まれる自分の声である場合もある。そして舌打ち。言語化されない感情は呆れと怒りの音楽に聞こえる。

ライブの話からどんどん脱線してしまったが、「かわいい」というのは「かわいくなりたい」という願望のように今の自分から変わりたい、変革を遂げたいという意思であり願望だ。そして「クソカワPARTY」はそれを遂行するための自分により一生続く宴である。大森さんはライブ中どこかのMCで、「パーティーというのは、自分が慣れたぞ、あれっいけるんじゃないかと感じ始めた頃にはもう終わってることがある。でもこのクソカワPARTYはパリピのパーティーみたいに一瞬で終わるものではなくずっと続いていくもの」というようなことをおっしゃっていた。パーティーという言葉自体苦手だった私は、同じく苦手であろう大森さんがアルバムタイトルに『クソカワPARTY』とつけた意味を発表されてからずっと考えていた。ライナーノーツも読んだ。わっと盛り上がって一瞬で散って消えてしまうそれではなく、繰り返し生まれる意思、例えば好きな洋服を買いに行くこと、髪をとかして化粧をすること、自撮りをSNSにあげること、美味しいものを食べること、子どもの写真を撮ること、好きなアーティストのライブに行くこと、何かを頑張るためのそういったひとつひとつのエネルギー、生きてる限り続いていく半永久的な意思こそが「かわいい」と呼ぶべきであり、パーティーなのかもしれない。

最後の『死神』で私はそのパーティーの光を見た。照明で実際にステージの後ろから光が当てられていたからといえばそうかもしれないが、大森さんの歌声とあの日あの時の会場の空気と自分の感情が混ざり合い、剥がれた「かわ」と共にどんどん海へ流されていく感覚があった。

アンコールの『絶対彼女』『ミッドナイト清純異性交遊』では流れ着いた先でそれぞれの意思が一斉に前を向くような明るさがあった。『ミッドナイト』でわっと観客が大森さんに向かって初めて感じた圧迫も「来たぞ」という感じでなんだかすごく嬉しかった。

アンコールの時の「靖子が一番かわいいよ」コール。私は声で最前にいる知っている方がコールを率先しているのだなと気づいた。その方はおそらくツアー全通しているような方なので、毎公演されていたのかもしれない。「かわいい」の意味がライブを通して見えた今、このコールがすごく愛おしいものに感じた。

そしてアンコールの『ミッドナイト清純異性交遊』が終わり全て終わったと感動していたら突然始まったDA PUMPの『U.S.A』。流行に疎い私でも知っているからあの会場で知らない人はいなかったであろう。どこで覚えてきたのか息子が毎日歌っている。幼児にまで浸透しているとはすごい影響力だ。大森さんはこの曲が大流行する前、リリースしたばかりの頃から注目されていた。誰もいない真っ暗なステージを前にこの曲で観客が盛り上がっているのはある意味異様な光景だった。でもPARTYは続いていると示唆しているようでドキドキした。

そして大森さんがたった一人で現れて『REAL ITY MAGIC』。既にバンドメンバーは退場されているので伴奏は音源だった。この曲はサビでアルバムタイトルである「クソカワPARTY」が繰り返され、曲調やHuという合いの手も「パーティー」を彷彿とさせる。私はこの曲がアルバム内で極めて重要な曲である気がして、何度も繰り返し聴いて歌詞の意味を考えた。「REAL ITY MAGIC」はおそらく大森さんの造語である。「REALITY=現実性、実在性」と「MAGIC=魔法」(「魔法が使えない私にしかできない」という歌詞からここでは「魔法」と捉えるのが良いと思った)は相反する二つの単語が一つの言葉の中に並列されているようだ。魔法が実在するところを私は自分の眼で見たことがない。しかし魔法が日常に潜むことを大森さんはこれまで何度も私たちに教えてくれた。魔術ではなく、好きなものや人に対する喜びや嬉しさを原動力とする「何かを変えようとする力」とそれはもたらす変化。それは音楽だったり趣味だったり大切な人の存在だったり人それぞれ違う。確かにそれらは一般的な概念では魔法ではないかもしれない、でも。これ以上はうまく言えないので『音楽を捨てよ、そして音楽へ』を聴くのが良い。大森さんがこれまで歌ってきた「MAGIC=魔法」はきっと形あるものとして実在する何かと関係している。永遠に続くものなんてない。どんなものでも人でもいつか消えてなくなってしまう。それでも私たちはその有限の存在を信じたり拠り所にして毎日を生きる。それこそ「クソカワPARTY」だ「かわいく生きたい」と願うことだ、とライブの最後に全身が覚醒した気がした。

死体の埋まった公園でこどもが
ボールの放物線を睨んでいる
首吊りうさぎと首輪の犬と指切り
万引きで潰れたファンシー雑貨の店長さん

『REALITY MAGIC』

私は『REALITY MAGIC』の最後の一節がとても好きだ。この歌詞に描かれた情景はシュールレアリスムのようで現実か幻想かさえわからない。何度聴いても完全に理解することはできないが対比するモチーフが浮かんでくる。土の下にいる「死体」とその上で遊ぶ生きている「こども」。「指切り」という言葉からは「子どもの遊び」と「任侠世界の仕打ち」という両方の映像が浮かぶ。「万引き」「潰れた店」と「ファンシー雑貨」という言葉の対比。生と死、光と影、実在する確かなものと目に見えないものがこの世界には常に共存していてその境界ははっきり線引きされていない。それらを手繰り寄せたり突き放したりしてうまく折り合いをつけながら生きることがPARTYだと言われているように個人的に感じ取った。盛り上がったPARTYの沈静と同時にPARTYの存続を意味するような、とても美しい大森さんにしか描けない歌詞だ。

最後の「REALITY MAGIC」という歌詞の直後、大森さんの姿がステージからぱっと見えなくなったので私は大森さんが突然消えたかと思った。状況が飲み込めないまま茫然としていたら会場が明るくなり道重さんのサントラが鳴り観客が出口に向かって動き始めたため、そこで初めてライブが終わったという事実に気がづいた。『ミッドナイト清純異性交遊』の後大森さんは挨拶もお辞儀もされ、バンドメンバーと共に手を振りながら去ったし、大森さんが無言で立ち去ることは今まで私の記憶ではなかったため、この最後の手品のような終わり方に驚いた。「終わり」がはっきりと提示されないことで、「あなたたちのPARTYはこれで終わりじゃなくてこれからもまだずっと続いていく」と言われたような気がした。

 

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今年の夏から秋にかけてプライベートで打ちのめされるような出来事が立て続けにあった。悲しいというより、人を信じることができなくなり自分も含めて全世界が滅びてほしいとまで考えたりもした。それまで毎日つけていた日記もつけなくなった。別府のライブの感想を途中まで書いていたが、それも書けなくなって結局そのままになってしまった。仕事にもあまり手がつかなくなった。それでも毎日の生活は続いていた。これも個人的な話であるが、夏に離婚をした。それ以来息子と二人で生活している。だからライブを含めどこかに一人で外出することができなくなった。『COCOROM』終了後、『クソカワPARTY』ツアーが発表されても行ける見込みがないため東京公演のチケットは取らなかった。唯一、実家から近い場所なら息子を実家に預けて行けるかもしれないという淡い希望の元、大阪公演だけ申し込んだ。でもFC先行で申し込んだチケットが当たって入金しても発券できないでいた。いつもならすぐ発券して整番を確認するのだが、前述のとおり私生活で不運があり12月にライブへ行く自分の姿が全く想像できなかったためだ。更に負に負が覆い被さるように日々のワンオペ育児&家事、フルタイム労働で自分でも把握できないうちに疲労が積もったのか、突然謎の吐き気と悪寒に襲われ倒れこむ事態もあった。「もう死ぬのかな」などとぼんやり思いながら床で倒れていたら息子は私に布団をかけてくれたり、これは薬だからねと息子が薬だと信じているタブレット型のラムネをどこからか持ってきた。泣いた。

誰かに助けてもらえば楽になるかもしれない。精神的な意味ではなく、何かひとつでも軽減されれば余裕ができる。でも助けを求められる人は一人もいない。お金で解決しようとすると貯金がどんどん減る。あまり周りに言わないようにしていたが、事情を知った人は「大変だね」と皆同情の眼差しを向けてくれる。でも欲しいのはそういう言葉や同情ではない。同情されたところで人的援助やお金に結びつかない。人生でこの道を選んだのは紛れもない自分だということも分かっている。だから何度も自己嫌悪に陥った。仕事も家事も子育てもすべてが中途半端だった。全部辞めたくなったが辞められない。12月に大森さんのライブに行く。息子はたった4歳で無力だ。私以外に息子を育てる人は他にいない。だからまだ死ねない。そんな気持ちをついツイッターで漏らしてしまったことがあった。

弱音みたいだし消そうかなと直後に思ったら、誰が押すよりも一番先に、大森さんがその投稿にお気に入りを押してくれた。偶然や気分だったとしても大森さんが大森さんの時間を割いて読んで応えてくれたことには間違いなく、私はそれを「ライブまでどうか生きていてくれ、歌いに行くから」のメッセージだと都合よく解釈し、他人から見たらきっとSNS上の些細なその出来事を誰にも言わずお守りのように黙って胸に抱いていた。縋るような気持ちで迎えたライブ当日だった。

大森さんはライブ中のMCで、「自分がドアをこじ開けてあちら側に行こうとしている時にあっちへ行くなってこちら側から手を握って離さない人たちが必ずいますがそんな人達は蹴落としていいです。いつかまた将来、蹴落とした人達とも再び話したり関係を修復できるようになるかもしれないから大丈夫です。」というようなことを言われていた。

「一生会わなくていい」ではなく、「いつかまた話したりできるようになるから」と言われたところに大森さんの寛大さや優しさが表れていると感じた。「かわいく生きたい」、「クソでもブスでも世界を変えたい」という意思や希望を邪魔する存在を無くすことはできない。ドアの向こう側から生きている生肉を求めるゾンビのようにまとわりつく。それは他者、組織、常識やルール、社会的概念、あるいは自分自身という場合もある。でも変わりたいという意思を阻害する何かに囚われている限りそれぞれのPARTYは始まらない。積み重なって厚くなったカワの下にある自分の「かわいい」にもう一度向き合ってみようと決めた。状況を嘆いていても仕方がない。誰かに何かを望むのではなく、自分で動いて変わらないといけない。まだ自分に残りの人生があるとすればかわいく生きたい。今後の生き方について考えさせられたライブだった。

大森さん、新ガイアズのメンバー、ナナちゃん、美マネさん、二宮さん、スタッフさん、すばらしいクソカワPARTYツアーをありがとうござました。次のツアーも楽しみです。PARTYは続く。

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超歌手 大森靖子『クソカワPARTY』TOUR 
大阪公演@BIG CAT セットリスト

GIRL’S GIRL
Over the Party
TOKYO BLACK HOLE
ドグマ・マグマ
イミテーションガール
非国民的ヒーロー

MC
7:77
ラストダンス
アメーバの恋
MC

わたしみ
パーティードレス
マジックミラー
VOID
VOID(二回目)

MC
呪いは水色
流星ヘブン
きもいかわ
死神

encore
絶対彼女
ミッドナイト清純異性交遊

REALITY MAGIC

 

 


おまけ:お気に入りのグッズ

★クソカワPARTYペンライト
今回からこれまでのピンク色だけではなく12色に光るペンライトが採用された。大森さんが好きな色を灯していいと言われていたから私はその曲に対して自分がなんとなくイメージする色をその都度点灯させた。曲の途中で変えることもあった。みなそれぞれ好きな色を点灯していたのでこの人にとってこの曲はこの色なのかと見るのも面白かった。まさに個人のためのPARTYにふさわしいグッズである。ボディ部分には七人の様々な表情のナナちゃんが描かれており、それぞれのナナちゃんについて思い巡らせるのもまた楽しい。家に持って帰ったら息子が大喜びで振りながら繰り返し観たMVで耳コピした『7:77』を熱唱していた。疲れた時に真っ暗にした部屋でその時の気分の色を灯してぼーっとすると癒される万能グッズ。

★FSK(フィギアスタンドキーホルダー)
靖子ちゃんとおでかけver. /ナナちゃんとおでかけver.
 FSKはハロプロなどのグッズで見たことがあったがそういった現場に行かない私は今回初めて手に入れた。写真を撮るための透明な棒がついているので、大森さんやナナちゃんと実際に色々な場所に出かけているような写真が撮影できる。♯ナナちゃんとおでかけ ♯靖子ちゃんとおでかけ のタグで投稿されている写真はビールや焼き鳥と撮る人、美味しそうなスイーツと撮る人、花など自然と撮る人…様々だ。ファンの生活に大森さんとナナちゃんが舞い降りたようで愛おしい。投稿をナナちゃんが見て反応してくれることもある。夜中にナナちゃんの通知が来た時は嬉しさと動揺のあまり眠れなくなった。特に写真を撮らなくとも持って出かけているだけでお守りのような安心感があるので私は常に財布に入れている。

★Tシャツナナちゃん/スウェットナナちゃん
 ファン待望の纏うナナちゃん。ほぼ等身大(か大きく)でプリントされている。心臓部にナナちゃんがいるという安心感からだろうか、着ているだけでナナちゃんが胸元に寄り添ってくれているような、ナナちゃんと一体になった感覚が得られる。色やデザインが着た時に甘くなりすぎないように考えられている。部屋につるしておけばライブ会場でなくとも自宅でナナちゃんと目が合うという楽しみもある。

勝手に夏の作文 小中高時代の思い出

大森靖子さんの書く文章が好きだ。「NHK Eテレ作文『私の中高時代』(充電)」というコメントと共に大森さんの中高時代に関して書かれた文章のスクリーンショットが8月22日の夜、ツイッターに投稿された。

 

 この大森さんの文章はEテレハートネットTV」の公式サイト「#8月31日の夜に。」という番組サイト内にある「2018年夏休み ぼくの日記帳」に掲載されている。

http://www.nhk.or.jp/heart-net/831yoru/diary/diary000329.html

「2018年夏休み ぼくの日記帳」では主に一般の方々から夏休みに関するエピソードを募集し、それを来たる8月31日の夜に紹介していくという番組構成になっているらしい(そうだと気づくのに時間がかかった)。一般投稿された文章と並んで、著名人の方の文章も投稿されていて読めるようになっている。現時点では大森さんの他に詩人の最果タヒさん、中川翔子さん、ヒャダインさんらの文章が掲載されている。今後もっと色々な方の投稿が増えていくのかもしれない。大森さん以外まだ読めていないので一般の方の投稿も含めて順に読んでいきたい。大森さんは「ハートネットTV」に過去何度かご出演されており、出演された過去二回の放送が近々再放送されるらしい。2014年12月1日に放送された「ブレイクスルー」に私は感銘を受けたのでこちらもいつか再放送されたら嬉しいなと思っている。放送内容を文字起こししたページが残念ながらリンク切れになっていた。大森さんのインタビューはまだ読める。この番組は素晴らしく、書きたいことがたくさんあるのだが長くなるのでそれはまた改めてにする。

http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/2800/204249.html

 

話を大森さんの文章に戻すと、私はこれを読み激しく共感した。共感というか、自分のことなのだろうかと胸の奥が締め付けられるような感覚に陥った。私はもう大人で夏休みの宿題なんてないが、ないからこそ私も「私の中高時代」にまつわる作文を書いてみようと思った。大森さんが「作文」と言われるように、日記というよりは作文だ。別に読む人はいないかもしれない。ただ、蓋をして封印しておいた部分がぎちぎち締め付けられところてん式に押し出されるものがあったので夏の課題というありもしない名目でここに吐き出しておきたい。中高時代というタイトルだが、私も大森さんと同じく中高はお弁当だったので私も最初に小学校の給食の話を書くことにする。

 

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私の小学生時代の思い出のほとんどが給食と修学旅行で構成されている。どちらも苦痛しかない。最初は出された給食ほぼ全て、学年が上がっても小魚や野菜やチーズやはちみつ…どうしても受け入れられないものが必ずひとつはあった。給食を完食しない児童は重罪人のように扱われ、おかわりをする児童は「何でもよく食べる良い子」と担任を喜ばせた。私は毎日重罪人だった。重罪人は見せしめのように教室に取り残され、食べ終わるまで決してズルをしないよう看守(=担任)に監視され続けた。給食の時間が終わり後片付けも済むと、四つだか六つだか班形式に集まっていた机も元の位置に戻り、掃除の時間が始まる。机ごと透明人間になったかのように私の周りでお構いなしに箒が掃かれ埃が舞う。遠くに看守がいる。看守は掃除を見ているようで掃除のどさくさに紛れて私が誤魔化さないか鬼の形相で見張っている。砂埃の舞う中、お皿に載ったトマトを見つめる。でもやはり食べられず、掃除も終わり昼休みになり教室には誰もいなくなる。看守は「ちゃんと食べなさいね」とイライラ言い放って何でこの子は一体いつまでこうしているのだろう私は職員室に帰って次の授業の準備をしなきゃいけないし採点だってしなきゃいけないのにという顔をする。結局重圧に負けて、というか次の授業が始まるからと強制的に飲み込ませられる。かといって吐き出せる場所もなく口中に嫌な味がいっぱいに広がって嗚咽して涙が溢れてくる。担任の「ほら食べられた」という見当違いの言葉と勝ち誇った顔。あの時の世界からはじき出されたような屈辱と何が悪いのか何一つも理解できない悔しさは今でも忘れられない。

ほとんど友達のいなかった私にAくんという仲の良い男の子がいた。転校生でたまたま家が近くだった。いつも面白くて小学生とは思えない物の考え方をしていたAくん。Aくんと私がいつも面白い日記を書いてくるからといつだったかクラスで選ばれた二三作品が藁半紙に印刷して配られ、本人が読み上げる時間があり、Aくんと私がよく交互で指名されて読まされた。でもAくんの作文の方が圧倒的文才があり面白かった。私は当時はまっていたさくらももこのエッセイの影響をもろ受けたというか文体を真似ただけであった。でもAくんを勝手にライバル視していた。ライバルであると同時にAくんを尊敬していた。彼だけは私と分かり合えるというような気がしていた。相手は別に何も思っていなかったかもしれないが。私と彼の共通点はトマトが嫌いなことだった。

ある日、給食にトマトが出た。薄切りではなく、でかい1/4くらいある皮つきのトマトが「小のおかず」(副菜)として味付けも何もなくそのまま皿の中に転がっていた。トマト味ならまだしもこれはどうしても無理だと思った。Aくんの方を見ると私と同じ苦痛に満ちた顔をしていた。やがていつものように掃除が始まった。Aくんは看守が一瞬目を離した隙に残していたコッペパンの中身をほじくって食べてから、「これ(トマト)をこっそりパンの中に詰めたらいい」と記憶では声ではなくそのようなしぐさで私に教えてくれた。今から考えればそれもおかしいが、パンであれば満腹を申請すれば自宅への持ち帰りが許されていた。なんと勇敢な行動なのだろうか。そのアイデアと勇気に私は脱帽した。しかしクソがつくほど真面目で臆病だった私には難易度が高すぎて、真似することができなかった。しばらくしてAくんが「せんせいたべましたー!」と明るく看守に伝えた。給食居残り組は食べ終えたら必ず報告する義務があり、看守の審査を通過しなければ食べ終えたと見なされなかった。近づいてくる看守。ドキドキ。私は目の前の給食を放置し、自分のことのように見守った。結果は子どものやることだったのでツメが甘かったのか、Aくんのカラクリは看守を欺くことはできずいとも簡単にバレた。締め上げられるAくん。その時の担任が怒り狂った様子は今ここで形容できないほど怖かった。Aくんは泣いた。Aくんが泣くところを私はその時初めて見た。Aくんは泣きながら死ぬほど不味そうなトマト入りコッペパンを食べさせられていた。いつも明るくひょうきんなAくんが泣きながら口の中をトマトでいっぱいにしている姿を傍観するクラスメイト達。拷問だった。その後自分がトマトをどうしたかは覚えていない。

だから学校が嫌いだった。給食を食べるか食べないかに異様なほど固執し、食べられない子を重罪人として晒し上げ、給食の完食というそのひとつの部分で児童の善し悪しを判断しようとするのが許せなかった。他には授業中に挙手しない児童も漏れなく重罪人になった。私はそこでも重罪人の烙印を押された。確かに好き嫌いなく食べることや皆の前で意見が言えることは大事かもしれない。でももっと大事なこと、目を向けなければいけないことはたくさんあるしその基準は個々で違うのではないか。どうしても納得がいかなかった。今の小学校は給食や挙手に対してどんな感じか知らないがあの時代は確かに制度への異様な固執があった。それは厳しさとは違った。あんなに面白くて才能があるAくんを、トマトのひとつぐらいでそれまで彼がしてきたこと全て、彼自身の存在を全否定するような教師のやり方はあまりも非人間的で残酷に思えた。そしてAくんがその体制に反逆しようとしたその勇気さえも打ち砕かれたのが私は悔しかった。

中学生になると更に学校が嫌いになった。受験して私立中学に進学する子達を横目に何も考えずに近隣の公立中学に進学したら小学校以上に制度に固執する気の狂った学校だった。地獄。狂っていた理由として、風紀が乱れていたからと大人達は口を揃えて言っていたがそれも納得できなかった。界隈で最も酷く、その中学校の長い歴史で見ても最大に荒れていたと言われていた私達がいた時代の中学は学年の2/3くらいが「不良」(その表現自体疑わしいが当時大人達がそう呼んでいたのでここではあえてそう呼ぶ)と呼ばれる生徒で構成されていた。不良が標的を見つけて公開イジメをしたり、物が盗まれるのは日常茶飯事、教師は精神を病んですぐいなくなるので常に二人担任体制、シンナーの吸い過ぎか何か知らないが腕にたくさんの痣をつけて猿のように暴れる目の落ち窪んだ生徒達を制圧しなくてはならないため、授業は毎日ほぼ自習の時間だった。嫌気がさして登校拒否していた子も多かった。でも私は休まなかった。別に学校が好きで来たいというわけでもなかったがこんな奴らのために休んで「あいつも漏れなく負けた」と思われるのが馬鹿らしいと思った。盗みたければ盗めばいいと思って不良達の好むディズニーではなくサンリオの中でもマイナーなコッコちゃんというキャラクターがついた小学生でも持たないようなださい筆箱を試しに持ち歩いたら誰にも盗まれなかった。毎日ブスだブスだと男子に常に笑われた。「おまえはハミってるよな」とその一言だけわざわざ丁寧に伝えに来た別のクラスの男子生徒もいた。勝手に言ってろと思った。毅然としていたからかまだ平和だったのか、陰口はあっても暴力を振るわれたり集団リンチされるようなことはなく、たまに軽蔑心半分、好奇心半分で勝手なあだ名を付けて私に寄ってくる目つきのヤバい女子もいて好きではないが嫌いにはなれなかった。

馬鹿な奴らは放っておけばいいとしても、教師まで最悪だった。不良があまりにも手に負えられない脅威だからか教師の矛先はそれ以外の残された生徒達に向いた。私も普通にしていただけなのに何度叱られたか分からない。運動部にいて髪が地毛で今よりもずっと茶色かったので「染めてないか」と何度地毛だと説明しても問いただされた。それから髪を耳より少し高い位置でツインテールにしたら即刻辞めろと叱られた。「なぜダメなのですか」と聞くと「人の顔に当たったら危険だ」と言われた。おいおい危険な奴はもっと他にいるだろう、ツインテールを振りかざして暴れる自分を想像して笑った。

あのトマト事件で重罪人に祀り上げられたAくんも同じ中学だった。でも学校がそんな感じだったのとお互いに思春期を迎えたことで小学生の時のようにあまり口を利かなくなった。でも姿は見かけた。Aくんも私のように毎日ちゃんと登校しているようだった。ある昼休みの時間だった。昼休みは全員必ずグラウンドに出なければいけないという変な決まりがあり、私は出たくなかったので一人で教室にいた。そしたら見回りの体育教師が来てこっぴどく叱られた。ごまかしても何度も来て煩かったので仕方なく外に出た。その少し後噂で聞いた。別のクラスのAくんも昼休みにグラウンドに出なかった。そしたら私を叱った同じ教師がAくんを責めたのでAくんは「なぜ必ず外に出なくてはならないか、正当な理由を説明してください」と教師に問いただした。したところ教師は何も言えず引き下がったらしい。その後、Aくんは卒業まで何をどう頑張っても体育の内申点をあり得ない点数まで故意的に下げられ続けた。何一つ間違ったことはしていないのに。私は権力に負けて自分がいたかった場所を諦めたがAくんは信念を捨てなかった。かっこいいと思ったし同じことをできなかった自分が悔しかった。Aくんは他にも度々教師に真っ当なやり方で反発し、その度に押さえつけられていた。苦しかった。こんな学校消えればいいと思った。

私とAくんは申し合わせた分けではないが同じ進学校の高校を選んだ。宿題が地獄のように多くテスト勉強が大変だった(チャート式が今でも夢に出てきそう)点を除けば規則は緩く制服はあるが好きな格好や髪型で登校できた。ようやく息ができた。中学時代の不良達とはまた違う進学校特有の頭が良くてかつ器量も良いキラキラした人が多く気の合う友達はあまりいなかったが、私は放課後になると図書館で手塚治虫の漫画を読んだり美術室に籠って誰とも話さず一人黙々とキャンバスに向かって絵を描いた。好きな鞄を持っていても中学の時のように盗まれるようなことはなかった。BAPYの鞄が売っている場所を密かに調べてこっそり買いに行き持っていたら学年一かわいい女子に目をつけられどこで買ったか聞かれてそのかわいさに耐え切れず正直に教えた。次第にヒエラルキー上位グループの女子達がこぞって持ち始めたのでもう持つのを辞めた。クレープやポテトを食べに行ったりカラオケに行く友達はいなかったし、小中学時代からの男性恐怖症をまだひきずっていたせいで男子と上手く話せず恋仲になるような思い出も一度もなかったが油絵具の匂いを身体中に染みこませて帰宅するのが楽しかった。気になる男子あるいは女子がいたら遠くから見つめて勝手に脳内彼氏・彼女にして楽しんでいた。美術部と同じ階にある吹奏楽部で打楽器を叩いていたAくんを時々見かける度に私は顔を歪めてトマトを口に詰め込むAくんを思い出し、Aくんも私もやっと好きなことができてよかったね、と心の中でつぶやいた。終わり。

パリピ越しに花火を見たい - 『7:77』を聴いて勝手に考えたこと

大森靖子さんの新しいアルバム『クソカワPARTY』の7番目に収録されている『7:77』に「パリピ越しに花火を見て」という歌詞があるがこの歌詞が好きで勝手に色々と思い巡らせている。今回のアルバムタイトルは『クソカワPARTY』で、「パリピ」つまり「パーティ・ピープル」の「パーティ」はアルバムタイトルの「PARTY」にかけられている、と最初聴いて感じた。しかし「パリピ」の「パーティ」と『クソカワ PARTY』の「PARTY」は発音は同じでも意味がまるで違う気がする。「パリピ」の意味が何となくしか分からなかったのでググッてみたら、ウィキペディアには下記のように書かれていた。

 パーティ・ピープルは、英語で「パーティ(英語版)好きな人々」を意味する語句「party people」の音写。日本語では、長音符、中黒の有無による表記の揺れがあるほか、「パーリーピーポー」としたり、さらに「パリピ」と略されることもある。単にパーティーを好むだけでなく、より広く様々な機会に集まって楽しそうに騒ぐ若者たちという含意がある表現であり、否定的に言及される場合には、騒いで周囲に迷惑をかけるという意味合いで用いられる。


「より広く様々な機会に集まって楽しそうに騒ぐ若者たち」は私がパリピというよりパーティという言葉に対して抱いているイメージに合致する。パーティとつくものが昔からずっと苦手で今も出来ることなら関わりたくない。心配しなくても日常生活でパーティに参加しなければいけない局面は滅多にないが、結婚パーティ、誕生日パーティ、同窓パーティなど稀にだが降りかかってくる。祝賀会ならともかくパーティとついている時点で「げっ」と嫌悪感を抱くのはパーティという言葉に前述の固定概念を抱いていて、とにかく集団行動が昔からできない自分はたくさんの人が集まる場でどう振る舞ったらよいのか分からない。どこがどう楽しいのか理解できない場で無理矢理笑ったり楽しそうな人達にテンションを合わせるのが苦行で、壁に寄りかかって気配を消したりそんなに食べたいわけでもないのに他にすることがないので飲食に専念している人のような空気を出す。

大森さん自身もパーティが苦手だといつかのLINELIVEでおっしゃっていた。リリース前に発表されたアルバムについてのコメントには(全文通して読むべきだがあえて抜粋すると)、「最高で最悪な魔法が使えない私にしかできないPARTYをはじめよう何度でも。」と書かれている(ちなみにアルバム3曲目の『REALITY MAGIC』に「魔法が使えない私にしかできないPARTY」という歌詞が登場する。この曲についても思うことがあるので別途まとめたい)。またコメント中に「クソカワ大宴会」との表記もある。「大宴会」、なるほど。「宴会」となると私は途端に抵抗を無くし親近感さえ覚える。なぜなら宴会はパーティより参加者の年齢層が幅広く、周りの盛り上がりに合わせる必要がなく一人で勝手に楽しんでおけばよいというイメージを何となく抱いているからだ。宴会=温泉=浴衣という「弛緩」イメージの連鎖がある。着飾って参加しなければならないパーティほどルールや作法がなく、そこら辺にいる誰だか分からない半裸のおじさんもお咎めなく参加できるような、もう少し開かれたイメージである。イメージなので間違っているかもしれないが私の中ではそのような区別がある。大森さんのライブは、湯会や加賀温泉、昨年のMUTEKI弾き語りツアーの別府公演、バスツアーのカラオケなど宴会スタイルが多い。聴衆は畳敷きの上で思い思いの格好や姿勢で聴くがまったくの無秩序ではなく最低限のマナーがある。『クソカワPARTY』の「PARTY」は、私の思うパーティよりはそういう宴会スタイルのライブに近い、各々自分のルールや温度で自由に盛り上がって楽しめば良い、という意味で使われているかもしれないと感じた。『クソカワPARTY』のドレスコードは「自分」だと大森さんが言われていたのも頷ける。誰かに合わせて無理矢理笑う必要のないPARTY。

『7:77』の「パリピ越しに花火を見て」に話を戻すと、そもそもこの曲は大森さんの相棒、クマのナナちゃんについて歌った曲だと明言されている。だから歌詞もナナちゃん自身について描かかれていると感じ取れる部分が多い。何度もリピートしたくなるアップテンポなメロディとナナコラクリエイター・おおたけお氏による愛がぎちぎちに詰まったMVが素晴らしく、歌詞をつい聴き流しそうになるが私はこの曲の歌詞がメロディやMVと合わせてとてつもなく好きだ。ライブで盛り上がりそうな曲である一方、歌詞に描かれていることが深い。ナナちゃんのことを指しているようで大森さんやファンのことを言及しているような箇所もある。曲の受け取り方はそれぞれあるべきなので細かい歌詞分析は自粛するが、唐突に出てくる「パリピ越しに花火を見て」という歌詞に最初私は戸惑った。おおたけお氏のMVでは歌詞の「花火」に「ナナちゃん砲」とルビがふられているので、ここでの「花火」は8月12日に八丈島にて行われる大森さんのライブの前日に開催される八丈島の花火大会にてファンの企画により有志ファンと大森さん自身が出資して上げられる打ち上げ花火を指している可能性が高い。だが私は最初ルビに気づかず一般的な意味での打ち上げ花火だと無意識に捉えた。私は打ち上げ花火が好きだ。この世の光景と思えぬほど眩く開花するが次の瞬間には消えてしまう花火の儚さに即時性の美しさを感じてたまらなくなる。でも花火大会は苦手だ。だから大抵自宅のベランダかテレビ中継で観る。本当は川辺に行き花火が打ち上がる光景を真近で観たいと思っているができない。それはその場に集まっている人達、言うならばパリピに居合わせるのが億劫だからだ。過去、何度か意を決して花火大会の会場に赴いたことがあるが、黙って花火鑑賞に集中したいのに騒がしく盛り上がっている若者達を見て、やはり私が来るべき場所じゃなかったと思った覚えがある。やがて花火大会とは騒ぐのが好きな若者、生きるのに何の困難もない毎日楽しい人達のホームだという固定観念が私の中に定着してしまった。パリピにだって悩みはあるかもしれないが自分が入れない世界という意味でそういう人達が好みそうだと自分で勝手に決めつけた場所、他には例えば海や祭りやフェスからとことん距離を置いてきた。本当は行きたいのに。

パリピ越しに花火を見て」の主語はわからない。ナナちゃんかもしれないし、大森さんかもしれないし、我々ファンかもしれない。または誰とは特に決まっていないのかもしれない。大森さんは「全力のパリピ感 ピンクグラデレンズめっかわすぎてよお」というコメントと共にピンクのサングラスを着用された写真をInstagramに投稿されたり(ツイッターでないところに重要性がある気がする)、LINELIVEでサングラスを着用されそれを視聴者にプレゼントされてたので、自らパリピ風な格好を見せることで、「パリピ」や「PARTY」について考えてほしいとリリース前からファンに意識的に訴えられていたのかもしれない。この曲を最初に聴いたのがアルバムリリース前にYouTubeに上がった公式MVだったので、リリース後改めて曲だけで聴いてもMVでおおたけお氏がこの歌詞に当てた画(打ち上げ花火に盛り上がる群衆を背後から見た光景、下記スクショ参照)が自然と浮かんだ。おおたけお氏は手を挙げたり体を動かして盛り上がる「パリピ」一人一人に色彩や形で違いを表さず紫色をした集団として描いている。

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花火に盛り上がる集団が少し距離を置いた目線からシンプルに描写されていて、歌詞に相応しい画だと思った。ここからは私観だか、飛び込んでいくことを躊躇させる集団が自分より前の位置で花火を見て盛り上がっている。そこに突入して最前線で見る勇気は持ち合わせていない。しかし群衆の後ろから、「パリピ越しに」なら見られる、好きな花火を見てもいいんだよと言われている。後に続くナナちゃん称賛(と感じた)コールと相まって、私はこの歌詞を聴くと毎回涙が込み上げる。そうか、私も花火を見て良いのか。この歌詞で泣く人はいないかもしれないが私にとってはこれまでの人生で参加を拒んできた感情や後ろめたさに対する救済と容認である。MVの紫色の群衆はライブ会場にいる観客とも見て取れる。私は数年前初めて大森さんのライブに行くまで、ライブ会場やライブにいる観客は怖いと行きもしないで決めつけて近寄らなかった。その嫌悪感は花火や自分が入れない集団(≒パリピ)が集いそうだから辞めようと私が勝手に思って距離を置いている場所に対して抱いている感情と似ていた。大森さんのライブに行くようになってから、ライブは怖くない、音楽現場にずっと入れなかった私でも楽しむことができる場所だと初めて知った。ライブでも花火でも何でも、好きなものや興味のあるものを無理矢理封じる必要はない、行動を躊躇させる要因や苦手だと感じる世界はけっして簡単にはなくならないし同化したり対立したりしなくてもいいから自分の感覚を持ったまま自分のやり方で楽しめば良い、例えばパリピの後ろから好きな花火を見るみたいに、と「パリピ越しに花火を見て」の歌詞は言っている気がする。それこそ大森さんが『クソカワPARTY』に込めた想いなのかもしれない。また、ぬいぐるみやかわいいものを好きだと声を大にして言えないが本当は好きな人でも好きになることを黙って認めてくれるナナちゃんの存在そのものを指しているかもしれない。ナナちゃんの存在意義については思うところがたくさんあるがナナちゃんのことが好きな人それぞれの胸の内に持論があるはずなので辞めておく。大森さんはMCなどでたまにナナちゃんについて言及されるが多くを語らない。その代わりに、今回『7:77』という楽曲として示されたのかもしれない。

行きたいけれど行けなかった場所に行ってみようか、本当はやりたいけれど諦めたり躊躇っていたことが私にもできるのかもしれない、『7:77』はそんな気持ちを起こさせて、同時にナナちゃんへの愛おしさや大森さんがこれまで積み重ねてきた思いや姿勢、ファンとしての在り方を再確認できる大切な曲だ。

 

この夏、私はどうしても打ち上げ花火が見たい。好きだから。

 

『7:77』

 https://youtu.be/r33iHqUgZZ4

 

公式サイト 『クソカワPARTY』 ページ

http://oomoriseiko.info/special/kusokawa-party/?page=2&year=

 

大森靖子2018「COCOROM」ツアー 神戸公演@チキンジョージ (2018.6.14)の記録

6月7日恵比寿・リキッドルームで始まった「COCOROMツアー」は翌週15日京都・磔磔にてツアーラストを迎えた。「プチツアー」と表記されていたとおり、いつものツアーに比べて公演数は4公演と少なく期間も短い。新作アルバムに紐付いたツアーでもない。そんなツアーは大森さん至上初めてだろうか。COCOROMツアーが発表されたのはMUTEKIツアーファイナルの中野公演・終演後に配られたチラシだった。ツアーラスト終演後に次ツアーの情報が解禁される、それはよくあることだ。チラシをもらって「あぁ嬉しいな」とは思うが性格上、直前に観たライブの余韻で頭がいっぱいなので次のツアーをいつもすぐに考えられない。でもCOCOROMのチラシを見た瞬間、私は興奮した。神戸が入っていたからだ。


今まではっきり言及するのを避けてきたが、神戸は地元である。幼少期に越して来てから就職して東京に上京するまで約20年間、神戸に住んでいた。好きな歌手が地元でライブをしてくれる、これはきっと誰にとっても嬉しいことだと思う。今回のライブ記録を書くに当たり、神戸が地元であることを言及せずに書くのは難しいと判断した。記録しないで胸の内にしまっておくべきかと最初は考えていたが、個人的に重大な日だったので文章として残しておきたかった。ビバラポップ!の前に大森さんが言われた「歴史風俗資料」でありたいという気持ちも少しある。


他にもきっとあるかもしれないが、大森さんがライブをしに神戸に来られた時を二度知っている。知っているというより後で知った。一度目は2012年6月30日、元町映画館で行われた『MOOSIC LAB 2012』というイベントに大森さんが参加されミニライブを行った時。(同年、岩淵監督の『サマーセール』が上映されていたのでその関係かもしれない)。二度目は2014年3月2日の「絶対少女が夢見るBBa'14ツアー」神戸公演の時。塩屋にある洋館、旧グッゲンハイム邸でライブをされた。2012年はまだ大森さんの存在を知らなかったから仕方がないとして、2014年3月の旧グッゲンハイム邸はちょうど大森さんを知った頃だった。しかし地元でライブがあることも知らなかった。ライブに行くという行為自体怖かったので調べようともしなかった。それを後からずっと後悔していた。旧グッゲンハイム邸は実家からほど近い。どれくらい近いか言及できないくらい近い。幼少期からすぐそこにある建物という感じで何度も前を通った。電車に乗れば塩屋駅を過ぎる時に必ず見える。存在が当たり前すぎたが自分の足で建物の前まで行ったことはなかった。近いからこそ行かない場所というのは案外あるものだ。ひっそり建っている印象だったので、ライブや演奏会が行われるスペースとして使われるようになったのはわりと最近なのかもしれない。大森さんを知りライブにも行くようになってから、よく知っているあの場所で大森さんがライブをしたと知った時、同じ時代に生きていてその瞬間を逃してしまった自分をどれほど悔やんだか、他には例え難いものがあった。

 
1年半ほど前、神戸公演に行けなかった誰にも言えない悔しさを大森さんにDMで伝え、最後に「いつか神戸にてもう一度ライブを開催していただけますでしょうか」と書いた。悔しさを言葉に換えただけで満足していた。でも届いたDMは必ず読んでいると大森さんは言われていた。その時は「神戸いきたいー!」と返事が来た。一度ツイッターのアカウントを消してしまったので、もうそのDMは見られないが画像で残してある。大森さんは嘘をつかない。『死神』は「履歴書は全部嘘でした / 美容室でも嘘を名乗りました / 本当の僕じゃないのなら侮蔑されても耐えられる」(表記は聴き取りによる)と始まる。過去、同級生に対してこういう人だと誤解されるのが面倒臭くて嘘の自分を演じていたという話も本人から聞いたことがある。そういう嘘ではなく、意思の嘘をつかない。自分自信に対する嘘。やろうと思ってないことをやりたいと無責任に言われない。これまで大森さんや我々の夢が現実になった光景を何度も見てその度に驚かされてきた。好きな人とステージで共演したいという意思を持ったら本当に叶えてしまう、それが大森さんという人だ。こうして書くと簡単だが簡単なわけがない。信念を貫き通して地道に積み重ねなければなし得ないことばかり見てきた。だから返事が来た時、どうしようもないくらい嬉しくて子どものように安心し、いつかその日が訪れるのを待っていようと思った。

 
そして「COCOROMツアー」が発表された。ついに神戸が入っていたこと、それ自体が私信だと思えた。COCOROMとはどういう意味なのか。MUTEKIツアー終演後、大森さんを私に教えてくれた友人と語り合ったがはっきりとした答えは出なかった。「COCORO/ROM」つまり「読み取り専用」「書き換え不可」になってしまった心という意味なのか、などと考えたがそこで議論は止まった。ツアー開始前、COCOROMとは何を意味するのか、ファンにより色々な推測がされていた。「COCO」が「孤と弧」あるいは「個々」、「COCOROM」が「試み」など、自分では考え付かないものもあり全てが興味深かった。それらにヒントを得て私も直前まで考察した。大森さんは恵比寿で「ROMって通り過ぎてたみんなの心をライブで取り戻していきたい」というようなことをさらっと言われていた気がする。「ROMる」とはネット用語で掲示板などで書き込まず読む専門の人のことを指すらしい。考えていたことと少し違ったが、要は来た人が主体的に心を動かせるようなライブをしたいということだろうか。ライブ中、大森さんは楽しい、楽しいと連呼されていた。確かに楽しかった。各々が「楽しむこと」が今回のツアーのテーマの一つなのかとも思った。でも初日の恵比寿を終えた段階でCOCORMツアーの意味を私はまだよく掴めていなかった。全国15箇所にて弾き語りで行われたMUTEKIツアーを終え、次のアルバムが出る前にこのツアーが行われる意味。

 
ようやくここから神戸公演の話。私はいつも前置きが長い。どうしてそこへ至ったか説明したいと思う気持ちが強すぎる余り話の軸がよくずれてしまう。神戸公演が決まった時からカレンダーに書き込み、6月14日という日にちを繰り返し眺めていた。ばっちり有休も取った。大森さんが神戸に来る、それだけでドキドキした。前日の夜中、ふと思い立って飲食店を中心とした神戸の観光情報をA4一枚にまとめた。ほとんどが約10年前の記憶に基づいているので、ガイドとして機能するのか不安になりつつ知っている情報を書いた。学生時代バイトしていた時にお昼休憩でよく行ったお店や地元の友達が過去に連れて行ってくれたお店。できることなら地図なんかもつけて詳しく書きたかったが時間がなく、ごく簡単なものになった。何をするにもギリギリに思いつきでやろうとするから時間がない。でも大森さんや新ガイアズのメンバー、二宮さん美マネさんやファンの人が来てくれて嬉しいという気持ちを何らかの形で表したかった。よく神戸の人は神戸が好きすぎるよね、と言われるがそれは否定できない。私は神戸が好きだ。それは決して地元にまつわる全てが好きだということではない。実家の家族に会うのが憂鬱な時もある。帰省して会うような友達もほとんどいない。できれば会いたくない人が多い。握り潰したい思い出もある。でも神戸という土地そのものが好きだ。当たり前みたいに海が見えて山もある。貿易都市ならではの多様性を認める寛容さがある一方で、他者に踏み込みすぎない冷ややかさもある。大震災を経た哀しみも未だに残っている気がする。自由で孤独な街だ。そこに好きな人が来る。事件だ。

 
ライブ当日に帰省し一旦実家で荷物を置いた後、ライブまで時間があったので旧グッゲンハイム邸に行った。何度も見てきたのに敷地に入ったことはなかった。今日のライブを迎える前に大森さんが4年前に来た場所を辿っておきかった。旧グッゲンハイム邸は現在、月一度の見学日を除き内部見学することはできない。ライブや演奏会や結婚式その他イベントのためのレンタルスペースとなっている。歴史的な建築物がただ保存されるのでなく建物が生きたまま活用されることを私はとても良いと思っている。大森さんが過去のライブやMUTEKIツアーで訪れた会場もそういう場所が多い。この日も何か行われていたようだ。旧グッゲンハイム邸の敷地に入るには踏切を渡らなければならない。踏切を渡ると敷地に繋がる小さな階段がある。ローカル私鉄が通る線路の踏切なので頻繁には閉まらない。踏切が開くのを待ちながら、「大森さんも4年前ここで待ったのか、その時何を考えていたのかな」などと考えていた。南国風の植物が植えられた敷地内はひっそりとしていたが、建物に近づくと人の声がした。ずっと見ていたのに初めて見たような不思議な心地がした。思っていたより小さかった。断りなく勝手に入ったため、ずっといると怒られそうな気がしたのでしばらく建物を見たら退散した。建物を背にすると海が見える。この日の空は少し曇っていたので海の色もどんよりとしたブルーグレーだった。海風が吹いていた。人が変わっても海はいつでも変わらずそこにある。それに何度安堵してきたことか。三宮までの電車で、もう大森さんは神戸にいるだろうなと思ったら急にドキドキしてきた。


三宮駅に着いて、この店まだあったのか等と考えながらぼんやり道を歩いていたらチキンジョージに到着した。ぼんやり歩いていたら着くなんてことは東京ではまずあり得ないことだ。会場付近には大森さんのTシャツやグッズを身に着けている人がたくさんいて、地元でそういう光景を見ているのが不思議だった。いつも東京で見かける顔を知っているファンの人はほとんどいなかった。物販を済ませてライブまで時間があったので街を散策した。歩いていたら急にお腹が空いてきて、餃子でも食べようかと行ってみた好きなお店は開いていなかった。学生時代よく行っていた好きな古本屋さんに行ってみたら運悪く臨時休業だった。結局、ライブ直前に知人と合流するまで特に何をすることもなく一人で街をふらふら歩いていた。チキンジョージは生田神社の横にあり、その前には東急ハンズがある。この東急ハンズは地下鉄三宮駅と直結しているため、大学時代の飲み会などで待ち合わせ場所になることが多かった。「ハンズ前18時な」という感じで。だからハンズ前の信号を待っている時、私はこれからチェーンの居酒屋で飲み放題付一人3000円の会に行くのだったっけという錯覚に一瞬捉われた。過去の記憶と現在の自分がぐるぐる混ざっていた。回想したり、昔好きだった先輩とまさにこの辺りで交わした会話のことなど考えてぼんやりしていると青柳カヲルさんがデザインされた意識高いTを着た人が急に視界に飛び込んできてはっと目が覚めた。見知らぬ人の背中に浮かぶ「愛死天縷 孤夢」という文字や鮮やかな色彩を見つめていたら、過去と現在が電流がぶつかり合うようにバチバチ衝突して痛くて泣きそうになった。


ライブの記録なのにライブが始まるまでの描写が長すぎる。開場時間が近づき会場の前で整列する。チキンジョージの存在は知っていたが当然中に入ったことはなかった。ずっと音楽が怖かったのでライブはもっと怖かった。ライブハウスは自分とは一切関係のない場所だった。そこに今入って行こうとしている。番号が呼ばれて地下への階段を降りながら後ろめたさを感じてドキドキした。あの時あんなに遠ざけていた場所に嬉々として入っていく後ろめたさ。会場は思ったよりも小さく、もちろんリキッドルームとは比べものにならないくらい狭く、地下のライブハウス!という感じがした。広くない会場は最前以外はバーや仕切りがなく、真ん中より前方にアーチ状のコンクリートが柱になり仕切られていて、その奥にステージがあった。古代西洋の舞台のようだなと思った。既にステージ前方には人だかりができていて、私も大森さんがよく見えそうな真ん中寄りの場所に立った。その時この規模の会場でバンド編成の大森さんを観るのは初めてという事実に気が付いた。

 
ステージ前方に置かれたテーブルにはいつものようにナナちゃんが座っていた。新衣装を着ている。そのすぐ側にピンクのマイクスタンド、楽器や機材や配線、ハイパーのサクライさんが使うPCがあり、ドラムセットがあり青柳さんの魔法陣が描かれたタペストリーが迫っていた。背後にきっと大森さん達がそこから出て来るであろう茶色いカーテンがあった。それぞれの距離が近く密集していた。アーチ状の柱のせいかステージ側は暗く、観客の待つこちら側は明るかった。楽器や機材が暗いステージでひしめき合って静かに呼吸しているのを感じ取った。暗闇に生き物が蠢いていて、見たことはないが死の世界、冥界みたいだなと感じた。ざわざわと話し声が絶えないこちら側が「人間が住む生の世界」に思えた。対極だった。一つの会場に生と死が混在していた。ナナちゃんは冥界の主のように暗闇に座り、明るい観客側を静かに見ていた。その表情は無だった。ライブ前の観客の様々な魂を吸い寄せようと集中しているようにも見えた。私は話す人がいなかったこともあり、ナナちゃんを自分が立った場所からじっと眺めていた。そうすると冥界に呼ばれるように自分の魂が体内から抜け出てナナちゃんの元までふわっと浮遊していくのを感じた(あくまで意識の問題。実際にそうだとただのオカルト現象になってしまう)。あちこちから聞こえる関西弁や笑い声がふっと遠のいていく。そろそろかなと思ったら、懐中電灯を持ったスタッフが現れて配線を修復していた。彼らが死体を発掘するため冥界に行った調査隊のように見えた。

 
そんな風になっていたらついにバンドメンバーが登場した。わーっという歓声と拍手が巻き起こる。いよいよ始まる!という実感が突然沸き、冥界に足を突っ込んでいた私はそうだこれからライブが始まるのだと身を引き締めた。大森さんが登場されて更に沸く会場。バンドの音が鳴りステージがぱっと明るくなった瞬間、それまで「死」であった冥界が「生」に反転した。

 
恵比寿のセトリが名古屋でもアンコールの『お茶碗』を除きそのまま踏襲されたと事前に知っていたため、神戸でも同じセトリがくると予想していた。予想通り『絶対絶望絶好調』で始まり『生kill the time 4 you、、』『非国民的ヒーロー』と続き会場の温度はぐんぐん上昇していく。大森さんが「死の淵」に転がっている観客の魂に手を伸ばして一つずつ拾い上げていくような引力があった。いつの間にか観客側が「死の世界」に変わっていた。ずいっずいっと引っ張られるような感覚が恵比寿の時より強くあったのはきっとリキッドルームよりチキンジョージが空間的に狭く天井も低く、バンドの音や大森さんの歌声がより自分に密接してダイレクトに向かってきたからだと思われる。また、セトリが予め頭に入っていたため曲を受け取る準備が自然にできていたというのもあるかもしれない。

 
私が初めて行った大森さんのライブは2016年4月に新宿ロフトで行われた「大森靖子緊急自主企画●スプリング!センセーション!~生kill the time 4 loft~」で、ライブ参加者はMVと同じように白シャツがドレスコードだった。生まれて初めて自分でお金を払って行ったライブであり、生まれて初めてバンドの音を生で聴いた。それ以降観た大森さんのバンド編成は数えるほどしかなく、ZEPPなど大きい会場ばかりである。だから今回のライブは初めて行った新宿ロフトが状況的に一番似ている。とはいえチキンジョージはロフトより更に小さい。ライブタイトルの『生kill the time 4 you、、』で始まった瞬間の高揚をまだはっきりと覚えている。今回のツアーで同じように冒頭に『生kill the time 4 you、、』を聴き、あの時の身体中の血がわっと集まる感覚が蘇った。

 
いつもと違って面白いなと思ったのが一曲終わるごとに拍手と歓声が響いていたことだ。大森さんのライブ(特に弾き語り)では曲が終わって次の曲が始める前に拍手がないことがある。私は音楽やライブについて無知すぎる余り、小学校の演奏会の経験で音楽を聴く場では「曲が一曲終わったら必ず拍手をするのが絶対的マナー」だと真面目に信じ続けてきたため、初めて大森さんのライブに行って全ての曲で拍手が起こるわけではないと知った時は戸惑った。今でも慣れておらず、誰も拍手していない時にしそうになる時がある。大森さんはライブ全体における曲から曲への流れを強く意識されていて、「一曲終わった、はい次」とあまり分断されない。弾き語りでもバンド編成でも曲の終わりがそのまま続くように次の曲が始まることが多い。ライブが進行する流れを遮らないよう聴き手も拍手を控えるタイミングを自然に覚えたのかもしれない。でも神戸公演では曲が終わる度に握手と歓声が起こり、それは意外だったが自然で暖かかった。心地良かった。拍手と歓声は観客の声、聴き手である私達の声だ。音楽を届けてくれる大森さんやバンドへの返答。だからか、前述のように狭い空間で音と密接していたからか、大森さんに内臓を鷲づかみにされて掻きまわされるようないつもの感覚ではなく、自分からぐっと中へ踏み込んでいる感じがした。中とは?大森さんの体内だろうか。ライブ会場が大森さんの身体だった。大森さんが心臓でバンドが他の内臓や筋肉で私は血でそれぞれが共鳴し合っているような感覚があった。だとしたらナナちゃんは脳だろうか。一人の人間がライブという限られた時間で誕生し呼吸していた。蠢いて「動」=「生」と「静」=「死」を繰り返していた。この感覚はきっと誰にも分かってもらえないが分かってもらえなくて良い。

 
『イミテーションガール』の「おかえり」は神戸に帰って来てくれた大森さんへの叫びであると同時に過去の自分へ向けたものでもあった。音楽が怖くて拗らせていた私は拗らせたまま大人になり、上京し東京で大森さんに出会い、その何年後かのこの日、音楽を切り捨てて生きてきた地元にようやく戻り、本当の意味で音楽に再会することができた。全力で「おかえり」を叫んだ。数時間前に階段を降りていた時に感じた後ろめたさはもうなかった。だからその後の『マジックミラー』を聴く姿勢がこれまでと違った。いつもは「大森さんが歌うことに対してこれほど深く向き合っているのに私は同じ熱量で日々生きられているのだろうか」という罪悪感で苦しくなることがあるのだが、この時はたった今大森さんを地元で聴いているという事実、それが自分で成し得たものでないにせよ、ここまで辿り着けたという絶対的な安堵に守られていた。『マジックミラー』あたりから大森さんは時折、ファンと目を合わせる時とは違う、背筋がぞくっとするような冷ややかな眼差しをされる時があった。何かに反発して睨みつけるような感じではなく、ただじっと空を見つめているような眼。SAYUMINGLANDOLLの時の道重さんの表情に重なるものがあった。恵比寿で初めて気づいた時、大森さんにはこんな表情があったのか、と私のまだ知らない大森さんを知りドキドキした。 


開演以降、わりと前方にいたにも関わらず圧縮がなかった。紳士的だと思っていた観客が『ミッドナイト清純異性交遊』が始まってから、ざざっと前に寄った。後ろから苦しくない程度の圧縮を感じた。観客が大きく動くのをこの日初めて見た。それまで飛び跳ねたり周りに迷惑になるくらい激しくペンライトを振る人はいない印象だった。東京でも大森さんの現場はわりと大人しい印象だが、会場が大きくなるほど色々なお客さんがいる。神戸はもしかしたら初めてのお客さんもたくさんいたのかもしれない。大阪も京都も同じ関西だが、神戸の人は神戸が好きすぎるので外に出ないことが多い。同じ関西で近いとはいえ距離もそれなりにある。控え目にステージに寄る人達と一緒に前方に行きながら、なるほどこれが神戸のライブかと実感した。それまで堪えていたけれど『ミッドナイト清純異性交遊』で手を差し伸べた大森さんに耐え切れず身体が勝手に前へ動いてしまったという感じがとても愛おしかった。動いた人達はミッドナイトが終わるとまたざっと元の位置に戻った。戻ることなんてあるのか、とまた驚いた。観客が激しく畝り動くライブもそれはそれで楽しいのだろうが、私は正直まだその世界に飛び込めないでいる。怖いと思ってしまう。今回は周りのお客さんの多くが同郷である(と意識する)ことやお客さんの温度がバンド編成のライブに慣れていない私にしっくり嵌り心地良かったのかもしれない。紳士的だからと言って盛り上がっていないということではない。身体の動きが激しくない分、拍手や歓声に気が込められている感じがした。


私の記憶する限り、大森さんは『絶対彼女』のドンドンドンというドラムの伴奏で初めて観客に背を向けてタオルで顔を拭うまで、ライブが始まってから一度も汗を拭わなかった。ライブが進むにつれてライトに照らされた大森さんの顔にじわじわと汗が浮かんでいた。私は今まで何を観てきたのか、こんなに汗を掻いている大森さんを観たのは初めてだった。大森さんは、恵比寿の時と同じ肩にフリル、胸元に黒いボウタイのついた赤いワンピースを着ていた。恵比寿で初めて見た赤いワンピース姿の大森さんは、可愛いという言葉では足りないくらい可愛かった。自分がいつか見た夢からそのまま出てきたような非現実的な光景に眩暈がした。鮮やかな赤色が少し短く切った黒髪と白い肌によく合っていて、漫画に出てくる性別を超越した美しいキャラクターのようだった。私はリキッドルームでは会場の中程で聴いていたため、大森さんが汗を掻いている様子まで気付かなかった。圧倒的に美しい宗教画のような尊さを感じていた。だから神戸で絵画的な美しさの中に人間的な汗を発見した時、見てはいけないものを見たようでドキドキした。恵比寿でストレートだった髪は神戸では少し巻かれていた気がして、それも相まって色気を感じた。手の触れられない二次元的存在だった大森さんが今や自分と同じ世界に住む人間になった気がした。赤いワンピース姿が二度目で最初よりは心の準備ができていたからかもしれない。恵比寿の時の大森さんとは付き合えないが、神戸の大森さんとは頑張ったら付き合ってデートとかできるかもしれないと思わせる何かがあった。などと、考えている自分が相当気持ち悪いと感じるがオタクなので仕方がない。しかし大森さんは汗を拭いてライブを中断させるようなことはせず、顔中を汗でキラキラさせながら「かわいい!」「かわいい!」と何度も私達を見て叫んでいた。汗も拭かず全力で歌い続ける大森さんが一番可愛くて綺麗だ、と私は思っていた。


大森さんは『絶対彼女』の恒例のパート別歌唱の確か「デブ」パートの後、ライザップのCMの真似をした。恵比寿でもされていた。セトリを見る限り、全ての会場でされていたようだ。絶妙なタイミングでライザップの音がバンドで流れたので、アドリブではなく最初から段取りとして決まっていたのだと思われる。ライザップのあのCMのように、太っている姿を表現しようと顔を縮めた大森さんの顔は二重顎になっていて、その表情は美川憲一のモノマネをするコロッケ氏を彷彿とさせる振り切った狂気さえ感じた。そこには恥じらいが微塵もなかった。私は誰が見てもかわいいと言う大森さん以外の大森さんの表情やしぐさもかわいいと思っているのでその二重顎姿もかわいいなと思ったが、「かわいくない」と思った人も中にはいるかもしれない。「かわいくない」と思われる可能性があっても大森さんは笑いに対して手を抜かなかった。私だったらたった一人にでも馬鹿にされて笑われるのが嫌だと手加減してしまうかもしれないが大森さんは真剣だった。

 
笑いを追求している人が私は好きだ。ただ笑いは難しい。何でも捨て身でやれば面白いというわけではなく誰もが纏っている「虚(きょ)」(6/4のLINELIVEでの「化粧をする女の子は虚を塗っているがおじさんは何も塗っていない」という大森さんの発言は考えされられた)の裏側を曝け出して笑いに昇華させるという覚悟が必要だ。それは時に誤解や他者からの嘲りを生むこともあり、恥らいや見栄をぶち破って精神的に裸になることのできる人でないときっと本物の笑いは成立しない。大森さんは『超歌手』の「#女芸人の墓」という章で、森三中の大島さんについて書かれていて、記述によると大島さんは『笑ってはいけない』で裸になられた。テレビで女性が全裸になるには相当な覚悟がいるだろう。見た目が全裸というその事実以上に精神的な裸になる覚悟がいる。

脱ぐのなんか私には簡単だし、いくらでも面白いならいちばん面白いところで裸になりたいんですよ私も。ていうか裸じゃないとこんな本、書けないですよ。

『超歌手』「#女芸人の墓」109頁より

 

笑いを生み出す際、自己と自己を合わせ鏡のように向き合わせることで身を滅ぼすことも起こり得るが、その覚悟ができる人というのは限られている。笑いに真剣な人はみな本気なのだ。本気だから見せることのできる美しさがある。だから、ライザップの真似をして笑いを取る大森さんは震えるほど美しかった。名古屋でどうだったか分からないが、神戸では「(痩せるということは)結局顔なんです」と大森さんは言い、観客にも一緒にライザップするよう求めた。太っているというコンプレックスや自分で嫌だと思っている自分は、表情つまり気持ち次第で意外にやり過ごせるものだよと言われている気がした。「551がある時~ぎゃははは!(一同大笑い)ない時~……(シーンとして悲しそうに落ち込む)」という関西で知らない人はいないであろう「551」のCMみたいだった。だからか会場は盛り上がっていた。大森さんはライザップのCMの面白さを伝えたかったのではなく、きっと人はそれぞれのコンプレックスを自ら誇張したり笑いに昇華させることでその事実を消すことはできなくとも抱えたままの自分とそれなりに向き合えるはずだ、と教えてくれているのだと一緒にライザップをやって初めて気がついた。


『アナログシンコペーション』から最後の『音楽を捨てよ、そして音楽へ』まで、上昇し膨らんだ会場の熱気がラストに向けて濃度を保ったままぐっと収縮していくセトリに恵比寿では圧倒された。MCではないがファンとのやり取りという点でその役割を果たしていた『絶対彼女』やライザップを挟み『アナログシンコペーション』以降の曲は、舞台でいうと第二章に当たるものだったかもしれない。kitixxxgaiaツアーファイナルの記憶からか、『アナログシンコペーション』はライブの最後に演奏される曲という印象だったので、恵比寿で伴奏が始まった時はそうきたかと驚いた。この曲では「人が人を完全に理解することはできないが、それぞれが同じ方角を向きつつ、それぞれの孤独や個性を尊重して先へ進んでいくときっとうまくいく」と歌われていると個人的に解釈している。他者と分かり合うことを押し通すことも諦めることもしない。これから先の人生、何をするにも信念として持ち続けていたい大切な曲だ。大森さんが最近よく言われている「孤独」と「孤立」の話にも通じる。大森さんは今回から曲に合わせて新しい振り付けをされていて、まるで手話のようにひとつひとつの歌詞を視覚的にも観客に伝えようとされていた。「重ねてよアナログシンコペーション」のところでは左腕の端から端まで右手で横にとんとんと刻んでいくような動きをされていた。その動きを見つめていると、なぜか口から人が出ている空也上人像のイメージに繋がり、大森さんの体に小さな人間が入っていくように見えて、あぁ私は今やはり大森さんの体内にいるのだなと勝手ながら感じていた。


個人的な推測なので全く見当外れかもしれないが、ツアーが終わった今改めて考えると、『絶対絶望絶好調』から『絶対少女』までの第一章(と仮に呼ぶならそれまでのセトリ)は大森さんの曲の中でもYoutubeでMVの再生回数が多い曲や知名度が高い曲、つまり多くの人が飛び込んで行き易い曲が意識的に選ばれていた気がした。それが『アナログシンコペーション』を境にしてラストまで大森さん自身のことを歌った曲や大森さんが大森さんの内側にぐっと没入するような曲が続く。第二章の始まりに『アナログシンコペーション』を歌うことそれ自体が、「もし今から歌う曲について君がどう感じようと、私は今ここでこの曲を君に届けたい」という大森さんの意思表明だったのかもしれない。曲を知っていても知らなくても、共感してもしなくても、それぞれが何か感じ取ってこの場で一緒に音楽を作り上げて欲しい。そういう「お願い」だったのかもしれない。考え過ぎかもしれないが。


アナログシンコペーション

焼肉デート

draw(A)drow

流星ヘブン

わたしみ

死神

音楽を捨てよ、音楽へ

 
『アナログシンコペーション』以降のセトリを改めて書き出してみた。ラストの『音楽を捨てよ、音楽へ』以外は厳密ではないがほぼリリース順になっている。『焼肉デート』をライブで最後にいつ聴いたか記憶にない。当分聴いてない気がした。私はこの曲が大好きだ。この曲は「わかってくれない相手」と「相手に分からせることができない自分」への怒りの曲だと理解している。しかも瞬間的な怒りではなく時間が経ってもずるずる自分に纏わりついて消えてくれない怒り。「ラストラブレター100ページかいて 全然伝わらないってわかった」相手への怒り、「運命を明日から変えたいなら 今日と同じように今日こそはじゃなきゃだめだよ」という自分自身への苛立ち。「ラストラブレター100ページ」ってすごいと思う。もうどうにもならないから文字にして、しかも100ページも書いたけどそれは意味がなかった。100枚ではなく100ページだから便箋ではなくノートかもしれない。その100ページの想いが詰まったノートを結局相手に見せたかどうかさえ分からない。書いた後燃やしたかもしれない。書いても書いても行き処のない気持ち。もうそこにはいない相手もしくは取り残された自分に向けて放たれる言葉が一方的な会話のように早口で繰り出され矢のように飛んでいく。私は普段滑舌が悪く話すのが遅いので、『焼肉デート』のような曲を聴くと自分が別人になった錯覚になり快感を覚える。

 
『洗脳』の『焼肉デート』の怒りはバンドの伴奏と共に花火のように打ち上げられている印象だ。『MUTEKI』の『焼肉デート』はsugerbeansさんのピアノ弾き語りに伴奏が絞られることで、大森さんの声や息遣いが際立ち、怒りの中にある無念さや恨みが更に強調されている感じがする。あくまで私のイメージだから聴く人によって感じ方は違うだろうが。ライブでsugerbeansさん伴奏の『焼肉デート』を聴くのは多分今回が初めてだったので、伴奏が鳴り始めた時は「おおおお」と興奮した。今回のライブ演奏では『洗脳』と『MUTEKI』の両方の色味を感じた。私はピアノが全く弾けないのでなぜかと言われるとはっきり答えられないのだが、sugerbeansさんのピアノの旋律が好きだ。繊細で流れるようなのに力強くてバンドの中でも強い存在感がある。

 
『焼肉デート』から『draw(A)drow』の流れが最高だった。この流れは初めてだろうか。『焼肉デート』で見たある女の子の孤独が、『draw(A)drow』で大森さん自身の孤独へとスライドする。客観的な「誰か」から主観へのシフト。言葉にするのが非常に難しいが、怒りの軸を大森さんががしっと掴んで手元に引き寄せたように感じた。『焼肉デート』で掴まれたまま大森さんの中に一緒に踏み込んでいく感じ。「圧倒的な君の哲学は白濁のコンドームで / 護れなかった 自分なんて / 突き刺した順に死ね」という歌詞の「死ね」が今までで一番自分に向かって飛んできた。飛んできたというより、大森さんが護れなかった自分を突き刺して自分も一緒に絶命した感じ。その同じ世界に入り込んでいる感覚が物凄く気持ち良かった。


そこから『流星ヘブン』。スモークなんて焚かれていなかったが、きっと空調の関係でMVのようにステージに霧雨が立ち込めているように見えた。そこへ風が吹き荒れているような音。sugerbeansさんのピアノの音。じわじわと不死鳥のように這い上がっていく一度死んだ私。普段あまりライブでそういうことをしないし恵比寿の時もしなかったが、『流星ヘブン』が始まってなぜか私は大森さんと一緒に歌っていた。ほとんど無意識に一緒に口を動かしていた。それにはっと気づくと周りの人の迷惑になってはいけないと思い声は出さないように口パクで歌った。自分の口を動かして大森さんの歌声が聴こえる状況に、大森さんと合体したような不思議な心地がした。

 
『流星ヘブン』から『わたしみ』の流れも良かった。ステージが暗くなり大森さん一人が照らされていた。合体を経てついに大森さんの部屋の扉が開いて中に呼ばれた感じだった。ピアノの伴奏の間に大森さんは自らピンクのマイクスタンドの角度を水平にして(マイクは手)、T字になるように調節された。T字の上の部分が、冒頭の「声のないふたりの越えられない断絶で猫が死んでる 誰か傷つけて」の「超えられない断絶」を表現しているのだとすぐに分かった。その断絶に腕を乗せて、断絶の向こう側を見つめている大森さん。パントマイムのようだった。猫も見えた。「12時過ぎてしまった 魔法も効かなくなった」で今度はマイクスタンドを地面と垂直にしてそれを少しずつずらしていき、時計の針に見立てていた。マイクスタンドでこんな表現をした人は今までいるのだろうか、と私は震えていた。真っ暗なステージで大森さんの歌声とそのようなパフォーマンスを見ていると、今この世界には大森さんと私しかいない、という感覚になった。恵比寿の時もそれは感じたが、これまで記述してきたように神戸では音がより自分自身に密着して大森さんの体内にいる感じをずっと感じてきたため、いよいよライブの最終ステージに召喚されていると強く感じた。「甦れ」で、完全に生還した。それを他の観客も感じていたとしたら一人ずつが同じ瞬間に大森さんの部屋に呼ばれているということになり、まるでパラレルワールドだ。『わたしみ』の後、それまでずっと起こっていた拍手が起こらなかった。しんと静まって会場が圧倒されていた。そして個々が部屋に入ったまま『死神』が始まる。

 
『死神』について思うことはたくさんあるのだが、神戸で一番印象に残ったことを記しておきたい。大森さんは『死神』の「反旗を翻せ」という歌詞の前に「さあ」と歌詞には出て来ない一言を付け加えた。アドリブだったのか前もって予定されていたのかは分からない。しかしあの「さあ」と言われた瞬間の大森さんは何か決意されたような悟ったような表情で観客側を真っ直ぐ見据えていた。笑ってはいなかった。怒鳴るほど大きな声ではなくそっと空中に放たれたが明瞭だった。私は歌詞にない言葉が突然放たれたことにぞくぞくして、その瞬間の視覚的な記憶や感情があまりにも脳内に強く焼き付きすぎて、大森さんがどこで「さあ」と言われたのかライブ後失念してしまうほどだった。それでもライブで一番印象に残った場面だった。翌日、信頼のおけるOさんが「死神の反旗を翻すところ、昨日はさぁ反旗を翻せだった気がして…」とツイートされていて、あぁそうだったと確信して同時にその時感じたこともじわじわと蘇ってきた。Oさんはいつも細かなところまでよく観て覚えてらっしゃる。それで私は大森さんがどこで言われたか判明して嬉しくなり、改めて「さあ反旗を翻せ」について感じた気持ちをツイートした(昼に判明してから感情を言語化するまで時間がかかり過ぎて夜になった)。その数時間後にJUNE ROCK FESTIVALを終えた大森さんが下記のようにツイートされていて、完全に私信だと受け取った(私信全部勘違い)。

 

私の記憶が正しければCOCOROMツアー初日の恵比寿のリキッドルームの時は「さあ」は付け加えられていなかったはず(だが100%の自信はない)。JUNE ROCK FESTIVALではどうだったのか、いやその前の名古屋や京都ではどうだったのか、それは私が現場に行かなかったので知らない。私より頻繁にライブに行かれて『死神』を聴いている方やCOCOROMを全通された方に確認する機会があればしてみたいとは思うが(他のファンの人と話す時こういうところが興味深いと思っている)、どこが初めてだったのかという事実を突き止めたいわけではない。もし神戸が初めてだったとしたら、否そうでなくても私がその「アレンジ」に気付いたのは神戸が初めてだったので、思い入れのある場所で立ち合えたことにどうしようもない喜びを感じている。

 
「反旗を翻せ」を含む一節には下記の歌詞が描かれている。歌詞未発表のため聴き取りに基づく。書籍『超歌手』で大森さんは歌詞を「書く」ではなく「描く」と表記する方が良いと記述されていたからそうした。

 
死んだように生きてこそ生きられるこの星が弱った時に

反旗を翻せ 世界を殺める僕は死神さ

 
本当は歌詞全てを引用したいところだが、歌詞がまだ公表されていないので辞めておく。大森さんが望んでいるか分からなかったし解釈は一人ずつ違うから歌詞解釈を今まであまり文章にしたことがなかったが、ファンの解釈を読むのが好きだとラジオで言われていたので私なりに感じたことをこの機会に記しておく。でも自分の解釈が正解だと思っているわけではない。


この星(地球?)つまり我々が今存在している世界は「死んだように生きてこそ生きられる」。「死んだように生きる」とはどういうことなのか、これは「自分の中にある意見や意思を他者や外部に理解させることを諦めて生きる」ことだとこれまでの大森さんの発言や歌詞から私は推測した。学校でも社会でも家庭でも、毎日の生活の中で自分の意思を通せない状況が誰にでも必ずある。例え組織や国の上位に立つ者であったとしても、言いたいことが言えなかったことなんてこれまで一度もなかった、という人はきっといないだろう。人には自分の感情を押し殺さないと(死亡させないと)生きられない瞬間があり、その個の瞬間が重なり、誰が望んだわけではないはずなのに我々の周りには「死んだように生きる」ことが「生きられる」最低条件になった星が生まれてしまっていた。それを承知で生を繰り返している我々。でも「死んだように生きる」ことが当たり前の世界は極めて脆弱だ。基盤となる確固たる意思や信念がない。違法建築のように個の欺瞞を塗り重ねて生まれた星はちょっとした拍子にガラガラと崩れ落ちるかもしれない。いつか破滅する。その時何ができるか。誰もが見て見ぬふりをしているこの恐ろしい命題に危機感を持ち、それを音楽で問おうとした歌手は今まで存在しただろうか。私には他に思い当たらない。続ける。


この星が弱った時に 反旗を翻せ 世界を殺める僕は死神だ

 
「反旗を翻せ」は命令形だ。その前の歌詞で描かれている「抱き締めてよ」「愛し合おうよ」のように「反旗を翻そうよ」ではない。誰に向けた命令なのか。その後に「世界を殺める僕は死神だ」と続いているので、反旗を翻して何をするか、それは「世界を殺める」ことだと連想する。「世界を殺める」のはこの曲の主人公「僕」でありそれ以外の他者ではない。僕が僕に向けて「反旗を翻せ」と命令している。大森さんがこの曲でご自身のことを「お前は死神だと言われた」主人公「僕」として描いているとすると、私達の「身代わりになって何度も死んでいたら姿形は化け物」になった大森さんが世界を殺めるところを私は傍観するしかないのだろうか、とやや取り残された気持ちになっていた。


「反旗を翻す」を辞書で調べてみた。「謀反を起こす。反逆する。」「今まで従っていた主君や支配者の命に背き、反逆すること。」なるほど。「今まで従っていた君主や支配者」とは「死んだように生きてこそ生きられることが慣習化した世界」であり、それを黙認する我々自身でもある。どんどん欺瞞で膨らむ世界が崩壊する前に反逆して「殺める」(=終わらせる)。自分を殺してきた世界を今度は自分の手で殺して破壊する。外部に向けた謀反であると同時に自己の内側へ向けた謀反でもある。「(僕を殺してきた)世界を殺すことで生きる」は、「死んだように生きてこそ生きられる」言い換えると「生きている僕を殺してしまう世界で生きる」は「生きる」という点では同じようだが対極の意を持つ。後者が見せかけの「生」を重ねて「死」を形成する一方、前者は「死」を以て間違いなく「生」を奪還しようとしている。なんという壮大な歌詞だろうか。頭が過呼吸になりそうだ。『流星ヘブン』の「天国はそこらじゅうにある でもそこらじゅうで爆破する」に似ているのだろうかとふと考えたが、それは『死神』の歌詞全貌が明らかになってから再度考察してみたい。

 
こんな歌詞を描く大森さんは一体何者だろうか。SF小説だと未来から来た地球外生命体が狂ってしまったこの星を忠告してくれている、と想定することはできる。でも大森さんは私達と同じ人間だ。海老と最中が好きなかわいい人だ。知らない宇宙人の預言なら「勝手に終わらせてくれよ」と思うかもしれないが、大森さんが一人で終わらせると思うと苦しくなる。「僕はボロボロで構わない」と言われて「あぁそうですか」と思えない。「見た目とか体裁とかどうでもいいって言って抱き締め」ることはできる。全力で。でもこちらは何もしないまま傷だらけの大森さんを抱き締めるだけでいいのだろうか。私も一緒に闘いたい。でもこの曲ではそれが認められているのか、それとも僕は「死神」として一人で戦うから見守っていてほしいと言われているのか答えが出せないでいた。そもそも私には大森さんと同じだけの覚悟があるのか。


この節だけではなく『死神』の曲全体を通しても、そう感じていた。いや一曲の話ではなく、COCOROM恵比寿を終えた時点で私はなぜか大森さんに置いて行かれてしまったような寂しさを感じていた。初めてのリキッドルーム、久しぶりのバンド編成。過去の曲が中心だったからこそ研ぎ澄まされた新ガイアズのバンド演奏とそれに乗る大森さんの歌声。ハコが良いと聞いていたリキッドルームで音が驚くほど心地よく耳に響いてきて、バンドのアレンジも今までで一番良いいなと感じた。ステージもよく見えた。空調も良かった。完成されていた。それに戸惑った。私の知らない間に私の知っているバンド編成からずっと先に行ってしまったような気がした。更に大森さんは特に後半、歌いながら今まで見たことのない表情をされている時があった。『マジックミラー』のところで少し書いた通り、笑ってファンと目を合わす時とは違う意識をぎゅっと凝固させたような眼差し。怒っているようでも悲しそうでもなく、大森さん自身と対峙しているかのような顔。描写するのが難しいが何に近いかと問われると猫のようだった。道で出会った猫。簡単に踏み入ってはいけない孤独を見た。あれ、全然追いつけていないと感じた。そんなことを感じる一方で、果たして私は大森さんのバンド編成の一体何を知っていると言えるのだろうか、大森さんが私に届けたいことの何を分かっているのだろうか、まだ何も知らないと自問した。結局は自分が自分の抱える問題から抜けられず同じラインに立てていないだけなのかもしれなかった。神戸でその寂しさを奪回できるのか、それともまた同じように感じるのだろうかと緊張していた。だからあの時「さあ」と言った大森さんを目撃した瞬間、大森さんが解けた靴紐を結ぼうと蹲っていた私のところまで戻って来て手を差し出してくれたような気持ちになった。一人称だと思っていた曲は二人称になった。なったというより元からそうだったことを教えてもらって初めて気づいた。

 
いずれにせよツアーファイナル翌日のJUNE ROCK FESTIVALを終えた直後に改めて言葉にしてツイートされたということは、大森さんの中では重要で、意味のあることだったのだろうと捉えた。意味のないことなんて一つもないが、大森さんが全く何も考えずに42万人のフォロアーに伝えたとは考えにくい。だから私は一人で勝手に色々と考えていた自分が間違っていなかったと報われた気になった。勘違いでもいい。

 
『死神』でようやく大森さんと一緒に立って闘える自信を得た私は『音楽を捨てよ、そして音楽へ』を今までで一番清々しい気持ちで迎えた。大森さんと新ガイアズのメンバーと、音楽が存在する意味やここで今音楽を聴く意味を確かめ合った。「抽象的なミュージックとめて」で音楽が止まった時、恵比寿の時より元々近距離に見えていた青柳さんの魔法陣がより自分に近づくように感じ、私は身体ごとアーチ状の柱を飛び越え魔法陣の中に入っていく感覚があった。大森さんの体内にいて、更に魔法陣の中に入っていく。そこには何があるのか。分からないが一緒に闘う世界が待っていたのかもれない。

 
「あぁ終わった」とぼんやりしているとアンコールが鳴り、まもなく大森さんとメンバーが順に登場された。MCが始まり現実世界に引き戻された感じになった。今や自分のいる場所は大森さんの体内ではなく地下のライブ会場だとはっきり認識した。MCはいつもと変わらず楽しくて笑いも起きていた。大森さんは部屋を片付ける際、片付ける機能に特化した家具よりデザインが可愛い気分の上がる家具の方がどこに何を入れるか考えたりして苦手な「片付け」が大森さんの好きな「創造」になるからモチベーションが上がるという話をされた。その後で「ずっと生きてきたら良いことがあるかもしれない、とか無責任なことは言わない。でも自分で自分に慣れてくるんです」と言われた。自分の苦手と感じることや嫌なことが急になくなって万事快調になることはないが、長く生きていると自分で自分を理解して苦手も扱えるようになる、と片付けの話と結び付けて言われているのだと解釈した。それはライザップで感じたことと同じだったから大森さんが今回のツアーで私達に伝えたかったことなのかもしれないと感じた。

 
アンコールでやってほしい曲を観客に一斉にコールするよう大森さんは呼び掛けた。これは名古屋でもあったとライブ前に知人から聞いていた。私は無意識に『あまい』と叫んだ。名古屋では何と聞こえたか二宮さんに聞いて『お茶碗』をやる流れだったそうで、神戸では美マネに聞いて美マネも『お茶碗』と言った。今から『お茶碗』やるのか、と構えたら大森さんは「えー」とあまりやりたくなさそうな反応をされた。美マネさんがモナ・リザに似ている話をした後、「私が歌っていたらみんながわーっと入ってくるような曲がやりたいなぁ」と大森さんはヒントのように言った。「これはもしかして…」と期待した。それでもう一回一斉に叫んだ。何と聞こえたか今度はえらさんに聞いた。えらさんは少し間を置いた後、小さな声で『あまい』と放った。その三文字が発語された瞬間のえらさんの表情と声の可愛さと言ったら!他のことを忘れそうになるくらい破壊力が凄まじかった。大森さんは可愛いえらさんに大喜びで、私もえらさんみたいにタイトルコールしたいと言われた。喜んでいる大森さんと照れているえらさんと更にそれを暖かな眼差しで見つめる他のメンバーがみんな可愛くてにやにやした。ここまでの展開があまりにも甘美なので予定調和に思えるかもしれないが、演奏前にピエールさんがサクライさんにどこで入るか等真剣な顔で相談されて大森さんがそれに笑っていたので、普通にこの時決まったのだと私は感じた。

 
大森さんがえらさん風にタイトルコール(これもまた破壊力が凄かった)して始まった『あまい』からの『TOKYO BLACK HOLE』がとても良かった。大森さんが言った通り、『あまい』は歌っている途中でバンドが入り、その入り方はこれまで何度か観たことがあったが今この場聴くと、音楽とは歌い手がいてバンドがいて聴き手がいてそれらが息を重ねるように成り立つものだ、と実感できて気持ち良かった。そして最後の『TOKYO BLACK HOLE』。出発だった。今日この場で大森さんの身体に入り、大森さんやバンドメンバーと共に生きたり死んだりを繰り返していた私は、この数時間の体験を経て今度は次の場所へ向けて歩み出した。大森さんの叫ぶ「綺麗だ」は今日観た自分の光景全てに告げられているようだった。COCOROMは大森さんの身体に呼ばれて一緒に生きたり死んだりしながら、大森さんと音楽の意味を確かめ合って足並みを揃えるためのツアーだったのだなとこの時ようやく感じた。それを思い入れのある場所で成し遂げられたことをツアーから一週間経った今も強く噛みしめている。次のツアーでは何が待っているのか。きっと大森さんのことだからとんでもない光景が待ち受けていると信じている。それまで私は今回揃えた足並みを遅らせないよう、いつもの通り溺れそうになりつつ自主練しておきたいと思っている。

 

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完結したと思っていたCOCOROMツアーだったが、6月22日のLINE LIVE「ミッドナイト清純異性交遊ラジオ~疾風怒濤編」を観てこれがCOCOROM最終章だったと驚愕した。この日はスタジオバンドライブ生配信で、ツアーと同じ新ガイアズによる演奏だった。配信だと忘れてしまうほど臨場感があるライブだった。これが無料で観られるとは何とも贅沢だ。ライブの時には見えない大森さんの足元や新ガイアズの所作を画面越しに堪能することができた。歌い方もライブと違うところがあった。『死神』が始まってドキドキした。あれを言われるのかどうか。大森さんは「この星が弱った時に」の後、他の歌詞よりも大きな声で「さあ!!」と叫んだ。はっきりと力強かった。嬉しかった。私信だった(勘違い)。これにて私のCOCOROMは完結した。ありがとうございました。