(続)海の音

雑念のメモ

嗚呼、プリント倶楽部

プリクラが「プリント倶楽部」の略だということを今の若い子のうち何人が知っているだろうか。

先日、十年以上ぶりにプリクラを撮った。友達の親子と息子と一緒に。その時の嬉々とした気持ちは日記に書き留めたが、プリクラについて異様なほど思いが溢れてきたため、私のプリクラ回顧録とともにここに書き記すことにした。

プリクラ、プリント倶楽部はそもそもいつ生まれ、誰が考えたのだろうか。歴史的なことはググれば出てくるかもしれない。記憶している限り、私の周りでは小学校中学年くらいで初めて登場した。プリクラ帳(実家にあるか、おそらく家族に勝手に捨てられてしまっている)の一番最初に貼られていたおそらく私が初めて撮ったプリクラは個別にめくれる、角の少し丸い小さい長方形のシールが16枚から20枚程度並んで印刷されているものだった。一回の撮影で撮れるバリエーションはひとつか二つ。証明写真のような仕組みで、後ろに色のついた幕があった。画面上には意匠がよくわからない装飾的な草花や端にキャラクターがいる簡易的なフレームだった。

そのキャラクターは今でもはっきり覚えている。角が二本生えたような紫色の帽子を被ったピエロ(道化)だった。おそらくメーカーが考えたキャラクターだろうが、なぜピエロなのかいつも不思議だった。動物や女の子に比べて普段親しみのない、やや不気味なピエロが自分の人生に新たに登場したプリクラという概念を特別なものにしていた。幕の前に立ってお金を入れると、いきなり「プリント倶楽部~!」と(多分)ピエロの陽気な声がした。異界への誘いである。クラブではなく倶楽部と漢字で表記されている点も、秘密結社に潜入するような気持ちになるから、個人的には重要だった。

登場時はおそらく複数人数で撮るという概念がなかったので、一人で台に立ち真顔でじっと目の前の画面を見つめていた。証明写真を撮る時と同じような感じ。人生で一番最初に撮ったプリクラは自分が一体どこを向いたらいいのかわからず戸惑っている間に撮影終了、という表情だった。フレームに重なって顔が一部隠れている。良い画像を選ぶ権利はこちらになく一発撮りのような感じだった。その何とも言い難い真顔の自分が印刷されたシールを印刷口から受け取った時、他にはないような嬉しさがこみ上げたのを今でも覚えている。

お金を入れて完成するまで証明写真の仕組みと似ているが、プリクラが証明写真と決定的に違うのは、特に使用が求められる用途がないのに自ら進んで撮影台に行き、わざわざ自分の顔と向き合っていることだった。特に何かに使うための写真でないから真顔でもいいし、笑っていても変顔をしてもいい。自分の望む自分をさらけ出すことができる。思い当たるとすれば、家で一人で鏡を見ている時間に似ている。ピエロを通じて異界に入り、自分のまだ知らない自分に出会って快感を覚える、これが私にとってのプリクラだった。もはやエンターテイメントを超えた儀式、もっと言えば自慰行為であった。

プリクラは流行に伴い数年のうちにどんどん進化を遂げ、顔出しパネル的なフレームや最初から写真が組み込まれあたかも芸能人と並んで写っているかのように撮れるフレームもあった。安室奈美恵のプリクラを撮ったのをよく覚えている。黒いタートルネックを着た茶髪の安室ちゃんと芋臭いトレーナーを着た小学生の自分が並んでいる写真は異様だったが田舎にいながらにして有名人に接したような謎の興奮を覚えた。安室ちゃんの写真と自分の写真の画質が違うのが異次元と結ばれている感じがした。ピンプリ、と今は呼ぶのか一人撮影が基本だったが次第に複数人数での撮影を前提にしたものが多くなっていった気がする。

撮ったプリクラが溜まってくるとそれらを手元に置いておいても仕方ないので最初はきょうだいや親戚と、次に学校や塾の友達と交換するようになった。プリクラ帳(プリ帳)と言われるプリクラを貼るためだけのノートがファンシーショップに売り出され始め、空白を埋めるように順番にきれいに貼っていった。自分やきょうだいや友達の一人写真、自分と友達の写真、知っている友達と自分のまったく知らない誰か(友達の友達)が並んでいる写真、それらが並んでいる光景は今から考えたらなかなかシュールだった。それぞれから飛び出した自意識が交わることなく並んでいた。

中学生になると、放課後友達とプリクラが置いてあるジャスコやサティまでよく撮りに行った。首から上だけ写る証明写真のようなスタイルは次第に廃止され、箱のサイズは大きくなり全身が撮れるプリクラ機が取って代わるようになった。そしていつの間にかあの帽子を被ったピエロは姿を消した。

中学の終わりか高校生くらいになると、今のプリクラ機と変わらない、ラクガキのできるものが登場した。最初のペンのあまりにも書きにくかったこと。画面とペンの接触が悪く、やきもきしているうちに制限時間がきてしまうのはよくあることだった。ペンどころか、指で書くのもあった気がする。撮る時は片手を斜め前方に伸ばして掌を広げて見せる当時のギャルポーズ。あのポーズはなんだったのだろうか。あとはプリクラ機のビニール幕に印刷されているモデルに憧れたりした。

休日に学校の誰かと遊びに行くとプリクラを撮るのはお決まりだったし、平日も放課後や塾に行く前に制服で撮った。教室ではそんなに仲良くないけど一方的にかわいいなと思っていた子がいた。私はその子と同じ進学塾に通っていた。その女の子と何かをきっかけに塾がある日限定で仲良くなり、一緒に塾までの時間をつぶすことが多かった。学校を出てから、「プリクラ撮ろうよ」と急に言われた時のドキドキを今でも覚えている。教室ではグループが違うのであまり話さなかったその子と本当は話したかったし関わりたかった。だから嬉しかった。そういう意味で「プリクラ撮ろうよ」は私にとって「友達になろう」より強い言葉だった。「私の顔=自意識、見せてあげるよ」と言われている感じ。そういう特別なプリクラを他の子に見せたりあげると「この子とプリクラを撮る仲なのか」とライバルに嫉妬されないか余計な心配をしてできれば隠しておきたかった。

恋愛からほど遠い学生生活を送ってきたし男友達もいなかったので、残念ながら私には異性と二人でプリクラを撮った経験は一度もない。ないが憧れだった。同じ学校に彼氏のいるヒエラルキー高めの女の子が昨日一緒にプリクラ撮ったよと別の友達に話しているのを漏れ聞いて、ああいいなと羨ましかった。異性だろうが同性だろうが好きな者同士の二人がプリクラを撮るのはセックスと同等の行為だと今でも思っている。だって二人で同じ空間に入って同じカメラを向いて、撮影される0.何秒間を共有するって、あまりにもぞくぞくする。私はもう若くないが、この先本当に好きな人に出会ってその相手が一緒にプリクラを撮ってくれるとしたらきっと嬉しい。でも第一にもう高校生でないから恥ずかしいし、このプリクラへの捻じれた想いを一言で相手に説明するのは容易ではないからあえて言わないかもしれない。

先日、友達のおかげで十何年ぶりにプリクラを撮ることができた。その友達がいなければあの機械へ入る勇気がなかったので感謝している。撮影してみてわかったのは、最近は数年前からネットでよく見かける、目が大きくなったり美肌美脚になったり「盛れる」プリクラの流行が一旦落ち着き、できる限りナチュラルに(しかし素のままではなくほんの少しだけ盛れて)撮れるものが主流のようだ。「盛れる」のを売りとしたプリクラ機はわりと空いていた。私は撮ること自体が目的でどんな風な撮れ方でもよかったので空いていた機械で撮ったら目がキラキラになって友達と大笑いした。若い子はナチュラルを謳う機械に多く並んでいた。

SNSにあげる若い子が多いから撮ったデータはスマホに転送できる。盛れすぎたプリクラは実像から遠ざかっているからプリクラを自画像として掲げるのは反則あるいは虚像だと承知の上での認識なのかもしれない。データ化やプリクラ画像をめぐる概念は、私の若い頃からは想像もできなかった。時代に合わせてプリクラは生き残るために進化して、それに伴う文化や考え方もどんどん変化している。

それでも「自分の顔や姿を閉じられた空間に身体を預けて撮る」という根本的な仕組みは昔と何も変わってない気がする。一人で撮ろうが誰かと撮ろうが、あの機械音声に煽られて表情やポーズを作る撮影の瞬間、誰もが自己と向き合って今まで出会ったことのない新しい自分をさらけ出す。ラクガキしながら、自分にはこんな顔があるのかと気づく。印刷口から出て来たプリクラを見て、現在進行形で生まれた新しい自分に出会う。居酒屋の暖簾をくぐるようにビニールの幕をめくって箱の中に入って撮影し、異世界から出てクールダウンしつつ完成を待つという一連の行為がもたらす自慰後のような爽快感はあのピエロのプリント倶楽部時代から今もずっと継承されているのではないか。私は少なくともそう思っている。自撮りやカメラ撮影とはまるで違う。もっと閉鎖的かつ他動的で、自分の力ではない何かの力に突き動かされている感じ。

プリクラが日本特有の文化なのかよく知らないが、他には代えがたい特殊な文化が進化しつつも消滅することなく存続して、己と向き合う興奮を若者やかつて若者だった人たちに与え続けてくれたら嬉しいなとひそかに願っている。

三十路の回顧的一人ごとおわり。

よしお兄さんりさお姉さんありがとう

時代が遷り変わるように始まったものにはいつかきっと終わりがやってくる。当たり前のように側にいると思っている人がずっとそこにいるとは限らない。そろそろかなと番組を観る度になんとなく覚悟をしていたため、あまり驚かなかったが日を追うごとにじわじわと実感がわいてきた。何の話かというとよしお兄さんとりさお姉さんの話。「よしお兄さん」こと小林喜久さんと、「りさお姉さん」こと上原りささんががこの3月でEテレの『おかあさんといっしょ』を卒業する。

4年半前に息子が生まれてから、自分の幼少期以来、数十年ぶりに『おかあさんといっしょ』を観る生活が始まった。最初はこの番組を観よう!と強く思って観たわけではない。息子が生まれたのは秋の終わりだったのですぐに寒い冬がやってきた。日中近所のスーパーに買い物に出かける以外は朝から晩まで息子と二人きりで家の中に閉じこもっていることが多かった。会社にもいかず友達に会うこともなかったため、外の世界がどうなっているかあまりわからなくなるほど孤独だった。息子は起きている時には常に泣いているような子だった。寝かせるのがとにかく大変だった。眠いのに眠れなくて泣いているが背中には高機能センサーが搭載されているらしく、よし寝たと思って布団に寝かせようとすれば世界の終わりのように泣き叫んだ。抱きながら部屋の中を歩き回り、抱いたままカップラーメンやパンを食べた。終わりがないような孤独な一日が始まる朝、延々と黄昏れ泣きをする夕方、暗がりで電気をつけるような感覚でEテレにチャンネルを合わせた。

黄色い洋服を着たよしお兄さんがブンバボンという歌で踊りながら次々動物になったり、大道芸風のオレンジの衣装を着たりさお姉さんがパントをしていたり、二人がこどもを持ち上げたりしてお弁当を作る歌で踊っていた。子ども番組なので当たり前とはいえ、一ミリも嫌な顔を見せることなく活力に溢れた二人の身体の動きや表情をぼんやりと目で追った。明るいスタジオ、着飾った子ども達、笑顔のお兄さんお姉さん、負の要素が一切ない明るく前向きな歌、私がかつて愛した「にこにこぷん」とは全く造形が違うがなんとなく名残はあるような三人組のキャラクターがいるテレビの中の世界は、息子が泣き続け洗い物がシンクに溜まっている散らかった部屋とは何千里もかけ離れているような気がした。ここからは辿り着くことはできない笑顔に溢れる桃源郷

でも彼らは決して手癖でやっているようには見えなかった。二人を毎日繰り返し見ていたら、自分より年上であろうよしお兄さんや自分と同年代くらいであろうりさお姉さんが、絶対的な使命感に駆られて「よしお兄さん」「りさお姉さん」であることを守り抜き、踊って跳ねているようにも見えた。ああやって笑っているけど、裏では風邪を引いて体調を崩していたり悩んでいることだってあるかもしれない。そう思うと、ここも向こう側も同じひと続きの世界で彼らも私も同じ人間なのだと感じた。あぁ私もこの子とがんばって生きないとな、とこの世の終わりがやって来たかのように泣き続ける我が子をあやしながら考えたものだった。

赤ちゃんの頃は最初は目を丸くしていただけの息子は今やテレビで観る度に恋かと思うほど「よしおにいさんかっこいい…」と目をかがやかせお兄さんに憧れ、踊りを真似したり、誰からも教えてもらっていない独学の前転を布団の上で練習するのに日々励んでいる。ある時、踊るお兄さんを観ながら「よしおにいさん、もうすぐいなくなるんだって…」とつぶやくと「えっなんで?いなくなるの?」とサイは驚いていた。「あ、いや、いなくならないけどね、これには出なくなるんだって。でもまたどこかで観れると思うよ。」と言うと分かったような分かっていないような感じだった。それ以来、ふとした時に「よしおにいさんいなくなるの?」と何度も聞かれるので、彼なりに気にしているようだ。

テレビの向こうでよしお兄さんやりさお姉さんがあんな風に笑ってくれていたから、熱々のエビフライを揚げてくれていたから、なんか今日は難しいこと考えるのはよして散歩でもしようか、と思う日がたくさんあった。番組で二人の姿を観れなくなるのは寂しいけれどこれからもまたどこかで会える気がする。ありがとうございました。

はじめて大森靖子さんに出会ったときのこと

初めて大森さんのことを知ったのは2014年の春。今もだが、その頃の私は今よりもずっと音楽に疎かった。山口百恵ビートルズを好んで聴いていたが、歌番組で聴いたり有線から耳にする曲をなんとなく知っているくらい。音楽のことが何もわからなかった。過去ではなく今、歌っている人で好きな歌手は特にいなかった。ある時、そういえば中学の時に流行っていたモーニング娘。って今も活動してるのだろうか、とネットで検索したことをきっかけにモーニング娘。を好きになった。6畳ワンルームの部屋で、暗くなるまでMVやライブ映像を漁るように観続けた。

好きが止まらずモーニング娘。’14の話を職場で仲の良い先輩によくしていたら、「大森靖子さんって知ってる?道重さんのことが好きな人なんだけど」と先輩は二枚のアルバムを貸してくれた。それから、「MVにユイちゃん(橋本愛)が出てるから観てみて」と付け加えた。その少し前、わたしたちは朝ドラ『あまちゃん』に熱中していた。今から考えれば運命的というのだろうか。私がモーニング娘。を好きになっていなかったら、大森さんが道重さんを好きでなかったら、橋本さんがMVに出ていなかったら、私は借りたCDをそのままにしていたかもしれない。

大森さんの音源を初めて聴いた時の第一印象は、わからない、だ。でもそれは自分にとって良いことだった。人でも物でも昔から分かり易いものより、分かりにくいと感じるものに惹かれる。分かろうと近づく過程が好きだ。大森さんの音楽が分かりにくいというわけではなく、私が音楽に疎いというそれだけだったのかもしれない。先輩に借りた『魔法が使えないなら死にたい』と『絶対少女』に入っている曲は他の何とも比べることができない、今まで聴いたことのない音楽だった。キティちゃんの白いところ 6Bで塗りつぶす…?ディスったやつの家にバラの花束を毎日送る…??それは一体どういうこと…?頭の中は疑問符だらけだった。でも繰り返し聴いているうちに、皮膚を細い針で突き刺さされ、何かが身体の奥深くに入り込んでいくような感覚を覚えた。単純にこの人のことをもっと知りたいと思った。恋の予感みたいだった。ドキドキした。特に『音楽を捨てよ、そして音楽へ』を聴いた時、これこそ私がずっと聴きたかった曲に違いないと震えた。これまでの人生で音楽に近づくことができなかった私は、この曲を聴いて初めて歌とは何か、音楽とは何か考えた。

ライブなんて怖い場所だと決めつけていた私が現場に行くまで、それから2年も要した。2016年3月。『TOKYO BLACK HOLE』が発売され、買って聴いているうちに、どうしても生の音が聴いてみたくなった。ツイッターをやっていなかったので情報を得る手段が公式サイトしかなかった(と思っていた)。会社の昼休みに大森さんの公式サイトを見ると、無料のリリースイベントがあることを知った。ライブハウスは怖いけどCDショップでやる無料のイベントであれば勇気を出せば行けるかもしれない。リリースイベントのことはモーニング娘。を追っているとそういうイベントの存在をなんとなく知っていたが、行ったことは一度もなかった。知ったのが遅く、『TOKYO BLACK HOLE』発売記念のリリイベはほとんど終わっていた。でもよくみるとなんと明日、池袋で最後のリリイベがあるらしい。まだ間に合う。行かなかったらきっと後悔する。

翌日、2016年3月30日。退社後、ドキドキしながら池袋へ向かった。息子が生まれてから夜外出するのは初めてだった。イベント前にHMVが入っているEsoraの一階でホットドックを食べたが緊張でほとんど喉を通らなかった。何時に行くのがベストなのか要領を得なかったので、開始時間の1時間ほど前にお店に着くと、既にイベントに参加するであろう人がちらほら集まっていた。まだ始まるまで時間があるなぁと思ってぼんやり突っ立っていたら、店の奥に設置されたステージに大森さんが現れた。大森さんは黒地にピンクと白が配色されたワンピースを着ていて、ステージの後ろに立てられたHMVのロゴが並んだパネルの色と合わせたのかと思うほどみごとに調和していた。自分が思っていたよりもずっと鮮やかなピンク色の髪。色白で驚くほど小さい顔に見とれる。突然の登場に混乱していたら、大森さんはギターをかき鳴らし歌い始めた。揺れるピンク色の髪。力強く弦を弾く白い指。美しかった。数曲弾き語りで歌われた大森さんはまたその場から立ち去った。リハーサルだったことを後から知り驚いた。ともさかりえの『カプチーノ』など8曲ほどカバーで歌われていた気がする。

時間が近づくにつれ、人がどんどん集まってきた。開始直前、券を持っている人は前方の優先エリアに通されていた。券を持っていない私は優先エリアの後ろの無料エリアの一番前に立っていた。目の前の優先エリア最後尾に黄色い服を着た背の高いイケメンが立っていた。この人は私よりずっと大森さんのことを知っているんだろうな、などと考えていたらまもなく大森さんが登場され、いきなり歌い始めた。一番最初は一番聴きたかった『TOKYO BLACK HOLE』だった。あの伴奏を聴いた瞬間の体内中の血がいっせいに駆け巡るような高揚を忘れない。ギターの音が強く身体に響いてきた。それから歌声が矢のように自分に向かって真っすぐ飛んできた。身体の奥がえぐられていく。えぐられてかき回されてドロドロになった自分の内臓が口から飛び出すような感じがあった。

1時間ほどでリリイベは終了した。無料だしニ三曲聴けたら嬉しいなと思っていたので、今から考えると有料のライブかと思うほど曲数も多く、MCもたっぷりで濃いイベントだった(iphoneに残してあるセトリメモを見たらなんと13曲も歌っていた)。内臓が飛び出して空っぽの胴体を抱えたまま、放心状態で店を出た。帰りの電車に揺られながら大森さんは歌に対してすごく真剣な方なんだなと考えた。好きな歌手の歌を生で聴いたという、生きてきてほぼ初めての経験に興奮がおさまらず、家に帰ってからも歌詞や歌声、目に焼きついた髪の鮮やかなピンク色について何時間も思い返していた。そして真夜中、ファンクラブに入会した。誰かのファンクラブに入るのも生まれて初めてだった。

あれから三年。今もずっとドキドキしている。人が何かに新しく出会う時、それはただの偶然かもしれないし巡り合わせかもしれない。それぞれに誰にも介入できない物語があり、人生はそれを積み重ねながらうねるように進んでいく、と最近よく感じる。毎年この時期、あの日あの場所で聴いた『コーヒータイム』を思い出す。春はまたくる。

8767日

阪神大震災から24年経ったらしい。らしいというのは何年経ったか正確にわからなかった。ニュース記事を読んで「そうか、そんなにか」と実感した。

神戸新聞の記事の冒頭に「8767日。あの大地の揺れから、私たちが歩んできた日数です。あなたは1日1日を、どのように過ごしてきましたか。」と書いてあった。どのように…。どのようにと問われてもただ目の前で起こる出来事をやり過ごしてきただけです、としか言えない気がする。この類の質問が苦手だ。「あなたは大学時代どのように過ごしてきましたか」「あなたは入社してからどのように過ごしてきましたか」容易に言語化して他人に答えられる問いではない。8767日の間、私は一体何をしてきたのか考えた時に、小中高、大学、就職、結婚、出産、離婚と驚くほど多くの転期を迎えている。にも関わらずどのように過ごしてきたかうまく説明できない。ただ目の前にやってくることを時に何も考えず、時に逃げるように選択してきただけだ。そこには主義も思想もなくただやってきた、それだけである。だから就活でどのように過ごしてきたかなんて怖い顔で問われてもうまく答えられなかった。集団面接で隣に座った学生が「海外留学を頑張りました」「ボランティアで精を出しました」などと就活攻略本に載っている模範解答を真っ直ぐ前を見据えて答えていた姿が眩しかった。彼らを真似て無理矢理何かを「頑張った」ことにして面接官に言ってみたりしたが、面接後嘘をついた自分に対して激しい嫌悪感を覚えたしそんな風だから受けた会社はことごとく落ちた。結局ゼミの先生の知り合いがいた今の会社に潜りのように入れてもらった。東京でまさか働くことになるなんて思わなかった。全てが受動的だ。後から振り返って頑張りましたと主張できることなんて私にはひとつもない。いや頑張ったといえば頑張った時もあったかもしれないが他人に明確な自信を持って言えるものなのかという疑念が付きまとう。

たとえどう過ごしてきたか説明できずとも8767日は確実に過ぎていて、今がある。それが揺らぎない事実であり、時間の経過というものだ。一方で8767日の時間を過ごすことなく24年前の1月17日に亡くなった方は大勢いて、私は助かったがそれは単なる偶然であの時ひとつ隣の駅に住んでいたら今ここにいなかったかもしれない。あの日生きられなかった人と生き残った人の境目なんて何もなくきっとあみだくじの当たり外れようなものだ。誰にも選べない。震災関係の記事でよく見かける、あの時亡くなった家族がもし生きていたら今は何歳で、という文を読むたびに「おまえはその娘が生きられなかった年月一体何をしてきたのか」と問われているようで苦しくなる。震災後、一か月ほど経って登校した学校で先生に言われた「亡くなった方の分まで精一杯生きよう」とか「生き残った者が前を向くことが亡くなった人のためになる」という言葉に違和感を覚え吐き気がした。亡くなった方と自分の人生は全く別の切り離されたものであり、残された者が亡くなった方のために生きるなんてそれはおかしいような気がする。ただ、最近思うのはあの時死を逃れて今生きている私はこのステージに立つことを自分のために守り続けなければいけない。私があの日人生を終えて、代わりに記事に書かれていた亡くなった女の子、明るくて家族思いで将来の夢があった女の子、が8767日の時間を過ごした方がもっと社会的に価値あるものがそこに成立していたかもしれない。でもそういう考え方だけはしたくない。そんなものはいないが人の生死を分ける神様か何かがいたとして、「おまえの人生は意味がないからもうここで終わりで良い」「君は見込があるから生きてよい」なんて審判するとしたら傲慢で不公平だ。

頑張ったと言えなくても生きてきたという事実がある。人が積み重ねてきた年月をどのようなものだったのか判断するのは他者ではなく本人であり、それは他の何とも比較できず良くも悪くも過去には戻れないし今があり今もこの先に繋がっている、というただそれだけだ。息子と二人で暮らし始めてからただぼんやりと生きているわけにもいかなくなった今、前以上に病気や災害に怯えるようになった。人の死や病気を耳にするととても他人事とは思えない。私が突然どうかなり息子がたった一人残されたらと思うと夜眠れなくなることもある。

少し前に一人で自転車に乗っていた時猛スピードで角を曲がって来たトラックに衝突しそうになった。こんなに死を意識したことは過去にないというくらいスレスレだった。あと1秒早かったら衝突して大量出血か脳をぶつけて死んでいただろう。その瞬間、意外にも恐怖や抵抗はなく、あっダメだ…という諦めに近い感情があった。案外そうやって死は訪れるのだろう。張り巡らされた目には見えない電気網を掻い潜るように生死の境目をそっと跨いで今日も歩いている。こんな歳にもなって24年前と同じように将来に対する野望さえ持ち合わせていないが、今はまだ生きていたいと思う気持ち、好きな人や物と共存していたいという意思でぎりぎり生きながらえている気がする。

これからの8767日がどのようになるかそれは全然分からない。幸せかもしれないし、とんでもない不幸が訪れるかもしれない。でも息子が笑った時のたまらなくなる嬉しさ、好きな音楽や絵に触れた時の締め付けられるような感情、空や花の無条件の美しさに対する心のざわめきに私はまだ未練があるからその未練を毛布がいつまでも手放せないライナスみたいに引きずっていたいとは強く思っている。春がきたらあの芝生でビールを飲みたい、好きな漫画の続きが読みたい、好きな人に会って話したい、パフェの新作が食べたい、仮面ライダーの次回が待ち遠しい。そんな煩悩に生かされている。

かわいく生きるとは ー 超歌手 大森靖子『クソカワPARTY』TOUR 大阪公演@BIG CATに行って感じたこと

以下は思いつくままに感情を羅列した主観的な記録である。だからきっと人が読んで共感するようなものではない。いつもこんな形でしか書けない。でも書きたかった。

2018年12月7日、「超歌手 大森靖子『クソカワPARTY』TOUR」大阪公演に行って来た。場所は心斎橋BIG CAT。大森さんのライブへの参加は9月の別府の海地獄で行われた『超地獄』以来なので三か月ぶり、バンド編成だと6月の『COCOROM』神戸公演以来約半年ぶりの参戦であった。その二回以外、接触ができるファンクラブイベントはもちろん他の大森さんが出演されているライブにもイベントにも参加していないので大森さんに会いたいという気持ちがぐつぐつに煮えたぎった噴火直前の状態で当日を迎えた。

楽しみでわくわくするというより今の自分の状態で大森さんに正面から向き合えるのか、不安で吐きそうだった。会場のBIG CATがあるBIG STEPはそういえば中学生の時によく買い物に来たが、緊張のあまりノスタルジーに浸る余裕はなかった。BIG CATまでの階段には開場を待つ若い女の子達がひしめき合っていて、一体どこからこんなにたくさんの美少女達が集まって来たのだろうと怯んだ。皆ツアーグッズの赤いナナちゃんTシャツや他の大森さんのTシャツを着ており、まつ毛の一本一本まできれいで、髪は乱れがなくよく手入れされているようだった。SNSで定期的に目に入る自撮写真から飛び出てきたような女の子達が実際目の前にいて話したり動いていることに眩暈がし、女の子特有の匂いにむせ返りそうになった。この感覚、以前纏纏夢兎の展示に行った時にも感じた。東京ではもっとおじさんもいた気がしたが一体どういうことだろう、と戸惑っていたら知り合いのファンのおじさんを見つけ、つい話しかけてしまった。話していたら少し眩暈が収まった。おじさんと呼ぶのは失礼だが、ここでは救われたという敬意をこめてあえて「おじさん」と呼ばせていただく。

自分はもう若い女の子ではない。「かわいい」の領域から程遠い場所に立っており、そもそもこんなボロボロな状態でライブに来てよかったのだろうか、あの子達のようにかわいくない自分は今日のライブを聴く資格がないかもしれないなどと勝手に暗くなりながら会場内に入った。

入った途端、会場後方にぽつんと立ち入場する観客を出迎えるゆるナナちゃんを見つけた。タイミング的に一対一で向き合える状況だったが自己嫌悪に苛まれていたため、ゆるナナちゃんと触れ合うこともカメラを向けることもせず軽く会釈だけして通り過ぎた。ゆるナナちゃんに申し訳なく、なんでいつもこうなんだよと悲しくなった。そんな気持ちだったのでステージに本物のナナちゃんがいるのを見つけてもいつものようにテンションが上がらなかった。

ライブが始まるまでは不安に襲われながらずっとうつむいて目を閉じていた。周りがざわざわと会話する中、道重さんの『SAYUMING LADOLL~宿命~』のサントラが流れていた。私もSAYUMING LANDOLLに行った時に購入した。うつむいていたら『私の時代』が耳に飛び込んできた。「若い子には負けないWOWWOW」「上を向いても下だけ向いても私は私なんだ」の歌詞がたった今の自分に言われている気がしてはっとした。「そうか、私は今日ここに大森さんの歌を聴きに来たんだった。若い子に怯んでいてはいけない…」と心の中で自分に言い聞かせて顔を上げた。この曲を丸の内のコットンクラブで道重さんが歌うのを聴いた時の感動や道重さんの表情が思い出された。ここで道重さんのサントラ(道重さんが大森さんのツアーに行かれた翌日に書かれたブログで自ら「アルバム」と呼んでいたからアルバムで良い、と大森さんが言っていた)、を大森さんが流す意味など考えていたらサントラが鳴り止んでライブは始まった。

大森さんがステージに現れた。数か月ぶりに大森さんを見たからか、最初に抱いた感情は「あ?!かわいいいい!!!」だった。おそらく毛先を内巻きに巻いており、前髪は別府の時より少し短くなっていた。ハイライトを入れたのは知っていたが生で見たのは初めてだったので、ドキドキした。毛先のピンク色とよく合っていた。ライブだからアイメイクがしっかりしていた。遠い異世界から来た人形のようだった。大森さんってかわいいな…と何も今初めて知ったことでない事実に恍惚としていたら大森さんは「人生は~かわいくなきゃ生きてる価値なくない?」という『GIRL’S GIRL』の冒頭の台詞を言い放ち、伴奏が鳴った。その瞬間私の中で何かがはじけたが、それが何かわからないまま曲は進行していった。よく考えたら台詞は照明が点く前で、伴奏と共に点灯だったような気もするがその辺りの記憶が曖昧である。

初めてライブで聴いた『GIRL’S GIRL』はとにかくかっこよく、よく研がれた刃物のように歌詞の一つ一つがずぶずぶと身体に刺さってきて快感だった。終わって放心状態になっていたら休む間もなく『Over the Party』の伴奏。

このツアーでは全て終わるまではセトリを漏らすのが禁止されていた。これから参戦を楽しみにしているファンへの大森さんの配慮である。ツアーの時、自分が参加するライブまでなるべくセトリを見ないようにしているが、それでも目に入ってくることはある。それはそれで仕方がないが、できることなら何の前情報もなしにライブを観たいと思っている。どんな曲が歌われるのか、あの好きな曲は歌ってくれるか、『クソカワPARTY』の曲とそれ以外の曲がどれくらいの割合か、曲順はどうか、ライブ前に何度も考えた。『COCOROM』と違って、今回は(自分が)初めて聴く曲が多いだろうと身構えた。生で初めて聴く曲と思い入れのある何度か聴いた曲が混ざり合い生まれる興奮、これは絶対にライブでしか体感できない。

『GIRL’S GIRL』の後に『Over the Party』がくるというこの流れがとにかく良い。『GIRL’S GIRL』も『Over the Party』も感情が畳みかけるように吐露され、歌だが歌ではないような気がしてくる。叫びだ。性別としての女とは、女の子とは、若さとは、かわいさとは…いつも考えさせられる。『GIRL’S GIRL』の音源を最初に聴いた時、私は自身がそうであるからか「母親」や「子育て」というフレーズが気になった。

可愛いまま子育てして何が悪い
子供産んだら女は母親って生き物になるとでも
思ってんの? どっちがADULT BABY

私のかわいいと こどものかわいい
それぞれ尊くて何が悪い
全てを犠牲にする美徳なんていますぐ終われ
かわいく生きたい

『GIRL’S GIRL』

私は最近「かわいい」から程遠い場所にいる。毎朝の慌ただしさで化粧もまともにせず通勤電車に駆け込み、好きな洋服を買い物に行く時間はない。それゆえネットで買うが毎回失敗して返品するか押し入れに眠る。「可愛いまま子育てして」いないから「何が悪い」と主張する段階にすら立てておらず、最初聴いた時はこの歌詞が自分から遠い世界から聞こえる叫びのように眩しく感じた。大森さんはそうであるし、かわいくて美しいお母さんは世の中にいっぱいいる、でもそれを目指すことすら最近諦めている自分に嫌気がさすことがある。

2013年にリリースされた『絶対少女』に収録される『Over the Party』。この曲を初めて聴いた時、私はまだ二十代だったが三十代になった今、歌詞と自分の境遇を重ね合わせて聴くことが多い。「散らばった夢は全部捨てた」とはまさに今の私自身のようだ。結婚して子どもが生まれて多くのことを「捨てた」。それは必ずしも後ろ向きな選択ではなかったしそういうものだと割り切っていた。でも本当は「全部」は捨てきれていない。「かわいく生きたい」気持ちも心の奥に残骸のように残っている。現状「かわいく生き」られていないが、そうありたいと願う気持ちを彼方に捨て去ったわけではない。

『GIRL’S GIRL』の後に続けて『Over the Party』を聴いたことで、バラバラに描かれた線が重なって一枚の絵が完成するように私の中で大森さんがこの二曲を続けて歌った理由が何となくわかった。もしかしてこのどうしようもない希望のような意思こそが「かわいい」なのだろうか。『GIRL’S GIRL』がこれまでと違う見え方がした。『Over the Party』はあの時はよかったと悲観している曲ではなく、なれずに捨てた理想や捨ててしまった夢を超えて「進化する豚」として次のPARTYへ向けて突き進んでいく曲だ、とこのライブで初めて気づいたような気がした。

そして『TOKYO BLACK HOLE』の伴奏が始まった途端、先の二曲に重なる三つ目の線が現れた気がした。個人的な話だが、私が産休育休から復帰し働き始めた時に『TOKYO BLACK HOLE』がリリースされた。再び社会で働くことに不安を覚えつつ通勤中この曲を何度も聴いた。この曲がイヤホンから流れてくると今日も一日頑張ろうと支えられる。私は母親であると同時に会社員でもある。世間にはワーキングママ(マザー)の略で「ワーママ」という言葉があるらしく、自らをそう名乗っている人もいるが私にはどうにも眩しい。「仕事も子育てもどっちもがんばってます!」という活力が溢れ出ている気がするが、自問した時に私はいずれにおいても胸を張れない。十年も同じ会社で働いているのに未だに何をしているかよく分からない仕事が多いし、上司と度々ぶつかるし、電動自転車の充電を忘れて遅刻するし、有休は取りすぎてなくなるし、散々だ。それでも毎朝満員の通勤電車に乗って職場に向かう。休んでいる時間の方がずっと好きだが、息子と食べて行くためには働いて稼がないといけない。ただそれだけだ。毎日定時退社して保育園まで走っていくことに何の罪悪感も感じないわけではないが、私にはこうすることしかできない。ということを考えながら聴いていたら、ステージの大森さんと目が合った気がした。気のせいかもしれないがなぜか『TOKYO BLACK HOLE』で目が合うことが多い。それは私がこの曲で大森さんを真っ直ぐ見ているからかもしれない。今回のライブではバンドアレンジの関係か、包まれるような優しさよりも、士気を高められるような力強さをいつも以上に感じて目頭が熱くなった。

その状態での『ドグマ・マグマ』。伴奏で涙腺崩壊した。心の中で絶叫していた。私はずっと『ドグマ・マグマ』がライブで聴きたかった。「好きな歌をライブでやってくれたから死ねる」だ。同じことを言っている人が何人かいたので、『ドグマ・マグマ』ロスの人は一定数いたのかもしれない。大阪の深夜ラジオで初めて音源を聴いた時も、京都で初めて弾き語り演奏を聴いた時も、kitixxxgaiaツアーの冒頭で聴いた時も、煮えたぎったお湯に大森さんと一緒に浸かってそこから裸で飛び出していくような感覚があった。当然だが、大森さんはkitixxxgaiaの時に背負っていた花のついた大きな十字架はもう持っておらず、ステージ上には『クソカワPARTY』の鎌が置いてあった。それでも私にはあの十字架が見えたし、鎌が十字架にも見えた。神が背負う十字架と死神が振りかざす鎌。十字架は守り、鎌は攻撃するものだ。一見正反対だが守備と攻撃はセットだ。スポーツでもどちらかが欠けてはいけない。『クソカワPARTY』リリースを経て聴く『ドグマ・マグマ』はスター・ウォーズシリーズのように後から過去が提示されることでひとつの物語が完成するような壮大さを感じた。


心を一つなんて ふぁっく YOU

ふぁっく ALL にするから "戦争" なんでしょ

 

結婚別にしたくないし

満たされてるのに心配しないで
『ドグマ・マグマ』

これらの歌詞は今の自分に深くまで突き刺さって体内からドロドロしたものが溢れ出た。「アーメンさっさと」の時の照明が当たった髪を振り乱した大森さんが美しかった。そういえば大森さんはライブ中、十字架を背負っていた時のように鎌を持ち上げたり、観客に向けることはしなかった。鎌はただ横に置いてあるだけだった。触れることもなかった。その意味をまだ考え中だ。

システム一つ作るごとに

マイノリティ も作った罰として

大森さんはMCで「マイノリティってよく言いますけど、マイノリティなんてないですからね」と言われた。確かにその通りで、「マイノリティ」=「少数派」が元々存在するのではなく、そう定義されて初めて生まれる。そもそもある思想や生活様式を持った人を一括りにして名目を与えること自体、何か間違っているような気もする。

それから、『イミテーション・ガール』と『非国民的ヒーロー』で会場内のボルテージは更に上昇した。『非国民的ヒーロー』はなぜかの子さんとの情景の後ろに更に峯田さんと対バンした時の情景が浮かんだ。突き抜けるような明るさがあった。このままこの絶頂状態が続くのかと思った瞬間、MCになった。

大森さんが少し話した後、大森さんにひょいと持ち上げられたナナちゃんが話し出した。そこで「あれ?」と違和感を感じた。ナナちゃんの声を聴く機会はとても貴重だ。今まで二回くらいしか聞いたことがない。元気いっぱいに話すナナちゃんの声は私の知っている声とは明らかに違った。そこで初めてナナちゃんの声は大森さんでなく後ろからピエール中野さんが出していることに気づいた。「天使は性格悪くなきゃ勤まんない」の歌詞のとおり、大森さんが声を充てる時のナナちゃんは少し性格が悪そうでそこが良いと思っていた。大森さん以外の人が声を担当していることに正直戸惑ってしまった。ピエールさんのナナちゃんは私の知っているナナちゃんより饒舌で朗らかで明るい印象だったが、大森さんが自らナナちゃん役をせずピエールさんに託したことで、まるでEテレでお姉さんがニャンちゅうと会話しているような、大森さんとナナちゃんが個別に意思を持って会話をしている実感があった(あくまでその体であるから誰がナナちゃんの声をしているか考えるのがそもそも間違っている気がするが、大森さんがこれまで自分自身でナナちゃんの声を出していたのはナナちゃんは実はもう一人の大森さんである、すなわち大森さんは自身と対話しているという点は私なりに重要なポイントだった)。意思の外にいるナナちゃんと会話している大森さんという構図は今まで見たことがないものだった。ナナちゃんは大森さんに「最近病んでるみたいだけど…」と聞き大森さんが「ダイレクトに聞くね」と答えるなど、即時性のやり取りが実際に見られて楽しかった。

ナナちゃん(声:ピエール中野さん)は大阪の観客のノリの良さを褒め、「551があるとき/ないとき」の関西人で知らない人はいないであろうおなじみのコール&レスポンスを観客に振った後、「ナナがいるとき/いないとき」とナナちゃんバージョンで再度煽り、会場は大盛り上がりだった。『7:77』の前に会場をしんみりとさせてはいけないのでここでナナちゃんの声を担うのはピエール中野さんでなければいけなかった。大森さんが特別ゲストとして呼びかけると、ゆるナナちゃんがステージ脇から登場した。開演前に素っ気ない応対をした自分を思い返し一瞬胸が苦しくなったが、大きなゆるナナちゃんと小さいナナちゃんと大森さんが横に並んでいる光景はかわいいが渋滞して眼福だった。ゆるナナちゃんとナナちゃんが頬を寄せ合ってくっついていた光景が特にかわいかった。ゆるナナちゃんに接触して嬉しそうなナナちゃんを動かしているのが嬉しそうな大森さんで、すごい眺めだった。

ゆるナナちゃんは今回のツアーから現れたナナちゃんのゆるキャラ(?)で、全国各地を巡り、ファンは接触や撮影ができるというお楽しみが用意されていた。私は本物の、大森さんが新千歳空港で出会ったシュタイフのナナちゃんに思い入れがありすぎ、またナナちゃんはあのナナちゃんが唯一無二だと信じているため、ゆるナナちゃんの存在が初めは受け入れられないでいた。ナナちゃんが着ぐるみ化されても、結局中身は人間で本物のナナちゃんとは全く違う存在だと思ってしまった。拗らせている。面倒臭いファンである。でも開演前後に愛想をふりまいたり、撮影に一人一人応じるゆるナナちゃんの健気さには胸を撃たれ、ゆるナナちゃんはもしかしたら現場で自由に動けないナナちゃんの影武者のような存在ではと思い始めた。ゆるナナちゃんはカメラを向けられればくるりと回ってサービスするが、私のように会釈しかしないようなノリの悪い客には迫って来ない。一定の距離を置く。表情も笑ってはおらず無に近い。近くで見ると割と大きな黒い目と向き合った瞬間、吸い込まれそうになった。普段ファンはナナちゃんに触れられない。でももしかしたらナナちゃんはファンと接触したいと思っているかもしれず、その想いが具現化されたのがゆるナナちゃんなのかもしれない。

などとゆるナナちゃんについて考察していたら始まった『7:77』。ナナちゃんグッズの多さから、この曲だけは絶対に聴けるだろうという根拠のない確信があった。大阪公演前日に『7:77』MVの製作者おおたけお氏がMV海賊版と称した非公式動画を公開した。その中で、ステージに立ったグラサンナナちゃんが観客を扇動しライブ(あるいはPARTY)を盛り上げるシーンがあったのだが、まさにそれと同じ光景が見られた。公式MVでは一部のオタクがナナちゃんを支持するシーンが描かれていたと思うので、おおたけお氏が実際にツアーで見た光景から発想を得たのかもしれない。生演奏の『7:77』とマイク前で浮遊しているナナちゃんのかっこ良さよ。ペンライトを振りかざしながら憧れの「ナーナナー」コールをしていると、自分がMVの中で描かれるあの集団の一員になったような、パリピになったような気がした。パーティーパリピに関しては個人的にかなり拗らせていて、それは以前『7:77』の曲について記述した時に吐き出したが、そういう歪んだ感情がこのライブでようやく吐露され昇華されていった気がした。大森さんとナナちゃんのおかげで、自分は今このPARTYを楽しんでいるかもしれないという多幸感に包まれて曲が終了した。

それから大森さんは「『クソカワPARTY』から二曲やります」と言い、『ラストダンス』と『アメーバの恋』。どちらもライブでは初めて聴いた。『ラストダンス』では大森さんが水中で泳いでいるような感じがした。生で聴く「殺したい」の台詞も良かった。『アメーバの恋』ではライブというより劇を見ているような、新しい感覚を覚えた。最近ZOCで踊っていることもあってか、大森さんの身体の動きが今までと違う印象がした。大森さんに降り注ぐ緑色の照明がとてもきれいだったので私もペンライトを緑色にした。どちらも所見だったのでこれからまた観れる機会があれば嬉しいなと思う。

それからMCをしつつ、大森さんはマイクスタンドをT字にした。『わたしみ』だ。ここで私はペンライトを消した。『わたしみ』はCOCOROMツアーで二回聴いた。ザーッという海の音が鳴り始めると、自分が今ライブ会場にいることを完全には忘れないが大森さんと二人きりですーっと宇宙空間に浮遊していくような感覚になる。大森さんの歌詞に合わせたパントマイム的なしぐさはCOCOROMツアーから表現力に更に磨きがかかっているような感じ取れた。「他人の愛にしゃがれて 血を食べる」のところは本当に血を搔き集めて食べてるように見えたし、「いちばん好きなブラジャーを拡張した洋服が着たいな」のところは下着というよりは心臓を皮膚の下からむしり取ってそれを外の世界に放つような大森さんの手の動きに狂気さえ感じて、これまた演劇を観ているようであった。歌い方も、地の果てまで太く伸びていくような、以前とは少し違う強さを感じて永遠にそこに埋没していたい甘美さと身が凍るような戦慄が共存していた。これまで何度か披露された曲がこのツアー終盤で完成されたようで圧巻だった。

『7:77』まで温度を上げ続けた会場の熱が『ラストダンス』『アメーバの恋』で伸びたり縮んだりして混ざり合い、『わたしみ』で観客一人一人の身体に再び帰還していくような現象を少なくとも私は体感した。「このパーティーは紛れもなくあなた個人のものだ」と告げられた気がした。

その状態で始まった弾き語りの『パーティードレス』は完全に不意打ちで、『わたしみ』で「わたし」という個体に帰還した熱ががっちり凝固されてしまうような、ものすごい衝撃だった。あの時あの空間では、「わたしみ」からの「パーティードレス」でなければ絶対にいけなかった。『パーティードレス』の歌詞はよく知っているはずなのに初めて聴いたように感じた。

パーティーが始まるよ

あの夜を超えて

わたし綺麗かしら
『パーティードレス』

「はっ…パーティーってこのことか!」と雷を撃たれたように、大森さんが我々聴き手に伝えたかった「PARTY」が何なのか見えた気がした。『パーティードレス』の一人称の女の子(あるいは男の子)は、汚いおやじを相手に売春して金銭を得る。それは継続的な仕事かもしれないし一夜限りの行動かもしれない。分からないが、とにかく主人公は自分の身体を差し出す代償としてお金を得る。そのお金で好きなものが手に入る。美味しい物も食べられるし、きれいな洋服も買える。新しい洋服を身に纏って好きな場所に出かけることだってできる。歌の解釈は人それぞれだが、私は最初この歌を悲しい歌だと捉えていた。『バスルームのタイルに「死ね」とか描いて水に流して』泣きながら明日パーティードレスを買いに行こうと考える曲だと思っていた。でももっと希望に溢れた曲なのかもしれない。

汚いおやじに身体を差し出すことで得たお金、それは自由であり希望だ。ここで嫌な相手とのセックスを例えば「それが何のためか理論立てることなくやらなくてはいけないこと」に置き換えると、この曲はきっと誰にでも当てはまる。仕事でも子育てでも何をするにも100%喜ばしいことなんて一つもない。どんなことであれ我慢や大小の乗り越えるべき壁がつきまとう。でもその先にあるもの、例えば労働で得たお金を好きなことに費やすのは喜びだし、へとへとになっても子どもの成長やふとした瞬間に見せる表情は何よりもかわいい。それらの喜びはめでたしめでたしの最終地点ではない。どうしようもない不安や憂鬱は入れ代わり立ち代わり現れる。だが喜びを掴もうとする意思が明日を生きる原動力になる。その繰り返しこそが大森さんが言いたかったPARTYなのでは、と私は唐突に理解した。

一人で勝手に納得して嬉しくなっていると再びバンドの伴奏が鳴り『マジックミラー』が始まった。音がCOCOROMの時と違った。もしかしたら「ビバラポップ!」の時のアレンジではないだろうか。道重さんと共演した時のあのアレンジ。『パーティードレス』で結論を得た私は『マジックミラー』で大森さんに手を差し伸べられているような感覚になった。「ほら大丈夫だよ」って。その大森さんは道重さんに見守られている。それをまた私たちが見守っている。乱反射。

そして『VOID』。他会場にも行った人はこのサプライズ的なセトリを知っていたかもしれないが、何も知らない私はここできたかという驚き、そして好きな曲がバンド演奏で聴けることが嬉しくて感極まった。アレンジがとにかく最高だった。音源は弾き語りで、ライブでも弾き語りで一度しか聴いたことがなかったが歌い方も音もそれらとはまた違い、もはや新曲を聴いている感覚だった。終わったと思ったら息つく間もなく大森さんの掛け声とともに今度はテンポが速いバージョンでもう一回。音に合わせて自分の鼓動も速くなり、こんな感覚は初めてでとても興奮した。あの時のドキドキが今もずっと身体の中に残っている。アレンジのどこがどう良いか音楽的な知識がないためうまく説明できないが、音源や弾き語りで聴いた時よりも走り去るようなスピード感、明るさ、生命力を感じた。後で他会場へも行った知人が「大森さんは銀杏BOYZを意識してアレンジしたらしい」と教えてくれて納得した。

『VOID』は『クソカワPARTY』の盤にのみ収録されている曲だが、アルバムの中でも特に思い入れがある曲だ。初めて聴いてからこの曲が大好きだ。曲の一人称が「ぼく」で語られる大森さんの歌が私は好きだ。「ぼく」だからと言って必ずしも男性とは限らず、女性ということもあり得る。男女関係なく誰の中にでもある「ぼく」と呼びたくなる、好きな相手に対する剥き出しの青年性のような感情。この『VOID』では、「友達でもない恋人でもない」相手との気持ちが語られているが、自分自身の記憶を辿ればこの歌詞のような関係は多かったように思う。自分が相手にとって一体何者なのか分からないし尋ねることもない。次に会う約束もしないから今が最後で「もう二度と会わない」かもしれない。でも相手が好きだという理屈では説明できないどうしようもない関係。それがこの曲では痛いほど美しく描かれている…と私は勝手に解釈している。ヒリヒリとした痛みが、大森さんが一人で弾き語りする時は大森さん自身の内側に向かっていくような感じがしたのだが、バンドだと私たち個々の持つどうしようもない愛がぎゅーっと膨れ上がって爆発して一気に外へ拡散するような感覚を覚えた。バンドメンバーがみなさんいい表情をしていた。特にあーちゃんの顔が良かった。

最後の曲かと思うくらい自分の中で満ち足りていたが、まだまだ終わりではない。

MCタイムを経て、この日これなかった人のためにと撮影OKで弾き語り演奏が始まった。撮影OKに際し、大森さんとは所属先が違うバンドメンバーには肖像権の問題があるだろうということで、ステージから他のメンバーはいなくなり大森さん一人になった。曲はお客さんのリクエストの『呪いは水色』。リクエストした女性がそう叫んだ時、大森さんは「いいね」と言ったので大森さんも歌いたいと考えられていたのかもしれない。『呪いは水色』を別府の超地獄ライブで聴いた時は嬉しかった。大森さんの身体の奥から色々な人の業がじわじわと炙り出されるような歌い方で、地獄という地にとても相応しかった。BIGCATでの弾き語りはその時とはまた違う、今一人一人が開催している「PARTY」の扉を一枚ずつそっと開いて覗くような優しい印象だった。

撮影するために静かに掲げられたたくさんのスマートフォンからは撮影開始の「ポン」という音が鳴り、大森さんからの交信を待つ宇宙船がたくさん浮かんでいるような不思議な光景だった。私は本当は撮らずに集中して聴きたかったが、今回のツアーに来たかったがどうしても来れなかった友人がいたので、その友人のために撮影した。ライブ後、動画を送ったら喜んでくれたのでよかった。それもあんなに規模の大きなライブで撮影許可をしてくれた大森さんのおかげである。

大森さんはいつも、様々な理由でその時その場に到達したくてもできなかった人がいることもちゃんと知っていて、その人たちにも音楽を届けよう、手を差し伸べようとされている。Youtubeに公式でライブ動画がたくさんアップされていたり、現場によっては撮影可能なライブもある。それらはSNSやインターネットで拡散され不特定多数の目に触れられる。その広がりが同時に誹謗中傷を生むこともあり得るが、大森さんは自信が傷を負うことも覚悟の上で届けられるべき人まで届けようとする。何かを世に創り出す際これほど戦っている人は他にいるだろうか。でもそれが真の芸術を遂行する人の姿なのかもしれない。

『呪いの水色』が終わると大森さんは『きもいかわ』を歌った。初めてライブで聴いた。その前(『呪いは水色』を歌う前)に言っていたMCの発言について考えながら聴いた。

「このツアーは『クソカワPARTY』とつけましたが、元々生まれつき持っている皮とか長年生きていく中で身についた皮とか自分に色々なものが張り付いていて、そういうのを一枚ずつ剥がしていって川に流してしまうように捨てていった先にあるものが「かわいい」だと思うんですね。」

大森さんはいつだったかアルバムリリース前後、「クソカワ」の「カワ」には「かわいい」や「皮」や「川」色々な意味が含まれているとおっしゃていて、意味をひとつに限定しないところが大森さんらしいと思ったし私は大森さんの作品のそういう部分が好きだ。いつも受け手に考える余白を与えてくれる。この発言を聞いて、一枚一枚皮を剥がしていった最後に残る個々に属する意思のようなものが「かわいい」なのかもしれないと思った。就学、就職、結婚、出産…人は一度の人生の中で様々なライフステージを経験する。その度に色々な「皮」を纏う。やがてそれは古い角質のように堅い皮となり、消えはしなくとも信念や意思がよく見えなくなることがある。諦めないといけない状況を繰り返しているうちに、元々意思なんてものがあったかどうかさえわからなくなる。でも結局、

ぼくを生きるのはぼくだ
きみを生きるのはきみだ
それが交わるとかありえない
心は“ひとりひとつ”付き合おうが まぐわろうが 

歌おうが 結婚しようが
なんとなく“ふたりがひとつ”そんな気になれるだけ

『きもいかわ』

という歌詞のとおりどんな皮を纏ってそれを以てこれまでと別の立場や生き方になったとしても「ぼく」は「ぼく」で「きみ」は「きみ」だ。『パーティードレス』で「わたしはわたしよ心があるもの!」と歌い、『ドグママグマ』で「心を一つなんてふぁっく YOU」と歌った大森さんはその心が“ひとりひとつ”であると歌っている。学校では「画用紙一面の真っ赤な海もブルーにしろって教育された」し、社会人になっても多様性が重要と謳いながら会社の理念にそぐわない意見が排除されるところを何度も目の当たりにした。結婚して子どもが生まれても「母親失格だ」「親としてなってない」と言われることもあり、その度に新しい皮を重ねていたら自分が元々持っていたものは埋もれて見えなくなってしまった。でも必ずある。これだけは譲れないというやり方、昔からずっと自分の好きなものや人、誰に何を言われても変わることのないもの。それらを失くしたくないと願いや意思が「かわいい」なのではないか、と私は今回のライブを聴きながら気づいた。

靖「人生はかわいくなきゃ生きてる価値なくない?」
男「お前が言うなブス」
靖(舌打ち)

私は『GIRL’S GIRL』のこの冒頭が好きだ。「人生はかわいくなきゃ生きてる価値なくない?」という問いかけで完結せず、すぐに誰かわからない男の声が入る。それに大森さんは舌打ちで返す。この一連の意味をライブを終えた今、音源で聴いていた時以上に理解した気がしている。ライブが始まりとともに大森さんが観客に向かってこの台詞を放った時、男の声は誰がやるのだろうと一瞬頭によぎったがおそらく音源だった。音源収録の際は、スタッフの男性何名かにこの台詞を言ってもらい一番良いのを採用した、と大森さんはいつかおっしゃっていた。クレジットのつかない匿名の声。そう、この「お前が言うなブス」は匿名の声でなければいけない。限定された誰かに所属する声ではなく、この声はどこにでも現れる。学校でも会社でも家庭でも。大森さんがMCで言われたように「マイノリティー」なんてないのに勝手に属性を決めてくる人たち。「お前が言うなブス」は「ブスの分際でそれを言うな」という意味だけではなく、かわいく生きたいと思う意思、意思を持って生きることへの否定である。それは社会的な圧力である場合もあるし、葛藤から生まれる自分の声である場合もある。そして舌打ち。言語化されない感情は呆れと怒りの音楽に聞こえる。

ライブの話からどんどん脱線してしまったが、「かわいい」というのは「かわいくなりたい」という願望のように今の自分から変わりたい、変革を遂げたいという意思であり願望だ。そして「クソカワPARTY」はそれを遂行するための自分により一生続く宴である。大森さんはライブ中どこかのMCで、「パーティーというのは、自分が慣れたぞ、あれっいけるんじゃないかと感じ始めた頃にはもう終わってることがある。でもこのクソカワPARTYはパリピのパーティーみたいに一瞬で終わるものではなくずっと続いていくもの」というようなことをおっしゃっていた。パーティーという言葉自体苦手だった私は、同じく苦手であろう大森さんがアルバムタイトルに『クソカワPARTY』とつけた意味を発表されてからずっと考えていた。ライナーノーツも読んだ。わっと盛り上がって一瞬で散って消えてしまうそれではなく、繰り返し生まれる意思、例えば好きな洋服を買いに行くこと、髪をとかして化粧をすること、自撮りをSNSにあげること、美味しいものを食べること、子どもの写真を撮ること、好きなアーティストのライブに行くこと、何かを頑張るためのそういったひとつひとつのエネルギー、生きてる限り続いていく半永久的な意思こそが「かわいい」と呼ぶべきであり、パーティーなのかもしれない。

最後の『死神』で私はそのパーティーの光を見た。照明で実際にステージの後ろから光が当てられていたからといえばそうかもしれないが、大森さんの歌声とあの日あの時の会場の空気と自分の感情が混ざり合い、剥がれた「かわ」と共にどんどん海へ流されていく感覚があった。

アンコールの『絶対彼女』『ミッドナイト清純異性交遊』では流れ着いた先でそれぞれの意思が一斉に前を向くような明るさがあった。『ミッドナイト』でわっと観客が大森さんに向かって初めて感じた圧迫も「来たぞ」という感じでなんだかすごく嬉しかった。

アンコールの時の「靖子が一番かわいいよ」コール。私は声で最前にいる知っている方がコールを率先しているのだなと気づいた。その方はおそらくツアー全通しているような方なので、毎公演されていたのかもしれない。「かわいい」の意味がライブを通して見えた今、このコールがすごく愛おしいものに感じた。

そしてアンコールの『ミッドナイト清純異性交遊』が終わり全て終わったと感動していたら突然始まったDA PUMPの『U.S.A』。流行に疎い私でも知っているからあの会場で知らない人はいなかったであろう。どこで覚えてきたのか息子が毎日歌っている。幼児にまで浸透しているとはすごい影響力だ。大森さんはこの曲が大流行する前、リリースしたばかりの頃から注目されていた。誰もいない真っ暗なステージを前にこの曲で観客が盛り上がっているのはある意味異様な光景だった。でもPARTYは続いていると示唆しているようでドキドキした。

そして大森さんがたった一人で現れて『REAL ITY MAGIC』。既にバンドメンバーは退場されているので伴奏は音源だった。この曲はサビでアルバムタイトルである「クソカワPARTY」が繰り返され、曲調やHuという合いの手も「パーティー」を彷彿とさせる。私はこの曲がアルバム内で極めて重要な曲である気がして、何度も繰り返し聴いて歌詞の意味を考えた。「REAL ITY MAGIC」はおそらく大森さんの造語である。「REALITY=現実性、実在性」と「MAGIC=魔法」(「魔法が使えない私にしかできない」という歌詞からここでは「魔法」と捉えるのが良いと思った)は相反する二つの単語が一つの言葉の中に並列されているようだ。魔法が実在するところを私は自分の眼で見たことがない。しかし魔法が日常に潜むことを大森さんはこれまで何度も私たちに教えてくれた。魔術ではなく、好きなものや人に対する喜びや嬉しさを原動力とする「何かを変えようとする力」とそれはもたらす変化。それは音楽だったり趣味だったり大切な人の存在だったり人それぞれ違う。確かにそれらは一般的な概念では魔法ではないかもしれない、でも。これ以上はうまく言えないので『音楽を捨てよ、そして音楽へ』を聴くのが良い。大森さんがこれまで歌ってきた「MAGIC=魔法」はきっと形あるものとして実在する何かと関係している。永遠に続くものなんてない。どんなものでも人でもいつか消えてなくなってしまう。それでも私たちはその有限の存在を信じたり拠り所にして毎日を生きる。それこそ「クソカワPARTY」だ「かわいく生きたい」と願うことだ、とライブの最後に全身が覚醒した気がした。

死体の埋まった公園でこどもが
ボールの放物線を睨んでいる
首吊りうさぎと首輪の犬と指切り
万引きで潰れたファンシー雑貨の店長さん

『REALITY MAGIC』

私は『REALITY MAGIC』の最後の一節がとても好きだ。この歌詞に描かれた情景はシュールレアリスムのようで現実か幻想かさえわからない。何度聴いても完全に理解することはできないが対比するモチーフが浮かんでくる。土の下にいる「死体」とその上で遊ぶ生きている「こども」。「指切り」という言葉からは「子どもの遊び」と「任侠世界の仕打ち」という両方の映像が浮かぶ。「万引き」「潰れた店」と「ファンシー雑貨」という言葉の対比。生と死、光と影、実在する確かなものと目に見えないものがこの世界には常に共存していてその境界ははっきり線引きされていない。それらを手繰り寄せたり突き放したりしてうまく折り合いをつけながら生きることがPARTYだと言われているように個人的に感じ取った。盛り上がったPARTYの沈静と同時にPARTYの存続を意味するような、とても美しい大森さんにしか描けない歌詞だ。

最後の「REALITY MAGIC」という歌詞の直後、大森さんの姿がステージからぱっと見えなくなったので私は大森さんが突然消えたかと思った。状況が飲み込めないまま茫然としていたら会場が明るくなり道重さんのサントラが鳴り観客が出口に向かって動き始めたため、そこで初めてライブが終わったという事実に気がづいた。『ミッドナイト清純異性交遊』の後大森さんは挨拶もお辞儀もされ、バンドメンバーと共に手を振りながら去ったし、大森さんが無言で立ち去ることは今まで私の記憶ではなかったため、この最後の手品のような終わり方に驚いた。「終わり」がはっきりと提示されないことで、「あなたたちのPARTYはこれで終わりじゃなくてこれからもまだずっと続いていく」と言われたような気がした。

 

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今年の夏から秋にかけてプライベートで打ちのめされるような出来事が立て続けにあった。悲しいというより、人を信じることができなくなり自分も含めて全世界が滅びてほしいとまで考えたりもした。それまで毎日つけていた日記もつけなくなった。別府のライブの感想を途中まで書いていたが、それも書けなくなって結局そのままになってしまった。仕事にもあまり手がつかなくなった。それでも毎日の生活は続いていた。これも個人的な話であるが、夏に離婚をした。それ以来息子と二人で生活している。だからライブを含めどこかに一人で外出することができなくなった。『COCOROM』終了後、『クソカワPARTY』ツアーが発表されても行ける見込みがないため東京公演のチケットは取らなかった。唯一、実家から近い場所なら息子を実家に預けて行けるかもしれないという淡い希望の元、大阪公演だけ申し込んだ。でもFC先行で申し込んだチケットが当たって入金しても発券できないでいた。いつもならすぐ発券して整番を確認するのだが、前述のとおり私生活で不運があり12月にライブへ行く自分の姿が全く想像できなかったためだ。更に負に負が覆い被さるように日々のワンオペ育児&家事、フルタイム労働で自分でも把握できないうちに疲労が積もったのか、突然謎の吐き気と悪寒に襲われ倒れこむ事態もあった。「もう死ぬのかな」などとぼんやり思いながら床で倒れていたら息子は私に布団をかけてくれたり、これは薬だからねと息子が薬だと信じているタブレット型のラムネをどこからか持ってきた。泣いた。

誰かに助けてもらえば楽になるかもしれない。精神的な意味ではなく、何かひとつでも軽減されれば余裕ができる。でも助けを求められる人は一人もいない。お金で解決しようとすると貯金がどんどん減る。あまり周りに言わないようにしていたが、事情を知った人は「大変だね」と皆同情の眼差しを向けてくれる。でも欲しいのはそういう言葉や同情ではない。同情されたところで人的援助やお金に結びつかない。人生でこの道を選んだのは紛れもない自分だということも分かっている。だから何度も自己嫌悪に陥った。仕事も家事も子育てもすべてが中途半端だった。全部辞めたくなったが辞められない。12月に大森さんのライブに行く。息子はたった4歳で無力だ。私以外に息子を育てる人は他にいない。だからまだ死ねない。そんな気持ちをついツイッターで漏らしてしまったことがあった。

弱音みたいだし消そうかなと直後に思ったら、誰が押すよりも一番先に、大森さんがその投稿にお気に入りを押してくれた。偶然や気分だったとしても大森さんが大森さんの時間を割いて読んで応えてくれたことには間違いなく、私はそれを「ライブまでどうか生きていてくれ、歌いに行くから」のメッセージだと都合よく解釈し、他人から見たらきっとSNS上の些細なその出来事を誰にも言わずお守りのように黙って胸に抱いていた。縋るような気持ちで迎えたライブ当日だった。

大森さんはライブ中のMCで、「自分がドアをこじ開けてあちら側に行こうとしている時にあっちへ行くなってこちら側から手を握って離さない人たちが必ずいますがそんな人達は蹴落としていいです。いつかまた将来、蹴落とした人達とも再び話したり関係を修復できるようになるかもしれないから大丈夫です。」というようなことを言われていた。

「一生会わなくていい」ではなく、「いつかまた話したりできるようになるから」と言われたところに大森さんの寛大さや優しさが表れていると感じた。「かわいく生きたい」、「クソでもブスでも世界を変えたい」という意思や希望を邪魔する存在を無くすことはできない。ドアの向こう側から生きている生肉を求めるゾンビのようにまとわりつく。それは他者、組織、常識やルール、社会的概念、あるいは自分自身という場合もある。でも変わりたいという意思を阻害する何かに囚われている限りそれぞれのPARTYは始まらない。積み重なって厚くなったカワの下にある自分の「かわいい」にもう一度向き合ってみようと決めた。状況を嘆いていても仕方がない。誰かに何かを望むのではなく、自分で動いて変わらないといけない。まだ自分に残りの人生があるとすればかわいく生きたい。今後の生き方について考えさせられたライブだった。

大森さん、新ガイアズのメンバー、ナナちゃん、美マネさん、二宮さん、スタッフさん、すばらしいクソカワPARTYツアーをありがとうござました。次のツアーも楽しみです。PARTYは続く。

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超歌手 大森靖子『クソカワPARTY』TOUR 
大阪公演@BIG CAT セットリスト

GIRL’S GIRL
Over the Party
TOKYO BLACK HOLE
ドグマ・マグマ
イミテーションガール
非国民的ヒーロー

MC
7:77
ラストダンス
アメーバの恋
MC

わたしみ
パーティードレス
マジックミラー
VOID
VOID(二回目)

MC
呪いは水色
流星ヘブン
きもいかわ
死神

encore
絶対彼女
ミッドナイト清純異性交遊

REALITY MAGIC

 

 


おまけ:お気に入りのグッズ

★クソカワPARTYペンライト
今回からこれまでのピンク色だけではなく12色に光るペンライトが採用された。大森さんが好きな色を灯していいと言われていたから私はその曲に対して自分がなんとなくイメージする色をその都度点灯させた。曲の途中で変えることもあった。みなそれぞれ好きな色を点灯していたのでこの人にとってこの曲はこの色なのかと見るのも面白かった。まさに個人のためのPARTYにふさわしいグッズである。ボディ部分には七人の様々な表情のナナちゃんが描かれており、それぞれのナナちゃんについて思い巡らせるのもまた楽しい。家に持って帰ったら息子が大喜びで振りながら繰り返し観たMVで耳コピした『7:77』を熱唱していた。疲れた時に真っ暗にした部屋でその時の気分の色を灯してぼーっとすると癒される万能グッズ。

★FSK(フィギアスタンドキーホルダー)
靖子ちゃんとおでかけver. /ナナちゃんとおでかけver.
 FSKはハロプロなどのグッズで見たことがあったがそういった現場に行かない私は今回初めて手に入れた。写真を撮るための透明な棒がついているので、大森さんやナナちゃんと実際に色々な場所に出かけているような写真が撮影できる。♯ナナちゃんとおでかけ ♯靖子ちゃんとおでかけ のタグで投稿されている写真はビールや焼き鳥と撮る人、美味しそうなスイーツと撮る人、花など自然と撮る人…様々だ。ファンの生活に大森さんとナナちゃんが舞い降りたようで愛おしい。投稿をナナちゃんが見て反応してくれることもある。夜中にナナちゃんの通知が来た時は嬉しさと動揺のあまり眠れなくなった。特に写真を撮らなくとも持って出かけているだけでお守りのような安心感があるので私は常に財布に入れている。

★Tシャツナナちゃん/スウェットナナちゃん
 ファン待望の纏うナナちゃん。ほぼ等身大(か大きく)でプリントされている。心臓部にナナちゃんがいるという安心感からだろうか、着ているだけでナナちゃんが胸元に寄り添ってくれているような、ナナちゃんと一体になった感覚が得られる。色やデザインが着た時に甘くなりすぎないように考えられている。部屋につるしておけばライブ会場でなくとも自宅でナナちゃんと目が合うという楽しみもある。

勝手に夏の作文 小中高時代の思い出

大森靖子さんの書く文章が好きだ。「NHK Eテレ作文『私の中高時代』(充電)」というコメントと共に大森さんの中高時代に関して書かれた文章のスクリーンショットが8月22日の夜、ツイッターに投稿された。

 

 この大森さんの文章はEテレハートネットTV」の公式サイト「#8月31日の夜に。」という番組サイト内にある「2018年夏休み ぼくの日記帳」に掲載されている。

http://www.nhk.or.jp/heart-net/831yoru/diary/diary000329.html

「2018年夏休み ぼくの日記帳」では主に一般の方々から夏休みに関するエピソードを募集し、それを来たる8月31日の夜に紹介していくという番組構成になっているらしい(そうだと気づくのに時間がかかった)。一般投稿された文章と並んで、著名人の方の文章も投稿されていて読めるようになっている。現時点では大森さんの他に詩人の最果タヒさん、中川翔子さん、ヒャダインさんらの文章が掲載されている。今後もっと色々な方の投稿が増えていくのかもしれない。大森さん以外まだ読めていないので一般の方の投稿も含めて順に読んでいきたい。大森さんは「ハートネットTV」に過去何度かご出演されており、出演された過去二回の放送が近々再放送されるらしい。2014年12月1日に放送された「ブレイクスルー」に私は感銘を受けたのでこちらもいつか再放送されたら嬉しいなと思っている。放送内容を文字起こししたページが残念ながらリンク切れになっていた。大森さんのインタビューはまだ読める。この番組は素晴らしく、書きたいことがたくさんあるのだが長くなるのでそれはまた改めてにする。

http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/2800/204249.html

 

話を大森さんの文章に戻すと、私はこれを読み激しく共感した。共感というか、自分のことなのだろうかと胸の奥が締め付けられるような感覚に陥った。私はもう大人で夏休みの宿題なんてないが、ないからこそ私も「私の中高時代」にまつわる作文を書いてみようと思った。大森さんが「作文」と言われるように、日記というよりは作文だ。別に読む人はいないかもしれない。ただ、蓋をして封印しておいた部分がぎちぎち締め付けられところてん式に押し出されるものがあったので夏の課題というありもしない名目でここに吐き出しておきたい。中高時代というタイトルだが、私も大森さんと同じく中高はお弁当だったので私も最初に小学校の給食の話を書くことにする。

 

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私の小学生時代の思い出のほとんどが給食と修学旅行で構成されている。どちらも苦痛しかない。最初は出された給食ほぼ全て、学年が上がっても小魚や野菜やチーズやはちみつ…どうしても受け入れられないものが必ずひとつはあった。給食を完食しない児童は重罪人のように扱われ、おかわりをする児童は「何でもよく食べる良い子」と担任を喜ばせた。私は毎日重罪人だった。重罪人は見せしめのように教室に取り残され、食べ終わるまで決してズルをしないよう看守(=担任)に監視され続けた。給食の時間が終わり後片付けも済むと、四つだか六つだか班形式に集まっていた机も元の位置に戻り、掃除の時間が始まる。机ごと透明人間になったかのように私の周りでお構いなしに箒が掃かれ埃が舞う。遠くに看守がいる。看守は掃除を見ているようで掃除のどさくさに紛れて私が誤魔化さないか鬼の形相で見張っている。砂埃の舞う中、お皿に載ったトマトを見つめる。でもやはり食べられず、掃除も終わり昼休みになり教室には誰もいなくなる。看守は「ちゃんと食べなさいね」とイライラ言い放って何でこの子は一体いつまでこうしているのだろう私は職員室に帰って次の授業の準備をしなきゃいけないし採点だってしなきゃいけないのにという顔をする。結局重圧に負けて、というか次の授業が始まるからと強制的に飲み込ませられる。かといって吐き出せる場所もなく口中に嫌な味がいっぱいに広がって嗚咽して涙が溢れてくる。担任の「ほら食べられた」という見当違いの言葉と勝ち誇った顔。あの時の世界からはじき出されたような屈辱と何が悪いのか何一つも理解できない悔しさは今でも忘れられない。

ほとんど友達のいなかった私にAくんという仲の良い男の子がいた。転校生でたまたま家が近くだった。いつも面白くて小学生とは思えない物の考え方をしていたAくん。Aくんと私がいつも面白い日記を書いてくるからといつだったかクラスで選ばれた二三作品が藁半紙に印刷して配られ、本人が読み上げる時間があり、Aくんと私がよく交互で指名されて読まされた。でもAくんの作文の方が圧倒的文才があり面白かった。私は当時はまっていたさくらももこのエッセイの影響をもろ受けたというか文体を真似ただけであった。でもAくんを勝手にライバル視していた。ライバルであると同時にAくんを尊敬していた。彼だけは私と分かり合えるというような気がしていた。相手は別に何も思っていなかったかもしれないが。私と彼の共通点はトマトが嫌いなことだった。

ある日、給食にトマトが出た。薄切りではなく、でかい1/4くらいある皮つきのトマトが「小のおかず」(副菜)として味付けも何もなくそのまま皿の中に転がっていた。トマト味ならまだしもこれはどうしても無理だと思った。Aくんの方を見ると私と同じ苦痛に満ちた顔をしていた。やがていつものように掃除が始まった。Aくんは看守が一瞬目を離した隙に残していたコッペパンの中身をほじくって食べてから、「これ(トマト)をこっそりパンの中に詰めたらいい」と記憶では声ではなくそのようなしぐさで私に教えてくれた。今から考えればそれもおかしいが、パンであれば満腹を申請すれば自宅への持ち帰りが許されていた。なんと勇敢な行動なのだろうか。そのアイデアと勇気に私は脱帽した。しかしクソがつくほど真面目で臆病だった私には難易度が高すぎて、真似することができなかった。しばらくしてAくんが「せんせいたべましたー!」と明るく看守に伝えた。給食居残り組は食べ終えたら必ず報告する義務があり、看守の審査を通過しなければ食べ終えたと見なされなかった。近づいてくる看守。ドキドキ。私は目の前の給食を放置し、自分のことのように見守った。結果は子どものやることだったのでツメが甘かったのか、Aくんのカラクリは看守を欺くことはできずいとも簡単にバレた。締め上げられるAくん。その時の担任が怒り狂った様子は今ここで形容できないほど怖かった。Aくんは泣いた。Aくんが泣くところを私はその時初めて見た。Aくんは泣きながら死ぬほど不味そうなトマト入りコッペパンを食べさせられていた。いつも明るくひょうきんなAくんが泣きながら口の中をトマトでいっぱいにしている姿を傍観するクラスメイト達。拷問だった。その後自分がトマトをどうしたかは覚えていない。

だから学校が嫌いだった。給食を食べるか食べないかに異様なほど固執し、食べられない子を重罪人として晒し上げ、給食の完食というそのひとつの部分で児童の善し悪しを判断しようとするのが許せなかった。他には授業中に挙手しない児童も漏れなく重罪人になった。私はそこでも重罪人の烙印を押された。確かに好き嫌いなく食べることや皆の前で意見が言えることは大事かもしれない。でももっと大事なこと、目を向けなければいけないことはたくさんあるしその基準は個々で違うのではないか。どうしても納得がいかなかった。今の小学校は給食や挙手に対してどんな感じか知らないがあの時代は確かに制度への異様な固執があった。それは厳しさとは違った。あんなに面白くて才能があるAくんを、トマトのひとつぐらいでそれまで彼がしてきたこと全て、彼自身の存在を全否定するような教師のやり方はあまりも非人間的で残酷に思えた。そしてAくんがその体制に反逆しようとしたその勇気さえも打ち砕かれたのが私は悔しかった。

中学生になると更に学校が嫌いになった。受験して私立中学に進学する子達を横目に何も考えずに近隣の公立中学に進学したら小学校以上に制度に固執する気の狂った学校だった。地獄。狂っていた理由として、風紀が乱れていたからと大人達は口を揃えて言っていたがそれも納得できなかった。界隈で最も酷く、その中学校の長い歴史で見ても最大に荒れていたと言われていた私達がいた時代の中学は学年の2/3くらいが「不良」(その表現自体疑わしいが当時大人達がそう呼んでいたのでここではあえてそう呼ぶ)と呼ばれる生徒で構成されていた。不良が標的を見つけて公開イジメをしたり、物が盗まれるのは日常茶飯事、教師は精神を病んですぐいなくなるので常に二人担任体制、シンナーの吸い過ぎか何か知らないが腕にたくさんの痣をつけて猿のように暴れる目の落ち窪んだ生徒達を制圧しなくてはならないため、授業は毎日ほぼ自習の時間だった。嫌気がさして登校拒否していた子も多かった。でも私は休まなかった。別に学校が好きで来たいというわけでもなかったがこんな奴らのために休んで「あいつも漏れなく負けた」と思われるのが馬鹿らしいと思った。盗みたければ盗めばいいと思って不良達の好むディズニーではなくサンリオの中でもマイナーなコッコちゃんというキャラクターがついた小学生でも持たないようなださい筆箱を試しに持ち歩いたら誰にも盗まれなかった。毎日ブスだブスだと男子に常に笑われた。「おまえはハミってるよな」とその一言だけわざわざ丁寧に伝えに来た別のクラスの男子生徒もいた。勝手に言ってろと思った。毅然としていたからかまだ平和だったのか、陰口はあっても暴力を振るわれたり集団リンチされるようなことはなく、たまに軽蔑心半分、好奇心半分で勝手なあだ名を付けて私に寄ってくる目つきのヤバい女子もいて好きではないが嫌いにはなれなかった。

馬鹿な奴らは放っておけばいいとしても、教師まで最悪だった。不良があまりにも手に負えられない脅威だからか教師の矛先はそれ以外の残された生徒達に向いた。私も普通にしていただけなのに何度叱られたか分からない。運動部にいて髪が地毛で今よりもずっと茶色かったので「染めてないか」と何度地毛だと説明しても問いただされた。それから髪を耳より少し高い位置でツインテールにしたら即刻辞めろと叱られた。「なぜダメなのですか」と聞くと「人の顔に当たったら危険だ」と言われた。おいおい危険な奴はもっと他にいるだろう、ツインテールを振りかざして暴れる自分を想像して笑った。

あのトマト事件で重罪人に祀り上げられたAくんも同じ中学だった。でも学校がそんな感じだったのとお互いに思春期を迎えたことで小学生の時のようにあまり口を利かなくなった。でも姿は見かけた。Aくんも私のように毎日ちゃんと登校しているようだった。ある昼休みの時間だった。昼休みは全員必ずグラウンドに出なければいけないという変な決まりがあり、私は出たくなかったので一人で教室にいた。そしたら見回りの体育教師が来てこっぴどく叱られた。ごまかしても何度も来て煩かったので仕方なく外に出た。その少し後噂で聞いた。別のクラスのAくんも昼休みにグラウンドに出なかった。そしたら私を叱った同じ教師がAくんを責めたのでAくんは「なぜ必ず外に出なくてはならないか、正当な理由を説明してください」と教師に問いただした。したところ教師は何も言えず引き下がったらしい。その後、Aくんは卒業まで何をどう頑張っても体育の内申点をあり得ない点数まで故意的に下げられ続けた。何一つ間違ったことはしていないのに。私は権力に負けて自分がいたかった場所を諦めたがAくんは信念を捨てなかった。かっこいいと思ったし同じことをできなかった自分が悔しかった。Aくんは他にも度々教師に真っ当なやり方で反発し、その度に押さえつけられていた。苦しかった。こんな学校消えればいいと思った。

私とAくんは申し合わせた分けではないが同じ進学校の高校を選んだ。宿題が地獄のように多くテスト勉強が大変だった(チャート式が今でも夢に出てきそう)点を除けば規則は緩く制服はあるが好きな格好や髪型で登校できた。ようやく息ができた。中学時代の不良達とはまた違う進学校特有の頭が良くてかつ器量も良いキラキラした人が多く気の合う友達はあまりいなかったが、私は放課後になると図書館で手塚治虫の漫画を読んだり美術室に籠って誰とも話さず一人黙々とキャンバスに向かって絵を描いた。好きな鞄を持っていても中学の時のように盗まれるようなことはなかった。BAPYの鞄が売っている場所を密かに調べてこっそり買いに行き持っていたら学年一かわいい女子に目をつけられどこで買ったか聞かれてそのかわいさに耐え切れず正直に教えた。次第にヒエラルキー上位グループの女子達がこぞって持ち始めたのでもう持つのを辞めた。クレープやポテトを食べに行ったりカラオケに行く友達はいなかったし、小中学時代からの男性恐怖症をまだひきずっていたせいで男子と上手く話せず恋仲になるような思い出も一度もなかったが油絵具の匂いを身体中に染みこませて帰宅するのが楽しかった。気になる男子あるいは女子がいたら遠くから見つめて勝手に脳内彼氏・彼女にして楽しんでいた。美術部と同じ階にある吹奏楽部で打楽器を叩いていたAくんを時々見かける度に私は顔を歪めてトマトを口に詰め込むAくんを思い出し、Aくんも私もやっと好きなことができてよかったね、と心の中でつぶやいた。終わり。

パリピ越しに花火を見たい - 『7:77』を聴いて勝手に考えたこと

大森靖子さんの新しいアルバム『クソカワPARTY』の7番目に収録されている『7:77』に「パリピ越しに花火を見て」という歌詞があるがこの歌詞が好きで勝手に色々と思い巡らせている。今回のアルバムタイトルは『クソカワPARTY』で、「パリピ」つまり「パーティ・ピープル」の「パーティ」はアルバムタイトルの「PARTY」にかけられている、と最初聴いて感じた。しかし「パリピ」の「パーティ」と『クソカワ PARTY』の「PARTY」は発音は同じでも意味がまるで違う気がする。「パリピ」の意味が何となくしか分からなかったのでググッてみたら、ウィキペディアには下記のように書かれていた。

 パーティ・ピープルは、英語で「パーティ(英語版)好きな人々」を意味する語句「party people」の音写。日本語では、長音符、中黒の有無による表記の揺れがあるほか、「パーリーピーポー」としたり、さらに「パリピ」と略されることもある。単にパーティーを好むだけでなく、より広く様々な機会に集まって楽しそうに騒ぐ若者たちという含意がある表現であり、否定的に言及される場合には、騒いで周囲に迷惑をかけるという意味合いで用いられる。


「より広く様々な機会に集まって楽しそうに騒ぐ若者たち」は私がパリピというよりパーティという言葉に対して抱いているイメージに合致する。パーティとつくものが昔からずっと苦手で今も出来ることなら関わりたくない。心配しなくても日常生活でパーティに参加しなければいけない局面は滅多にないが、結婚パーティ、誕生日パーティ、同窓パーティなど稀にだが降りかかってくる。祝賀会ならともかくパーティとついている時点で「げっ」と嫌悪感を抱くのはパーティという言葉に前述の固定概念を抱いていて、とにかく集団行動が昔からできない自分はたくさんの人が集まる場でどう振る舞ったらよいのか分からない。どこがどう楽しいのか理解できない場で無理矢理笑ったり楽しそうな人達にテンションを合わせるのが苦行で、壁に寄りかかって気配を消したりそんなに食べたいわけでもないのに他にすることがないので飲食に専念している人のような空気を出す。

大森さん自身もパーティが苦手だといつかのLINELIVEでおっしゃっていた。リリース前に発表されたアルバムについてのコメントには(全文通して読むべきだがあえて抜粋すると)、「最高で最悪な魔法が使えない私にしかできないPARTYをはじめよう何度でも。」と書かれている(ちなみにアルバム3曲目の『REALITY MAGIC』に「魔法が使えない私にしかできないPARTY」という歌詞が登場する。この曲についても思うことがあるので別途まとめたい)。またコメント中に「クソカワ大宴会」との表記もある。「大宴会」、なるほど。「宴会」となると私は途端に抵抗を無くし親近感さえ覚える。なぜなら宴会はパーティより参加者の年齢層が幅広く、周りの盛り上がりに合わせる必要がなく一人で勝手に楽しんでおけばよいというイメージを何となく抱いているからだ。宴会=温泉=浴衣という「弛緩」イメージの連鎖がある。着飾って参加しなければならないパーティほどルールや作法がなく、そこら辺にいる誰だか分からない半裸のおじさんもお咎めなく参加できるような、もう少し開かれたイメージである。イメージなので間違っているかもしれないが私の中ではそのような区別がある。大森さんのライブは、湯会や加賀温泉、昨年のMUTEKI弾き語りツアーの別府公演、バスツアーのカラオケなど宴会スタイルが多い。聴衆は畳敷きの上で思い思いの格好や姿勢で聴くがまったくの無秩序ではなく最低限のマナーがある。『クソカワPARTY』の「PARTY」は、私の思うパーティよりはそういう宴会スタイルのライブに近い、各々自分のルールや温度で自由に盛り上がって楽しめば良い、という意味で使われているかもしれないと感じた。『クソカワPARTY』のドレスコードは「自分」だと大森さんが言われていたのも頷ける。誰かに合わせて無理矢理笑う必要のないPARTY。

『7:77』の「パリピ越しに花火を見て」に話を戻すと、そもそもこの曲は大森さんの相棒、クマのナナちゃんについて歌った曲だと明言されている。だから歌詞もナナちゃん自身について描かかれていると感じ取れる部分が多い。何度もリピートしたくなるアップテンポなメロディとナナコラクリエイター・おおたけお氏による愛がぎちぎちに詰まったMVが素晴らしく、歌詞をつい聴き流しそうになるが私はこの曲の歌詞がメロディやMVと合わせてとてつもなく好きだ。ライブで盛り上がりそうな曲である一方、歌詞に描かれていることが深い。ナナちゃんのことを指しているようで大森さんやファンのことを言及しているような箇所もある。曲の受け取り方はそれぞれあるべきなので細かい歌詞分析は自粛するが、唐突に出てくる「パリピ越しに花火を見て」という歌詞に最初私は戸惑った。おおたけお氏のMVでは歌詞の「花火」に「ナナちゃん砲」とルビがふられているので、ここでの「花火」は8月12日に八丈島にて行われる大森さんのライブの前日に開催される八丈島の花火大会にてファンの企画により有志ファンと大森さん自身が出資して上げられる打ち上げ花火を指している可能性が高い。だが私は最初ルビに気づかず一般的な意味での打ち上げ花火だと無意識に捉えた。私は打ち上げ花火が好きだ。この世の光景と思えぬほど眩く開花するが次の瞬間には消えてしまう花火の儚さに即時性の美しさを感じてたまらなくなる。でも花火大会は苦手だ。だから大抵自宅のベランダかテレビ中継で観る。本当は川辺に行き花火が打ち上がる光景を真近で観たいと思っているができない。それはその場に集まっている人達、言うならばパリピに居合わせるのが億劫だからだ。過去、何度か意を決して花火大会の会場に赴いたことがあるが、黙って花火鑑賞に集中したいのに騒がしく盛り上がっている若者達を見て、やはり私が来るべき場所じゃなかったと思った覚えがある。やがて花火大会とは騒ぐのが好きな若者、生きるのに何の困難もない毎日楽しい人達のホームだという固定観念が私の中に定着してしまった。パリピにだって悩みはあるかもしれないが自分が入れない世界という意味でそういう人達が好みそうだと自分で勝手に決めつけた場所、他には例えば海や祭りやフェスからとことん距離を置いてきた。本当は行きたいのに。

パリピ越しに花火を見て」の主語はわからない。ナナちゃんかもしれないし、大森さんかもしれないし、我々ファンかもしれない。または誰とは特に決まっていないのかもしれない。大森さんは「全力のパリピ感 ピンクグラデレンズめっかわすぎてよお」というコメントと共にピンクのサングラスを着用された写真をInstagramに投稿されたり(ツイッターでないところに重要性がある気がする)、LINELIVEでサングラスを着用されそれを視聴者にプレゼントされてたので、自らパリピ風な格好を見せることで、「パリピ」や「PARTY」について考えてほしいとリリース前からファンに意識的に訴えられていたのかもしれない。この曲を最初に聴いたのがアルバムリリース前にYouTubeに上がった公式MVだったので、リリース後改めて曲だけで聴いてもMVでおおたけお氏がこの歌詞に当てた画(打ち上げ花火に盛り上がる群衆を背後から見た光景、下記スクショ参照)が自然と浮かんだ。おおたけお氏は手を挙げたり体を動かして盛り上がる「パリピ」一人一人に色彩や形で違いを表さず紫色をした集団として描いている。

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花火に盛り上がる集団が少し距離を置いた目線からシンプルに描写されていて、歌詞に相応しい画だと思った。ここからは私観だか、飛び込んでいくことを躊躇させる集団が自分より前の位置で花火を見て盛り上がっている。そこに突入して最前線で見る勇気は持ち合わせていない。しかし群衆の後ろから、「パリピ越しに」なら見られる、好きな花火を見てもいいんだよと言われている。後に続くナナちゃん称賛(と感じた)コールと相まって、私はこの歌詞を聴くと毎回涙が込み上げる。そうか、私も花火を見て良いのか。この歌詞で泣く人はいないかもしれないが私にとってはこれまでの人生で参加を拒んできた感情や後ろめたさに対する救済と容認である。MVの紫色の群衆はライブ会場にいる観客とも見て取れる。私は数年前初めて大森さんのライブに行くまで、ライブ会場やライブにいる観客は怖いと行きもしないで決めつけて近寄らなかった。その嫌悪感は花火や自分が入れない集団(≒パリピ)が集いそうだから辞めようと私が勝手に思って距離を置いている場所に対して抱いている感情と似ていた。大森さんのライブに行くようになってから、ライブは怖くない、音楽現場にずっと入れなかった私でも楽しむことができる場所だと初めて知った。ライブでも花火でも何でも、好きなものや興味のあるものを無理矢理封じる必要はない、行動を躊躇させる要因や苦手だと感じる世界はけっして簡単にはなくならないし同化したり対立したりしなくてもいいから自分の感覚を持ったまま自分のやり方で楽しめば良い、例えばパリピの後ろから好きな花火を見るみたいに、と「パリピ越しに花火を見て」の歌詞は言っている気がする。それこそ大森さんが『クソカワPARTY』に込めた想いなのかもしれない。また、ぬいぐるみやかわいいものを好きだと声を大にして言えないが本当は好きな人でも好きになることを黙って認めてくれるナナちゃんの存在そのものを指しているかもしれない。ナナちゃんの存在意義については思うところがたくさんあるがナナちゃんのことが好きな人それぞれの胸の内に持論があるはずなので辞めておく。大森さんはMCなどでたまにナナちゃんについて言及されるが多くを語らない。その代わりに、今回『7:77』という楽曲として示されたのかもしれない。

行きたいけれど行けなかった場所に行ってみようか、本当はやりたいけれど諦めたり躊躇っていたことが私にもできるのかもしれない、『7:77』はそんな気持ちを起こさせて、同時にナナちゃんへの愛おしさや大森さんがこれまで積み重ねてきた思いや姿勢、ファンとしての在り方を再確認できる大切な曲だ。

 

この夏、私はどうしても打ち上げ花火が見たい。好きだから。

 

『7:77』

 https://youtu.be/r33iHqUgZZ4

 

公式サイト 『クソカワPARTY』 ページ

http://oomoriseiko.info/special/kusokawa-party/?page=2&year=