(続)海の音

雑念のメモ

好きな人について考えたこと(2017年11月のメモ)

最近の新譜や書籍発売発表やそれに伴う大森さんのコメントを読み、昨年11月にメモ的に吐き出した文章を駄文だが後々見返したいと感じたので誤字など訂正して残しておくことにした。11月から半年以上が経過したが大森さんは絶えず変わり続けている。この文章はそういう意味で何か不足している気がしているがそれはこれから出る新譜や書籍をきちんと自分で解釈した上で改めて考えたい。

 

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本来、居酒屋で隣に座った誰かにする話なのかもしれない。だがそういう機会は訪れそうにないので書くことにした。昔からもやもやしたことがあると、突き詰めて考えてしまう。約三年前に出会って以来、大森靖子さんが好きだ。最近、そもそもなぜ自分は大森靖子さんが、大森靖子さんの音楽が好きなのか、ファンとしてどうあるべきなのか考えていた。ということを先日知り合いに打ち明けたら「最近っていうか、ずっとでしょ」と言われた。そうか、ずっと考えていた。

 次々に溢れては流れて消えていくたくさんの感情や言葉や匿名の批評批判に溺れ、またSNS特有のルールに少し疲れてしまい、kitixxxgaiaツアーファイナルの直後ツイッターアカウントを消した。それ以降、大森さんが何をしているのか前程分からなくなり、ファンの方との関わりもほとんどなくなった。情報を得にくいという点では不便だったが苦しいことではなかった。今まで通り現場に行ったりCDを聴けばいいだけのことだった。「好き」という感情は個々人に属するもので誰かと共有するものではない。それぞれの好きの形があるから自分の好きを表に出す必要もない、と自身に言い聞かせていた。それが正しいのか正しくないのか分からないが。いつも私はライブやCDで大森さんの音楽を聴いた時、楽しいと感じたり、明日から頑張ろうと思ったり、音楽ってすごいなと感じる。元気になる。でもある時から私は何を一体大森さんにしているのだろうと疑問に感じ始めた。受け身になっているいるばかりで何一つできていない。

 

そんな時、ニューシングル『draw (A) drow』がリリースされた。作曲編曲は凛として時雨のTKさんで、作詞は大森さん。初めて大森さんご自信のことを書いたと確か言われていた。公式ブログ(2017/7/27付)には「べつに理解されようとも思わないわたしのなかの怒りみたいなものを、共有するためではなくその閃きだけをわざと美しく魅せるために珍しく表面に出した」とある。

 

間違ってる 間違ってゆく この歌を

黒いビニールで海へ流したら 

永遠にしないで 透明にしないで 

絶対にしないで 好きに壊して 

また誰かが 斬新な希望で 

僕の遺作を 世界を 壊して

 

大森さんはいつかのラジオで、「音源をリリースするのはお墓に埋める作業のようだ」と言われていた。「黒いビニールで海へ流す」も死体を連想させるので、それに近い意味なのかなと感じ取った。一度海に流したら手の届かないところへ行ってしまうけれど、二度と出会えないというより、まだ地球上を漂っている感じがする。この世のどこかにまだ存在する。黒いビニールに覆われたまま流れ着いた海岸に打ち上げられる可能性がある。それを拾ってビニールを開けた時、受け手である君はどうするのか、「遺作」を「永遠」や「透明」にせず、「絶対」的な何かと決めつけず、もっと先に昇華させてほしいと言われている気がした。曲の受け取り方は自由だと大森さんはいつも言われているから、私がそう感じたというだけで違うかもしれないが。そして弾き語りアルバム『MUTEKI』リリースに先立ち、『流星ヘブン』の歌詞付MVが公開されて一層その思いは強まった。「口パクで愛してるなんて 誰でもいいならここにいて」「消えてしまう前の私に 一瞬でもいい追いついて」という歌詞からは大森さんの活動十周年を迎えた今、ファンとしての在り方が問われているような気持ちになった。

 

そもそも私はなぜ大森さんが好きなのか。どこが好きなのか。これは10月に終わってしまったラジオ番組の最終回の投稿テーマでもあったがその時も結局良い答えが出ず頭のおかしい人みたいな投稿をしてしまった。曲や歌詞が好き、歌い方が好き、見た目が好き、ファンに対する真摯な姿勢や人柄が好き、音楽や芸術に対する考え方が好き、など理由はたくさんあり結局全部好きになってしまうが、最近いくつかのライブに行くうちに、気付いたことがある。ライブで大森さんが歌っている姿を見ている時、自分が今「生きている」実感が唐突に湧いてくるということに気付いた。死にたい気持ちを抑えるための精神安定剤的な何かではなく、全身に血が巡り内臓が飛び出し毛穴がぶわっと開くようなエネルギーが外側に向かうような感覚が初めて聴いた時からずっとある。それは大森さんの曲とパフォーマンスがそう感じさせるのかもしれない。そしてその感覚は聴く度に歌う姿を見る度に強くなっていく。うまく言えないがそれが大森さんの曲を聴いて一番気持ち良いと感じるところだ。

 

私は大森さんに対して何ができるのだろうか。一ファンとしてどうあるべきだろうか。CDを大量に購入して、全てのライブに欠かさず行ってグッズをたくさん購入することが正しいファンの在り方なのだろうか。それができたら本能ではある。しかし境遇的にも金銭的にも実現させるのは難しい。では私には何ができるのか。私には大森さんが歌う限りずっと聴き続けること、「一生大森靖子」を誓うことくらいしかできない。それは精神論的なものなので実際目に見えにくく形にするのが難しい。「好き」の行き処がない。どこかに好きの残骸を残すべきでないか。そう考えるとツイッターを辞めている場合ではないのではないかと思えてきて、あるイベントの直後ひそかにアカウントを再開した。ライブの感想や大森さんのいいと思うところ感じたことをできるだけ自分の感覚で残したいと思った。それが果たして何になるのか分からないし、多くの人に見てもらいたい分けでもないが、気持ちというのは言葉なり絵なり歌なり、形にしなければ気持ちのまま終わってしまうのではないか。「大森靖子」という名前だけがインターネットの海に泳ぎ出て、穿った見方や批判をされるのを目の当りにすると握り締めていたはずの気持ちが負けてどこかに毀れてしまいそうになる。

 

何かがあってのことだろうが、大森さんは突然、「大森靖子」の名前を志願する人全員に「襲名」すると告げられた。ツイッターのアカウント名を「大森靖子」に変えて、「どうも、大森靖子です」とツイートした人全員に「大森靖子」の名刺を配るという嘘みたいな企画まで発表され、超歌手に代わる個人が希望する肩書をご本人に名刺に書いて貰えるという襲名披露パーティーまで開催された。私は悩んだ末にできなかったけれど(理由は長くなるので割愛する)、現在、面白いように大勢の「大森靖子」が存在している。「大森靖子」で検索するとたくさんのアカウントがヒットし、襲名した誰かのツイートを大森さん本人のツイートかと見間違いそうになる。芸術運動のようでもあるが、「大森靖子」が溢れたことで逆に「大森靖子」さんの本質が輪郭を帯びてくっきりしたように私は感じている。

 

11月28日のFCイベント続・実験室で大森さんは「よく一部の人にしか向けていない音楽と思われるのが嫌。そんなつもりはない。色々な人に届くような曲を作っているつもり。」とおっしゃっていた。「大森靖子を聴いている奴はメンヘラ=大森靖子の音楽はメンヘラ」という解釈が未だにあるようで、大森さんの良い部分を覆うようにステレオタイプな符号が残っているのを時々見聞きする。その事実がとても苦しい。私は音楽のことは詳しく分からないしそれを語る資格もないが、大森靖子さんの音楽は音楽番組で毎週流されるそれと決定的に違う。唯一無二で、歴史的に考えて事件だと思っている。

28日の続・実験室の弾き語りで大森さんはあるエピソードに応えるように、歌いながらテーブルに載らないようステージの端を器用に伝い歩き、それからギターを抱えたまま前方座敷席にそっと飛び移った。それから絶妙なバランスで座敷の淵に片脚を伸ばすようにして腰かけた。少し弾きにくそうだったがその姿勢でファンといつもより近い距離で歌うという大サービスをされた。座敷周辺は暗くスポットライト的に照らされた大森さんはうっとりした優しい表情をされていた。それを私達はただ静かに聴いていた。映画サウンドオブミュージックの草原で主人公が子ども達に歌うシーンを思い出した。動画が上がっているかもしれないがこの時の空気とか息の詰まるような美しさははなかなかネットでは伝わらないだろう。そこに居合わせた人にしか分からない。この日は新曲を含む計11曲歌われた。いつもより多かった気がする。髪型の話になった流れで、最近やられていない『劇的!JOYビフォア―アフター』も歌われた。他の人がどう感じたか分からないが、私にはこれからもずっと歌うから「おばさんになっても抱きしめて」ね、ちゃんと着いて来てねというメッセージのように感じ取れた。

 

今や情報は簡単に拡散し、時々その本質から離れて人を傷付けたり凶器になる。だからこそ私はインターネットが怖いしできることなら触れたくない。でも完全に排除するのは難しい。ネットやSNSでライブや曲の感想を発言したり動画を共有することが最良の手段とは全く思えないし他のやり方があるはずだが、「摘み取った花はすぐ枯れてしまう」から思いついた方法で大森さんが海に流したものを掬い取って残してみようと思う。大森靖子さんの音楽や芸術を「透明に」なかったことにしたくない。それが大森さんをずっと好きでいることなのかと考えている。おっさんの居酒屋トーク終わり。

春の中トロ祭り

春だからと託けて腐敗しない色鮮やかな塩化ビニールの造花が路上に咲き乱れ、それを本物の花だと思った人達がブルーシートを敷き毎晩宴会をしている。日に日に人は増え続けて。明け方3時26分抗菌服とマスクを着用した誰かが作ったことを証明するシールが貼られた焼きそばや唐揚げを食らっている。いつかテレビで観た職人のように嘘を丁寧に削ぎ落とした真実が知りたい。真実とは。腐って朽ちてしまう前に本物の花を発見しないと一生造花に囲まれて暮らすことになる。有限会社の未来。無制限通信の遮断。何が正しいのかもう分からない。請求書と一緒にポストにねじ込まれた新装開店の宝石屋のチラシ。18Kお買い得!その下には出前寿司。輝く中トロ。宝石屋のチラシに印刷されたルビーよりも艶やかに見える中トロは隣に赤字で書かれた電話番号に掛ければすぐに私の元にやってくる。その中トロをなんかチラシと違うなと思いながら無心で貪る。窓の外からは生暖かい春の風。発情した猫の声。
「この週末は春の嵐となるでしょう。外出される方は雨具を忘れずにお出かけ下さい。」

岡本太郎とさいあくななちゃん

桜が満開の頃、岡本太郎現代芸術賞大賞、岡本太郎賞(TARO賞)を受賞したさいあくななちゃん(「さん」など敬称をつけると違和感があるのであえてつけないことにする)の作品《芸術はロックンロールだ》を観に、川崎市岡本太郎美術館へ行った。さいあくななちゃんの作品を初めて生で観たのは昨年夏のことだ。だから、何年も前からファンの方からしたら私などまだまだ浅いと思われても致し方ない。初めて対面したあの瞬間せり上がってきた言いようのない感情や在廊していたななちゃん本人と緊張しながら交わした会話は心の中にずっと残っている。以来、行ける場所の展示へは全て行くようにしている。初めて観るまでネットで見かけたことはあっても実際に観たことはなかった。絵や芸術は自分の身体で眼で向き合って初めて何か感じたりできると思っているので、ネットの画像をあまり注視したことがなかった。あえて見ないようにしてきた。画像だけで好き嫌いを判断したり、知っているつもり分かったつもりになるのが嫌だった。そういう存在の人は他にもいる。

トークがある日だとご本人に会えた可能性があるが、どうしても一日しか行ける日が取れなかったため、ならばできれば人の少ない環境で作品に向き合いたいと平日に行くことにした。新宿から普段滅多に乗らない小田急線に乗り込む。平日昼間の小田急線は乗客数が少なく、JRのように車内に駅名を示す液晶画面や電光表示がない上にアナウンスもよく聞こえなかったので、向ヶ丘遊園駅で降りるはずがイヤホンで音楽を聴いていたらいつの間にかずっと先の駅にいることに気づき慌てて引き返す。危うく小田原まで行ってしまうところだった。まるで遠い国で一人旅をしているようだった。こういうプロセス(というか自分がうっかりしていただけだが)を経て好きな人の作品に会いに行くのはとても気分が高揚した。

美術館の最寄駅、向ヶ丘遊園駅は都会の喧騒から離れた長閑な場所だった。駅からバスに乗り「向ヶ丘緑地」というバス停で降りた。「緑地」という名の通り、自然が豊かで空気が綺麗な場所だった。坂道をのぼり森林や公園を抜けてずっと奥へ進んで行く。歩いても歩いても看板は現れず本来の目的を一瞬忘れどこか遠くにハイキングに来たような心地になった。ようやく美術館の看板が見えてほっとするも入口を探して右往左往。入口が分かりにくい美術館ってそれだけでわくわくする。外では桜が綺麗に咲いていた。太郎の作品と思わしき造形物があった。入館してチケットを購入すると受付で最初に岡本太郎作品が並ぶ常設展を見るよう促されたため言われた通りに進む。

誰もが知る「太陽の塔」や、街で壁画や立体作品を見たことはあっても岡本太郎の原画をちゃんと見たのはこの日が初めてだった。赤と黒の配色が印象的な、それが何なのか容易に判断できないモチーフをじっと見つめているとその力強いエネルギーに引き込まれていくかのように血液が体内を駆け巡り体温が上昇する感覚をおぼえた。しかし同時に、背筋がぞくっとするような冷ややかなものが目の前を通り過ぎることにも気づいた。孤独のような何か。安易にこうと言えないが、一つの作品の中に陰と陽が含まれている気がした。

展示途中に岡本太郎が絵を描く様子を撮影したカラー映像が流れていて、しばらく立ち止まって食い入るように観てしまった。映像の中で、太郎は鉛筆(多分)で下書きをした巨大なキャンパスに大きな筆で脇にある机のパレットから絵の具をつけて一塗りし、一端後ろに下がってじっと全体を見て再び近づき一塗りするという動きを繰り返していた。その眼差しは自分の作品を真っ直ぐに捉えて離さない眼差しだった。勢いに任せて豪快に描いているイメージを勝手に抱いていたので意外だった。筆がキャンバスを走る時のさーさーという摩擦音以外に音はなかった。後の展示解説で、太郎は晩年、積極的に公開制作するなどして外の世界と対峙していたと知り、岡本太郎という自己を芸術に昇華させようとしていたのかなと得たばかりの浅い知識で考えた。

他には妻(事実上は養女)の敏子による、太郎関連の新聞雑誌記事のスクラップブックや太郎のためにテーマごとに集められた資料が興味深かった。今のようにネットが当たり前でない時代、必要な情報は手作業で地道に集める必要があったのだろう。特に太郎が関心を持っていたらしいメキシコの資料が多かった。そう言われてみると岡本太郎の作品にはメキシコ文化の影響が反映されているように今更ながら感じた。太郎自身がメキシコへ行った際に撮影した写真も展示されていた。メキシコの祭壇や街の写真。私はメキシコに詳しくないが、メキシコの宗教的なモチーフや祭壇には個人的な関心があり、いつか訪れてみたい国のひとつである。

順路の最後の方に大きな壁画の原画が飾ってあった。『明日の神話』だ。渋谷駅にあるあの有名な壁画。展示説明を読むと、「太郎がメキシコのホテルに依頼され、ロビーに飾る壁画を1968~69年頃制作したがホテルは完成後、経営悪化で廃業となり太郎の壁画も行方不明となった。太郎が亡くなった後も敏子は壁画を探し続け、2003年にメキシコの資材置き場(なんと!)で発見した。それが修復されようやく日の目を浴びた。」というようなことが書かれていた。そんな背景があったとは知らなかった。実際に太郎と敏子が建設中のホテルにいる写真も展示されていた。渋谷駅の壁画は大きすぎて全体に意識を行き渡らせるのが難しいが、その何分の一かサイズの視野に収まる原画を改めて眺めると隅々から迫り来るものがあった。壁画の真ん中に骸骨のようなモチーフが描かれ、無数の何かが爆発するように外向きに広がっている。燃えているようにも見える。骸骨の周りには炎のような赤い線や煙のような何かが渦巻いている。その下には人間のような群衆や断定できないモチーフが描かれている。と言葉で説明しても何の面白味もないのでこれ以上は辞めておく。後からWikipediaで調べてみたら「第五福竜丸被爆した水爆」をモチーフにした作品だと知った。関連書籍があれば読んでみたいが、それよりも壁画をもう一度見てみたい。美術館再訪が難しくても渋谷駅へ行きたい。

それにしても、この壁画が辿った運命よ。敏子がいなければ誰にも見つからないまま異国の資材置き場で朽ち果てて幻になっていただろう。太郎が死後この壁画が発見されることを望んでいたかどうかは知らないが、敏子が2003年に見つけ出したからこそ我々は今パブリックアートとして渋谷駅に掲げられたこの壁画をいつでも好きな時に見ることができる。その敏子の、絶対に壁画を見つけ出して世界の人に見てもらおうとした執念、太郎への愛を想うと気が遠くなった。額装され美術館で展示されて初めて芸術と呼ばれるのではなく、この壁画のような運命を迎える作品ももちろんある。作者以外の誰にも知られず、日の目を浴びないまま捨てられたり、なかったことにされた作品はこれまでたくさん存在したに違いない。ヘンリー・ダーガーの作品も死の直前に大家が見つけていなければ永久に知られることなく燃やされて消滅していたかもしれない。「はいこれは作品ですよ」と提示されないばかりか、存在すら知られない作品とは。芸術の根本的な意味について考えさせられた。

そんな思考で頭がぐるぐる回転した状態のまま常設展を出て、さいあくななちゃんの作品を観るために岡本太郎現代芸術賞展の展示スペースへ入った。さいあくななちゃんの作品は入り口から遠い場所にあったので、先に他の受賞者の作品が目に入った。さいあくななちゃんの作品が目的ではあったが、探して最初に見たいというよりは自然に邂逅したいという気持ちがあり、見る順は特に意識せず流れに身を任せた。受賞者それぞれの作品は部屋のように囲われていて展示されているものもあれば直接床に展示され境界が曖昧なものもあった。どの作品も観る者に強く何かを訴えかけようとしている感じがして、込められたコンセプトが分かり易く伝わってくる作品もあった。岡本太郎作品を観て、作品に込められた意味だけを追求することが必ずしも正しいとは限らないという意識になっていた私としては正直戸惑ってしまった。印象的だったのは岡本敏子賞を受賞した弓指寛治さんの《Oの慰霊》という作品で、「自殺」というはっきりとしたテーマが示されていたが、床と壁をびっしり覆い尽くす鳥のようなモチーフが描かれた無数の木片に圧倒された。木の匂いが漂っていた。伐採された木材の匂いであり生物(森林)の匂いではないな、すなわち死…など色々考えてしまった。作品から匂いを強く感じたことは初めてだった。こういう感覚は実際展示の前に行かなければ絶対に分からないものだろう。

さいあくななちゃんの作品はどこだろうと彷徨っていたら唐突にピンク色が目に飛び込んで来た。上野の東京都美術館でピンクの額縁で囲われて展示されていた大きな作品、『Rock’n Roll Forever!』の女の子と目が合った。再会。「あっいた」これが最初の気持ち。それから四方の壁と床の隅々、展示スペースいっぱいに貼られたり置かれたりしているさいあくななちゃんの作品が目に飛び込んで来た。今まで見たさいあくななちゃんのどの展示よりも大きく、圧倒的な光景だった。近づくこともせずしばらくその場に立ち尽くしたまま全体を見渡した。ぐっと涙が込み上げてきた。平日でお客さんが少なかったため、運よく私一人で作品と対面することができた。流れている時間や空気が一瞬止まり、作品と自分の身体だけが無重力空間にぽんと投げ出されたような感覚になった。大森靖子さんのライブへ行った時もこの感覚になる。それから痺れていた手が元に戻っていく時のようにじわじわと感覚が蘇ってきて、力強くて格好良くて、あぁこれがさいあくななちゃんだ!と感じた。

私は映像で絵を描いていた岡本太郎のように下がったり近づいたりを繰り返しながら、作品一つ一つを注意深く観察した。それぞれのドローイングの女の子と目が合った。さいあくななちゃんの描く女の子の瞳が私はとても好きだ。海のような宇宙のような光の結晶のような。たくさんのものが瞳から溢れていて、言葉では説明できない。怒っていたり悲しそうに見えたり、何を考えているか判断できない時もある。何時間でも眺めていられる。その一人一人の瞳と対話するように視線をゆっくりとずらしていった。

壁の一番上に私が初めて見た日に一目惚れした緑色の髪をして赤いリボンをつけた女の子がいるのを見つけた。「あぁまた会えたね」と心の中で呼びかけてその女の子と無言で見つめ合った。さいあくななちゃんの作品はピンク色が印象的だが、私は緑色が遣われている作品も好きだ。ここで突然過去の個人的な話になるが、幼稚園の時、画用紙に緑色の髪をした女の子を描いたら「そんなの人の髪の色じゃない、黒か茶色にしなさい」と先生に叱られた。それが腹立たしく帰って母親に訴えたら「そんな先生は無視しなさい、別に何色でもいいの」とフォローされた。それでも納得がいかず未だに根に持っている。根に持ちすぎてこの時の怒りが今の私の性格を形成してしまっている。という背景があるので昨年初めて行ったさいあくななちゃんの展示で赤いリボンをつけた緑色の髪の女の子が床にいるのを見つけた時、「あなたまだ怒ってるでしょ、でも大丈夫だよ」とあの時否定された女の子や悔しかった幼少期の自分に再会した気持ちになった。嬉しかった。その時、ななちゃんは「緑を遣うのも好き」と言われていた。昨年私はさいあくななちゃんの作品を一枚購入させていただいたが、その作品の女の子も緑色の髪をしている。絵を買うという行為自体生まれて初めてでドキドキした。値段がついていなかったが直観で買いたいなと思ったためご本人にその場で値付けしていただいた。絵は額に入れて直射日光の当たらない、好きなものしか置いていない部屋の壁に飾っている。

ドローイングはキャンバスだけでなく画用紙や紙袋など様々なものに描かれており、絵の具・鉛筆・クレヨンなど画材も限定せずに用いられている。彩色されたラジカセやギターや造形物も置かれている。よく見ると、さいあくななちゃんのこれまでの個展のチラシやななちゃんがアートワークを手がけた「Su凸ko D凹koi」のアルバム(確かタワレコのシールがついたまま置かれていてそれがいいなと思った。別の場所に原画もあった)も混ざっていた。ラジカセからはオリジナル曲が小さなボリュームで流れていた(昨年、町田で開催されたワークショップに参加した際、参加者が飾り付けしたピンクのギターでななちゃんがこの曲を歌ってくれた。ワークショップは言語化できないくらい素晴らしい思い出)。額装された絵だけが芸術じゃないんだよと言われているように感じ、岡本太郎の『明日の神話』を観て考えたことを再び思い出した。これだ。さいあくななちゃんは定義されない。これこそ芸術だ。岡本太郎の作品をみて命題のように頭の中で絡まっていたものがすっと解けるように腑に落ちた。

東京都美術館で観た『Rock’n Roll Forever!』は真っ白な広い空間で隣の作家と距離を置くように展示されていて、それはそれで美しさが際立ってとても格好良かったが、今回のようにたくさんのドローイング作品に囲まれた真ん中で守護神のように存在するのもいいなと感じた。同じ作品でも展示の仕方によって感じ方や印象が変わってくるのが面白い。

さいあくななちゃんは常に作品を受け取る側に立っている。立っているというのは、つまり、他の受賞者の作品の多くは「これはこういう意図で作ったものだからこう感じてほしい」と一方的に主張していた印象(あくまで個人の印象なのでそうとは限らない)だったが、さいあくななちゃんの作品は本人が「作ることに理由とかコンセプトとかどうでもいいです。」とパンフレットで言われているように、作品に込められた意味を考えること、どこに注目するか、どういう見方をするか、それ自体をこちらに託してくれているように感じた。だからさいあくななちゃんの作品とはいつも対話ができる。ななちゃんが絵を描く時の感情を想像したり自分の感情に重ねることができる。

とはいえ、無数の作品はいい加減に配置されているのではない。さいあくななちゃんの絵がそうであるように、展示全体で一つの作品となるよう一見無造作に展示されているようで全体として美しい均衡を保っているようにも感じた。またこれは断定できないし、はっきり分かれていた訳でもないが、過去の作品が壁の上の方や隅(鑑賞者の目線から遠いところ)に、最近の作品が目線の近くに展示されているようにも感じた。無秩序のようで秩序がある。対極するのものが緩やかに混ざり合う感覚がとても心地良かった。この辺りは文字で説明するのが難しいので実際に眼で観るのが一番良い。

何を以て芸術を芸術と呼ぶのか私は未だに理解できていないし、生み出す側に立っていない私が語る資格もないが、少なくともこれが芸術ですよと世の中で提示されるものの多くは違っているような気がする。有名な場所に並べられているとか、美術界で評価されているとかそういうことではなく、作り手がどれくらい本気で取り組んでいるか、意味やコンセプトではなく「生きること」それ自体が作品の内側から感じられるか、のような気がする。また、「継続すること」の意味にも最近気づいた。さいあくななちゃんは「毎日絵を描き続けている」とインタビューやブログなどで度々発言されていて、膨大な作品数を見ればそれは明らかだ。現在進行形で新しい作品が生み出されている。作者と一緒に生きて呼吸しているからこそ芸術。これは絵画だけでなく音楽や映画や小説、あらゆる作品に言えることかもしれないし、私が好きなものに共通している。だから私はそれらの生きている芸術をネットや他者の目線を通してではなく、出来る限り生身の身体を預けて自分の五感でみたいと思っている。それが私自身も生きることに繋がる。

自分が好きな人が世間で評価されないことはただ自分が好きでいる上では何の問題にもならないが、ヘンリー・ダーガーやその他誰にも知られずにこの世界から消えてしまった作家達を想うと悲しくて悔しい気持ちになる。売れなくても好きだけど売れてほしいなんて自分勝手な矛盾だが、さいあくななちゃんが「絵で食べていきたい」と考えられている限りファンとしては売れてほしい。だからこそ今回の岡本太郎賞受賞はとても嬉しかった。何に対するか分からないが勝ったという気持ちになった。それはさいあくななちゃんがというより、私の絵を批判した幼稚園の先生やこれまでの人生で私を否定してきた誰かや何かかもしれない。でも受賞したのはななちゃんで、正確には私はまだ何にも勝っていない。でもこれから勝つために背中を押された気がした。好きな人、応援している人が受賞するいうことはそういうことなのか。今後、さいあくななちゃんはもっと評価されるかもしれない。だが誰がどんな評価や批評をしようと自分自身が作品を観て感じることや初めて対面した時にせり上がって来た感情は掻き消されないよう大切にしたいと思っているし、それはご本人が一番分かってくれているような気がする。

岡本太郎とさいあくななちゃんの芸術に対する姿勢はきっと似ている、そう強く感じながら売店で『明日の神話』のポストカードとさいあくななちゃんの自主制作CDを購入して美術館を後にした。さいあくななちゃん、受賞おめでとうございます。

 

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追記:

公募ガイド』2018年5月号に掲載されているさいあくななちゃんのインタビューがとてもよかった。

縷縷夢兎個展『YOURS』に行って感じたこと

某日、東佳苗さんがデザイナーをつとめる縷縷夢兎の3回目となる個展『YOURS』に行った。大森靖子さんの衣装やMVで縷縷夢兎のことを初めて知った。縷縷夢兎の衣装の、オートクチュールならではの五感に迫ってくる重みは生で観た時が一番強いと大森さんのライブを観て感じていたし、もっと近付いて見てみたかった。展示に行くのは今回が初めてだった。何となく今まで行けなかった。

突然だがここでツイッターの話をしたい。これまで何かの展示に行く際、SNSを意識することはそうなかったのだが、今回は違った。展示が始まってから縷縷夢兎のデザイナーである東佳苗さんは今回の展示に行った人の感想や行っていないが展示や縷縷夢兎に言及したツイートを(おそらくエゴサした上で)リツイートして自ら拡散されていた。私がうっかり「佳苗さん」という名前を入れて展示に全く関係ないツイートをした時、佳苗さんは「いいね」をしてくださったので「縷縷夢兎」というキーワードのみならず名前でもエゴサしていることを知り驚いた(絶対とは言い切れないが)。わざと縷縷夢兎というワードを避けて言及しているようなツイートもTL上でちらほら見かけた。

リツイートで流れてくる感想や発言は多種多様で、中には偏見的なものもあったが、佳苗さんはそれも含めて受け止めようとしているように感じた。佳苗さんがこれまで何度か言及されている「インスタ映え」風に撮られた写真、「インスタ映え」写真目的の来場者に対して理解できないと言う意見、そもそも展示に行けないという嘆き、縷縷夢兎とは何かという持論、色々な言葉がツイッターという特有の世界に溢れていた。どんな展示であれ、私は事前に写真や感想で知り過ぎたくないので、最初、展示の写真や感想はできるだけスルーするようにしていた。でも佳苗さんが拡散し続けるその意味は何だろう、それ自体が興味深いと思い、毎日TLに増え続けるリツートに対し、完全に目は瞑らないで薄目を開けて読んだ。そして佳苗さん自身のツイートはしっかり読むようにした。

 

佳苗さん本人や他の方がそう指摘されていた通り(佳苗さんのツイートを引用したかったがリツイートが多すぎて遡れなかった)、SNSであるツイッター上で放たれた様々な意思はヒップホップのラップ対決のようにぶつかり合っていた。でも正確にはぶつかっていない。ツイッターの海で自由に泳いでいるだけで顔と顔を突き合わせて喧嘩している訳ではないし、ほとんどがリプライですらない。現実では無言&冷戦状態を保ち、SNSの中に入った途端見えない敵、誰というわけではない誰かに向けてラップをまくし立てる感じ。私は都築郷一の『夜露死苦現代詩』に近いものを感じた。『夜露死苦現代詩』で紹介されている言葉は作品として世に発表されたわけではないが痛いほど強烈な個性や主張に満ちている。本人が作品だと意識していない「詩」を都築氏が取材して拾い上げたからこそ私は目にすることができた。その産院でなく路端で生まれたような言葉の、誰にも向けられていないがいつか拾われる日を待っていたような強すぎる声。今回の佳苗さんの一連のリツートによる拡散は都築さんの取材に似ている気がした。ツイッターが路上かもしれない。

少数部族の民族衣装やアジアの極彩色の乗り物、もっと言うとデコトラや暴走族の刺繍入りスカジャン、高校生の制服カスタムのような、表に出ても薄まらない人間の強い何か、「魂」と呼ぶとしたらそのようなものが縷縷夢兎の衣装やその他の作品に宿っていると個人的に感じていて、そこが好きだ。魂が色濃く露出しているものは見た目には鮮やかで「インスタ映え」するのかもしれない。それ自体はおかしいことではない。例えばアジアに旅行して色鮮やかな装飾で飾り付けられた派手な乗り物を見かけたら私は「かわいい」と思わず撮ってしまうだろう。それをSNSに上げるかどうかは別として。ただ、仮にある作品や物事に対して「雰囲気がいい」「かわいい」「おしゃれな」写真を撮ってSNSで共有することに満足する人がいるとして、そうされることに対して佳苗さんがどう考えているか分からないが、縷縷夢兎が好きな人の中には良く思わない人もいて、だからあんな風にエアラップ対決のような形になったのだと思う。私は展示を見てどんな気持ちになるのか、「かわいい」のその先まで自分のフィルタで見ようとできるのか。そもそも見ようとする姿勢は正しいのか。今回の展示で初めて「no muse」を掲げた佳苗さんは我々に何を求めているのか。

などと、悶々としながら展示会場に向かった。個人的な想い入れがあったので縷縷夢兎と大森靖子さんと伊勢丹のコラボトートを持って行ったが同コラボのキャップは被るのを辞めた。また家を出る時に着けていた派手なピンクのイヤリングも途中で外した。会場内で目立つこと、「見られること」が怖かった。トートも会場に着くとなんとなく絵柄を隠すように持った。会場入口から中を覗くと、想像以上に大勢の女の子が広くはない空間の中でひしめきあっているのが見えた。平日の昼間だしそんなに多くの人はいないだろうという自分の読みは甘かった。気を取り直して入場すると佳苗さんがいらっしゃるのが見えた。展示概要(ステートメント)が2箇所に貼ってありますとスタッフの方に言われたので、まず白い紙に印刷されたステートメントを注意深く読んだ。会場に溢れる縷縷夢兎の色合いと違って、装飾がなく報告書のような普通のフォントで印字された簡素な紙が一枚、壁にマスキングテープで貼られていた。その代わり、書かれている内容が強くて本気だった。ああやっぱり私は佳苗さんが好きだと思った。書いてあることが全て理解できず、後でもう一度読みたいと思ったので急いでスマホを出してステートメントを撮影した。

会場内はステートメントに書いてあったとおり、部屋のような展示と、映像・写真・ヴィンテージのドレスが掛かっている展示があり、それぞれの境界は線引きされているようで曖昧に混ざり合っていた。部屋のような展示では綺麗な色の洋服やぬいぐるみや下着や本やDVDや食べ物やゴミが床を埋め尽くしたり、洗濯物ハンガーにぶら下がっていた。それらは無造作である一方でミリ単位で計算されている気もした。展示をみた友人が「ここにゴミが置いてあっても実際のゴミとは違うよね」と面白いことを言っていたがそれはその通りで、異物のように混ざっているゴミや煙草の吸い殻は汚いというよりむしろ洗練されている感じがした。縷縷夢兎のゴミ、縷縷夢兎の吸い殻。開封済のコンドームの袋があってその開き方だけがやけにリアルだなと思ったがその微笑ましい理由を佳苗さんがお客さんに話しているのがたまたま聞こえて納得した(誤解を招いてはいけないので記しておくと佳苗さんが私用されたのではない)。では異臭を放つ本物のゴミを会場に撒けばいいのかと言うとそれはまた違う気もする。美しいものと対極のものをただ同時に存在させればアートが完成するわけではない。

佳苗さんのコレクションと思われるたくさんのヴィンテージドレスや洋服が掛かっているコーナーは素敵だなとうっとりしたし、これらは自分が纏いたくて纏えなかった服だなとしみじみ感じた。繊細なレース、フリル、透けるオーガンジー、リボン、ピンク。小さい頃、キラキラしたピンク色の服が好きだったが親の方針で着せてもらえなかった。それで自分は「かわいい」物に相応しくないから着せてもらえないのだと解釈して拗らせてしまった。大人になって自由に着れるようになっても一定距離を置き遠ざけた。同じクラスにいる気になるけど絶対話しかけられない可愛い子みたいな。関連の本を集めたり、古着屋やお店で触れて眺めるのは好きだし買うこともあるが纏うことはない。だからあぁ綺麗だなと子どものように思った。ほら好きだったでしょ何も考えずに好きでいいよと語りかけてもらえたようで心がすぅーっとした。

最後にLADYBABY(や他のアーティストも含?)が着用した衣装が並ぶコーナーを見た。衣装をこんなに近くで見るのは初めてだった。縷縷夢兎の衣装が大森靖子さんのkitixxxgaiaツアーファイナルでロビーに展示されているのを見たが、その時は人が多くて今回ほど近寄れなかった。目と鼻の先で見ると、色々な素材で編まれたものが何重にも重なったり繋げられていて、一つのパーツに見えるものも注意深く見ると手で編まれていて驚いた。手編みのものと既成のパーツが合わさっている部分もあった。これらは佳苗さんが「muse」と呼ぶたった一人に向けて作られているから、着用後の形跡や生々しさも感じた。私は裁縫技術が小学校低学年レベルで、編み物においては小3の時に手芸クラブでおぞましいマフラー(と呼ぶならばそうだが羊毛の塊でしかないもの)を作って以来やっていないので、裁縫作品を見るとそこに込められた意味を考えるよりも前にただその技術に圧倒されてしまう。人間にこんなことができるのかと。裁縫よりももっとできない楽器についても似た気持ちを持つ。とにかく「すごいな」と感じる。佳苗さんの作品は一体どう作るのか分からないというものばかりだったが、ずっと眺めていると絵画のようにも思えてきて突然親近感が湧いた。絵は上手くはないが好きなので、編み目や縫い目を絵の線だと考えると筆跡のようにも見えた。そして、だんだんと編まれた糸や布が内臓のようにも見えてきた。特に襞状のものが繰り返されている部分は小学校時に教科書で見た小腸の写真を連想した。今回展示されていなかったが、大森靖子さんの『流星ヘブン』のMVで佳苗さんは「臓物」と呼ぶものを作られ、大森さんはMVでそれを引きずって歩いていた。「臓物」は綺麗な色で可愛いのにぞっとするような生々しさやグロテスクさが感じられる。佳苗さんの作品には「かわいい」のベールの下に正体不明のおぞましいもの、「かわいい」と対極していそうで実は繋がっているものがあからさまではなく密かに存在する気がするが、刺青のように刻まれていてどんな洗剤でも全然薄まらない。それが「魂」なのかもしれない。あー、また考えてしまった。佳苗さんはこんな風に考えることを望んでいるだろうか。

会場出入口付近に佳苗さんの私物が売られているフリマのような一角があった。洋服やバッグを中心に雑貨や布やボタンもあった。ほとんど公園のフリマのような安い価格がつけられていた(10円~)。私物なので当たり前だが、展示されている私物よりもっと佳苗さんの生活や日常に近い気がした。フリマは展示ではないがこの空間の中で一番現実味が強いと感じ、嬉しくなった私は自分が着れない外国製の幼児用ワンピースやセーラームーンの布や毛糸など5点ほど購入した。佳苗さんの私物が買えるすごい催しだと私は興奮したが人が殺到して取り合いになるような感じではなかった。買った時は嬉しかったのだけど、家に持ち帰るとおじさんが女性の下着を盗んできたような、急に悪いことをしたような申し訳ない気持ちになって、ワンピースはお気に入りの子供服用ハンガーにかけてクローゼットの一番奥に隠した。

佳苗さんの「話しかけてほしい」というツイートを見ていたのもあり、機会があれば話しかけてみたいと展示に行く前から思っていた。それは話すのが苦手な私にとって相当勇気のいることだし、うまく話せるか分からなかったけど展示を観て思ったことや衣装を見て感じていたことを自分の口で直接伝えてみたかった。展示を見る中で、縷縷夢兎以上に私は佳苗さん本人が好きなのかもしれないという気持ちにもなっていた。意気込みはあったが、他の女の子が佳苗さんと絶え間なく話しており、そういう機会は訪れそうになかった。佳苗さんは女の子達と積極的に話していて、高校生の女の子が身に付けていた流行りのアクセサリーについて、雑誌にも載っているかどうやって作るのか興味津々に質問されていた。佳苗さんが一人になるのを待っている間、中央に置かれた作品集(欲しかった「muse」は売り切れだった)や書籍を見ていたら、急に展示に向いていた集中力が途切れ、周囲が気になるようになった。

私は女性、特に若い女性がたくさん集まっている場所に行くと動悸がしてその場にいられなくなる。女子高、女子大、女性専用車両、ルミネなどのファッションビル、バレンタインデーのチョコレート売り場、化粧品売り場、女性下着専門店…。できる限り避けて生きてきた。自分は性別上「女性」として分類される外見を持って生まれたが、内面で「男性性」が強く占めていた。幼少期に封じられたことで「かわいい」ものへの憧れは人一倍強かったし、自分が男性だと思っているわけではないからトランスジェンダーとも少し違う(のかな、よく分からない)。人生でお付き合いをした相手は男性だが「女」として見られると途端に苦しくなった。言葉で説明するのが難しいが、「男性」「女性」という性意識そのもの、意識してしまうような場面が苦手なのかもしれない。大学の時、信頼しているゼミの教授に「君は本当は60代の男性だよね」と真顔で言われて一番しっくりきた。歳を取ると性別の区別が曖昧になると言われているから。

会場に男性は一人も見当たらず(いたと思ったら機材スタッフですぐいなくなった)、その空間にいる全員が女性でおそらく私より若かった。集中力が切れた途端、整えられた髪と白い肌の女の子達から発せられる女性特有の匂い、声、スマホのシャッター音、自撮する姿が洪水のように流れ込んできて無視できなくなった。「インスタ映え」についてどれだけ議論されても、SNSでエアラップ大会が開催されても、実際会場では多くの女の子達がそれらを忘れたかのように展示物や自撮を何枚も撮影していた。展示物と一緒に撮影したり、佳苗さんにツーショットを求めている子もたくさんいた。いや忘れてない。きっと知らないふりをしているだけ。「どう見られるかもちろん知っている」「自分が可愛いことをちゃんと自覚した」上で意識的に動いている彼女達に畏怖の念を感じ居たたまれなくなった。結局、佳苗さんと接触する前に限界に達して会場を出て深呼吸した。私が撮った写真は展示概要の一枚だけだった。

今回の展示タイトルが「YOURS」だということを考えても、そこにいた来場者(もちろん自分も)や来場者の行動や放つ空気も含めて展示だったのかもしれない。美しい女の子達の中で私は異物だったけれど展示物として置かれていたゴミや吸い殻のようになることもできなかった。うまく混ざれなかった。展示に集中していた時には全く思わなかったが、周囲が気になりだした途端、呼ばれていない誕生日会に間違って来てしまったような気持ちになった。どこかに行ってこんな感情になったことはこれまでなかったので、縷縷夢兎を取り巻く世界の深淵を見てしまい一層好きになった。確かにそこには私がいつか持っていて手放した夢もあった。縷縷夢兎はブランドではなく私や誰かが諦めた夢を手作業で復元する運動なのかもしれない。

 

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と、ここまで書いて何だかぺらぺらした感想だなと思ったが、まだ縷縷夢兎を理解するに至らない己の経験不足と文章能力の低さのせいということで、恥ずかしながらそのままにしておく。

チャンキー前田

チャンキーヒールという単語を初めて知った途端、「チャンキー前田」という架空の人物が頭の中に出現した。
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チャンキー前田は腹話術人形のふくちゃんと暮らしていて性格は比較的明るいが友達はいない。好物は草餅。海外でイルカと泳ぐことが夢。
 
チャンキー前田は小3の時に受けた交通安全教室の腹話術に衝撃を受けたのをきっかけに腹話術師を志す。ただそれだけでは生計が立てられないので書店でアルバイトをしている。休憩中に旅行雑誌を眺めていたら店長に鼻で笑われて以来店長に積極的に夢の話をするのを辞めた。先週店長主催の飲み会があったがカメの餌やりで忙しいという理由で断った。カメは飼っていない。彼の好きな芸人「味噌漬☆パラダイス」の深夜ラジオを愛聴しているが投稿は一度も採用されたことがない。ラジオネームは「草もち男」。
 
店長に理不尽なことで怒られた日の夜、愚痴を漏らすとふくちゃんは「まあそんな日もあるよね」と明るく慰めてくれた。チャンキー前田はアパートのベランダからふくちゃんと二人で雲に半分隠れた月を眺め、Amazonプライムで発注した好きな漫画の新刊の不在票を握りしめて泣いた。「ふくちゃん、明日からもがんばろうね」「うん君は天才!えらい!あははははは」
 
明日は早番。マキちゃんがいる日。江の島水族館のお土産を渡すんだ。

生きる宣言

昔から走れず泳げず歌えず、人前に出ればうまく話せず思い切って言葉を捻り出せば意味不明だと狂人扱いされ、唯一絵を描くのが好きだったけど高校で基礎デッサンが全然できなくて美術の先生にいつも叱られて美大断念。それきりほとんど描かなくなってしまった。何においても人より優れたものがなく、とりあえず勉強だけは真面目にしていたのだけど別段好きでもないしテストで良い点取ることや内申点を上げることが一体何の役に立つのか分からないと気づくや一気にやる気を失い大学受験戦争から見事に脱落した。悲しいことに、自信を持ってこれだけは誰にも負けませんと言えるものがどこを探しても一つもない。子育てにおいてはまあ胸を張れるがそれは自分の特技ではなく状況だと思っている。お遊戯会で主役に抜擢され、何でも器用にこなしていた(いるように見えた)きょうだいをいつも横目に放課後、学校の裏にある、怪しいと噂されるおっさんが実家の一階で一人でやってる薄暗い絵画教室に直行し絵を描くことだけが楽しみだった。部屋の中に先生の描いた絵が数枚飾ってあったがどれも雲の浮かんでいる空の絵だった。全部同じに見えた。先生の影響か子どもにしては無意識のうちにパレットの上で暗い色を作って塗りがちになり「夜中に床に横たわる人形」とかよく分からない絵ばかり描いていた。絵画教室で友達は一人もできなかったし、先生ともほとんど口を利くことがなかったけれど、先生は時々絵を褒めてくれた。何度か部屋の奥に年老いた女の姿を見かけた。いたと思ったら消えて幻のようで怖かったけれどおそらく先生の母親だったのだと思う。絵画教室へは5歳から12歳まで週に一度通ったが、一度だけ、確か高学年の時、先生が後ろから近づき長い髪と首筋を後ろから撫でるように触れ「汚れるからくくっておこうね」と長い髪を輪ゴムで縛られた。その時のぞくっとした感覚と髪が輪ゴムに巻き込まれて痛かったこと、鼻孔に染みついた油絵具の匂いを今でも鮮明に覚えている。抵抗せずただ前を向いて黙っていた。親は私が暗い絵ばかり持ち帰るので別の絵画教室に行かせるべきだったと言った。先日また一つ歳を取った。悲しい。「誕生日を迎えると死に近づくから小さい頃から全く嬉しくなかった」とある小説家は言っていた。まさにそうだと共感した。数年前まではできませんとへらへら笑って許されることもあったが歳を重ねていくうちに笑っているだけで済まされないぞという思いが強くなるばかりで己の行く末を思うと恐ろしい、などという文を書いてもこの通りの稚拙さで、毎日食べて寝て排泄して呼吸するのを繰り返しているだけの醜い中年女と化している。何かしなければと思うけれど何もできないでいる。あーと声を出しているうちにそのまま死んでいくのかもしれない。そう考えていた矢先、同じ人が好きな方がお亡くなりになったと知った。面識はないが今までにないくらい自分に置き換えて考えた。その方が想像を遥かに超えて、「行動していた」「生きていた」様子を泣きながら聞いた。自分は今、惰性だけで生きているような気がしてやはり何かしなければ動かなければと親が毎年黙って送ってくれるケーキを早朝暗い台所に立って一人貪りながら決意した。生きる宣言。

「超歌手大森靖子MUTEKI弾き語りツアー」ファイナル(2018.1.20 )@中野サンプラザの記録

感想のつもりで書き始めたが自分の感じたことや気持ちを中心に綴っているうちにセルフインタビューのようになってしまったため、もしこれを読んでみようという稀有な方がいたらレポートというよりは後で私が見返すためだけの個人的な記録だと思ってほしい。自分で言うのも何だが長すぎる上に読み辛い。何が言いたいのかよく分からない。セットリスト以外は全部記憶を頼りに書いているので事実と相違する点もあるかもしれないがその辺りはどうか気にしないでほしい。

 

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我が家の冷蔵庫にはアンパンマンのマグネットでボロボロになった「超歌手大森靖子MUTEKI弾語りツアー」のA4のチラシ(裏はアルバムMUTEKIの案内)が一枚貼ってある。なぜボロボロかというとチラシの大森さんに反応して息子が何度も外してしまうからである。大森さんの字でツアーの日程と行き先が書かれたそのチラシが毎日ほとんど無意識に目に入っていた。生活の延長にライブがあると思っているから、なるべく生活に紛れ込ませたかった。それから、会社の無機質な卓上カレンダーにもまるで出張の予定のように「大阪」「須崎」と自分が行くものも行かないものも全公演の地名を書き込んだ。出張なんてないのに。これはツアーが始まる前の儀式のようなものだ。いつもやっている。アナログ人間なのか未だに予定をiphoneで管理することができないし、好きなものは目の前に貼ったり置いたりしてしまう。チラシには最後の「中野サンプラザホール」の右横に「FINAL」と書かれ雲のように囲われている。その大森さんの可愛い手書き文字を何度見つめたか分からない。


今回のツアーは「超歌手大森靖子MUTEKI弾語りツアー」のタイトル通り、大森さんがたった一人でギターを携えて各地をまわられるというものだ。正確には一人でなく相棒のナナちゃん、カメラマンの二宮さん、美マネさんも一緒だ。弾き語りとバンド、どちらが好きという問題ではないのだが、大森さんのギターの音とギターを弾く姿が好きなのでツアーでは初めて東京以外の二か所でチケットをおさえた。誤解を招いてはいけないので記しておくと、「大森靖子はやっぱり弾語りだよな」という感情はなく、大森さんを聴くまでライブというものに一度も行ったことがなかった(いや正しくは中学生の時に一度だけ宇多田ヒカルのライブに親同伴で行ったがそれ以外は本当に学祭含めて一度もない)私にとって、スタンディングのライブ自体に慣れていないのかもしれない。バンドは弾語りとは全く別の魅力があるし何度か行くうちに音に乗ったりペンライトを振ることにも慣れてきたがやはりどうしていいかわからない時もあるから体力が続く限りもっと通ってみたいとは思っている。また、大森さんの歌を初めて生で聴いて身体の内側から内臓と血が全部飛び出してしまいそうなくらいの衝撃を受けたのがリリースイベントだったので、特に弾語りに思い入れがあるのかもしれない。
東京以外の二か所のライブについては下記のとおり。ツイッターで感想を書く手段が最適か分からないが、一番鮮度がある気がする。

*別府公演の感想


*大阪公演の感想

MUTEKI弾き語りツアー 大阪公演(2017.12.22) - (続)海の音

大阪公演はずっと行きたかった会場だったこともありとにかくそこにいるのが嬉しかったがそれが年内最後の大森さんのライブだったため、そういう意識と共にライブの美しい光景が脳裏にずっと焼き付いている。

大阪公演が終わってから、実験室にもハイパーカウントダウンにも年始のライブにも行く予定のなかった(行けなかった)私は完全にファイナルモードに切り替わった。年末年始の良い意味でも悪い意味でも飲み込まれるような慌ただしさが過ぎると心は先に中央線に乗って中野に向かってしまった。だからファイナルの前のいくつかの公演の動画や感想はほとんどみていない(未だに何となく観れていない)。松山も須崎も名古屋も死ぬほど行きたくて秋頃から何度もYahoo路線検索でルート確認はしていたけれど。というか全ての会場でそれをしていた。行くつもりになるだけでも嬉しかったから。そんな感じで迎えたファイナル。ライブの前日はこのツアーの意味を考えるなどしてだいぶ昂っていた。

 

 

何が待ち受けているのかわくわくするような、ツアーが終わってしまうのが悲しいような複雑な感情が混ぜこぜになり上記のようなやや暴走気味の思考を巡らせていた。それでも気持ちが溢れて続けたので久々に大森さんに手紙を書いた(当日持って行けなくてまだ渡せていない)。

また、2015年4月26日に中野サンプラザで行われた「ナナちゃんとイくラブラブ洗脳ツアー『最終公演』」に私は行っていない。息子が生まれたばかりで、出産前から休んでいる仕事へ復帰できるのかという不安や保育園入園のことで頭がいっぱいで、大森さんどころか全ての「好き」から一旦距離を置いていた。初めての子育ては予想以上に体力勝負(「24時間営業のブラック企業」と例えた人がいたが本当にそんな感じ)で、食べて寝ることも当たり前にできず、自分の選んだ道だから大変だと声を上げるのも許されない気がして、外の世界から完全に隔離されて激しい孤独感に苛まれていた。それは数年でなくなるから大丈夫と今だから言えるわけだけれども。


ファイナル当日は朝から病院に行ったり準備をしたり何かと慌ただしかったため、前日のように色々なことを考える余裕もなく時間が過ぎた。前物販にも間に合わず、友人にグッズを購入してもらった。好きな人に会うのだから早めに会場付近に到着して開始時間まで美味しいものを食べたりゆったり過ごしたいなといつも思うのだがお決まりのように忙しない。いつも駅まで走っている。そんな感じでぎりぎりに家を出発し、開演30分前に中野駅に到着した。駅に着いたことに安堵した途端、激しい空腹感を覚えた。ちょうど良いことに駅前におやき屋さんがあったのでチーズと餡入のおやきを買い、行儀が悪いがこれを頬張りながらサンプラザまで歩いた。時間が迫っていたのでサンプラザの前にいる人は少なかった。おやきを口に押し込んですっかり暗くなった空を眺めると眩いサンプラザがぽーっと建っていて「おおおお!!きた!!!!」と一人で興奮した。中に入るとかなりいい時間で、ライブ中に席を立つようなことがあってはいけないと御手洗に慌てて駆け込んだ。


ようやく会場に入ると隅々までお客さんがびっしりいる光景に圧倒された。想像以上だった。急いで座席に向かっていると大森さんの声が聞こえて頭が混乱した。もう始まっているのかと動揺したが後から「裏アナ」だったことが分かった。席に着くことに必死だったため残念ながらこのアナウンスはほとんど聞けていない。座席に着いたらステージがあまりに近くて緊張してきた。後ろを振り返ると2階まで人人人。知っている人の顔が見当たらなかったのでそれだけ広い会場なのだなとまた実感した。ドキドキしていたらすぐに会場が暗くなり「わ、ついに始まるぞー」と自分の中の小人達がざわざわした。


他の場所でのツアーのように大森さんがすぐに登場されるかと思っていたら、風が吹き荒れているような嵐のような不思議な音が暗闇から聞こえてきた。弾き語りでこんなのは初めてだったので「これは違うぞ、今日はものすごいものが待っている」と確信した。kitixxxgaiaツアーでSE「カルミナ・ブラーナ」を聴いた時も感情が昂ったがそれとも違った。聞こえてくる音は虚無の中でこれから何かが誕生するような、荒地で誰かが来るのを一人で待っているような音だった。後々考えたら楳図かずおの『14歳』で大統領が地球の果てでチキン・ジョージ博士を待っているシーンに似ているかもしれないと思った。もう自分がサンプラザの座席にいるという意識があまりなかった。真っ暗な宇宙空間に放り出されてたった一人で浮遊しているような感覚だった。寂しいけどこれから強くて優しい人が来て救ってくれる。それは大森靖子さん。


となっていたら、目が暗闇に慣れてきたのもあり、大森さんらしき人の姿が中央に現れてピアノの前に座られたのが何となく見えた。視界はぼんやりしていたが白くて美しかった。あまりにも白かったので最初、kitixxxgaiaツアーの衣装(keisuke kandaの衣装)かなと思った。そのまま最初の曲『M』が始まった。この辺りははっきり記憶していないのだが、確か曲の途中でスポットライトが徐々に点灯して大森さんの姿がはっきり見えるようになった。「あーーーっっ背中!白いのは背中!そして衣装!あああーるるむう!可愛い!美しい!あああー」と心の中で絶叫した。大森さんの肌の綺麗さは言うまでもないが、背中が衣装に見えるほど白く発光していた。ピアノが最初だったのを考慮されて縷縷夢兎の東佳苗さんがこのように背中の美しさを際立たせるドレスを制作されたとすると舞台演出(という言い方も嫌だが)としてはこれ以上ないなと後から考えた。縷縷夢兎の衣装は背中が開いているものが多いが、私服の衣装の時は首元が詰まっていて肌の露出が少ないもの(それはそれでとても好き)が最近多かった印象だったので久しぶりに見る大森さんの背中にものすごくドキドキした。ピアノ弾き語りはこのツアーでは初めて観られたし、生で観るのは幼稚園での演奏を除くと2017年4月の「大森靖子の京都旅行」以来だったのでただその場にいられることが嬉しかった。


照明は最低限で、天から降りてきた一筋の光が大森さんを照らしているような感じだった。会場はまだ暗かったのでピアノを弾いて歌っている大森さんとその背中を見つめている自分しかここにはいないという感じがすごくした。実際には二千人もいるのだからすごい。二千人がそれぞれの宇宙空間に浮かんで発光する大森さんと一対一で対面している、そんな感じだったのかもしれない。もう孤独ではなかった。


ピアノのセットリスト


M
KITTY’S BLUES
夏果て
キラキラ
POSITIVE STRESS
オリオン座


前はそうでもなかった気がするのに最近大森さんのライブに行くと酷く泣いてしまう。日常生活で大きな問題を抱えており、ずっと負の領域に鎖で繋がれているからかもしれない。負に溺れた精神や身体と美しい音をまぐわせてお決まりのように泣いてしまう自分が嫌で、今日はできるだけ泣くのを我慢しようと思っていた。が、無理だった。大森さんが『M』を歌い出すと泣くとか泣かないとか考える前に涙が溢れ出た。昨年映画上映後のサイン会で戸田真琴さんと会った時のことを思い出したり、大森さんと戸田さんがこれまで交わしたであろう会話や手紙が大森さんの後ろに投影されて見えるようだった。真っ暗だからこそ色々なものが見えてそれが自分の中の濁った何かと化学反応を起こし身体の内側から涙として排出された。これはいつもそうなのだが、涙と一緒に血や内臓もあらゆるものが体内から飛び出ていくような感覚もあった。会場のあちこちからすすり泣きが聴こえてきて、時々スマホの撮影ボタンを押す音も聞こえ、この時初めてあぁ他のお客さんもいるという実感が戻ってきた。寂しいけど孤独ではない音だった。


それから大森さんはこちらを振り向くこともなく『KITTY’S BLUES』、『夏果て』、『キラキラ』を歌った。『KITTY’S BLUES』はいつもと違うピアノの音だった。残念なことにピアノを弾けないのではっきりしたことは分からないが、音がいつもより半音(?)下がっているような気がした。確認できていないが、今回のツアーではずっとそうだったのだろうか。もし分かる人がいたら聞いてみたい。それによりいつもより内側に向いた曲に聞こえた。最後の「HELLO 馬鹿女 KITTY」も言い放つような感じでなく、ずぶっと6Bの鉛筆で突き刺すような感じだった。それから『夏果て』。泣いていた。『夏果て』を聴くと世の中に溢れる色々な悲しいニュースを思い出す。真夏のぎらぎらとした外の世界から遮断された暗くて蒸しかえるような部屋。男の気持ち。少女の気持ち。大森さんんはまるで演劇のように一つ一つの歌詞を切り取るように歌われていた。怒りとか哀しみとか憎しみとか愛とか、ねっとり溶けて混ざったものが暗闇の中に見えた。『キラキラ』でもずっと泣いていた。私の「生き甲斐」って何だろうって考えていた。


『キラキラ』が終わると大森さんはスマホに触れ画面を表示させた。それから両手首をぶらぶらと外側に振った。今までにかかった手首の負担をリセットするような、気合を入れるような感じで。何か普段あまりやらない曲をやるのかなと思った。突然鳴り響く『POSITIVE STRESS』の力強く早い伴奏。ああああーと何か考える前にもう泣いていた。あの伴奏を思い出しただけで涙が出る。大森靖子さんはライブの前日、下記のようにツイートされていた。小室哲哉さんの会見を受けてかどうかは分からないが。


私は小室さんの会見をちゃんと観ていないし、会見の元となった行為の正当性については判断できないししたくないが、それが音楽を辞めることに結び付いている(というより結び付けられている)のはどうも理解し難かった。「ぼくら」が大森さんと私達なのか、大森さんと他の音楽家なのかそれは分からないが、音楽あるいは全ての芸術は誰にでも平等に開かれていてそれらを生み出したり受け取る行為は自分以外の誰かに奪われたり邪魔されるものではない、と大森さんは小室さんと同じ芸術を生む側または私達と同じ享受する側両方の立場で憤り悲しんでいるように私は感じ取った。初めてピアノ弾き語りで披露された、また私にとって初めて生で聴いた『POSITIVE STRESS』は前日のツイートのように怒ったり悲しんだりしているような、それでいてまだフィールドに立ち続ける超歌手として音楽に対する意思をはっきり表明するような、もう二度と聴けないであろうものだった。これを今日ここで聴くことができてよかったなと終演後もずっと思っていた。後のMCで大森さんは「小室さんは「私は私よ」という歌詞は自分には書けないとおっしゃってくださったけれどそこは他の歌詞と違って何も考えずに出てきた歌詞だったのでそう言っていただけて嬉しかった」(MCは記憶に基づくので一字一句同じではない)とおっしゃっていた。それを聞くと「私は私よ」という歌詞は「音楽は誰のものでもなく私のものだしあなたたちのものだ」とこれまでやってきた音楽やこれから関わる全ての音楽に対しての大森さんの叫びのように思えた。


それから『オリオン座』。大森さんはこの曲の途中でピアノ演奏を辞めハミングバードを抱えた。『オリオン座』でのピアノからギターへの移動は福岡公演の動画で見た気がした(ピアノから立ち上がる時の大森さんは最高に格好良かった)が、当然動画で観た時と同じ動きではなく、実際に観るとものすごく興奮した。曲の途中でピアノからギターへ移るのを見たのはもしかしたら初めてかもしれない。特にギターを手にしてストラップを背にかけるところ、ストラップがぐるんとまわって背負っていたギターが身体の前に来るところが「戦士」への変身のようだった。たった一人でステージに立ちギター一本で敵に立ち向かう「音楽戦士、超歌手・大森靖子」という感じだった。大森さんも「さぁいくよ」という表情をされているように見えた。だから私も戦隊の一員になった気持ちで姿勢を正した。武器はないけど音はある。敵が何かは人によって違うと思うけれど。大森さんの背景で暗闇に浮かぶ星が綺麗だった。オリオン座を描く大森さんの指先。


ギターに持ち替えてステージ中央に立たれた大森さんは、ツアー中何度か歌われていた『東京と今日』と『死神』を歌われた。この2曲が本当に好きだ。どういうところが好きかここに書くと長くなるので改めてまとめたいと思う。『東京と今日』は東京都とコラボして作られたと聞いている。私が初めて聴いたのは12月22日に千日前ユニバースで行われた大阪公演だった。「東京に住むこと、東京で生きること」について大森さんの視点で広い空に向かって伸びていくように歌われていて本当に好きな曲だ。自分が上京者として東京に住んでいるからこそ感じるものがあるのかもしれない。


『死神』を初めて聴いたのは確か10月の続・実験室だったと記憶している。その時は壁際のソファ席から観ていて、可愛い子が横でカレーを食べていた。始まった時、あれ、知らない曲だなぁと思ったが涙が止まらなくて、「いつか男とか女とか関係なくなるくらいに愛し合おうよ」という歌詞がずっと頭から消えなかった。今回で聴くのは4回目だったが回数を重ねるうちに歌詞がだんだん脳に染みこんで刻まれていくのが分かった。今やリリース前にYou tubeや何かで音楽が無料で聴ける機会が増えたが、歌詞も発表されていないリリース前の曲をこうやって生で何度も聴けるのはとても贅沢だし、曖昧だった歌詞やメロディが自分の五感だけで輪郭を帯びていく感覚がたまらない。意識的にセトリに組んでくださった大森さんに感謝したい。


それから『TOKYO BLACK HOLE』。この『東京と今日』『死神』の後に続く『TOKYO BLACK HOLE』。この曲は仕事復帰をして不安だった時に毎朝一番に聴いて自分に寄り添ってくれた曲だ。「透明な銃放つ自由」のところで大森さんと目が合って笑ってくれた。気のせいかもしれないし他の人に向けた笑顔だったのかもしれないが例えそうであっても自分が目が合ったと思う(思い込む)ことが嬉しい。


ギターのセットリスト(前半)


東京と今日
死神
TOKYO BLACK HOLE
マジックミラー
流星ヘブン
LADY BABY BLUE
みっくしゅじゅーちゅ
<MC>
愛してる.com(いいね)
絶対彼女
剃刀ガール(リクエスト) 
chu chu プリン(リクエスト)


『TOKYO BLACK HOLE』から『マジックミラー』『流星ヘブン』と大森さんとファンの関係について歌う曲が続いた。私は最近ずっと大森さんと自分の関係がどうあるべきかについて考えている。まだ明確な答えは出ていないけど「大森さんが自由に歌い、私はそれをできる限り受け取って生きるためのエネルギーに変換する、それを続けること」が自分がファンとしてできることなのかなとこのツアー中思うようになった。他の会場でどうだったか覚えていないが、『LADY BABY BLUE』と『みっくしゅじゅーちゅ』が続いているのはいいなと思った。やがて消えてしまう「若さ」のひりひりした感じとか瑞々しさとか愛おしさをもっと大事にしておけばよかったと思って苦しくなる。この会場内であの二人も観ているのかなと考えた。『みっくしゅじゅーちゅ』の一番を歌い終えた大森さんは「スカートがずれたのでそれをずり上げてから二番歌いまーす」と明るく言った。おそらく、この日初めて観客に向けて話した。会場から笑い声が聞こえて空気が変わった。こういうところが大森さんらしくていいなぁと思った。ものすごく張りつめた空気と一緒にファミレスにいるような空気を一度に出せる人。「必死に食らいついてきてもいいし笑って聴いてくれてもいいんだよ」と言われているような気持ちになった。その後はMCだったのでこの一言が導入だったのかもしれない。急に高速道路から一般道路に降りてスピード感に戸惑うように突然MCに入るより心の準備が出来易いというか。突然MCになるのももちろん好きだけど。


MCはこの会場規模とは思えないほどいつもの実験室と変わらない感じだった。よく大きな会場だとそれに合わせたMCをする歌手がいる(かもしれない)が、そうではなくちゃんと話したいことを話してくれている感じ。大森さんのトークは聞いているだけで面白いのでずっとにやにやしていた。印象に残っているのはSNSの「いいね」についての話。大森さんは大好きな道重さゆみさんのインスタグラムの投稿には漏れなく「いいね」をしているが気持ちが「いいね」では説明しきれないから「いいね」という軽くも取れるクリック一つで済ませてよいものか悩むというような話だった。私が大森さんの投稿に対して感じていることと同じだった。大森さんのツイートやインスタは全部見ているが「いいね」は押したり押さなかったりしている。毎朝のおはようツイートも何度も読み返したり救われているが「いいね」は押さないこともある。押さないからといって「良い」と思ってないわけでなく、たとえばこの気持ちは「いいね」で済ますには大きすぎると思った時は押さないでいる。それは大森さんに限らず誰の投稿でもそうなのだが、他の人だと深く考え過ぎず素直な気持ちで押せるのに対し、好きな大森さんだとここで「いいね」を押すか押さないかでそれが意思表示に繋がってどう思われるだろうか、大森さんはこの投稿に「いいね」をされることを本当に望んでいるだろうか、ということまでいちいち考えてしまう。実際38万人以上フォロアーのいる大森さんが自分の投稿についた「いいね」を全部チェックされているとは思わないが、あくまで気持ちの問題というか好きな人だからこそ余計なことを考えてしまうのである。そもそも「いいね」という響きが何だか投げやりな感じで嫌なので「共感します」だったらいいのにと個人的には思う。そんなファン側の気持ちに立った発言をしてくださったので嬉しかった。大森さんが道重さゆみさんのオタクだからこそ私達の視点を分かってくださるのを度々感じる。この時のMCを把握されているのか定かでないが、道重さんがその後のインスタグラムの投稿と共に「いいねできるね」とコメントされていてそれを大森さんが私信だと捉えられていたのが可愛かった。


「いいね」の話の後、大森さんはこれから歌う『愛してる.com』の合間に「いいね」という声かけをするようファンに呼びかけた。この「いいね」コールは名古屋公演のセットリストでも見かけたような気がするが初めてだったので楽しかった。観客席から聞こえる「いいね」に一体感がなく声もまばらで、慣れない流行りの歌をカラオケで頑張って歌う会社のおじさん(自分も含めて)という感じでいいなと思った。


その後『絶対彼女』でいつものようにお客さんにソロパートを与えた。「女子」「男子」「ハゲ」「眼鏡」「ヤリマン」「処女」「おまいつ」「初めて来た人」・・色々だった。「ハゲ」パートは二回あったが歌う時にちゃんと帽子を取っている人がいて愛だなと思った。「おまいつ」の意味が分からなくて後で調べたら「お前いつもいるな」というオタク用語だと知った。いつもいる分けではないが気持ちの上ではいつもいるから歌えばよかったな。歌い終わった後(多分)、大森さんは観客に向けて話した。「この曲は女の子の立場に立って作った曲だったけれど、男の子から男の子の曲はないのかと言われた、別の立場の人にも同じように言われる、そうしていくうちに色々な立場に立った歌を作るようになった。だから私の全ての曲に共感して欲しいと思っているわけではない。そんな人いるわけない。今は話すのは人間だけだから人間のことだけ歌っていればいいが将来的に虫が意思を持つようになったら虫の立場に立った歌も歌いたいと思っている。」とやや冗談めかして話された後、虫になりきって高い声で「虫のことも忘れないで~」(記憶が曖昧)と言った。可愛かったしお客さんも喜んでいた。ここで私はまた楳図かずおの『14歳』を思い出した。ラストの近未来かパラレルワールドで鳥が人間のように意思を持って話していた。大森さんは可愛くて話は面白かったがこの言葉はあながち冗談ではなく、もし人間以外のロボットや虫が意思を持って話すようになったら大森さんは本当に曲を作りそうだなと思った。あらゆる人の立場を漏れなく掬い取って曲にして歌う大森さんにこちらはどう応じるか、課題だなと思っている。


ファンに「最近あった嫌なこと」を聞き話したいファンが挙手をして話したり、大森さんがギターの伴奏をしてファンの女の子がマイクで『剃刀ガール』を歌うなどの時間があった。こういうファンとの交流を中野サンプラザのような広い会場でもやるところが大森さんらしいなとまた思った。会場がどこであれ大森さんは自分の音楽を全うする。だけどそれは破天荒という意味ではない。気遣いがすごい。この会場規模で観客がお手洗いに出るタイミングまで心配した歌手は他にいないのではと思う。それから、大森さんは客席まで行きファンの一人と交代で席に座られてリクエストの『chu chu プリン』を歌った。この曲はスターダストのアイドル3B juniorの雨宮かのんさんへの提供曲で私はラジオなどで何度か聴いたことがあったが初めて生で聴いた。サンプラザとは思えないことが起こり続けて最初の暗闇が遠い過去だったかのように今や暖かい空気に包まれていた。このファンとの交流を「馴れ合い」だと感じ着いて行けないと思う人も中にはいるかもしれないし、もしそれが大森さんを偏見視する原因になったら悲しいなとは思うが、音楽の演奏というものは本来聴き手あってのものだと思うし、ツイッターのDMを解放されるなど大森さんはファンとの距離感を何より大切にされている。この辺りは言葉で説明するのが難しい。


ここまででナナちゃんのことを書くのを忘れていたことに気付いた。ナナちゃんは大森さんの相棒の白いクマのぬいぐるみで、相川七瀬の「七」が名前の由来だ。大森さんのライブにはほとんど同行し出演している。ナナちゃんには熱狂的なファンがいて、ナナオタやナナ担と呼ばれている。グッズや大森さんのイラストに度々描かれ大森さんの相棒かつシンボル的存在となっている。なぜ今解説し始めたのか自分でも分からないが、ナナちゃんについて語るのは簡単でないと思っているので、卒論が書けそうなくらい持論はあるがこれ以上は辞めておく。とにかくナナちゃんは今回のMUTEKIツアー全てに同行し、その可愛さでファンを喜ばせた。このツアーはライブ中の写真撮影は禁止だったがライブ前後に会場を撮るのは禁止されていなかったので、若い女の子を中心にナナちゃんの写真を撮ろうとしている人をたくさん見かけたし若い女の子ではないが私も撮った。それをどこかにアップするかどうかに関わらず、私はナナちゃんを撮ることがどうやら好きらしいとある時気が付いた。その時々によって体勢が違うし、同じ体勢でも見る角度や光や影の具合によって表情が全く異なる。撮った写真を後から見返すと、ナナちゃんの表情には大森さんの心情が反映されているような気がする。ナナちゃんはぬいぐるみなので動かないと思っている人がいたら福岡公演の動画を観て欲しい。ナナちゃんは大森さんと同様に縷縷夢兎の東さんによる衣装を着ているが、今回のサンプラザ公演でこれまで着ていたものから新しいものへ衣装が変わった。細部の変化を除くと、洋服ごと着替えたのはおそらく今回が初めてだと思う。MCの途中だったと思うが途中でナナちゃんが舞台袖から消えてまた出てきたと思ったら新しい衣装に変わっていた。前よりも濃いピンクの、肩の部分が印象的な衣装だった。衣装替えに一瞬戸惑ったが大森さんとの歴史を刻んできたナナちゃんは新しいピンクを纏って誇らしげな澄んだ表情でホールを見渡していた。


MCやファンとの交流タイムを経て、後半(という区切りはないが私が思っただけ)へ。大森さんが話す声をたくさん聴いて心地よくなっていた暖かい空気がここでまたがらっと変わった。でも今度は冷たくなく、熱くて強い空気だった。『アナログシンコペーション』はアルバム『kitixxxgaia』の最後の曲だが、人と人がコミュニケーションを取ることの難しさについてこれほど共感できる歌は他にないと個人的に思っている。実際に仕事やプライベートで誰かとうまく折り合わない度に何度も縋るように聴いた。歌い出しの「このステージ」とはああこのステージだなと色々考えた。


ここでもう一つ記していないことがあって、それは青柳カヲルさんによる舞台美術だ。ギター弾き語りになった時から大森さんの後ろに何か絵があるぞと気付いた(開演の時はぎりぎりに着席したので全然気付かなかった)。それがライトアップされた時、青柳さんの絵だと一目で感じた。円形の何かが大森さんの後ろにかかった大きなタペストリーに描かれていた。精密機械のようで、夜の大都会のようで、花火のようで、臓器のようだった。何とは一見で断言できるものではなく、見た瞬間、わぁすごい感動というよりは思考が停止してあらゆる気がそこへ吸い寄せられていくような絵だった。口を開けて私はそれを眺めた。歌っている大森さんも観たいし絵も観たいしで眼や神経が忙しかった。それが『音楽を捨てよ、そして音楽へ』の「抽象的なミュージック止めて」でぱっと発光して違う絵に変わった瞬間、寒気がした。後に大森さんの説明で「魔法陣」であると知ったが、見たときは何に変わったか判断できなかった。曼荼羅のような万華鏡のような宮殿のような宇宙のような、何か壮大なもののようにその時は感じた。この作品については正直まだ分からないことが多いので、もしもう一度観られる機会があれば嬉しいし、直接見るのとは受け取るものが違うかもしれないが画像を拡大して一つ一つ描かれている線を観察していきたい。オリオン座のCDジャケットの時もグッズの意識高いTやランドマップの時も、青柳さんの作品を線の単位でじっと眺めて自分だけ(だと思い込んでいる)の秘密を発見してそっと胸にしまっておくのが好きだ。


ギターの前半は、住むことや働くこと、大人になること、人との関係など、何となく個々人に従属する感情や思想について歌った曲が多かった気がするし「大森さんと私だけ」という気持ちで聴いていたが、絵が変わった後、『音楽を捨てよ、そして音楽へ』から、大森さんの歌う世界はそれまでの個々のものからぶわっと拡張され「音楽とは芸術とは何か」というテーマを観客に投げかけ始めたように感じた。


セットリスト(後半~終)
アナログシンコペーション
音楽を捨てよ、そして音楽へ
SHINPIN
サイレントマジョリティ
ワンダフルワールドエンド
最終公演
PINK
魔法が使えないなら
<アンコール>
お茶碗
ミッドナイト清純異性交遊

 

『音楽を捨てよ、そして音楽へ』は私が初めて聴いた大森さんのアルバム『魔法が使えないなら死にたい』に収録されていて、始めてCDで聴いた時はこんな曲が世の中に存在したのか、と混乱した。前述のように、それまで音楽から遠いところで生きてきた私を音楽の世界に初めて呼んでくれた曲。大森さんを好きな人が邦楽や洋楽色々な音楽に詳しいのをよく見聞きするが、周りが呆れるくらい私は音楽を知らなかったし今も知らない。長くなるので割愛するがあるトラウマがあり、音楽を日常的に聴いたりライブに行った経験が全くなかったしCDを買うこともほとんどなかった。音楽が嫌いだったわけではなく、聴いても何も感じなかった。昔の歌手は何人か聴いたが今の時代に生きている人でこの人が好きという人がいなかった(モーニング娘。は9期をきっかけに唯一好きになったがこの人という一人を追うことはなかったしライブにも行けなかった)。音楽番組を観てもわくわくしなかった。そんな私を家族や恋人は音楽に興味がないなんておかしい変だと言った。それを変えたのが大森靖子さんだった。『音楽を捨てよ、そして音楽へ』の「邦楽洋楽夢のよう」という歌詞を聴いた時、そうだな邦楽も洋楽も自分にとっては夢の世界で作られているようだったな解釈した。この曲はもしかして音楽を否定して肯定しているのか、なんだろうこの曲は、なんだろうこの人は、もしかすると私が信じてきたものと違う音楽が存在するのかな、と音楽に対する価値観がぐらぐら揺らぎ始めた。それで3年前、ずっと閉ざされていた扉をこじ開けて、この曲を歌う人に着いて行ってみようかなと思った。途中で着いて行けなかったらその時は辞めようと思った。それからライブへ足を運ぶのにはまた時間がかかるわけだが。そんな風に大森さんとの出会いのことを考えて気が遠くなっていたので『音楽を捨てよ、そして音楽へ』の後は確かにちゃんと聴いてはいたが何を感じたかよく覚えていない。大変失礼な話だが、記録なので正直に書いておく。


『ワンダフルワールドエンド』の途中ではっと意識が戻ってそれと同時に動画を撮らなくてはという衝動が突然湧き、スマホを起動し撮影開始のボタンを押した。タイミングを全く意識しなかったが後で見たら『ワンダフルワールドエンド』の終りかけという妙なタイミングで撮影開始していた。それで『最終公演』の伴奏が始まった。ずっと聴きたい曲だったし大阪でも大分でも聴かなかったからドキリとした(ツアー中一度も歌われていなかったことを後で知った)。大森さんが曲の順番を予め決めていたか分からないが『ワンダフルワールドエンド』から『最終公演』の流れの、ギターの音がとてもよかった。どうよかったか説明する知識が私にはないのだが、すっと水が流れるように移った感じだった。それから、大森さんが小さな声で「最終公演」と曲名を言い放った時のカッコよさはこの日一番だったと私は思っている。その一言で「今日がツアーの最後なんだな」と改めて感じた。


『PINK』の台詞部分がいつもと違うように感じた。残念ながら一字一句書き起こせないが、大森さんが今の胸の中にあるものを客席一人一人に向けて吐血あるいは嘔吐しているような感じだった。私はその返り血を浴びた。浴びていると、このライブ中というかツアー中に自分の身体から抜けて出て行ったものが戻って来るような感覚がじわじわしてきた。でもそれは出た時と同じ温度ではなかった。曖昧な表現で分かりにくいが、一度大森さんの中に潜って体内清浄された感じというか。もちろんまだ汚いところは残っているけど部分的に洗われていたり粘土のように捏ね直されたような。名古屋公演でも台詞部分が音源とは違ったようだけどきっと同じではないだろう。『PINK』はアルバム『MUTEKI』に入れてほしかったが入っていなかった。この曲に関してはライブでやりたい(推測)など大森さんが考えていることがあるのかもしれない。だから私は変化する『PINK』を可能な限り自分の足を運んで聴き続けたい。


『魔法が使えないなら』で「音楽とは何だろう」と魔法陣を見つめながらぐるぐる頭を巡らせていた。曲が終わると真っ暗になったが終わったという実感が全くなく拍手ができなかった。周りもそんな感じだったのか拍手の音が聞こえなかった。すると大森さんが自分で曲が終わってからあまり間を置かずに「アンコール!アンコール!」と言ったため、やっと終わりだったことに気付いた。すぐに明るくなり大森さんが「ペンライトを使いたいのでこの曲を」と言い始まった『ミッドナイト清純異性交遊』。前の方だったので無数のピンク色の光が会場中に浮かぶ光景は見られなかったが後方から観たらきっと美しかっただろうなと自分や周りのピンク色を眺めて感じていた。


最後はおなじみの一斉リクエストの後、二宮さんのリクエストで『お茶碗』。このやり取りは別府でも大阪でも見たが、本当に好きな光景で何度でも観たい。大森さんと二宮さんの信頼関係や大森さんの二宮さんへの愛を想像して心がぎゅっと絞られるような気持ちになる。座席の位置的に、開始からずっとステージの下で二宮さんが大森さんを撮影する様子が目に入っていた。二宮さんの普段のぼんやりした(失礼)感じとは違ってそのカメラの構え方はミリ単位で調整されているように感じた。当たり前だがプロだなと思った。観客席に私がいて、ステージの下に二宮さんがいて、スタッフさんがいて、ステージ上に大森さんがいて、ナナちゃんがいて、その後ろに魔法陣があって、その後ろに音楽そのものがあって、あらゆるものが結集して大森靖子という一人の人になっている感じだった。その一人と私が向き合っている。

 

終演して大森さんがステージから去った後、私はスマホを握りしめて新衣装を召したナナちゃんのところへ走って行った。普段ライブ後はしばらくぼーっと座ったままでいることが多いのでよく動いたなと自分でも思っている。それも何かが体内に回帰したからかもしれない。近くで見るナナちゃんは迫力があり、魔法陣を背負って近未来からきた救世主という感じだった。床の魔法陣にその時初めて気が付いた。何枚か写真を撮り、もっと見つめていたかったがナナちゃんは人気があるから他の人の邪魔になってはいけないと急いで退散した。


荷物をまとめた後、恐らく見切れるからという理由でチケット番号が与えられず空席にされていた前方右側の座席が縷縷夢兎の臓物やぬいぐるみで飾られているのを見学した。生で見たのは初めてだったので、これがあの臓物かと感動した。写真が上手く撮れそうになかったので出来る限り目に焼き付けた。大森さんの身体から飛び出た吐瀉物(臓物やぬいぐるみ)が座席に零れてかかっているような気がした。私はその一部を食べてまた明日から生きるんだなと思った。訳が分からないし的確な表現と言えないかもしれないがあくまで個人的な感覚の話である。


会場を出たらこの日会いたいと思っていた数人に偶然会うことができ、この会場規模でも会いたいと思えば会えるものだなぁとしみじみ考えて嬉しくなった(会えなかった人もいるけど)。ロビーのお花を見学した後、チケットを最初に見せた場所でチラシを受け取った。次のツアーの案内だった。ツアーの場所を見た瞬間、個人的な理由で取り乱して一瞬ライブの記憶が飛んだ。夢が現実になる予告がそこに書かれていた。周りにいた人には迷惑をかけただろうなと反省している。その嬉しさは自分だけのものだからそっと包み込むべきなのに抑えきれず撒き散らてしまってすみません、の気持ち。


寒さに耐えられず次のツアー最速先行チケットの購入列から離脱した後、名残り惜しくも会場を後にした。このファイナルだけ3年前私に大森さんを教えてくれた人と連番だった。打ち上げをする予定をしていなくて、お酒を飲まない人だったしそういうの嫌かなと思っていたから、一人でどこかで飲んで帰ろうかなと思っていたところ何となく付き合ってくれることになった。嬉しかった。中野の焼鳥屋に入って(私だけ飲んで)、キャベツを齧りながらライブの感想を言い合ったり、次のツアータイトル「COCOROM」の意味について議論したり、曲について話してから電車に乗って帰宅した。家に着いてから3時間くらいコートもマフラーも脱げなくて、外にいた時の恰好のまま床に座って放心したり思い立ったように感想をメモしたりした。そうだ久しぶりに大森さんにDMしようと思い打っていたら寝落ちして、起きてお風呂に入ってからまた床に座ったまま限定グッズを眺めたりした。あっという間に明け方になったのでとりあえず眠ろうと思って布団に入った。息子がすやすや寝ていた。暖かかった。


次の日もその次の日もライブの記憶に埋もれつつ日常をやり過ごし、ぱらぱらと他の人の感想を読んだりした。長文の感想はなるべく読まないようにした。それから一週間以上かけて少しずつこの文を書いた。まとまった時間が取れず途切れ途切れに書いたので、打ち込む度に気持ちが変わってその度に書き直した。そんな中、「chu chu プリン」をリクエストされた方がお亡くなりになったと知った。面識はなかったが何となく姿はお見かけしたことはあった。昨年東海ラジオのリアタイをしていた時に「いいね」をし合った、それが唯一の私のその方との接点かもしれない。それくらいしかないけど、自分がもしこの方だったら、と過剰なくらい自分に当てはめて考えた。それでこの感想を綴るのも止まってしまった。書けなくなった。代わりなのかは分からないが何かを埋めるように普段に比べて頻繁にツイートをした。


感情がぐちゃぐちゃの中、あるきっかけがあり、やはりこの感想を最後まで完成させなければならないという気持ちになった。誰かのためにではなく自分で後で見返すために。亡くなった方がなぜあの場であの曲をリクエストしたのか知りたいと思い恥ずかしながらちゃんと聴いたことのなかった「chu chu プリン」をダウンロード(苦手だけど本気出してやった)して聴いた。美しい曲だった。何度も繰り返して歌詞を書き起こした。歌詞を読んだ。どんな方だったんだろうなと考えた。どんな天気が好きでどんな色が好きだったんだろうとか、大森さん以外のことも考えた。これから知ることはないが、今生きている自分はこれからもっと本気で生きようと思った。「本気で生きる」とは曖昧で無責任な言い方だが、楽しいことも面倒なことも今頭に思い浮んでいる願望やこうしたいという目標をちゃんと自分の手で形にしていこうと思った。大森さんのライブに行くこともその一つである。できるかどうかは別として、真っ直ぐ進めるかどうかは別として、意思を持つことにしようと決めた。


今、冷蔵庫には給食の献立の横にCOCOROMツアーのチラシが貼ってある。裏に魔法陣が描いてあることに数日前に気が付いた。魔法陣の下に「NO MUSIC NO MAGIC NO MUTEKI」と書いてある。コンマはないけどそれぞれ改行されているので、タワレコの「NO MUSIC NO LIFE」と同じように考えると、’If there is no MUSIC, there is no MAGIC nor MUTEKI.’即ち「音楽がない魔法やMIUTEKIなんてない」あるいは、MAGICとMUTEKIが並列でなければ「音楽がない魔法なんてないし、魔法がないMUTEKIなんてない」という意味なのかなと考えた。そもそも一つの文でなく、NO~が独立している可能性もあるが音楽がないと魔法も起こらないし何も始まらないんだよという意味に捉えた。また、「魔法」と「MUTEKI」がアルバムタイトルを指しているとすると「音楽」つまり「音を生む」という概念がないとアルバムを作ってライブをすることもないんだよ、という風にも取れた。


MCで「ここにいる人は笑うのが苦手な人達」と言ってくれたのが嬉しかった。うまく笑えなくても朝が来て夜が来る。冬が終わるとやがて春が来る。私の日常はまだ続くし、大森さんの音楽もまだ続く。